実情
『カルドラ』ヴェイグさんにそう呼ばれた女性に案内され、城壁の内側へ招かれる。俺の前を歩くこの人、一瞬戦闘のダメージかと思ったけど自分で戦闘服を改造してる?
上着はへその上あたりで切られ、腰回りが丸見えになっている。下は女性用のスカートではなく、男性用のものを脚の付け根の所で裁断し、そこから下は肌色だ。腰には長さの違う剣が左右に付いていた。適正はスタイルアップか。あの勇者の剣に当たれば戦闘服なんて紙切れだろうし、動きやすい方がいいとの判断だろうか。……これは動きやすいのか?
城壁の中、小さい木造の家に通される。女性は血の付いた上着を脱ぎ、何かの用意を始めた。
「はいどーぞ。うちはカルドラね。同じ班になるから、よろしくー」
「よろしくお願いします」
ん? 同じ班?
とりあえず椅子に座り、差し出された良い香りを立てるお茶を口に含んだ。
あ、美味い。ほんのりした酸味が口に広がり、体の力が抜ける代わりに疲れを思い出す。
さっきの戦闘、さっさと終わらせようと思っていたのに無駄に長引かせてしまった。お陰で捕虜には出来たけど、魔力も体力も使いすぎだ。これじゃ一人二人相手にして限界じゃないか。
「凄いねー本当に一人で勇者倒しちゃうんだ」
「あぁ、いえ。あれ多分弱い奴でしたよ」
「そっかー。それでも、十分凄いと思うよ。うちらから見れば」
カルドラさんは両腰に付けた長さの違う剣を外し、壁に立てかけると向かい側の椅子に座った。女性で近接型か、大変だろうな。明るい言動とは裏腹に、眼前の表情には曇りが見える。ヴェイグさんと同い年、二十代前半あたりだろうか。年齢の予想が合っていれば、ウィズの傭兵としては最年長の部類だ。
「……んっ? 駄目だよーうちヴェイグと付き合ってるんだから」
じろじろ観察しているのがバレたのか、そう言って開いた手を口に当て目を細めて笑う。そういう意味で見ていたんじゃありません。失礼な。
「違いますよ。それより――」
「悪い悪い待たせたな。ついでにもう少し待ってくれ今来るから」
ヴェイグさんが手を布で拭きながら、唐突に入り口から現れた。今来るって、俺はまだ何も聞かされてないんだけど。
「何が来るんですか?」
「俺らのボスだよ」
ボス? ボスって傭兵長じゃなくて? 詳しくは現場で聞けと言った傭兵長がわざわざ出向いてくるのはおかしくないか?
「あぁほら来た。おーいこっちだこっち!」
ヴェイグさんが扉の外で手招きしてから家に入り俺の隣へ座った。なんか、変な感じだ。
一年前に戦った人が今は俺の隣に座っている。あの時から憎しみなどは微塵も無かったが、少なくとも対戦相手として敵意を持って向かって行き、戦いが終わった後は尊敬や憧れに近い感情を持っていた。
それが今では肩を並べられる。なんていうか、もっと沢山話したい。ユーマが生きていれば、きっとこの人とは気が合っただろうな。
「すまない、遅くなったな」
開け放たれた扉から現れたのはさっき出撃前に顔を合わせた片腕の女性だった。「こっちに座って」と言いカルドラさんが席を譲る。必然的に俺の正面がその人に。
この人もヴェイグさんやカルドラさんと同い年くらいだろうか。眼帯をしているが、傭兵部隊の指揮官には似つかわしくない綺麗な顔立ちだとわかる。胸まで垂らしたブラウンの髪は丁寧に毛先が整えられていた。
続けざまに何人か皿を持ってぞろぞろと入って来ると、軽く言葉を交わしながら俺達の座るテーブルに並べ家を出て行った。木製の皿には質素で少なめな食事が乗っている。
「食事しながら話そうか。戦闘のすぐ後だが平気かな?」
「あぁ、はい。大丈夫です」
「良かった。片腕で見苦しいが勘弁してくれ」
そんなことありません。と言いたかったが、なんとなく言いそびれて黙ってしまった。
女性は気にする様子もなく話を続ける。
「私はマティルダ。まだ若輩だが部隊の指揮をやっている。よろしく頼むよ」
指揮官だったのか。戦闘前のヴェイグさんとの会話を思い出し、納得がいった。あの時は考える余裕がなかったから会話の意味を深く思慮しなかったが、なるほど。
「いえ、こちらこそ若輩ですが。シュゼといいます。よろしくお願いします」
マティルダさんは、小さく吹き出すように笑う。
「もうすぐ十六歳だったか。若いな……若すぎる」
戦場に出てもおかしくない年齢だとは思うけど、普通卒業は十八歳だものな。そりゃ若いとも言われるか。
「そういやお前、手とか装備洗ったか?」
「はい。ここに来る間に」
「よし、じゃあ食うか。カルドラ、お茶」
はいはいと言い席を立ち、お茶の用意を始める。よく自分を見たら服に血糊が跳ねていたが、隣のヴェイグさんも少し汚れたままだし、問題ないよな。このくらいで汚いとか言っていたらやっていけないだろう。
「気にしないで食べながら聞いてくれるか」
「はい」
「率直に、さっきの勇者はどう思った」
「正直、弱いと思いました。ガライさんの方がよっぽど強かった」
これを聞いてマティルダさんとヴェイグさんは無言で目を合わせる。確かに、ガライさんより力も速さも上ではあった。あれでは距離を取って戦うことは難しいだろう。だけど肝心の攻め方が――。
「そうか、俺の情報を知らないって違いもあるのか……」
ガライさんの場合、事前に俺の得意とする戦法やスキルを知らされていたようだ。それを潰すような間合いやカウンターを狙われ苦労した。
「それと、“殺意”だな」
俺の呟きに対し、ヴェイグさんが俺の顔を真剣な眼差しで、口をもぐもぐさせながら言った。殺意……それは俺の、だろうか。確かにそれはあったけれど、戦闘にどう影響したのか自分ではわからない。
「本番で駄目になる奴と、本番の方が良くなる奴といるが、どうやらお前は後者のようだ。幸運だぜ」
「確かに、今回の勇者は弱い部類だった。他の班で対処した二名も同様」
そこでマティルダさんは一度言葉を切り、お茶を一口飲んでから続けた。
「それでも、こちらにも三名犠牲が出た。これが我々と勇者の戦力差、その実情だ」
「さんっ……」
三人も……死んでいたのか、今の戦いで! 気付かなかった。俺がさっさと片付けて加勢していれば……くそっ。
「勇者が堂々と戦場に現れるようになってから、まだ半年と経っていないんだ。その間我々が倒した数は、今日の分を含めて二十七。逆に、こちら側の被害数は――」
思わず耳を塞ぎそうになる。聞きたくない。
「五十一人だ。総戦力の約一割となる」
「そんなに……ですか」
「五十一。戦争にしてみれば小さい数字だが、少数で多大な戦果を挙げる我々にとっては大きな痛手だ。一年で百失っては部隊が存続出来ない」
何と言っていいか言葉が出ず、横目でヴェイグさん達の方を見ると、ただ黙々と食事を口へ運び何かを考えながら話を聞いているようだった。年間百人の犠牲は多過ぎる。このままじゃ、負ける。負ければ、皆が死ぬ。レコウも、クレナも、チマも、リフェルも。全員殺される。
マティルダさんの右目と左腕も、あいつらが。
「その数だけでも深刻だが、更に問題なのが前衛の不足だ。当然勇者と直接当たる前衛は被害が大きい。足りなくなれば他にいくら術士が残っていようと、我々は“詰み”だ」
「数人の前衛で同時に当たるというのは」
「そうやってはいるが、難しいのだ……」
沈黙していたヴェイグさんが、「俺が説明する」と口を開いた。
「まず奴らが出るまで俺達前衛は一人に対して多数で当たるような訓練はしてこなかった。普通じゃ逆だ。そんな状況想定もしていないから当然だな」
「今からでも訓練すれば――」
わかってる。わかってるんだ。今俺がパッと思いつくような案で、『成る程画期的だ』などとなるわけがない。そんなのもう十分検討してるに決まっているのに、口から出てしまう。言い訳をしている子供のようだと自分でも思う。
「訓練はしているが実戦に備えながら、他の仕事をこなしながらだとやはり十分とは言えねえ。更に――」
辛い。辛い話だ。
「奴らは俺達より速い。集団で当たっても囲む作業が簡単じゃねえんだ。足が速い側にしてみりゃ一対一の状況を作るのは容易。上手くいっても相打ち覚悟で来られたらどうしても今回のように犠牲が出ちまう」
そう、か。……そうだよな。俺だって急に誰かと一緒に戦えと言われても自信が無い。むしろ足を引っ張り合う気がする。それをなんとか形にしているだけでも、今の前衛の人達は頑張っているんだ。
戦況が悪いのは覚悟していたけれど、こうして直接実情を聞かされると……。
「まぁそう落ち込まないでくれ。今している話の主役は君なんだよ」
「俺が、主役ですか?」
「そう。君は一人で勇者に勝てる。これは我々にとって、とても重要な事だというのを知って欲しかったんだ」
俺が……果たして本当にそうなのだろうか。もし俺が死なずに勝ち続けたとしても、年間で犠牲が百人から八十人になるだけじゃないのか。
それでも、自分に出来る事をやるしかないんだろう。そうだ。悩んだり落ち込んだりするのは俺の仕事じゃない。期待されているんだ。俺はただ、目の前の敵を、奴らを――。
皿に残っていた芋にフォークを突き立て口に運んだ。
その様子を見ていたらしいヴェイグさんは、ニッと笑って同じように残っていた芋を突き刺し頬張った。
「……冷めてら」
その後三人は出て行き、俺にはここで待機の命令が下った。暇だけれど、居場所がわからなくなると奇襲の対応に遅れる。大人しくしているしかないか。
大陸のほぼ中央に位置する国、ツィドリハイム。その中でも最も北にある街がここリラコンバ。帝国の侵攻により既に元いた街の住人は避難し、今は俺達傭兵と対帝国連合軍の基地と砦を兼ねたように使用されている。
俺達が優勢だった何年もの間はもう少し北に陣を構えていたが、ここ数ヶ月で敗北を繰り返し、先月ついにこの街まで撤退してきたらしい。
東に海、西には大陸を南北に分断する山脈があり、その向こうには広大な封魔の森が広がる。帝国軍が俺達に見つからずこの街を迂回して南下するのは難しい、守りの要所になっている。
西の高い山脈に日が沈んでいくのでここでは夜が早い。室内は既に薄暗くなり、ランプをつけていた。
「ほらよ」
「わっあちち」
外から帰ってきたヴェイグさんに投げ渡されたのはまた芋だった。
「またいつ奇襲があるかわからんからな。俺ら前衛は満腹にならねえ程度に細かく食っとけ」
「頻繁に奇襲があるんですか?」
「今日で二度目だな。ここに来てしばらくは平和だったんだが、前回は先週夜。同じく三人だ。畳み掛けるようにまたすぐ来る可能性は高いわな」
ヴェイグさんは不味そうに芋に齧り付く。俺も一口齧るが、味付けが無く確かに美味いものではない。別に飯を食いに来たわけではないし、腹の足しになるならなんでもいいけど。
「そういえば、どうして勇者は一度に大人数で来ないんでしょう。そうすれば守りきれないのでは」
「ああ、それね。確証があるわけじゃないが、多分あいつら少ないんだろうよってことになってる」
「少ない?」
「勇者を確実に遠距離魔法で倒す方法がある。わかるか?」
質問で返された。んん? そんな方法があるなら俺や他の前衛はいらないんじゃないか? うーん、数が少ない……遠距離魔法で確実に……。
空間座標指定の遠距離魔法は実際の詠唱から魔法発動までにタイムラグがあり、発動の際には若干の“起こり”がある。小さな火種が大きくなるようにして範囲魔法となるから、勇者はこの起こりを見て回避しているのだろう。
一般兵はもとよりスタイルアップ使いにすら難しい芸当だが、あの異様に強化された身体能力と、他に五感も強いのかもしれない。……当てるには、足を止めるしかない。トラップでは確実とは言えない。確実に当てるには……。
「まさか……」
「至ったか? 誰かを囮にし、勇者が攻撃を仕掛ける瞬間、そいつごと吹っ飛ばす。これが正解」
「……その方法は実際に使ったんですか?」
「一番最初、戦場で帝国は勇者三十人を一度に投入してきた。その時この方法で十人倒し、残りを撤退させてんだ。非情に見えるがこれが結果的に一番犠牲が少ねえ」
そうやって潰し合いをすれば先に勇者が尽きる、と帝国は判断したのだろうか。一度に多くの勇者が同じ場所にいれば大魔法で巻き込める可能性も高くなる。
だとしても、残酷な作戦だ。大魔法の直撃を受けては結界でも保たない。囮は確実な死か。
「だから最近の襲撃は恐らくこちらの前衛のみを優先して潰す目的だ。俺らが尽きるか勇者が尽きるか。……まぁ何れにせよお前が大事だって話だよ。ほらもう寝ろ」
リサと約束したんだ。死なないって。
だけどそんなの、わからないじゃないか。少し躓いたら首が飛ぶ世界だぞ。俺が大事だって、俺が死んだらどうするんだよ。みんなはどうなるんだよ……。
死ぬ覚悟より、死なない覚悟の方がよっぽど難しい。