転入生2
列に並び、窓口から差し出される皿を二つ両手に受け取る。ずらっと並んだテーブルと椅子の、空いているところを適当に探し腰掛ける。朝からガヤガヤとうるさいこの空間はあまり好きじゃない。
ドア向こうには戦闘要員の食堂があるけれど、あっちは割りと静かなんだよな。
パンとスープ、山羊の干し肉が数切れと小ぶりなリンゴが一つ目の前に並んでいる。これが今日の朝飯。リンゴはあいつが好きだったな。
外の世界のことはよくわからないけれど、戦争の前線にいる国に比べればきっと恵まれた内容なのだと思う。
こうして不自由ない生活が出来るのも、先に卒業していった先輩達が命がけで頑張ってくれているおかげなんだろう。俺もあと何年かすればその立場になるのかな。
「シュゼー食わねえと大きくなれねーぞ」
隣の椅子を引きながらレコウが眠そうな声をかけてくる。確かに俺はどちらかというと背が小さい方だが、どちらかというと背がデカいこいつに言われると少しイラッとするな。
「食うよ。食うけど、これはやる」
レコウの皿にリンゴを乗せてやると、ラッキーなどと言いながらさっそく齧りついていた。食べ物でも、物事でも、人だろうと好き嫌いのない奴だ。何をあげても素直に喜んでくれるのはこちらとしても気持ちがいいし、少し羨ましくも思える性格だった。
ただ俺もリンゴが嫌いなわけではない。今日はこのあと呼び出されているから、あまり食欲は無いがなるべく手早く済ませなければならない。遅れたら朝からどやされそうだ。
「リンゴのお礼ってことで、片付けを頼む」
「ああいいぜ。いってらっしゃい」
皿をレコウの側に押しやり食堂を後にした。さて、第二訓練所だったか。訓練所は確か街を囲う城壁にくっつけられるようにして全部で三箇所あったはずだ。第二と言えば女子寮に一番近い場所。ここからもそう遠くはない。
到着してみたが、二人はまだ来ていないようだった。リンゴ食う時間あったかもな。
何度か使ったことがあるが、訓練所は地下にある。と言っても屋根はついておらず、ただ地面を丸くくり抜き、階段で降りていく形になっている。下まで着けば周りをぐるりと石の壁で囲まれた暴れるのに最適の空間というわけだ。魔法の本格的な発動訓練はここでのみ許可されている。
壁の上は更に階段状になっており、中の様子を見る事ができる。大規模に使う時は結界術師が周りを防護するようになっていたと思う。確か実技試験もここでやるはずだ。少し下見も兼ねておくか。
「意外と早いのねー」
考え事をしていたら後ろから声をかけられ、振り向いた。そりゃあお前が怖いからだよ、とは言わなかったが。
「おっはよー」
「おはようございます。シュゼさん」
「おはよ。多分誰も使ってないよ」
「あらそ。じゃ、あたし名前書いてくるから先降りてて」
横にある小さな建物にクレナが向かい、俺とリフェルはそのまま階段の方に歩く。使う時は記名するんだったか。完全に忘れていたが、昔使った時はどうだっただろう。
「そういえばリフェルは訓練所が何のためにあるか聞いたか?」
「昨晩クレナさんから聞きました。私、クレナさんとチマちゃんと同室にしてもらったんですよ」
少し嬉しそうにリフェルが語る。そういえばクレナや俺は“さん”なのにチマは“ちゃん”なんだな。あいつの見た目からしてそう呼ぶのもわからないではないが。
「なぁ、俺やクレナにもそんな堅苦しい話し方しなくていいんだぞ。多分同い年なんだしさ。チマなんか年下だし」
「えっ! チマちゃん年下なんですか?」
「うん。信じられないことにあいつはアレでも頭の出来が良いらしくてね。俺たちの2歳年下。飛び級だ」
「そうなんですか。凄いなぁ……今度お勉強教えてもらいます」
「でさ、話し方は……」
「あっ、えーと……あの、私のいた村は田舎で人が少なくて、同い年くらいのお友達も全然いなかったんです。だからなんだか……癖? みたいな感じで」
困ったような顔をさせてしまった。そうか。周りが大人ばかりの環境で育ったのかな。ここは逆に子供ばかりで、お年寄りなんか全然いないから想像がつかないが。丁寧な態度の方が楽、そういうこともあるのかもしれない。
「ごめん、その方が楽ならそれでいいよ。ただ気を遣うことはないってだけでさ」
「はい。ありがとうございます」
「おーまーたーせー。始めるわよー。まずは情報整理ね」
クレナが階段を段飛ばしで降りてきた。相変わらず朝から元気がいいな。話によると昨晩いくらかリフェルから聞き取りをしたらしい。
読み書き全般は親に教わり不自由ないレベル。ただ魔法の基礎は昨日聞いた通り壊滅的、というか存在すら知らない有様。魔法は誰に教わるでもなく、小さな頃一人で水遊びをしていた時、急に出来るようになったそうだ。
俺達からすると滅茶苦茶だが、チマによればここの外で魔法を使える者の中ではそういうことも珍しくないらしい。確かに、教わらなければ魔法が使えないのなら、最初の術士は生まれて来ない。
ただそういう者は能力が戦闘向きになりにくく、応用も利かないことが多いそうな。なるほどね。流石天才ちびっ子。
「さて、じゃあどうするか」
「そうね、まずはあんたがお手本見せなさい。それをリフェルちゃんにもやってもらうから。はい、ウォーターボール」
えらい上からだが仕方がない。その為に呼ばれたようなもんだしな。リフェルがじっと俺を見ている。なんだかやりにくい。
下級魔法だがお手本ということだし、基本に忠実にゆっくりやってみるか。
まずは精神を集中、マナを取り込み魔力と混ぜる。頭の中で式を作り、魔力を具象化させるイメージ。詠唱。
「クロウ・リタ・ウォーターボール」
上に向けた掌に、周囲の空間から水が集まり、小さな水滴を作る。その水滴の内側から、魔力で複製した水がゴボッと湧き上がり、今朝見たリンゴと同じようなサイズの、水のボールが出来上がった。
表面が波打つようにパシャパシャと跳ねている。
「んー基本に忠実って感じねー。じゃあ次はリフェルちゃん、同じように出来る?」
「はい。多分。でもあの、唱えていた呪文? の意味がわからないのですが」
「とりあえずいつものやり方で構わないわよ」
では、と言い両手の平を掬うようにして上に向ける。そこに周囲から水が集まり、ゴボボッという音と共に内側から湧き上がった水で人の頭大のサイズに肥大した。
その表面は静止し僅かな空気の揺れが波紋を作るのみで、無風の水たまりのように景色を反射している。それは俺が作った物より数段、術の精度が上ということを示していた。しかし、その事に一番驚いているのは作った張本人。
「わっ、わっ、えっ、なんでなんで? きゃっ」
急に魔力を解除されたウォーターボールは、パシャッと弾けてリフェルの服を少し濡らし、ただの水へと戻っていった。
「う~。こんな大きなの作るつもりじゃなかったのに。なんで~」
なるほど、だから慌てたのか。
「それは多分、世界樹が近い分マナが濃いからだろうな。でも制御の練習は必要だけど、すごい精度の魔法だね」
「そうなんですかぁ~?」
服の裾がびしょびしょになって気分が落ちているな……。まあこれで一つはっきりした。詠唱無しで俺より高精度の魔法を使えるということは、間違いなく魔法適正は水だろう。それもかなり高レベルの。
俺も魔法を解除してクレナの方を見ると丁度目が合った。
「驚いたわね。本当に基礎無しで使えてる。それも凄い高精度」
「俺達にはよくわからないな。数字を知らないのに掛け算が出来るようなもんだ」
「ほんとそんな感じよねー」
リフェルは裾をぎゅうぎゅう絞っている。そういえば今日も私服なんだな。制服がまだ出来てこないのか。
「ん~……もしかしてこれなら……シュゼ次」
「また俺かよ」
「しょーがないでしょ。あたし水魔法全然使えないもの。ウォーターウィップやってみせて。詠唱もさせるから、リフェルちゃんよく聞いててね」
腕を組み、指を顎に当てながらクレナが言った。品定めでもするような目でリフェルを観察している。
俺は仕方なくさっきと同じようにゆっくり魔法を使う。
「フェイ・ミディ・ウォーターウィップ」
右手に水を集め、わかりやすいように一度手を掲げ、水の塊を伸ばすイメージで振る。
鞭のように伸びた水は石の壁に叩きつけられ消えた。見た目は地味だが人相手ならかなり有効な魔法。熟練すれば首を落とすこともできる。
「水魔法はただでさえ攻撃力が無いから、最低限これは使えないと話にならないわ。さ、リフェルちゃんまずは今見て聞いた通りにやってみて」
「はい! いきます。フェイ・ミディ・ウォーターウィップ! えいっ!」
俺が作った物の三倍はある水の塊が、ぶよぶよと形を変えしなりながら壁に激突した。壁の上からさらさらと砂埃が落ちてくる。……衝撃は凄いんだけどなぁ。
「あれ、失敗しちゃいました」
「んーどう思う? シュゼ」
「プレスの方が向いてそうだけど、まずはウィップだな。時間も無いし、少なくとも俺にはこっちの方がやりやすい」
「ん。リフェルちゃん、最初の課題は今のウォーターウィップを鉄すら切り裂くレベルまで極めること! 基礎勉強は必要なとこだけで、あとはやりながら体で覚えましょう」
「鉄って……無理じゃないですか?」
「出来るつもりでやらないと! 来週末には対戦形式の実技試験があるからね」
「対戦……? えーっ!」
どうやらクレナは基礎から覚え込ませるより、感覚から掴んでもらう方針でいくようだ。どうせ高等部になれば座学は殆ど無くなり、実戦のための授業ばかりになる。その判断は間違っていないと俺も思う。結局は実際の魔法が全てだ。理論はゆっくり学べばいい。
ここの床や壁は石で出来ているが、その上に吹き込んだ砂がかなり足元に降り積もっている。そこに指で簡単な図を描きながら俺とクレナはまず、さっきの詠唱について説明した。
呪文の詠唱は三節あり、前からそれぞれ発動する場所、魔法の規模、威力と特性を示している。
クロウ・リタならば手元で小さく、フェイ・ミディならば射撃で中くらいという具合に。どれも三節の魔法によって使いやすい、発動しやすい組み合わせは決まっていて、事情が無ければこの組み合わせを守るのが一番効果的。
また、詠唱は必ずしも必要ではないこと。魔法を発動するのは飽くまで頭の中の式とイメージ。詠唱はそのイメージを補佐してより精度を上げてくれるが、状況によっては発音するぶん魔法発動が遅くなったり、相手に聞かれれば察知されるというデメリットもある。
「それじゃリフェルちゃんは、さっきのシュゼの魔法をよくイメージする訓練。魔法にすると疲れちゃうから、今はイメージだけでいいわ」
「はい!」
「大事なのは集中よ集中!」
すっかり先生だな。案外向いてるんじゃないか? 俺たちはイメージ訓練の邪魔にならないよう、壁際まで下がって小声で話す。
「ところで、とっくに授業始まってるだろうけど行かなくていいのか?」
「いいのいいの。最近の座学は殆ど復習だし。あんたもあたしも出来悪くはないでしょう」
「昨日はあんなにチマつねってたじゃんか」
「あれはあの子が単純なさぼりだからよ。自主的に学ぶなら授業は出なくてもいいって先生も前に言ってたし」
そんなこと言ってたか?
「チマと言えば、昨日傭兵長がチマのフルネーム呼んでたのよねぇ。なんで知ってたんだろう」
そうだったか? それも記憶にない。
「よく覚えてるな」
「当然よ。傭兵長の言葉をあたしが忘れる訳ないでしょ」
「クレナは偉い人が好きだよなー」
「そうじゃない。あたしは強い人が好きなの」
その言葉のあと、いつもの不遜な表情が少しだけ曇る。何かまずいことを言っただろうか。怒っているわけではなさそうだが、深く聞かないことにしておくか。触れられれば、踏み込まれれば嫌なこともあるだろう。
「強ければ……。だからあんたにも、チマにも、リフェルちゃんにも強くなって欲しい。……強いことは良いことだ! ってことでそろそろもう一回魔法やってみよう! はいシュゼお手本!」
昼休憩を挟みつつ特訓は続き、今はもう夕方。
結構な数の魔法を発動したのだがリフェルはまだ平気そうだ。ただ俺の方が今日はお手本で魔法を使いすぎた。夜の修行に少し支障がでるかもしれないなぁ……。
しかし特訓開始初日だというのに、最後の方はかなり形になっていた。元々威力も精度も高いのだから、イメージで特性を掴めばすぐ立派な武器になる。どうやらこの方法は間違ってないらしい。クレナ先生様様だな。
「シュゼ、明日からの授業は学部よね?」
「確かそうだったと思うけど、水に連れてけってことか?」
「せいかーい。ついでに全学部案内してあげてよ。第二適正のこともあるし」
「俺がかよ!」
「全学部の場所把握してるのあんたくらいしかいないのよ。ウィズ案内のついでにデートしてきなさい」
はぁ参ったな。もう試験対策の目処はついてるからいいけど、二人きりとか気まずいんだが。
「あの、シュゼさん、ご迷惑でしたら私ひとりでも大丈夫ですので」
「いや迷惑とかではないけれど……」
「いいのよ。どうせほっといても剣術訓練しかしないんだから」
俺にとっては必要なことなんだよ……。だけれども、そうだな。ちゃんと見てやれって言われたし。たまにはレコウの言うことを聞いておくのも悪くないのかもしれない。どちらにせよ手本が俺じゃすぐに限界がくるのも確かだ。
「いいよ。わかった案内する」
「じゃ決定ね。座学の日はまたここに集まりましょう」
「それではシュゼさん、明日はよろしくお願いします」
よし、帰るか。腹が減った。と思ったが、最後に一つだけ聞いてみよう。
「リフェルの制服はまだ貰えないのか?」
「えっあの~、今、サイズが無いらしくて……作っていただいています……」
「うん? そっか。早く出来るといいな」
何故か目を逸らされた。