一人の開戦
寮の裏庭でレコウが、手の平をこちらに向け体の横にかざす。
そこを目掛け踏み込んで素早く右手で突くと、まだ気温の低い朝の街に、パチッと小さく乾いた音が響いた。
「ホイ次こっちー」
今度は顔の高さに手をかざし、誘うようにひらひらさせる。
俺は少し下がり、すぐさま深く踏み込むと、腰を捻って大げさに肩を引き、そこを振り抜いた。パンッとさっきより少し大きな音が石の街に反響する。
「おーいて。ダイジョブそうかあ?」
俺は胸の前で両手を握り拳を作る。そこへ更にぎゅうっと腕が震えるほど力を込めてみた。
「うん。よし。全快かな。レコウありがと」
「いーけど。お前も大変だな。怪我が治ったその日に前線行きとはね」
「待ってもらってたようなもんだから」
「戦場かぁ。帝国は何がしたいのかねーホント」
「何って、大陸の統一支配だろ?」
「そうなの?」
おいおい座学で散々やっただろう。こいつもリフェルと同じように才能だけで戦っているタイプだ。頭がどうなっているのかさっぱりだな。
「でも統一だか何だか知らんが、どうでもよくねーか?」
「どうでもって、お前が! ……まぁ、確かにどうでもいいけど」
あまり考えていない割によく核心を突く。そういうことを気にするのは俺達の仕事じゃない。俺はただ、目の前の敵を倒すことだけ考えればいいんだ。それが皆を守ることに繋がる。俺のやりたいことだ。
「じゃあそろそろ行くよ」
「おう。絶対に死ぬんじゃねーぞ」
さて、まずはチマの所に呼ばれている。ギハツは地下にあり、位置は街のほぼ中央。ここからでも遠くはないな。
「――りぃな……」
「ん? レコウ今何か言ったか?」
「いんや。ほれ、早く行けって」
うん? なんだよそれ。
鉄と木で出来た頑丈そうな扉を押し開けると、広い空間に出た。見慣れない大人達が足早に歩き回り、あたりには晶石や何かの鉱石が詰まった木箱がぽつぽつと置いてある。奥には世界樹の根が完全に見えている所もあり、そこに何人か集まり作業をしていた。薄暗いが人工晶石が多く取り付けられているおかげで道と壁はよく見える。
左右には通路が伸びており、その先で研究や開発をしているのだろう。街の地下、世界樹の根の周囲に張り巡らされた洞窟。ここがギハツの本部。
えーと、どうしようか、全く土地勘が無い。ここまで入ったのは初めてだったかな?
「おーいシュゼこっちー」
声のする方を見ると、チマが妙な白い着物を羽織って手招きをしていた。ああ助かった。踵を返すチマの後について一つの小部屋へと入った。
部屋の真ん中に簡素で大きめの机が一つ、椅子が二つ。壁際にはさっき外で見た木箱の小さいものがいくつか置かれ、やはり中は何らかの石で満たされていた。真ん中にある机の上には火の灯ったランプと、装備が一式。
「これ、シュゼ用の戦闘服預かってた。合うか見るから着てみて」
「おお、了解」
畳まれているそれを開くと中に下着を発見した。これも替えるのか。……チマは妙な白い着物を羽織ったまま、椅子に座りこちらをボーっと見ている。部屋を見回すが、今この小部屋に入ってきた扉以外には他に通じる道は無い。
一応、こいつも女の子だよな。
「ちょっと着替えるから出ててくれるか」
「は? なんでよ」
「は? いやこっちがなんでだよ。下着もあるんだぞ」
「それ穿かないと転移の時ノーパンになるよ」
「だから穿くから出てけって」
「興味あるから見たい」
……何を見たいって? こいつ天才とか言われているけど、やっぱりただの馬鹿なんじゃないだろうか。
とりあえず下着一枚になるまで今着ている物を脱ぐ。チマはいつの間にか羊皮紙とペンを持ち出し、こちらを凝視していた。いいだろう、そっちがその気なら。
俺は机に置かれた換えの下着に手を伸ばすふりをして、素早くランプの明かりを消した。
「あっ! ずるい! 卑怯者!」
闇の中ガタガタと物音がし、再びチマがランプに火を入れた時にはもう俺の下着は新しい物になっていた。どうだ天才。欲望に負けて得意な知略で裏をかかれる気分は。
チマは普段無表情気味なその顔を珍しく歪ませて、歯を食いしばり憎々しげな視線をこれでもかと股間に送っていた。こえーよ。どれだけ執着してたんだよ。
戦闘服に袖を通す。手足を軽く伸ばしてみるが、着心地も見た目も制服とあまり変わりない。性能もそこまで違いは無かったはずだ。見た目を少し変えることで立場を明確にするのが目的なのだろう。
次に靴を履き換える。服も靴も大きさはぴったりなようだ。
「その靴、つま先と踵にミスリルの板仕込んである」
言われてみれば少し重い気もする。防御用というよりは鎧を蹴り込んでも足を痛めないようにする保護用って感じか。最後に剣を腰に付けるが、これは俺の注文通り幾分短めの片手剣。銀は鉄と違って比較的加工が容易だからか、いくらか長さや形の我儘がきく。
「晶石の説明するから」
まだ語気に毒を感じる。
「お前さ、怒るにしてももう少しましな理由があるだろう」
「べっつに怒ってないしー」
チマが怒るのは初めて見たかもしれないが、その理由がとんでもないな。
「それより、晶石なら任務で何度か使ったことあるけど今更説明か?」
「一応しろって言われた。大事なことだからって」
チマから晶石の説明を受ける。晶石とは卵大で半透明な丸い石。一見大きな宝石のようにも見えるそれは、中が空洞になっている。しかしどれだけ強い衝撃を与えてもそうそう壊すことは出来ない。
この石は魔法文字を書くことで初めて使い道が出来る。特殊な染料で文字を書き入れ、素手で握り魔力を込めることで晶石は砕け散り、書かれた文字に従った魔法が発動する。
とは言っても弱い魔法しか仕込めないので戦闘における意味はなく、もっぱら使われるのは転移陣での移動の際だった。むしろ転移は晶石無しでは不可能。今ではもう文字で発動させるしか方法が残されていない、失われた魔法だ。
チマは木箱から一つ晶石を取り上げると、こちらへ投げてよこした。
「晶石は世界樹の根の周りに沢山出来る。不完全な状態で採れた物を加工したのが人工晶石」
「うーん。それも知ってるが、何が言いたいんだ?」
「晶石が……ううん、やっぱりいいや。なんでもない」
何か迷ってる? それとも専門的な話をしようとして俺が理解出来ないと思いとどまったのだろうか。
「今日はとりあえずこれでおしまい。ここボクの研究室だから、また遊びに来て」
最後には機嫌の方もなんとか戻っていたようだな。それにしても、配属されてすぐ専用の研究室を与えられるもんなのか普通。それ以前から頻繁に出入りしていたようではあったけれど、やっぱり研究者として相当優秀なのだろうか。さっき俺の裸を見損ねて怒っていた時はただの馬鹿だと思ったけれど。
ギハツの中を奥へと進み再び階段を上ると、街の中央部最奥にある施設、そのまま中央施設などと呼ばれる大きめの建物の前に出た。中等部以下の生徒にはあまり馴染みのないこの建物。
各地へ移動するための転移陣や、作戦会議室。任務の詳細を言い渡されるのもここで、二階には傭兵長の執務室がある。俺達が作戦行動をするための心臓部だ。
高等部になってから何度か来ているけれど、どうもこの空気感は少し緊張する。俺がまだ子供なのかな。
今日は二階に用はない。真っ直ぐ転移室へ向かい、警護の人に話をつけ案内してもらう。それにしてもここの守りは物々しいな。いつ見ても常に武装した十人以上が守備についている。
「これがリラコンバ行きの転移陣だ。荷物に不備はないな?」
「下着も穿き替えました」
「ふっ。じゃあ気をつけて行ってこい。死ぬなよ後輩」
人工晶石が壁に三つ取り付けられた小さな部屋。
地面に魔法文字で円が描かれている。取り出した晶石にも魔法文字。はっきり言ってこの文字は全く読めないし書けない。チマなら書けるんだろうな。
円の中央に立ち、晶石を握り、魔力を込める。パキンという甲高い音と共に石が砕け散ると、そこから光の粉のようなものが溢れ、俺の体も光の中へ溶けていく。
――気がつくと自分はまた円の中央にいた。しかしあたりの風景が少し違い、壁にあったはずの人工晶石は松明へ変わっていた。転移成功だな。
任務で何回か使ったことはあったが、いつもこの瞬間は少し背筋が寒くなる。馬で何日もかかるような遠距離へ一瞬で移動してしまえるのだから恐ろしい。この技術が無ければ俺達傭兵も生まれてなかったのだろうな……。
戦闘服は着ているが、顔はあまり知られていないと思う。疑いをかけられぬよう、なるべく慎重に部屋から出ると、そこには――。
「おー来たな少年。話は通ってるからビビらなくて平気だぞ」
「あなたは……試験官!」
「やめろよその呼び方」
そう言って薄めの顎髭を触りながら彼は笑った。そうだ、忘れもしない一年前、中等部三年の進級試験で俺の相手をしてくれた試験官がそこに立っていた。
「そういや名乗ってなかったかもな。俺はヴェイグってんだ。よろしくな」
「よろしくお願いします。俺は――」
「ああ、シュゼだろ? 久しぶりだな。色々と聞いてるぜ。まずは――」
その時、外から力の限り張り上げられた大声が。
「敵襲! 敵襲だ! 勇者が来た!」