悪夢
夜、夢を見た。
昔から何度も見ている夢。夢だとわかる夢。
遠くの、知らない街、知らない国。名前はもう忘れてしまった。
俺たちは学校の中等部に上がる前、一度だけ任務以外でウィズから出ることを許される。外の世界を知るための授業の一環らしい。現地の格好をして正体がバレないよう先生の庇護のもと十人ほどで数日間街に滞在し見て回る。
ウィズの外の記憶が全くと言っていいほど無い俺には何もかも新鮮で、とても楽しかった。
俺と、みんなと、ユーマもいた。
期間が終わりウィズに帰る最後の日、それは起こった。またこれだ。夢だと気付いているのに、あの場面まで目覚めることが出来ない。
その街は荒れ始めていた。帝国の侵攻により兵は死に、男たちには兵役が課され家々は貧しくなっていく。人の心は荒れ、争いが起こり始めていた。今にして思えばそのような現状を見せるため、あえて前線に近い国を見学の場として選んだのかもしれない。
『このガキ! 盗んだものを出しやがれ!』
大人が何人か、一人の子供を取り囲んでいた。俺たちと同じくらいの年頃。
膝を抱えるようにして地面にうずくまる子供を蹴り、踏みつける。小さな体が大人の力で蹴り飛ばされ、土煙を上げながら右へ、左へと転がり、その度に囲む男が中央へ蹴り戻す。当時の俺たち子供の目から見ても一切容赦のない暴行。殺されると思った。
『先生! 助けてあげてよ!』
ユーマだ。先生の羽織る外套を掴み必死に懇願している。
俺はあれだけ容赦のない暴力を初めて目にし怯えきっていた。足なんか今にも震えてしゃがみ込みそうだ。それでもどうしてか目だけは離せず、その暴行の一部始終を否応なく脳裏に焼き付けていた。
『あれでもこの国の正規軍だ。この授業は人助けのためじゃない。知るための授業だ。手出しはしない。ほら絡まれないうちに行くぞ』
先生は他の子供たちを連れて路地へ歩いていく。僕も行かないと。でも、足がすくんで動けない。目が暴力に張り付いて離れない。
男たちに張り付いて動かない俺の視界の端に知っている横顔が進み出た。ユーマ。一瞬だけ目が合うと、ユーマは意を決したように口を固く結んだ。駄目だ。そっちは駄目だユーマ!
ユーマは駆け出し、こちらに背を向けている一番手前の男の腰にしがみついた。
『きみ! 早く逃げろ! 立つんだよ!』
『あぁ? なんだこのガキは。こいつの仲間か』
駄目だよ殺される! 先生を呼ばなきゃ! 固まった首をどうにかして動かし左を見ると、みんなは既に路地を抜け、曲がっていく背中だけがチラリと見えた。叫べば聞こえるかも。でも、声が出ないんだ。歯がガチガチと鳴って、足はブルブル震え、涙だけがボロボロ流れてくる。
蹴られていた子はピクリとも動かない。もういいユーマ早く戻ってきて!
『早く逃げろっ!』
『うおっこいつガキのくせに力つえーな』
ユーマは掴んでいた男を引きずり一歩下がるが、他の男により首根っこを持ち上げられ、そのまま地面に叩きつけられた。
あぁ……もう助からない……神様……。頭から血の気が引き、視界がきゅっと小さくなった気がする。倒れそうだ。
『こいつはな、俺達の金を盗みやがったのよ』
男の一人が剣を抜く。『どんな目に合うかよーくみておけ』そう言いながら切っ先をうずくまる子供の背に押し当て、真っ直ぐに地面まで貫いた。
現実感がない。これは現実なんだろうか。
子供は動かず、声一つ上げなかった。既に息絶えていたのかもしれない。
真っ赤な血だけがじわじわと地面に広がってゆく。
『お前も、どうなるか学ぶ必要があるなぁ』
殺される。ユーマが殺される。お願い誰か。
周りを歩く大人たちは顔を伏せ、関わろうとしない。なんで。僕らが生きているのは、なんて腐った世界なんだ。みんな、みんな死ねばいいのに。
ユーマは踏みつけられ、抑え込まれながらもがく。
男が剣を構える。
その時、僕とユーマの目が合った。
どうして。どうして何も言わないんだ。
今から殺される。わかっているはずなのに、どうして『助けて』と一言すら。
僕に失望しているのか。
それとも、僕が巻き込まれるのを庇っているのか。
男の剣がゆっくりユーマの胸に挿し込まれ、大好きだった力強い眼から光が失われていくのを見ながら、僕は気を失った。
怪物に追いかけられる夢。崖から落ちる夢。
そんな夢をほかのみんなは見ることがあるらしい。悪夢というやつだ。
だが俺は悪夢を見た記憶がない。
あるとすれば悪夢によく似た、過去の現実だけ。