正体
静まり返った教室。もう一年も前か、リフェルが転入してきた日のことを思い出す。あの時慣れておけと言われた気がするが、どうやら俺達はまだ言いつけを達成出来ていないらしい。
傭兵長が教壇の前で腕を組み、目を瞑っている。力を抜いているはずなのに一切の揺れが無く、ピタリとそこに静止していた。金属の塊か若しくは山のような、静かな力を連想させる。
「ではこれからお前らの進級について発表する」
俺たちの動揺が収まるのを待っていたかのように、鋭い目が見開かれた。
普通この発表は教師がするものだろう。少なくとも去年まではそうだった。今年わざわざ傭兵長が直に来たのは俺がいるから、という連想は自惚れだろうか。多分この教室の多くは同じように考えていると思う。恨まれなきゃいいけど。
「二名を除いて全員進級だ。その二名は――」
二名……? 誰か落ちたのか? 俺以外で特に試験のようなものは無かったはずだが。
「まずはシュゼ。理由は、わかっているな」
「……はい」
教室の視線がいくつかこちらに向くのを感じた。レコウ達は、恐らくもう察していたのだろう。特に反応は無い。それはそれでほんの少し寂しかったが。
「もう一名は、チルハオリマ」
「――ちょっ、ちょっと待って下さい傭兵長!」
クレナが驚いたように立ち上がる。その反応を見越していたかのように、傭兵長は優しく続けた。
「落ち着け。……チルハオリマがお前らと一緒に授業を受けることはもうない。残念だがこれは決まったことだ」
項垂れたようにゆっくり椅子へ座るクレナ。これは、俺も予想していなかった。とは言えチマは未だに攻撃魔法を一切使えない。いや使わないのか。この学校が基本的には戦力の育成を目的としている以上、遅かれ早かれこうなる定めだったのかもしれない。
もう少し注意してやるべきだったか。少なくとも、留年するか攻撃魔法を使うか選べと突きつけてやることは必要だったのかも知れない。
当のチマの背中は僅かも動揺を見せず、静かに事の成り行きを見守っているようだった。どうやらこの結果は予想していたようだ。
「だが、チルハオリマに関しては悪いことばかりではないかもな。それを今から二人に説明する」
ついて来いと言って振り返りもせず教室を出て行った傭兵長を、俺とチマは慌てて追う。背後からは傭兵長の隣で完全に気配を消していた先生の「じゃあ始めるぞー」という気の抜けた授業開始の合図が聞こえた。
傭兵長は脇目も振らずにその長い脚で廊下をズンズン進む。この方向ならば多分執務室に通されるのだろう。
しかし歩くの速いなこの人。早足を意識しなくては置いていかれる速度。普段からダラダラしていて歩幅も小さいチマに至っては殆ど小走りで付いてくる。
そのチマが俺の手をキュッと握り、心臓が高鳴った。
「お、おい、今手は……」
「へ?」
軽く息を切らし不思議そうな顔を向けつつも手は離さない。そこは最近まで折れててまだ完治していないんだが……。なんだろう、今から何を言われるのか不安なのだろうか。頼むから強く握るなよ。
「入れ」
傭兵長は短く言い放ち自ら執務室の戸を開け中へ入る。
「失礼します」
「はふぅ、失礼します」
以前入った時と同じく、部屋の中央あたりに椅子が入り口からは背中向きに二つ並べて置いてあった。どうやら生徒と話をする時でも、基本は座らせ落ち着かせてからというのがこの人のやり方らしい。今日は他に誰もおらず、今入ってきた三人だけの空間。
傭兵長は廊下を歩いていた速度より僅かに緩め、部屋入り口から正面にある机に辿り着くと椅子を引き、意外にも普通に腰掛けた。意外にというのも失礼だが、もっと乱暴に音を立てる勢いで座るようなイメージだったものが、実際はむしろお淑やかですらあったので。
椅子に腰掛けたチマは初めて入ったのか首を動かし、しきりに周囲を観察している。俺はここまで露骨じゃなかったはずだ。
「さて、まずはチルハオリマについてだが」
忙しなく部屋を見回していたチマが体を硬直させ、ゆっくりと首を傭兵長の正面へ戻す。
「お前は今後正式に技術開発研究部へ赴任してもらう。卒業さえ飛び級だが仕方あるまい」
「えっ! ほんと!?」
「こらチマ、言葉遣い」
今までガチガチに固まっていたのが嘘のように目を爛々と輝かせ、頬を紅潮させている。なんとなくは感じていたが、そんなにギハツに行きたかったのか。
技術開発研究部――通称ギハツ。俺達の装備や街の設備を研究して作ってくれている、頭脳労働向きであるチマにとってはまさに打って付けの仕事場だ。卒業すればそちらに希望を出すのだろうとは思っていたけれど、こんなに早く……この配置もまさか前線が苦戦しているせいなのだろうか。
「今後授業の座学は自主的なものを除きほぼ無くなる。このまま居てもお前にとって得る物はあるまい」
「ボク、ギハツに行きたいなんて先生にも言ったことないのにどうして……」
「わたしに隠し事は出来ないということだ」
そう言って傭兵長はニヤリと笑う。これは俺に対しての言葉でもあるのだろう。色々な意味で隙の無い怖い人だ。
「だが情けでギハツに行かせる訳ではない。適正があると見込んでの話だ。きちんと仕事をして貰わねば困るぞ」
「うん。頑張る。ます」
「それに、お前は既に“知りすぎている”からな」
意味深な言葉に続き「ククク」と押し殺すように笑う。怖いわ。完全に物語に出てくる悪い魔女なんだが。
「次はシュゼだ。チルハオリマもそのまま聞いてくれ」
にわかに傭兵長の眼光が鋭さを増した。机の引き出しから葉巻を取り出し、火を付ける。広がる煙が部屋の空気を重く淀んだものに変えてゆくような錯覚をおぼえた。
「もうわかっているとは思うが、先日の死合の結果は合格だ。ガライも生きている」
「生きている……そうですか」
反省だとか後悔は無いつもりだ。ただ心底ホッとした。そうか、生きててくれたんだ。
「それでお前の、我々の敵なのだが。その正体は“勇者達”だと推定されている」
「……勇者? 勇者ってあの物語の……えっ勇者“達”?」
「そうだな」
――沈黙。えっと、待てよ。勇者物語は子供の頃に書庫で文字の勉強がてら軽く読んだ程度にしか知らない。確かその昔この大陸をまだ魔物が蹂躙していた時代、一人の男が仲間と共にそれらを退治していく話。と、覚えている。
特に貴重でもない書物。中身は多く複製され他の国でもよく読まれている。
そう、おとぎ話。それも勇者と呼ばれていたのは一人だったはずだ。いくつかのエピソードは記憶にあるが、全体としての理解には乏しい。というかこんな真面目に考えるべきものだなんて思ったこともない。
横目でチマを見る。ああ駄目だ、こいつの顔は何を考えているのかわからない。
「あの話は本当にあったことなのですか?」
「さあな。全部が全部とは言わんが、少なくとも魔物とやらはこの目で見たことがある」
「魔物!」
チマが目を輝かせ反応した。今大事な話だから少し黙っていて欲しい。
「この街の北、帝国からすると南に封魔の森が広がっているだろう。若い頃あそこを探検してな。襲われて死にかけた」
封魔の森にはまだ魔物が……小さい頃からそこだけは何があっても入るなと言われてきた。子供の足で歩いても半日とかからない距離に森林はある。もし子供が迷い込んだとしても、捜索も救助もされない場所。
地図を見ても陸地の四分の一は占めようかという巨大な森。
「ど、どんな魔物? ですか? ドラゴンとか!」
「色々いたが、危なかったのは巨大な植物のような奴だ。動きは鈍いが袋から毒の霧を出してな。……いや、間違ってもあそこに行こうと思うなよ。下手を打てば人間は滅ぶ」
「あのそれで、勇者は……」
「奴らが勇者と自称しているだけだ。実際は知らん。だが、知っているか? 我々の敵であるアステリア帝国は、そのおとぎ話の勇者が初代国王だと言われているぞ」
冗談でも言うような口調に聞こえたが、その目は真剣そのものだった。勇者か。伝承の英雄、救世主、正義の象徴。
知ったことじゃない。それが俺たちの敵であるならば。
「シュゼには近いうち前線に飛んで貰う。実際に戦った者から詳しい話を聞くといい」
「了解しました」
「チルハオリマはしばらくシュゼの専属として付ける。戦いには行かなくていいが、知識面で出来る限り助けてやれ」
「うん。じゃなくて、はい」
いくつか詳細な指示のあとで「話は終わりだ」と告げると同時に傭兵長は靴のまま机にどかっと長い脚を乗せた。積まれた羊皮紙がいくつか衝撃で床へ落ちる。
ああ、イメージ通りだ。
勇者の話はまだ機密扱いなので生徒に漏らしてはいけないらしい。理由はだいたい察しがつく。勇者物語は大陸中で有名な話だ。伝説の英雄がウィズの敵であると知れ渡れば、良くない結果を生むことは想像に難くない。
確かクレナが勇者物語好きなんだったかな。敵がその英雄だと知ったらがっかりするだろうか。
――左手をぎゅっと力いっぱい握り込む。もうすぐ本当の戦いが始まる。本当の、殺し合いだ。