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水色の魔女

 濁ったガラス窓から寮の中へ日差しが入っている。天気が良すぎて朝から暑い。顔を洗って部屋へ戻ると、レコウが楽しそうに机に向かっていた。近頃の休日はよくやっているな。


「そんなに気に入ったか? それ」

「最高だぜ投げナイフ。ちょっと難しいけど、こないだの任務でも大活躍」


 こちらに満面の笑みを見せ、また机に向き直り鼻歌混じりで刃に油を塗っている。土産を喜んでくれたのは嬉しい。だがすまん、ずっと言えていないがそれ投げナイフじゃなくてただのナイフなんだ。俺が使った時も真っ直ぐ飛ばなかった。なんでお前がまともに使えているのかわからん。すまん。

 前の任務で十本買ったうち一本投げてしまって残りの九本、レコウは練習などもして大事に使っているらしい。雷魔法の使い方といい、こいつは新しい戦い方が好きなようだ。目立ちたがりと言ってもいいが、結果が伴っているので誰も文句は言わない。


「つーかシュゼ、ゆっくり座ってていいのかよ?」

「何が? 今日休みだろ。任務も入ってないし」

「クレナに呼び出されてただろー」

「……あー」


 忘れてた。そういえば何日か前に今度の休日と指定で呼び出されていた。場所は確か、女子寮の裏だったか。なんだってそんな所へ、と思ったことを今思い出した。


「ちょっと行ってくる」

「おう!」



 もう朝日が完全に夏のそれだな。暑いのは苦手だ。歩いているだけでじっとりと汗ばむのが本当に鬱陶しく、自分が何か悪いことをしたのかという気になってくる。これが昼頃になると、太陽が世界樹の馬鹿でかい枝葉の影に入り少しはましになるんだが。そんな中を何の用かもわからぬまま女子寮へ向かう。

 ギハツで働いている術士ではない外から来た人に言わせると、ここの夏はその枝葉のお陰で南部にしてはかなり涼しいらしいが、どっちがという話ではなく、暑いものは暑いんだ。 

 きっと俺は最北付近の出身に違いない。全く覚えていないけれど。


 女子寮の裏。何やら妙な装置が作られている。立てられた二本の棒、その間を横に棒が一本架けてある。シーツでも干すような感じだが、今はシーツの代わりに、ロープで括り付けられた革袋が吊り下げてあった。大きさは人の頭、高さは目線くらいだろうか。何を始めようっていうんだ?


「白髪の兄ちゃん来たよ」

「あ、シュゼ遅いわよ!」

「じゃあクレナお姉ちゃんあとでねー!」

「うん、またねーみんな」


 視界の陰からクレナが現れた。いたのか。どうやら日陰になっている裏口のあたりに待機していたらしい。俺と入れ替わりに子供達が数人駆けて行く。相変わらずちびっ子に人気だな。白髪の兄ちゃんは酷いと思うのだが注意してくれないのか。


「遅くなったな。で、コレ何?」

「フフフ。まぁ見てなさい。リフェルちゃーん」


 少し遠くの室内から「はーい」と声がして、段々と近付く足音。クレナの背後、裏口からリフェルが顔を出した。なんだろうこの、大物が呼ばれて出て来た感じ。

 リフェルは俺に朝の挨拶を述べると、革袋の前につかつかと進み、こちらを振り返った。両眉の端が上がっている。全くわからん。何するっての?


「あの革袋には水が入っているわ」

「はあ」


 確かに空中に渡された棒が袋の位置でたわんでいる。


「じゃあ、リフェルちゃんお願いねー」

「はい!」


 元気よく返事をしたリフェルは、革袋に優しく手を添えた。後ろ姿から、集中しているのがわかる。だが何をするのかはわからない。とにかく待ってみるか。

 リフェルがウィズに来たばかりの頃、試験対策に詰め込み特訓をやった時の事を思い出す。数ヶ月前だというのに、なんだか懐かしいな。こうやってクレナと一緒に集中する背中を見守るのは。

 ……暫くして、リフェルがまた振り返る。両眉を上げ、足を広げ両手は腰の脇に。だから何だその感じは。って、終わったのか?


「すごーいまた少し早くなったわね」

「えへへへ」

「あの、そろそろ説明して貰ってもいいか?」

「鈍いわねー。革袋を良く見なさい」


 ん? 革袋は…………さっきまでパンと張っていた表面が緩んでいる。空中に渡っている棒のたわみも無くなっていた。


 気付いた――瞬間、理解し、寒気がする。革袋の中の水が消えた。蒸発させた? 移動させた? それはわからないが、確かに消えている。

 近寄って袋に触れてみる。確かに無い。これは……。


「リフェルはこれ、意味がわかってやってるのか?」

「意味? ……お洗濯物を瞬時に乾かせます!」


 本人はわかっていなさそうだ。きっとクレナはわかってやらせている。

 つまりだ、この革袋は人だ。人を模している。人間の体は殆どが水だと習ったことがある。そうじゃなくとも、血を失えば動物は簡単に死ぬ。

 革袋の水を消す。これを人間に対して使ったらどんなに恐ろしい術か。どれほど屈強な戦士だろうと触れただけで即死だ。まさしく必殺技。水魔法にこんな使い方があったなんて聞いたことも無いぞ。勿論本でも見たことがない。


「洗濯物乾かせないかなーってやらせたら出来たのよねー」

「えへへへ」


 えへへへじゃないんだが。


「クレナお前……これはどういう理屈なんだ?」

「理屈なんて私にわかるわけないじゃない。出来るんだから理論上は可能、ってだけの話よ」


 参ったな。今必死に一騎打ちの強さを求めて修行してるっていうのに、これじゃリフェルの方が上――とはならないか。今はまだ、発動に時間がかかりすぎている。スタイルアップの適正も持っていないから、単独で相手に近付くのは難しい。

 それでも恐ろしい能力だというのは確かだ。


「一芸は宝よ。リフェルちゃんには普通の水魔法と平行して、この特訓もさせるわ」

「お前まだ先生やってたのかよ」

「私、座学の先生はチマちゃんで、魔法の先生はクレナさんなんですよ」


 嬉しそうにリフェルは手を後ろに組み、ニコニコと笑って言う。学年で座学と魔法それぞれ頭一つ抜けて優秀だからな。先生として適正があるかはまた別だろうけれど、クレナに関しては悪くなさそうだ。少し口うるさいが。


「じゃ、あたしは仕事があるから。あとは二人で遊んでちょうだい」


 これだけを見せるためにわざわざ呼びつけたのか。まぁ、良いもん見れた気はするけれど。これを参考に……参考にはならないな。


「……ん? 仕事って、任務か?」


 クレナは心底嫌そうに目を閉じ首を振った。


「くさ~いやつよ……」

「あぁ……ご苦労様」

「そっちが終わったら子供達に呼ばれてるし」



 クレナは「じゃあよろしく」などと言い残し、ブツブツと文句を愚痴を呟きながら去って行った。よろしくって……隣を見るとリフェルが期待するような目で俺を見ている。何しろって言うんだよ。街をぶらつくにしても暑いしなぁ。


「二人きりは久しぶりですねー」

「そだな。何する?」

「あっ、私行きたい所あるんです」


 どこだと尋ねると、この街のどこにいても見える物――世界樹を指差した。


「あそこはなぁ……知ってると思うけど勝手に崖登るの禁止されてるんだよ」

「許可を貰えばいいんですか?」

「それは……そうなんだが」


 許可を貰えば登れるらしいとは知っていたが、俺はどこで許可を貰うのかを知らなかった。許可など無くても毎日のように夜中登っていたから。当然こんな行為は申請しても許可など出ないだろう。傭兵長が知っている今は暗黙のうちに許可を得ているようなものだけれど。


 とりあえず近くまで行ってみようかとなり、崖の方へ歩く。それにしてもさっきの魔法? どうやっているのだろうか。俺には出来ないのだろうけれど、気になる。知りたい。問題は恐らく本人もよく理解しないでやっているということだ。



「大きいなぁー。首が痛くなっちゃう」

「リフェルは神樹信仰なんだっけ?」

「私は信仰……というか、お話として好きですねー」


 そうなのか。俺はきちんと読んだことがない。確か元々はなんとかという神がどうこうという宗教だったのが、その中の一部だった世界樹の話に人気が集まり、そこだけ学ぶ人が増えたとかそんなんだったか。我ながら酷い知識だな。


「登っていいぞ」

「うおっ!」

「ほんとですか? やったー!」


 気付くと真後ろに傭兵長がいた。なんなんだこの人、全然気配感じなかったぞ。わざと俺をビビらせて楽しんでるんじゃないだろうな。変な声出た。なんでリフェルは平然と反応してるんだよ。


「わたしが今ここで許可を出す。気を付けて登れ」

「はい! ありがとうございます! 良かったですねシュゼさん」


 傭兵長はそのまま歩き去って行った。なんだろう、特に苦手意識は無いつもりだったけれど、段々と傭兵長が苦手になりそうだ。心臓に悪い。

 リフェルに登れるかどうか聞くと、「木登りは得意でした」という関係あるのだか無いのだか微妙な根拠を示し、岩に手を掛け登山を始めた。スタイルアップの黒いもやが見える。だが肉体強化していたとしても上から落ちれば即死だろう。補助のため、一応リフェルのすぐ下の位置を保ちながら俺も後に続く。


「う、上見ないで下さいね?」

「お前も頼むから漏らすなよー」

「~~っ! うううぅぅぅぅぅ!」



 頂上。見慣れない景色、そう思った。毎日のように来ると言っても暗闇ばかりだ。昼間明るい中でここに上ったのは初めてだったかもしれない。いつも見ているものが突然違う姿に変わったような奇妙な感覚。

 自分以外の人、リフェルがはしゃいで先に居るからよくわかるが、崖の端から世界樹までは意外と離れている。目印が無いと巨大過ぎる幹のせいで距離感が狂うな。

 リサは……居る訳ないか。


「シュゼさん! 凄いですね!」


 それでもやっぱり興奮する程の目新しさは感じない。リフェルは大はしゃぎだが……。「俺は毎日近くで見ている」と言う訳にもいかないので、適当に話を合わせて歩く。

 リサは今もどこかで見ているんだろうな。またデートだなんだとからかわれる。

 足元の岩に生えた厚めの苔。リフェルはその感触を楽しむように跳んでみたり、すり足してみたり色々なリズムでフラフラと歩く。本当に楽しそうな、純粋な笑顔を浮かべながら。


 ……俺は、こいつに人を殺させてしまった。きっと普通なら当然そんなことが出来るような娘ではないのだろう。仲間になりたいという思いを利用したのか。でもそれはリフェル自身が望んでいたことだ。後悔はしていない。

 ただ、言いようのない悔しさ。綺麗な布に二度と消えない血の染みを付けてしまったような、何かを冒涜してしまったような気持ち。誰かに許しを請いたい、その衝動をぐっと抑え殺す。


 リフェルは世界樹の幹を優しく手で触れている。こんな子が人を殺さなくていい世界を作る、とまでは傲慢になれない。少なくとも、少なくとも俺の大事な人達が辛い思いをなるべくしないように――。


「とても力強い樹……だけど少し、可哀想ですよね」

「可哀想?」

「だって世界樹って言うくらいですから、孤独なんです」


 孤独か。よくわからないけれど。リフェルは――。


「リフェルは孤独じゃないか?」

「え?」

「前に言ってたろ。本当の仲間になりたいって」

「……私、ここに来てみんなと出会うまでは、魔法なんて使えなければ良かったと思っていたんです」

「それは、戦うのが不安だったとか」

「はい。それに傭兵だって聞いてたので、その……」

「俺達が怖かったのか」


 リフェルは少し申し訳なさそうに、はにかみながら頷いた。

 ずっと能天気なイメージがあったけれど、こいつはこいつなりにちゃんと戦いの怖さを認識していたんだな。自分達を怖がっていたと聞いて嬉しくなるのも変な話だが、少し安心したよ。まるで警戒心が無く見えたから。


「でも今は、みんな優しくて、大好きで。だから一緒がいいんです。辛いことも全部」

「人の気持ちは知らないけれど、少なくとも俺はもう仲間だと思ってるよ」


 そうでもなきゃわざわざ自分にこんな罪悪感を背負わせてまで、あの場面でリフェルに人殺しの指示なんて出していないだろう。

 出会ってたった数ヶ月の相手に仲間などと軽々しく言っていいものか。そう自分の心に問いかけてみても、やはり答えは変わらない。


「それなら、私も嬉しいです」


 そう言って満開の花のように笑う。言葉でも行動でも素直に好意を示してくれる。俺達の血で汚れた世界に躊躇せず、勇気を振り絞り踏み込んできてくれる。だから俺もクレナも、こいつを仲間だと認めるんだろう。

 俺達はもう認めている。あとはリフェル自身がそれを信じられるかどうか。

 難しいのだろうけれど。自分が受け入れられていると自然に信じられる為には、何よりやっぱり時間だろう。俺達が物心ついた頃からずっと一緒に生活しているのに比べ、リフェルはまだここに来て半年も経たない。

 日常のそこかしこで自分は馴染めていない、絆が細いと感じているに違いない。それは俺が想像しているより辛いのかも知れない。でもそれを解決するのもまた時間しか無いんだろうな。



「シュゼさん、この音……」

「音?」


 意識を傾けて聞いてみると、世界樹の幹から――正確には幹と今俺達が立っている台地の境目から、ピシピシと小さな音が響いている。ああ、これのことか。

 これは世界樹が成長している音だと教えてやった。世界樹は台地に突き刺さるようにして生えている。幹の最下部は俺達が住んでいる街の高さだ。根はその下。この台地に根はなく、下まで全て幹だ。だから成長する際に岩石を押し割り、こういう音が鳴る。


「へぇー。この台地に根っこが詰まっているのかと思ってました」

「そうじゃないね。あと世界樹の根は特殊なんだよ」


 ギハツで世界樹の研究をしている。その結果によれば、どうもこれの根は普通の樹とは違い地下深くまで伸び、横方向も相当遠くまで伸びているようだ。マナの広がる範囲とほぼ同じって言ってたかな。


「そうなんですかぁ……私には難しいや」



 話しているうち段々眠くなり、二人で昼寝をした。ここは風が通って夏場は本当に気持ちがいい。

 ただ、もう二度とリフェルと一緒に昼寝はしないと誓った。こいつは寝ている時、起きている時以上に密着してくる。危険だ。

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