討伐任務5
「背負ってやろうか?」
「からかってんの? 我慢できるわよ」
真面目に言ったのだが。クレナの肩に開いた穴は、いくら怪我の治りが早い術士と言ってもまだ痛むに決まっている。額に汗が滲んでいる。着ている制服にはまだ広がった血の染みが残ったままだ。
だがその表情は、怪我を負う前より痛みが無さそうに見えた。精神的にはもう大丈夫そうだ。
クレナは本当の意味で強いんだな。悲惨な過去に立ち向かい、誰に頼るでもなく自分自身で打ち勝とうとする強さがある。
リフェルは、どうだろうか。顔には緊張が浮かんでいる。俺は――俺はどんな顔をしているだろう。
再びあの林道へ。念のため警戒しつつ進み気配を探るが、やはり夜には張っていないようだ。今頃は酒を飲んで酔っ払っているはず。
アジトの洞窟へ近付く。気配を殺し、ゆっくりゆっくりと。普段真っ暗な中で魔法の訓練をしているせいか、どうも俺は夜目が利くらしい。月と星の明かりで夜中でも先まで見える。
黒い穴が――アジトの入り口が見えた。両脇に見張りと思しき人影が二つ。ただ立っているだけなのに上半身が左右にゆらゆら揺れている。酔っているのだろう。その近くには荷車が無造作に置かれている。
俺は小声で背後に話しかけた。
「人影が二つ。ここから見えるか?」
「見えます」
「なんとか」
「右は俺がやる。左は――」
「あたしがやるわ」
「いや、リフェル、やってくれ。クレナは補助」
クレナは不満そうな顔をするが、特に文句は言ってこなかった。信頼してない訳じゃない。今のクレナは十分冷静だろう。ただこれは、リフェルに必要なことだと思った。これを逃したらもう出番は無い。
ここからなら射線も通りそうだ。
「やれるか?」
「や、やります。逃げてたら、みんなの仲間になれないんです。お客さんみたいに守られるなんて嫌。私も、隣で戦いたい」
目は力強いが声も手も震えていた。その震える手を、クレナが無言で握る。
「同時に行くぞ。タイミングは俺に合わせて」
屈みながらぎりぎりまで近付き、藪の中に身を潜める。ふぅーっと一つ深呼吸。
「三……二……一……!」
俺は右手に弱い雷魔法を発動し、右の影に向け放つ。闇の中、閃光が走る。男は立ったまま手足をピンと伸ばし感電した。それを確認すると同時に藪から飛び出し全力で走る。左は?
男の影、その胴体と頭が別々に分かれ地面へと落ちて――死んだ。
すぐさま自分の標的へ視線を戻し、接近。右手で首を握り、左手で相手の右手首関節を外した。そのまま片手で男を持ち上げたまま、洞窟の入り口より少しだけ離れる。
「質問にはっきり、小声で答えろ。出来なければ殺す。いいな」
右手の親指に泡混じりの涎が垂れる。首から手を離し、襟ぐりに掴み直しうずくまろうとする男の体を無理やり立たせた。苦しそうに咳き込む。生きているなら俺の親父はこの位の歳だろうか。こいつらだって好きでこんな生活をしてた訳じゃないだろう。可哀想に。
「お前らのボスは中にいるのか」
「い、います。はいっ! います!」
「声がでかい。殺すぞ。他の仲間も全員中か」
「そうです。はい。はい。すいません」
「攫った女はどこだ」
「ぜ、全員もう売っちまいました。ごめんなさい。許し――」
答えを聞き終えると同時に、襟を握っていた右手を素早く剣の柄へと移動させ、鞘から抜く流れのまま右上へ向け男の首をするりと撫でた。
頭は恐怖に歪んだ表情を張り付かせたまま、回転しながら地面へ。落ちた衝撃で切断面から空気が漏れる音。頭のあった場所から血の噴水を上げる体は大きな音を立てないように、外した手首を握ったままゆっくりと倒す。
出来た。躊躇せずに。俺は人を殺せる。人を、殺した。
すぐに踵を返すと洞窟前にはリフェルとクレナが来ていた。青い髪が俯いてウォーターウィップで首を落とした死体を見下ろしている。
この視界でもわかる程にリフェルの身体は大きく震え、不自然な荒い呼吸。月明かりに照らされて脚が光っている。
「平気か?」
「あ、み、見ないで下さい私、漏らし――」
俺が持つ剣から血が滴るのを見て、リフェルは言葉を止めた。動揺はしているが、錯乱して騒ぎ出さないだけ有り難い。思ったより平気そうだ。今は話している余裕も無いしな。
洞窟の中からはランプと思われる明かりと、野盗の笑い声が反響して聞こえてくる。どうやらまだこちらには気付いていないようだ。酔い潰れて寝ていてくれれば最高だったが。
俺は今男を脅して得た情報を二人に伝えた。ボス含め残りは全員中。要救助者は無し。嘘を言っているようには見えなかったが実際はどうだか……。
「念のためリフェルは周囲を警戒。弓に気をつけて。中は――」
「中はあたしが焼き払うわ。いつまでも仕切ってるんじゃないわよ。班長あたしだからね?」
はいはい。ようやくらしくなってきたな。元々アジトを特定したらクレナに焼き払ってもらうつもりだったが。一応ロープも持ってきたけれど、ここに突入する危険を冒すくらいならボスも一緒に焼いてしまっていいだろう。
「ほらシュゼ、風送りなさい」
洞窟へ向けて魔法で弱い風を送る。多少空気が渦を巻いて返ってくるのを感じた。どうやら内部はそれ程広くないらしい。
「炎逆流しないか?」
「その辺はあたしが調整する。いくわよ」
入り口に仁王立ちするクレナ。昼間の不安定さはどこへいったのか、いつものよく知る頼もしい姿があった。俺は横で風を流しつつ、逃げてくる奴がいたら仕留める役割。
赤い髪が風で少し揺れる。クレナは右手を前に突き出すと、一切の躊躇なく呪文を詠唱した。
「フェイ・スト・ヘルフレイム!」
――狭い空間で反響した、地獄の底のような叫び声が響き渡る。クレナの右手から放たれた赤い炎の蛇が、風に乗りうねりながら洞窟内を地獄へ変えてゆく。
俺が以前使ったものと同じ魔法。それでも威力は段違いだ。しかもクレナはこの魔法よりさらに上位のものを使うことが出来る。火力で右に出る者はそうそういないな。
……しかし長い。叫び声はとうに聞こえない。
「もういいんじゃないのか?」
「火力落としてるからね。もう少し。リフェルちゃん異常ない?」
「はい。大丈夫です」
悲鳴が聞こえなくなって暫くし、ようやくクレナは魔法を止めた。
「じゃあシュゼ、急いで中見てきて」
「えっ今すぐかよ」
「抜け道あったら逃しちゃうでしょ。ほら早く。空気薄いから気をつけて」
俺はリフェルに魔法で水をかけてもらい、風魔法で空気を送ってから慎重に中へ進む。
洞窟内は死そのものであった。
布や木であったと思われる物が灰になっている。あまり鼻で息を吸わないようにするが、酷い臭いが口からでも鼻へ抜ける。肉と脂と何かが焼ける匂い。肌の露出した部分に空気がベタベタと纏わり付く感覚。血が蒸発したものだろうか。これが炎の魔法――。
少し広くなっている最奥部には十余りの黒い塊が横たわっていた。最早どれがボスだったかの判別は出来ない。まだ熱気も凄まじい。この中に長くは居られないな。
ナニかの燃えカスに燻る残り火の明かりを頼りに見回すと、人工的に掘られた小部屋があった。その中を確認しても抜け道のようなものは見つからない。あちらに転がっていた物に混ざっていなければ、攫われた女達とやらもどうやらここには本当にいないようだ。少しだけホッとした。
引き返すとクレナが、俺と同じく水を被りびしょびしょになった状態で、暗く冷たい目を焼け焦げた野盗の残骸に向けていた。
「……任務完了。帰りましょう」
早朝からガタガタと馬車に揺られる。あまり好きになれないなこの乗り物は。夕方までずっとこれかと思うと憂鬱になる。来た時と違い天気が良いのは有り難いが、どちらにせよ眠れはしない。慣れなのかもしれない。
「最後は意外とあっけなかったわねー」
「お前が暴走しなきゃ途中も楽勝だったんだけどなー」
「なによ。謝ったでしょ! あんただってあたしの、胸見た、くせに……」
「そんなもんあったか?」
「あー殺す。シュゼ殺します」
無視無視と。まだ肩に穴開いてるってのに元気なもんだ。顔は少し赤い。まだ熱があるな。
リフェルはずっと人形を持ってもじもじしている。漏らした所を見られたのがかなり恥ずかしかったらしい。漏らした原因――人を殺した、その精神的なダメージは思ったより軽く、すぐ吹っ切ったようだ。こいつも図太いのか繊細なのかよくわからない。
ん? 人形?
「リフェルその人形なんだ?」
「あ、これチマちゃんにお土産です」
顔の前に掲げて俺によく見せる。木彫りの人形。呪いの道具か? 不気味にしか見えないけれど、逆にその辺をチマが好みそうな気はした。こういうのが意外と高かったりするんだよな。いつの間に買ったのだろう。俺と道具を揃えていた時だと思うが、全然気が付かなかった。
「ねね、リフェルちゃん」
「はい?」
「もしかして、今下着穿いてない?」
「そっ……」
洞窟から出たあと、俺達は焚き火で軽く体を乾かしてからゆっくり町へ戻った。着いたころには夜明けが近く、帰り支度をして、馬車を予約して、飯を食って、剣と荷車を返し、クレナは町長に報告を済ませ、今に至る。町に着いてから脱いで洗ったのだろう。乾かす時間が無かったんだな。
「あたしの魔法で乾かしてあげよっか?」
「ほんとですか!?」
「燃えちゃったらごめんね」
「……やっぱりいいです」
二人はまたじゃれ合っている。往路でも見たような光景。こいつらいつの間にか仲良くなったよな。
昨晩リフェルが一緒に行くと言った時の台詞を思い出す。『私も行きます。行かせて下さい。仲間に、入れて下さい』俺達はそんなことないつもりだけれど、リフェルは本当の仲間とは思えないでいたのだろう。共に戦えば仲間になれるはずだと。
今はどう思っているのかな。
「いったたた」
「大丈夫ですか!?」
「はしゃぐから傷口開いたんだろ? 重傷なんだから大人しくしてろよ」
「……クレナさん、やっぱりあの時、私のことを庇って――」
「そういうの言いっこなし。あたしのミスなんだから」
ぽかぽかと暖かい陽気の中、寝れない馬車はウィズを目指す。俺達の帰る場所へ。