転入生
「ところでシュゼ、あんたさぁ~今度のアレ、大丈夫なの?」
前の席の女が馬鹿にしたような表情で振り返る。その性格を象徴するような赤色の髪が、夕方の橙色となった空気で赤みを増していた。
俺を煽るために左右で上下に段差を付けた眉に腹が立つ。なんだその表情は。
「留年したらパシリにしちゃおっかな~」
俺は一度息を吐き、席のすぐ左側にある半透明の窓から外を見て、なんと答えようか少しだけ考える。
「ちゃんと対策考えてるよ。クレナの方こそどうなんだよ」
「あたしは余裕でしょ。あたしで駄目ならこの教室全員駄目だって」
自信満々、心の底からそう思っているようだ。こういう奴はよく足元を掬われて痛い目を見るものだけれど、これに関しては確かに、と思う他無かった。
クレナが駄目ならここの誰もが駄目だろう。ただでさえ総合成績トップなうえに高火力、広範囲攻撃の性質が強い炎魔法の使い手はそれだけで戦力として需要がある。
これで口うるさいところが無ければ言うことないのだが。
「あ、チマ。どこ行ってたのよ。あんたがある意味一番ヤバいんだからね。あんまり授業さぼると――」
ちっこいのが音も無く教室に帰って来ては椅子を引きクレナの隣に座る。いつも上手いこと授業終わり直後に戻ってくるもんだ。
「さぼってない。ボクは外で生物の研究と考察をしていただけ」
「またわけわかんないこと言ってー!」
クレナにほっぺを引っ張られるちっこいの。最近度々授業の合間に姿を消すと、そのまましばらく戻って来ないことがある。座学では非凡な才能を発揮する所謂天才というやつらしいから、授業が暇なのだろうと最初は思っていたがどうもそれだけじゃないらしい。本当に何か研究でもしているのか?
「んむむぅー!」
うわ、まだ引っ張られてる。
「おいクレナそのへんにしてやれよ。元に戻らなくなるぞ」
「あぁごめん気持ちよくてつい」
クレナがパッと手を離すが既にチマの頬は赤く、涙目になっていた。
「ありがとう……。シュゼは命の恩人」
「まったく、あんた達しっかりしないとあたしの方が上級生になっちゃうんだからね!」
確かにそれは困る。どんな無理難題でいじめられるかわかったものではない。本人から聞いたわけではないが、こいつには告白してきた下級生に『付き合いたければドラゴンの角を持って来い』と要求したなんて噂がある。ドラゴンなんてどこにいるんだ。普段の性格を考えればあながち嘘とも思えない話である。
「おら席に着けー」
「んあっ?」
先生が戸を開け入ってくる。前の時間からずっと後ろの席で眠っていたアホも起きたようだ。今日最後の授業が始まる。
と思った矢先、その後ろから続いて入ってきた人物に意識を全て持っていかれた。
「うそ、傭兵長?」
クレナの普段より幾分音程の高い、上気した声。一瞬教室がざわつくがすぐにピンと張り詰めた緊張が支配した。
誰だってこんないきなり来られたら緊張する。名実ともにこの街の長だ。
「なんだお前ら、わたしがそんなに珍しいか」
全体の挨拶や歩いているのを遠巻きに見かけたことはあったが、直接会話を交わせる距離で見るのは初めてな気がする。
腰まである長いブラウンの髪がゆらゆらと揺れているだけで、女性にしては身長が高めのその体は、腕組みした姿勢でぴたりと静止したまま、鋭い目だけで教室を見渡す。ただそこにいるだけで違うのだという事がわかる。この人はただ者とは違う。
「高等部に進級すればわたしと会う機会も増える。慣れておけよ。いちいち緊張されては面倒だ」
そこまで言うと傭兵長は先生に視線を合わせ、クイッと首を入り口に向けて動かす。
「入ってきていいぞー」
「は、はい! 失礼します……」
ん? 同い年くらいだろうか? 見慣れない少女がおどおどとした足取りで入ってくる。薄い青みがかった長髪が綺麗だった。先生と傭兵長の間に立ち――まるで先程とは対極のような――頼りない、今にも泣きそうな目で教室を見渡した。
「えー転入生だ。みんな仲良くするように」
「あ、えっと、リフェル・マリナーといいます。よろしくお願いします」
リフェルマリナーと名乗った少女が勢い良く深々と頭を下げる。しかしどうにもわからないことがある。
悩んでいると、後ろの席から耳元に口を近付ける気配がした。
「おいシュゼ、てんにゅうせいってなんだ」
それだ。俺もわからん。言葉は返さず少しだけ肩をすくめてみせる。
「私から説明する」
傭兵長の声に後ろの気配が慌てて椅子に尻を戻す。レコウも緊張することが出来るらしい。
「転入生というのはこれからこいつが、お前らと一緒にここで勉強するということだ。貴族共の学校ではよくあるらしいがうちでは珍しい、と言うより前例が無いな」
はあ、そうですか。実感としてはよくわからないままだけれど、とにかく意味はわかった。俺たちの年代に外から一人加わったようだ。
「水魔法を使えるが、基礎的なことはからきしだ。よく教えてやってくれ」
先生が水色の少女を見ながら俺の隣にある空席を指差している。なるほど、今日机が多かったのはこのためか。だがその席は今後ろにいる男が普段座っている場所だ。今は居眠りするために俺の後ろへ移動しているが。
「悪いがこの席は――」
「まぁまぁまぁ、どうぞどうぞ」
後ろのアホが左手で俺の肩を制し右手で椅子を引く。こいつ……。
青髪の少女はまだおどおどキョロキョロと落ち着き無い様子で、小股でこちらへ向かって来た。
「あっ」
「あ……」
近くまで来たところでチマと少女が目を合わせ、ほぼ同時に声をあげ、動きが止まった。なんだ?
「チルハオリマ、お前知り合いか?」
傭兵長の問いにチマは反応しない。代わりに少女が口を開く。
「あの、さっき外で、トカゲを持って追いかけられて……」
は?
傭兵長は馬鹿らしいといった様子でハァと溜め息をつくと、よろしく頼むとだけ言い教室を出てしまった。先生も、戻るまで自習と言い残しその後を追う。
――しばしの沈黙。ただ、みんな考えていることは同じだろう……。
「……チマ、あんた授業さぼってなんてことしてんのよ……」
「ボクはただ珍しいのがいたから見せたくて……まさか泣くと思わなかったから……ごめんなさい」
泣いたのかよ。
「あ、いえ、もう気にしてないので。さっきも謝ってもらったし、大丈夫ですよ」
「ダイジョウブじゃないわよ! こんな可愛い子にそんなもの近付けて!」
「でもナナイロトカゲは普通この辺じゃ見かけないんだ。多分どこからか馬車にくっついて来たんだろう。動きが遅いから素手でも簡単むぃー!」
「そんな話聞きたくない」
またチマがほっぺをつねられている。今日二度目だからさぞ痛かろう。でも今度はまだ止めない。
隣に座った子がくすくすと笑いながら語る。
「ウィズの人は勉強熱心なんですね」
「いや、この子がおかしいだけだから」
クレナはチマの頬をつねりながら、ぷにぷにと感触を楽しんでいるようだった。
「あ、ご挨拶が遅れました。改めましてリフェル・マリナーですよろしくお願いします」
そういえばさっきも気になっていた。少し口を挟んでみようかな。
「その、リフェルマリナー……さんは名字とかがあるのかな」
「へ?」
「あ、オレもそれ気になってたわ。ちなみにオレがレコウで、こいつはシュゼね。よろしく」
後ろから出てきた手で髪をぐしぐしされる。うざい。
「リフェルが名前で、マリナーが名字です」
「そうなんだ。じゃあ、リフェルって呼んでいいのかな?」
「はい!」
元気よく返事をして大きな笑顔を作る。素直で良い子そうだなと思った。
「これで半分半分」などとつぶやいていた意味はよくわからなかったが。
あれから戻ってきた先生が授業を始め、終わり、さあ寮に帰ろうというところでリフェルが放心状態といった顔でこちらを見ている。まあ何を言いたいのかはだいたいわかるけれど。
「授業、難しかった?」
「難しいというか……何を言ってるのか全然ワカラナイデス」
「だろうなぁ。今のは座標指定型魔法の構築式についてだけど……」
「座標? 指定?」
うーん。傭兵長に頼むと言われはしたものの、基礎が無いというのはどうすればいいのだろう。
俺たちは遅くとも七歳頃には魔法の基礎理論に触れ始めていて、十二歳からは本格的に座学で教わっている。それをいきなりこの十四歳の教室に途中参加させるのは、いくらなんでも無茶なんじゃないでしょうか傭兵長。
「はーい! 決めました。あたしと、リフェルちゃんと、シュゼは明日朝一で訓練所前集合ね」
帰り支度を終えたクレナが立ち上がり、急に割り込んできて急に何かを決めた。
「訓練所? なんでまた」
「だって基礎が無いのに魔法が使えるなんて不思議じゃない。まずはちょっと見せて貰おうと思って」
それは確かに不思議だが。
「でも俺が行く必要はあるのか? クレナの方が成績良いだろ」
「この中でまともに水魔法使えるのあんただけだから仕方なくよ。あたしには傭兵長に託された使命があるんだから! 協力しなさい」
「使命って……流石に言い過ぎだろう」
「何を言ってるの!」
バンと音を立てて机を叩く。何を興奮してるんだ。
「このウィズのボスが頼むって言ったのよ! リフェルちゃんは絶対に立派な術士にしてみせる!」
キョロキョロと何の話かわからないといった風に、俺とクレナの顔を交互に見るリフェル。すまん。これは面倒なことになったかもしれない。
普段から強引なところがあるが今回は特に、クレナのおせっかい焼きと、上の者に極端な憧れを抱く性格が見事に混ざり合い、やる気を燃え上がらせている。どうやら俺にも拒否権は無いらしい。
「明日。朝食済ませたらすぐ。第二訓練所前集合」などと予定を一方的に言い渡しリフェルとチマを連れてさっさと帰ってしまった。今まで教わるばかりで人にものを教えた経験なんか殆ど無いのだけれど、俺で大丈夫なのだろうか。
「ぼーっとしてないで、ほら俺らも早く帰ろうぜ」
何故かレコウが俺を促す。お前の準備を待ってたんだよ。
「しかしあのリフェルちゃん、どうよ? シュゼさん」
「どうって、いい子なんじゃないか? 多分」
「優しそうだしなー。あと胸も大きいし」
わざとらしくげへへと笑っている。いつもそんなことばかり言っているから、クレナやチマ以外の女子に避けられているんだ。というのは気付いてないようなので黙っておいてやることにした。世の中知らない方が幸せなこともあるよな。
「でもよシュゼさん、優しいってのは良いことばかりでもねぇんだよな。ここではさ」
「……そうだな」
「ちゃんと見てやらねぇとな。もう仲間なんだからよ」
その言葉に返事はしなかった。
夜。同室の金色短髪馬鹿レコウは二段ベッドの上段で大いびきをかいて寝ている。いつものように。
さて、行くか。いつものように。ドラゴンを起こさぬようそっとかけてある上着を手に取り部屋を出る。寮の外へ。
夜の冷えた空気の肌触り、匂い。まだ吐く息が白いが最近はだいぶ暖かくなってきた気がする。
人工晶石の光が灰色の街を淡く照らしている。まだぽつぽつと部屋の中に明かりが見えた。誰か勉強や仕事をしているのだろう。俺は足音さえも殺して西へ向かう。
この街は西側が山にくっつくようにして作られている。山と言うよりは岩肌が剥き出しの崖で、巨大な円形。逆さに引っくり返した椀のような形。考えてみればこんな形が自然に出来るものなのだろうか。不思議だ。
考えてみなければこの逆さにした椀のような、円形台地の不思議さに気が付かないのは、更に不思議なものがこの崖を登った先にあるせいだろう。
台地の崖を登る。小振りな山ほどはある切り立った崖を生身で登るのは大変だろうが、肉体強化魔法――スタイルアップを使えばさして苦労は無い。もう慣れたものだ。
登りきっても、今は不思議なものが影しか見えない。暗すぎるのだ。もし明かりがあれば視線の先、台地の中央には、聳える巨大な茶色い壁が見えるだろう。世界樹、その幹が。
物心ついた頃からここにあり、もう見慣れたものではあるけれど、それでもやっぱりこれは不思議だ。
街の外から眺めても、低い雲がある日は天辺が見えない。それ程に高く、その幹は太い。これでもまだ成長中だと言うのだから信じられない。
世界樹に向かい歩を進める。台地の上は草も花もあまり無い。巨大な樹が付ける広大な葉のせいで日当たりが良くなく、足元は殆ど岩なので生えているのは苔くらいのものだった。
世界樹の裏側――街の反対側には人工の明かりも月の明かりも殆ど差し込まないが、いつものように、その空間だけが薄っすら浮かび上がって見えていた。
「こんばんは」
「お、来たね~こんばんは~」
銀髪の少女は急かすように手招きする。
「転入生だって? 随分可愛い子が来たみたいだね」
「茶化すなよ。試験が近いんだ。始めようぜ」
「ちぇ~もっとお話したいのに。でも時間もそんなにないしね。やろっか」
こうしていつものように二人の時間が始まる。夜の世界樹、その裏側で。俺のもう一つの学校。