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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

pf.A.T.E.M.--Automat1c replicating Transistor Elucidate M0dule

緑の息吹

作者: 猩々飛蝗

 秘境を探検している。

木々の向こうには木々、道は心の中にある。高木の襞の隙には鰓があり、草原は触れると逃げ、瑠璃菊の薄い花弁と細い蕊は我々を誘う。

「休憩!」

中等探査官はそんな今際言を残して全身に毒酸を浴び、ペースト状になって嫌な匂いと共に地面の下へ消えた。

もう三千人が五人になって、サイコロでリーダーを決めた。一が出た後、立法は食石に喰われたので何にしろリーダーはいらないなと思った。

「どうせ帰れないのに幸せなのは何だろう。」

良い匂いがするからだ。疲れも無い。腹減りもしない。

「屹度ここって植物が効率的に外界の栄養を捕るっていう生態系なんだよ。だから外の生き物は一度這入ったら肥やしになりたくて堪らなく成る様な、そんな仕組みなんだと思う。」

「それって俺たちが幸せ者って事?」

「洞窟だ!」

洞窟では無かった。それは地面に開いた葉淵の穴で、地面は今までずっとフカフカの花か果実だったのだと今更気付く。チャネルといった形。

「もしかしたらここは上空三千メートルかも知れない。」

「それは絶対に有り得ない。」

この穴に這入るしか無いという直感は全員に共通したものだった。理性を無くした奴が一人猛虎の如き叫びと共に内部へ消える。恐らくあれでは直ぐに死んで仕舞うろうなあ、可哀想に。もっと喜びを一つ一つ噛み締めなければいけない。そう思う私も頭がクラクラして蟀谷が被突刺欲を発する。

 ボトリ、と嫌な音がする。嫌なものが柔らかいものの上に落ちた音。生々しいのを隠そうと籠って、更に気持ち悪くなった何とも言えない音だった。視線をそこらに向けてギョッとする。右腕が落ちていた。

「誰だ!そんな物落としたのは。」

私だった。そして、掃くように足で腕を穴の中に押しやるが、腕は思ったよりも柔らかく、バターの様に地面に残り、べとべとと穴の中に落ちていく。

「そんな汚いものを入れるのは止めろ!」

「血は出ないのか。」

一腕の表面は赤黒色の卵凝乳と、跳び出して、先端が凹状の茶色い腐樺。

「実は俺たちとっくに全滅していて、これが幻想なんじゃないかって思うよ。」

「誰の幻想だ。」

出来るだけ厳かに言う。

「よし、隊列を組もう。お前が先頭、お前が二番、お前が三番、俺が最後に行く。」

「うん。」「許可する。」

先頭の男が行進の掛け声を掛けて一人ずつ穴の中に滑り込んでいく。内部は淡い色の付いた葉や、小さくて単色の花や、何とも付かない甘美曲線の植物性組織が密集して、地面も分からないし、何が何処から生えているのかも分からない細胞の海だった。仲間の姿も半分虫食いになって危ない。二番目の奴が透明な五ミリ程の実を喰った。馬鹿な奴め。

「あ!凄い!これは中毒性の奴だよ。丸でカクテルだ。いや、それどころじゃない。」

死んでも知らないぞ。

「隊列を乱すな!」

バクバクと喰っている。

「いや、俺はもういけない。舌に根が張った。」

「ふざけるな!」

「ほんほう……」

二番目は口内からチロチロと白い透けた繊維を吐き出し吐き出し、それらが萌芽を携えて、若緑がすうと吹いた。見ている内に全身からそんなものを出すそいつは泥や蜜塗れの制服も白い茎に覆われて、一斉に赤いクレマチスの様な花が咲いた。溶ける様に色合いが引いて小さな透き通った実が残る。

「……驚いたな……」

「こんなのも悪いとは言わないけど、ここで立ち止まっちゃ駄目だ。奥にすごいものがあるよ。俺たちそのために産まれたんだと思う。」

私は三番目になって、先頭がまた号令を掛けた。前の奴の背中は縦横無尽に動いて、枝葉も増えて追うのが大変だった。

「こっち、道が開けてるぜ!」

二番目は薔薇の壁面を指差して言う。まだ言う。

「大木ばかりだから隙が多い。通るのは大変だけど…満開だ!あんなに盛大な桜吹雪の中で死ねたらどんなに幸せだろう。香りも、今までとは違う。俺の嫁もいる。生きていてよかった……」

そいつは嬉しさに顔を歪め、嬉し涙をポロポロと零す。瞼が異様に腫れている。そして、何にもない薔薇の壁に向かってフラフラと歩き、グラリと倒れた。首には小さなとげが刺さって血が流れていた。

 先頭の男は二番目に近付く。

「あっ!寝てる……いや、嗜眠だ……いや……もう昏睡してる。譫妄からだった。この薔薇のせいだろう。もう駄目だ。」

「それもいいけど、所詮はまやかしだ。此奴は睡眠欲の類だ。」

私は二番目になって、先頭がまた号令を掛けた。歩く内、何故だか段々と体の自由が利かなくなってくる。

「動きにくいな、丸で空間の粘度が増している様だ。俺は服を脱ぐ。」

私も真似をした。幾らも進んで、数多の快楽を横目に私たちは行進した。先頭の奴は、俺たちは溶けるのを拒む塩の様だと言い、私は全くその通りだと思った。

「さっき虚空を引っ張ったら手応えがあって。気付いた。これは全く無色透明で、滑らかで、柔らかい草や、茎が空間を埋め尽くしている様だ。動きにくさの正体はこれだ。」

どうやら嘘では無い。口や目に入っても気にならないものが確かにある。息も苦しくない。空気みたいな植物だ。

 制服の特徴的な色合いが無くなって、ベタベタの頭髪、褐肌色の背中と臀部のみが隊列の導となっても容易にそれを追い得たのは、周囲の植物が水彩画の小さな筆で引いた様なパステルカラーの細線の様なものだけになって、段々と全体の量も減ってきたからだ。逆に、不可視の臨界相的柔草が矢鱈と繁茂しているのか……私たちの進むスピードは余りにも遅くなりすぎている様に思えた。

 随分長く歩いた。五日進んだのか、五年進んだのか。足ばかりを動かし過ぎて、左だけの腕を振り、それが自らの意思で止められないという事に思い至ったのですら随分前に思える。気付くと先頭の奴は動いていない。いや、私も動いていない。いや、動いているが、緩慢過ぎて認知できないのだ。周囲には少しの植物も無く、地面も無い。永久の透明が広がっている。その先に光は無いのでその永久の透明は暗黒に映る。前の男の後ろ姿だけがぼうっと光っている様に思え、その背の向こうには何重にも似た様な後姿が見えた。これは二人だけの行進ではないんだ。三千人か、それ以上の人間が常逸な低速度で行軍しているのだ。花が懐かしい、私はこんなにも全身を振り回したくて堪らないのに、限りなく全てを抑圧されている。圧迫された黒い泥の中に閉じ込められ、進もうともがいている。そう、正に泥だ、そんな触感が幻覚されている。

 どれ程そうしていたろう。いつの間にか視界には一本の木があった。水面の様に滑らかな皮を持つ、捻じれた木。葉は密やかに付いているが花弁の様で透けている。枝の先は見えなくなって暗黒に消える。私はそれがこの空間を覆い尽くす植物のその個体の根幹だと思った。私たちはそれを目指して動いている様である。最前方の人間が見えてきた時、そいつが幹に抱き着いている様なのが分かった。最近唯一あんなに煩かった自らの心臓の音を時々しか聞かない。目も閉じようがない。

 男は何時しか、自分がこういう、列を成す人間の内部に出現した、そういう類の生き物、動くことのない植物ではないかなどと考え始めた。否定を繰り返し、肯定を繰り返す。時間だけは幾らでもあった。

 悠久の時は言葉を忘れさせた。記憶を消した。感情だけは大きく成り続けた。

 ふとすると、男の前には大木があった。虹色の煌きを内部に懇々と流す清らかな幹の表面に、遠方から艶やかと見えていたのは毛並み良く生えそろった腸壁の襞に似た枝で、舌の様に平たい上に更なる小枝が生えている。そこに至る人間にとってそれは滑らの動物の臓器壁と同じに感じられる。制限された動きの中で枝に皮膚が食い込むことは無いし、それらは変化して肌を優しく包み込むから。先頭の男は全身を皺枯させ、凝縮していく、腕や足の突起も丸まり、酸漿みたく枯れ葉の表面になる。先頭の男だった球は、バリバリと千切れて溶け消えた。そこにある無数の葉や根に吸収されたのだ。

 次は彼の番。喜びはじれったく、木に近付けばそれほど時間は引き伸ばされて、叫びに成りようのない悶えが増幅の一途を辿る。

 触れた。

 感激する。それは報いでもあって、喜びや楽しみでもあって、懐かしみとか愛情でもあって、それでも体は動かない。カタルシスは延長された時間の中で瞬発的なものでは無くて、永遠として、そういう状態として刺激を用い、記憶を呼んだ。

 私は只管に生き物が感じ得る喜びを見続けているはずで、ではこの私は何だとも思う。でも、やはり私は私なのだ。涙も流れないから実感がないだけかもしれない。樹木は私の頭をベロの様な大量の柔らかな枝で掴み込み、私はそれが堪らなく嬉しい。枝は接吻の様に私の口に触れ、私は、この人は全てを受け入れてくれていると感じる。枝はそのまま侵入し、私の喉や鼻腔から胃、心臓、諸内臓、脳、体全体へ枝分かれしながら這入ってくる。私という一つの器の内側に張り付くように。その全てが神秘的で、ロマンチックだった。この人は人間なんだと思った。

「ありがとう。」

どういたしまして。しかし、一体何がだろう。

「あなた方が私の所へ来てくれなければ、私は枯れる。人間の中には、緑の息吹が入っているのです。」

発芽や開花の心地が失せていく。私は初めて自分の中にある緑の息吹を見た。有り続けるものを見ることは出来ない。変化しないものは存在しないものと同じなのだ。そして私は生きる内に緑の息吹を精一杯使うこと等出来ない。緑の息吹が吸われているのだ。それは妥当だ。

 身体が枯れていくのが分かる。

 しかし……私にとってはあなたが全てだから、せめて交換に、何かあなたのものが欲しい。

「では私の根先の玉を一つ差し上げましょう。」

空洞となった、抜け殻の私に一つ。青く澄んだガラス玉の様なものが落ちる。伽藍、華凛。と、綺麗な音が鳴る。

 表皮は崩れることなく固くなった。木がそれを枝で掴み、取り込む。

 そうして種子は、運ばれる。

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