ライラとフィリアと魔刻の儀式
「あの、一緒に食べないか?」
カイルの真剣な眼差しに、内心でキタキタキターッ!と叫ぶ。ライラは待っていたのだこの瞬間を。
カイルには少し隙をみせるくらいがちょうどいい。彼の事なら何でも知ってる。あまりしっかりしすぎると彼のことだ、気兼ねするに違いない。服装や髪型、言葉遣いなども彼の好みに合っているはず。少し胸のあたりが寂しいが、それも彼が育ててくれると思えば許容範囲内だと信じてる。
寝たふりをしながら、カイルの帰宅を待った。だいたい帰ってくるのはいつも同じ時間だもの、それくらい簡単。いつもするわけじゃないけど、今日は特別。
大好きな彼からの告白。
夢にまで見たその瞬間が目の前にあったからだ。
あたしの朝は早い。理由は簡単。カイルの朝食を準備して、起こす必要があるから。カイルはいつも、遠慮するけれどそんな必要ないのにね。
しっかり準備が出来たら、音を立てないように、カイルの寝室に入り込む。もちろん、ちゃんとノックしてから。
しばらく、寝顔を眺めるのが密かな楽しみだ。まだ幼さを残した顔立ちのくせに時々とても頑固な彼のことがわたしは大好きだ。基本はヘタレいうのも可愛いのだ。
いつの頃からだろう。やはり、寝たきりの生活をしていた頃からだろうか。彼は毎日毎日、花束を持って見舞いに来てくれた。そして、いつも楽しい話をしてくれた。その頃から、もう好きだった気がする。彼が来るのが待ち遠しかったのを覚えている。
完治したのは本当に運が良かった。神父様には治らないかもと言われていたくらいだから。元のように歩けるようになったのを見て、父さんも母さんも泣いてた。けど治療費がたくさん必要だってんだろうな。その頃からお店も今まで以上に忙しくなって、二人とも寝る間を惜しんで働くようになった。うちに帰っても二人がいない生活が当たり前。そんな時でも寂しくはなかったのは彼がいたからだ。完治したといっても身体が強くなったわけではないので、家で遊ぶことが多かったが彼はいつも笑ってくれた。
しばらくして彼に生傷が増えてきた。道で転けたとか言ってたけど嘘だ。あたしには判る。カイルは決して言わなかったけど、あたしのせいでいじめられていたらしい。女の子といつも一緒というのが気にくわない奴がいたんだ。くだらないけど、子供のいじめってそんなものだ。それでも、彼はいつもあたしの側にいてくれた。そして、あたしは強くなろうと思ったんだ。いままでに思ったこともない気持ちが湧いてくる。少しずつ少しずつではあるが身体を鍛え始めたのもこの頃。
何年も経った後には、病弱だったのが嘘のように身体が動くのようになった。次にわたしが始めたのは武闘。身体を鍛えるという目的や武器はあまり好きではないという理由からだったが、これがあたしに向いていた。いつしか、道場でも一目置かれるようになった。これで、カイルを護れると喜んだものだ。
その頃だった。おじさん(カイルのお父さんのことね)が出て行ったのは。おじさんってなんでもできる人だったから、彼は途方にくれたことだろう。次に会ったら、絶対ぶっ飛ばしてやるんだから。店を継いだ当初は本当に大変そうだった。いくら彼に技術があるっていっても、信用がない。おじさんの技術って本当に凄かったし、大雑把だけど知り合いも多かったもの。いつだってうちのお店で知らないおじさん達と宴会してたっけ。このおじさん誰って聞いたら、おまえだれだ?その時に名前とか聞いてたもんなぁ。あれはカイルには真似できないしして欲しくもない。
それでも彼は遮二無二に頑張った。あたしだって手伝ったけど、大したことなんかできない。お店番や、知り合いへの宣伝や、鍵をなくした人がいれば彼を紹介したりとか。
そんな地道な努力が結んで、ようやく純利益が出始めたのは一年ぐらい経ったころだったかな。おじさんの名前ではなくカイルの名前で仕事が入るようになってきた。彼が始めてうちの店の最高級品、特上カーライル膳を注文したのもこの頃だ。父さんに頼んで大きなお肉にしてもらったのを覚えてる。
マックスが素晴らしい情報を持ってきたのは半年くらい前のことだ。マックスといえば昔カイルをいじめてたんだよね。そのことで一度痛い目に合わしたことがある。いまでは免許皆伝レベルになったあたしに敵うわけもない。まぁ、昔のことだし一発で済ませたけどね、あたしのことが好きだったとか言われて、少し困った。
その情報とはカイルがわたしへの告白を考えているらしいのだ。やっときたーという感じ。ずっと待ってた。
先にこれを聞いたらマックスも許してあげてたのにね。
彼からの愛の告白に憧れない女の子がいないわけない。告白するのは簡単だけどそうじゃないの。彼が勇気を絞って告白してくれるのがいいのだ。
ただ、ここからが大変だった。
マックスはある程度の資金を用意するようにカイルを諭したのだ。まぁ、判る。エルスディア王国は大国ではあるが、周囲を砂漠に囲まれ生産物には乏しい。煉瓦や鉄の加工品、資源などの輸出により、なんとか経済は回っているが不安定だ。ましてや昨今は気温上昇により作物が不作だ。
なので、結婚には安定が必要と言われればもっともだし、カイルの性格的にも告白への踏ん切りをつかせるのには丁度良いはずだった。ただ、問題は用意する資金だった。
思ったより高めの金額に少し驚いた。マックスが少し見栄を張ってらしい。もっと少なくても良かったのに。でも、仕方がないから待つことにした。無駄遣いをしないカイルのことだから、きっと貯めてくれると信じてあたしはそれまで以上に手伝いに励むようになった。彼に無理を言って、朝食の用意を始めるようになったのも実は貯金が目的だったりする。朝に起こすのが楽しみというのもほんと。一挙両得な感じで、もっと前から起こしてあげれば良かったなと後悔もしたりもした。今日の仕事に行く前に聞いた話だとかなり羽振りの良いお客さんのようだ。いままで彼が働いて貯めたお金からして、目標に達成できるんじゃないどろうか。
だから、精いっぱいのお洒落をして寝たふり待っていた。カイルは気づかなかったみたいだけど、この服は今日のために用意した勝負服だ。食事の時にでも、似合ってるって言って欲しいな。もしかしたら照れながら言ってくれるかもしれない。そして、その後も。
残念だが、ライラ=カーライル16歳の夢にまでみた一夜が始まることはなかった。当の本人であるカイルがちょうどその頃に王宮で姫様を絶句させているなんて思いもよるわけがなかったのだ。
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唖然としました。ほんとうに。
だって、あたりまえでしょう?この王国を護れるのは貴方だけなんですよ。断るなんて選択肢があるわけないじゃないですか。
申し訳なさそうに頭を下げるカイル様を見ながら、他の見方を間違ったかしらと思う。誠実そうな方だから、全てを正直にお話ししたほうが良いと考えたのだけども重すぎたかしら。
「どうしても駄目でしょうか?」
もう一度確認をしてみる。王女という立場から命令する事もできるが、あまりしたくはない。魔刻とはとても精度の高い刻印を扱う。普通の刻印と比べても遥かに難度が高い。ましてや、魔王を封印しているとなると心の在り方ひとつにしても影響を受けるだろう。今回の儀式は必ず成功しなければならないのだから、慎重を期すに越したことはない。
「報奨金は弾みますよ」
「いえ、金は要りませんし」
「貴族の地位を…」
「いまの生活に満足していますので」
取り付く島もない。
ミケロッティからあまり物欲などに執着のなさそうだとは聞いていたが、このままでは心良い協力は得られそうにない。ライラ様だけが大切というのが問題ですわね。
色々考えていると次第に腹が立ってきましたわ。どうして、この方は協力してくださらないのでしょう。わたくしが困っているのはわかっているはずなのに。きっと、ライラ様のお願いならきっと聴いてくれるのでしょうね。
こうなったら仕方がありません。どちらにしてもわたくしなんか、どこかの老貴族や貴族子弟からしか貰い手がいないのですから多少の我儘くらいは通させてもらいましょう。お兄様もそのほうが喜ぶでしょうしね。カイル様もよく見たら清潔感があって結構好みです。これで王国が生き残れるのであれば、許されるのではないでしょうか。
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できるならしてあげたい。
だが、どう考えても魔王の封印は危険だろう。本来であれば王宮の秘密に関わる自体がお断りなのだが、それはいまさらだ、仕方がない。そもそも、一般の刻印すら殆ど経験がないのに、魔刻なんかできる訳がない。石橋を叩かずに進むなんて俺向きではないのだ。
「この手だけは使いたくありませんでしたが…」
姫様が不穏なことを呟いている。国の為、民の為とか聴こえる。俺の中で警報が鳴り響いた。小心者の危険回避能力を馬鹿にしたもんじゃない、やばいときには超当たる。
「姫様、これにて帰らせていただ…」
「わたくしをお礼に差し上げるのではいけませんか」
一瞬、頭が惚けたかと思った。姫様をくれる?
「ですから、わたくしフィリア=エルス=ジブリールをカイル様に差し上げます。ですからどうかご尽力をお願いできませんか」
俺には返事をする間も与えられなかった。なぜなら、俺の唇が姫様の唇で塞がれたからだ。ぬるっとした暖かい感触が唇を包む。
時間が止まるとはこういうことだろう。何が起こったか理解するのに時間が掛かった。しばらくして、ふぅっと姫様が俺から離れた後に、ようやくキスをしたのだと理解した。姫様の頬が赤い。姫様の残り香にドキリとする。
「わたくしのファーストキスですよ」にっこりと笑顔で微笑む姫様にやられた。可愛いと思ってしまったのだ。いままでは手の届かない天井人だったから、いくら美人でも気にはならなかった。それに血が通ってしまった。もう何とも思わないなんて無理だ。会話を交わしたことのある美人にキスまでされて、どうでもいいと思うほど女慣れしていたら苦労は無い。
「お願いできませんか」と言いながら俺の胸に寄り添う姫様。カチコチに固まってしまった俺にはもうどうしようもできない。良い匂いと姫様の豊かな胸の柔らかさを感じて、頭に血がのぼる。
「ライラ様には内緒にしておきますから、ね」
甘い言葉に重ねられたライラの名にびくりとする。まだ付き合っているわけでもないが、それでも姫様にやましい気持ちを持ったのは事実だ。本当かどうかはともかく、姫様をくれるというのに一瞬でも惹かれてしまった。
俺に出来ることは、ただ頷くことだけだった。
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儀式の説明を受けた後、軽い食事が出された。王宮での食事だというので、どこか期待した部分があったが質素そのものであった。ポルスを蒸したものと、カヤのパン、塩が強めのスープ。行きつけの店の食事のほうが余程贅沢だ。姫様に聞くと、国民が困っている時に贅沢などできないだそうだ。話に聞く王宮の豪勢な食事は他国の使者を迎える時や晩餐会などに限るらしい。
時刻は既に深夜に近い。手伝うと決めたのだから明日にでもゆっくりと準備をして儀式に取り掛かればよいとは思うのだが、そうもいかない理由があるそうだ。俺という存在が見つかったのが問題らしい。そもそも、俺が魔刻を使えるかもしれないというのは奇跡だった。ミケロッティが王国中の鍵刻師をしらみ潰しで確認してようやく最後に見つかったのが俺なのだ。わざわざ鍵をあけるという依頼をしたのは、アマルティアが反応するにはある程度の時間が必要なことと、公にはしたくない理由があるらしい。その理由というのが儀式を急ぐことにも関わっているらしく、一刻の猶予もないそうだ。
簡単に言えばお家騒動らしいのだが、姫様に聞いても応えてくれない。あと、約束の件は成功報酬とのことだった。惹かれてしまった事実には反省すべきだが、ライラのことがある。気持ちだけ受け取りますとの返事をさせてもらおう。ありがたい話だが本当に姫様をもらうわけにはいかない。現実的には報奨金が貰えたらいいな
と思う。
時が来て衛士二人に連れてこられたのは、王宮最上部にある小さな部屋だった。姫様は準備があると先に退室していったので、残されたのは衛士の二人と俺だけだ。
四方は開かれエルムディアの隅々まで見渡せる。街の灯がまばらに見える。ライラはもう寝ただろうか。約束を果たさずに呼び出されてしまったので、俺が王宮にいるなんて想像もつかないだろうな。謝って許してもらわないと。
深夜でも警護されている様子から余程重要な部屋だと感じる。
開け放たれた室内の中央には何かしらまるいものが置いてある。
「あれこそ、魔王アマルカーナの頭蓋骨、王骸だ」
衛士の一人が口を開く。姫様に俺のことを任せられたのか、二人とも兜を外して俺の疑問に応じてくれる。驚いたことに二人の容姿は姫様によく似ていた。聞くところによると、緊急時には姫様の影武者としての働きもするらしい。その姿を見せることが俺への誠意であるのだろう。そうでなければ、秘匿すべき情報を晒したりはしない。
「アマルカーナって、本当にいたのか」
頭蓋骨だというのにも驚いたが、それよりもアマルカーナという名前が出てきたことに恐れを抱く。伝承を知ってはいるし恐怖を感じてはいたが、あくまでも御伽噺の世界の話だ。現実にいたと言われるのは別で、目の前の頭蓋骨がそうだというのも実感として感じられない。 あれ?でも何かおかしい。
「角はどうした?」
そう、角がない。雷光の金髪、灼熱の赤眼、鋭刃の白角、深淵の黒翼がアマルカーナの特徴なのではなかったか。そんな俺の疑問が分かったのか衛士、先ほど去り際に姫様が教えてくれたがカナンという名前らしい、が続いて応える。
「魔王アマルカーナの現在に伝わる姿は偽りの姿なのだ」
カナンはそう言った。「偽り?」嘘だったということか。
「アマルカーナが力を使うときに現れる異能の形状が現在に伝わったとされている。魔王自身が伝えられる様な姿だったわけではない」
ぶっきらぼうに説明された。もう一人の衛士、ミスティは頑なに沈黙を保っている。
「伝承を訂正しなかったのは、王家に都合が良かったからですわ」
なるほど、アマルカーナの印象的な容姿は伝承を尊ぶこの国には都合が良かったのだろう。声の主が階段からコツコツと昇ってくる。どうやら準備が整ったらしく、その声に振り返る。途端、俺の目は釘付けとなった。
「気づきまして?この部屋のこと」
衛士の二人が恭しく膝をつき剣を掲げ敬礼する。だが、そこに目を惹かれたのではない。先程までの姫様は公式に王宮のテラスで見せるような、落ち着いた簡素な純白のドレスだった。露出度は少なく、胸元も開いていない。細かく花びらが刺繍されたドレスの裾は足首まで伸び、肩には薄いショールを掛けている。いつもの俺たちの姫様だった。
それがどうだ。裸足で、身に纏うのは純黒のドレスのみ。大胆なスリットから生足が覗く。装飾品などは一切身につけておらず、ドレスはピタリと姫様の細身に沿っている。極みつけは見えているのだ、その、先端部が。薄すぎるでしょそのドレス。下着も何もつけていないのが一目でわかる。わかってしまった。全裸かと見紛うばかりのその姿に即座に回れ右だ。
「ななななな、なんですか!その格好は」
カイルの住む界隈より更に外れの地域に性を生業とする人々がいるが、いくらなんでもこんな痴女のような格好でいやしない。ほぼ、裸じゃないか。
俺の興奮を他所に姫様は静かに応える。その声には困惑は一切ない。そばに控える衛士二人も微動だにしない。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。儀礼の正装とお考えください。魔力の制御に不要なものは全て取り除きました。少し恥ずかしいのですが、カイル様であれば見られても構いませんわ」
そう言われてしまうと、あまり恥ずかしがってばかりもいられない。少し深呼吸をした後に、振り返る。その耽美な姿に魅了されるが、そこは我慢して足元を見るようにする。
太陽は半ば沈み、普段であれば夕餉の支度などをしている時刻だ。開かれた四方は暗く沈み始めている。と、そこで気づいた。この場所、結構高いわりに風一つない。というか、空気の流れ、そのものを感じない。何かに包まれて、周囲と遮断されているようだ。
「この場所は、魔王アマルカーナの力により護られています。この王蓋は魔王の力を蓄え大地を癒し続けているのです」
なんとなく理解できたのは、この頭蓋骨があるから風一つ無いということだ。
「はるか昔、王家の始祖となった英雄エルムは魔王の力を用いて、大地を癒す術を生み出しました。魔王アマルカーナが地の力を御したことは伝承の通りですが、英雄エルムは王蓋を媒介として魔王の膨大な魔力を利用することを実現しました。それが、これです」姫様はそう言いながら、部屋の中央部に進むと頭蓋骨を両手に掲げた。よく見るとうっすらと光を放っている。
「この王蓋に魔王の力を注ぐと、王蓋はその魔力を大地の癒しへと代え放出します。古よりおよそ10年毎に時の国王が儀式を続けてきたのですが、前回の儀式、我が祖父の行った儀式では王蓋に溜まった魔力は僅かだったのです。危惧されていた魔力の枯渇が現実となったわけですが、その当時は他の魔力などでの代用が出来ると思われていたので大きな混乱はありませんでした。ですが、実際には…」
なかったわけだ。哀しげな姫様の表情が物語っている。
「この王蓋ですが最後の儀式より既に30数年が経ち現在ではほとんど魔力を蓄えていません。本来であれば眩いばかりに輝き、大地を癒しているのですよ」
わかったことは、この頭蓋骨が王国の基盤となっているらしい。通りで最上階にも関わらず衛士が護っていたわけだ。無茶苦茶重要じゃないか。
「そもそも、エルム王家にとって最も重要なのがこの王骸の守護です。王家が伝承を尊ぶのも、古の英雄達への敬意を忘れぬため。本来であればエルスディアに住まう者全てが王蓋を守護すべきなのでしょうが、大いなる力は災いを招きます。王蓋とてそれは同じ。この力は大地を癒す力にもなりますし、失えば大地を滅ぼすことにもなります。ですから、王蓋の存在を知る者は王家に纏わる一部の者だけなのです。それなのに…」
「それなのに?」
「いえ、とにかくこれから行う儀式により王族に封印された魔王の力を王蓋に注ぎ込みます」
言い難いことがあるのか、突然くるりと俺に背を向ける。思わず反射的に頭を上げてしまうが視線を戻そうとする前に俺は姫様の背に釘付けとなった。曲線がはっきりとわかる姫様の肢体ではなく、その背に光る模様にだ。
「あぁ、これが王蓋の主、アマルカーナの魂と魔力を封じたとされる刻印ですわ」
ドレスの下に薄く鈍く光るのは魔法陣。中央には大きな魔法円があり、その円上に幾つかの魔法円が重なっている。紋様は五つ。火、地、雷、闇、血を表す。お伽話で有名な、魔王アマルカーナの力の象徴。先ほどまでなかった、魔王を封じているという実感を得る。身に感じる緊張感はこれを俺が外すことが出来るのだろうかという不安なのだろう。深く絡まった魔力の楔を指輪越しに感じる。
「元来、エルム王家の王位継承者とはこの魔刻を宿した者のことをいいます。魔刻は王から王へと受け継がれ、その時々で王家の血を引き最も魔力の高い人物に受け継がれるのですよ」
「じゃあ、今は姫様が一番魔力が高いというわけですか?」
「そういうことですわ」
話を聞くと、この刻印は前触れもなく王位に相応しいものに移るらしい。数年前までは国王の背に刻印はあったのだが、
ある朝起きたら姫様の背に現れたそうだ。国王が病に倒れたのもその暫く後であることからも、魔力の衰えが刻印に影響を与えたのは間違いないだろう。あれ、じゃあいまの国王は姫様じゃないのか?それも聞くと、外交上の判断で様子を見ているだけであって本来であれば王位は継承されているべきなんだそうだ。
「わたくしが王骸に魔力を注いでいる間に、カイル様は魔刻を解除して下さい。そうしながら、ハンスが魔石の力をわたくしに注ぎ込みます」
膨大な魔石の力を単純に姫様が受け取っても刻印が強くなるだけで、封じられた魔王の力が戻るわけではない。では、封印を解除した上で受け取ったらどうか。それでは、魔力の大きな流れに姫様の人としての器が耐えきれない。まるで砂の堤防に水を流すようなもので、直ぐに決壊してしまう。そうして考えられたのが一部の力を受け流しながら、魔力を取り込むという今回の方法だ。溢れ流れた魔力も姫様の魔刻を通しているので王蓋に貯められる。一石二鳥というわけである。
本来であれば、現国王が儀式をおこなうために準備を進めていたらしい。魔の力を凝縮した魔石の収集なども、ここ数十年来行われていたそうだ。そして、魔刻を解除する術が見つかったのが今日。
「この儀式ですが、俺はともかく姫様には危険ではありませんか?」
話を聞く限り、魔力の媒介となる姫様に負担があるはずだ。だが、姫様はことも無げに「仕方ありませんわね」と応える。
「わたくしに何かあったとしても、魔刻は次の王に引き継がれます。きっと、次の王はお兄様です。お兄様にお任せすれば全てが上手くいくでしょう。わたくしが考えるべきは、魔王の魔力のことだけなのです」
ちろん危険な儀式だ。危険を犯さず少量の魔力を注ぐのであれば危険は少ない。だが、封印を破るということは封じられた魔王の復活の危険性が生まれてしまう。なので、一度で出来る限りの魔力を注ぎ込むことが大切であるのは先ほど聞いた。だが、姫様が自身の命すらもかけていることは分かっていなかった。足元ではなく姫様の表紙を見つめる。
此の期に及んで始めてやる気になった。今までは面倒で逃げたいとしか考えていなかったが、そうじゃない。姫様を護ってあげたいという気持ちが生まれる。
「姫様」「なんでしょう?」
「約束守ってもらいますよ」
その言葉に姫様は始めて驚愕の表情を見せてくれた。
コツコツと足音が聞こえてきた。どうやら、時間らしい。黒服の男、ハンスが多くの魔石を持ち階段を上がってきた。
「さて、始めようか」「はい」
こうなっては逃げも隠れも出来ない。出来るかどうかではなくやるしかない。鍵刻師の名にかけて成功しなければならない、そうでないとクソ親父に笑われてしまう。
そうそう、伝え忘れたことがありましたわ。と、姫様は先程までとは打って変わって楽しげな表情で笑いかける。
「わたくしを幸せにして下さいね」
それは、今まで見たことのないようなとても可愛い笑顔だった。