子供達は自由の申し子
短編。アドニスとパリス。幼少時。
それは遙か遠い時間、まだ仮初めとはいえ自由を手にしていた頃の話。
足音を殺して廊下を走り抜ける小さな影がある。肩の上で揺れる見事な白銀の髪に、幼い顔立ちながら端正さを宿した美貌。蒼い双眸の眩しい幼い第1王太子は、とてもそうとは見えない格好をしていた。服装だけを見れば、ごく平凡な市井の子供にしか見えない格好である。とはいえ、その整いすぎた美貌故に、とても市井の子供には見えないが。
「アドニス王太子!」
「何処へ行かれるおつもりなのですか?!」
バタバタと追いかけてくる青年兵士達。足を止めて彼等を振り返った少年―アドニス―は、溜め息をついた。まだ7,8歳頃と思しき外見である。その顔に、ひどく大人びた表情が浮かんだのは、意識しての事だった。
「見逃してくれないかな?約束があるんだ。」
「なりません、王太子。」
「行儀見習いの先生がお見えです。お戻り下さい。」
「…………。」
見逃してくれそうにない兵士達を見て、アドニスは頭を振った。その頭上から、いきなり人影が落ちてくる。兵士達の真ん前に見事に着地した少年は、ニッコリと微笑みを浮かべた。アドニスと良く似た市井の子供の服装に身を包んだ少年は、くすんだ鉄色にも似た銀髪に青灰色の瞳を持った異端の王子である。
微笑みを浮かべながら、彼は兵士達に向けて短剣を突きつけた。驚いて身構える兵士達の目の前で、短剣を持たない方の手をパチンと鳴らす。瞬間、兵士達がぐらりと揺らぎ、その場に座り込んだ。焦点の合わない瞳が空中を見ているのを確認すると、彼は異母弟の腕を引く。
「しばらく幻覚の世界の中だ。行こうぜ。」
「うん。害はないの?」
「あるわけないだろう。大丈夫だ。今までだって何回もやってきたし。」
「こうやって脱走してたんだね、パリス。」
「喧しい。……行きたくないのか、お祭り?」
「行きたいよ。連れて行ってくれるんでしょう?」
「当たり前。その為にあの煩い男を父上の側に置いてきたんだから。」
サラッと言い切る異母兄を見て、アドニスは苦笑した。ぱたぱたと廊下を走る足音が絨毯に吸い込まれて消えていく。その小さな二つの影を見送る、長身の人影があった。朱金に一房だけが、真紅という不思議な髪に、蒼と紅の色違いの双眸を持つ青年。走り去っていった子供達を見て、異端の色彩の青年エルフは苦笑した。
「やれやれ、遊びたい盛りとはいえ、親衛隊を攻撃されるのも困るなぁ……。ま、とりあえずミノスに報告だけしておくか…………。」
王太子と第3王子の脱走を知っても、ヘルメスは平然としていた。国王を当たり前のように呼び捨てにする親衛隊長は、夕方までには戻って来いよと、聞こえないのを承知で呟く。情け無くも少年に幻覚魔法をかけられて身動きできない兵士達を見て、少しだけ呆れた顔をした後に彼は立ち去っていった。
月に一度の城下での祭りを見て、アドニスは顔を輝かせた。しょっちゅう街へと繰り出しているパリスの方は特に変わった様子はないが、アドニスにしてみれば見るモノ全てが、新鮮で面白くてたまらない。子供達相手に芸をする旅の一座の人間に、美味しそうな匂いをさせている焼き菓子を売っている人の良さそうなおばさん。走り回る子供達の動きに魅入られたかのように、アドニスはそこから動かない。
「ほら、行くぞ。あっちで売ってる焼き菓子が美味いんだ。」
「う、うん。凄いヒトだね、パリス。」
「だな。流石に祭りの日だと人が多い。」
懐から小さな布袋を取り出すと、パリスは銅貨を数枚取り出す。キョトンとしているアドニスに、『母上からの餞別。』と笑顔で告げる。パリスの母親である第2夫人は、とても素敵なヒトである。子供の放浪癖を知って、それをあえて公認してくれるヒトなので。
焼き菓子を買いに走り、芸人の元へと駆け寄り、楽しい時間を過ごす。アドニスにとっては全てが新鮮すぎて、時間が過ぎるのを忘れてしまいそうになった。
けれど、時間は迫ってくる。夕日が山へと隠れて夜が広がり始める時間になった。あ、と声を上げた2人の視界には、平服を着たヘルメスがいた。
「迎えに来たぞ、子供達。」
「……ご苦労様、お兄さん。」
「あぁ、ご苦労様だ。感謝しろよ、弟よ。」
「ハァーイ。ほら、行くぞ、弟。」
「う、うん。」
ニヤリと唇を歪めて兄と呼んだパリスに対して、ヘルメスも日憎げな笑みを浮かべたままで弟と呼ぶ。いつもの遣り取りであると言う事をアドニスは知らないが、この2人が兄弟であってもおかしくはないと思いながらついて行った。
城の裏口、兵の見張りの手薄な場所を通って、中にはいる。ひょいひょいと中に入っていく平服姿の3人を見咎めるモノはいない。さっさと着替えるんだぞと笑って去っていったヘルメスを見て、パリスはお節介と毒づいた。
「とりあえず、部屋に戻って着替えよう。んで、その後に父上に謝罪だな。」
「父上はきっと、笑って赦して下さるよ。そうでなければ、ヘルメスが見逃してくれるわけないし。」
「まぁな。……楽しかったか?」
「うん。とっても!」
「じゃ、また今度行こうぜ、アドニス。」
「うん!」
無邪気に過ごしていた、まだ、幸福で何も知らなかった頃の話。
FIN