月たる者が拒む剣
短編。ライオスメイン。
甲高い音がして、騎士はいとも容易く手にしていた剣を弾かれてしまった。胸を上下させる騎士と異なり、対戦者は息一つ乱していなかった。流石だと皆が思うのは、既に彼が十人近い騎士達を倒しているからである。
肩に届くか届かないかの長さで切り揃えられた純金の髪に、澄んだ水底を連想させる青の双眸を宿している。長い法衣を改良した服は通常の物よりは動きやすそうではあるが、騎士達に比べれば幾分不自由そうに見える。だがしかし、そうでありながら彼の動きや剣技は騎士達を圧倒し、翻弄してしまうのである。
シーリン家次男のライオス・ファル・シーリンとは、そういう男であった。
そんなライオスの姿を見詰めながら、末弟であるケイロンは溜め息をついた。相変わらず気性の荒い人だなと、思っているのである。稽古と称しているが実際には単なる八つ当たりであり、その苛立ちの原因もケイロンには手に取るように解ってしまう。ある意味、この次兄程解り易い人間はいないのである。
所々好き勝手な方向へと跳ねる純金の髪を無意識に手で押さえながら、鮮やかな緑の双眸を細めて彼は兄の姿を見ている。騎士達を倒しながらも、その表情から怒りが少しも収まっていない事がよく解る。ごめんなさいと心の中だけで騎士達に謝罪するケイロン。無力な彼にはライオスを止める事などできず、世界広しといえどこの世でライオスを止める事ができる人間など、唯一イロスだけなのである。ちなみに、主君であるメディアにも、父親であるピネウスにも、国王であるカドモスにも、不可能である。
「何をなさっておいでですか、ケイロン殿?」
「……あぁ、こんにちは、ヒースクリフ副騎士団長。ライオス兄上が、八つ当たりがてら騎士団の皆さんを借りています。」
「……理由は、やはり例の護衛の一件ですか?」
こっくりと頷いたケイロンを見て、美貌の青年は溜め息をついた。長い茶髪を頭の高い位置で結わえているのだが、そうして尚肩を越すであろう長さの髪は、男であり騎士である青年には相応しくないように見える。だがしかし、その髪型も髪の長さも、違和感なく似合う青年であるのだが。奇妙に印象に残る漆黒の瞳をした、童顔の美青年である。既に三十歳を越えているはずなのだが、二十代にしか見えないのである。名を、ヒースクリフ・エルブンロードという。
彼自身は中流貴族の出身であるが、家の後ろ盾を無しに副騎士団長になった男である。穏やかな気性のヒースクリフは、相手を身分や肩書きで判断するような人間ではなく、それがシーリン家の五兄弟に好かれる理由でもあった。もっとも、如何に拘らないとはいえ仕える対象である王族は別だが。
「ライオス兄上のティルト嫌いは今に始まった事ではありませんけど、毎度毎度良く飽きないものですよね。」
「困った事に我等が騎士団長殿には、何故恨まれているのか解らないそうですよ。」
「当事者とはそういうものでは?」
「そうですね。」
苦笑するヒースクリフを見て、ケイロンは肩を竦めた。どうやら詰め所にいた騎士達を全員倒してしまったらしいライオスが、僅かに額に浮かんだ汗を拭いながらやって来る。疲れているように見えない彼を見て、2人はぼそりと『化け物』と呟いた。幸いな事に、その発言はライオスには聞こえていなかったらしいが。
「少しは気分が晴れましたか、ライオス兄上?」
「晴れるか、馬鹿者。奴ら、憂さ晴らしの相手にすらなりはしないぞ。」
「……ライオス兄上が強すぎるだけですよ。」
弟の限りなく正しい発言を聞き流しつつ、ライオスはブツブツと文句を言っている。ティルト・コンスターニャ騎士団長が嫌いなライオスにとって、彼の配下である騎士達は皆少なからず憎い対象でもあるのである。常はそれが理不尽な感情であると解っている為に自制しているのだが、怒りで我を忘れかけている今の彼にはそんな配慮はありはしない。傍迷惑な次兄を見ながら、末弟と副騎士団長は2人揃って溜め息をついた。
ライオスの不機嫌の発端は、昨夜の他愛ない会話にまで遡る。
直系王族の護衛役として存在するシーリン本家の人間達も、夜ともなれば自宅ないし城内の自室に戻って休む事になっている。護衛対象が身を護る術を持たない幼少時ならばいざ知らず、今は護衛よりも主君の方が強いのである。それは別にシーリン家の人間達が弱いわけではなく、ただ単にテバイ王家の人間達が強すぎるだけなのであるが。
さて、そんなわけで珍しくも全員が帰宅したシーリン家の兄弟達―神殿に主席巫女として在籍中の次女セメレは別である―は、広い本宅の談話室にて茶器を片手に談笑していた。その日あった何気ない事や、人から聞いたうわさ話等々、話題は尽きることなく時間が過ぎていった。
長兄であるイロスが爆弾を落としたのは、皆がそろそろ眠気に支配されてきた頃だった。ここで一つ、厄介な事が生じる。世の常と言うべきか、爆弾を落とした当人はその威力を全く自覚していなかったりするのである。であるからしてイロスは、三つ編みにした長い純金の髪を弄びながら、いたって平然と告げたのである。
「隣国への使節団には、正式に我が君も同行される事になった。従って私も同行するので、その間の事は頼んだぞ?」
「それは別に構わないけど兄貴、王太子が同行するとなれば護衛も元のままじゃ無理なんじゃないか?」
「ライオス兄上、テセがそうそう簡単にどうこうなるわけ無いじゃないですか。」
「ライオスが言っているのは外聞の問題だよ、ケイロン。だからな、護衛の責任者が変更されたんだ。騎士団長のティルトが来てくれる事になった。」
『…………ッ?!!!!』
平然と茶器を傾けながら長兄の発言に、長姉と末弟は思わず息を呑んだ。慌てて視線を向けた彼等の視界では、次兄の茶器がカタカタと音を立てて揺れていた。辛うじて破壊されるのを免れているのだと解る軋み具合である。理性を総動員させているらしいライオスが、俯いたまま低ぅい声で呟いた。
「……ティルト、が?あの男が護衛につく、と?」
「そうだ。自ら志願してくれてな。彼の腕前ならば何も心配はいらないだろう?」
「…………あぁ、そうだな兄貴…………。」
声に力が宿るならば、今のライオスの声は怜悧な刃である。天敵―一方的に敵視しているだけだが―の名を聞いた彼は、怒りで暴君になりそうな自分を必死に押さえ込んでいた。イロスにだけは知られたくないと思っているからこそである。
何とか我に返ったアイトラが、結わえた純金の髪を乱しながらイロスの肩を掴んだ。必死な晄を浮かべる水色の双眸を見て、イロスは不思議そうに藍色の瞳を瞬かせた。だがしかし、そんな兄の困惑など妹には知った事ではないのである。これ以上何かを言うより先に彼を立ち去らせねばならないと、アイトラは彼女なりに必死だったのであるから。
「イロス兄上、そろそろ夜も更けてまいりました。明日も朝は早いのですから、そろそろお休みになっては如何ですか?」
「……そうだな。お前達も、あまり遅くならぬうちに休めよ。」
「ええ、勿論ですわ、イロス兄上。お休みなさいませ。」
穏やかな微笑みを一つ残して立ち去っていったイロスを見送り、アイトラは恐る恐る背後を振り返った。見事と言うべきか、イロスが扉を閉めたその瞬間に、ライオスが手にしていた茶器が軽い音を立てて砕け散った。皮膚を突き刺す陶器の破片を冷え切った目で見詰めながら、ライオスは不気味に低い声で笑声を漏らしていた。
(怖い……ッ!!)
図らずともそんな感想を同時に抱いてしまったアイトラとケイロンは、そそくさとライオスから離れて壁際まで避難した。しっかりとお互いの手を握り合い、励まし合っている。それでも逃げずに彼を見ているのは、放置した場合何が起こるか解らないからである。下手をすると、屋敷が半壊する恐れすらある。何をするか解らないから、ライオスなのである。
「…………おーのーれ、ティルト・コンスターニャ…………。あれほど兄貴に近づくなとぶちのめしたというのに、まだ懲りんのかぁーーっ!!!!」
「ライオス兄上、ライオス兄上、彼はただテセの護衛についただけですよぉーー……。」
「別に他意はないと思われますわよ、ライオス兄上ー。ティルト騎士団長はごく普通に好感の持てる好青年ですもの。」
「…………何か言ったか、ケイロン、アイトラ?」
『何でもありません!!』
背後にブリザードでも背負っていそうな感じのライオスであった。同時に地獄の業火も背負っていそうである。何でこの人はこんなに沸点が低いのだろうかと、弟妹は同時に思った。そして、何故これ程までに傍迷惑なのか、と。
ばきぃ。遠慮のカケラもなく殴りつけられた壁の塗装が、パラパラと寂しく剥がれ落ちてしまう。綺麗にへこんだ壁を見て、ライオスは舌打ちをした。明日職人に連絡するか、などとのたまっている。
「……やはりここは、一度殺した方がいいのか……。」
『そんな事したら死んでしまうじゃないですか?!』
「死ねば如何に彷徨いていようが兄貴にも見えないだろうからな。…………名案だな。そのうち実行するか。」
「そんな事したら殺人罪で捕まりますよ、ライオス兄上!」
「父上も陛下もお許しにはなりませんわ、お止め下さいませ!」
「完全犯罪なら良いんだな?」
『良くありません!!』
爽やかな笑顔でニッコリ笑ったライオスに、アイトラとケイロンは同時に叫んだ。半ば以上本気である事は、その瞳を見ればよく解る。そう、ライオスは本気であった。本気で、ティルトを殺そうかと考えているのである。そして困った事に、ブレーキになるイロスはそれに全く気付いておらず、直属の上司であるメディアに話したところで、笑顔で嗾けるに決まっているのであった……。
昨夜の悪夢を思いだし、ケイロンは身体を抱えて身震いした。あの後、何とかアイトラと2人でライオスを宥め、それ以上の破壊活動と殺人計画を押し止めたのであった。到底安眠など得られるわけがなかったが、疲れ果てて泥のように眠っていたのである。そんな弟達の苦労など知らないのか、イロスは笑顔で仕事に出ていったが。
「ある意味、イロス兄上は最強なんだよな……。」
「兄貴がどうかしたのか、ケイロン?」
「いえ、我等が長兄は偉大だな、と。」
「何を当たり前の事を言ってるんだ?」
心の底から嬉しそうな笑顔で言うライオスを見て、地獄耳と呟きかけて止めるケイロンがいた。それでもまぁ、微笑ましいと言えば微笑ましい人なのである、一応。純粋に兄であるイロスを慕い、それがやや過剰な独占欲に結びついているみたいな節はあるが。
そんな事を考えていたケイロンと、騎士達の手当てをしていたヒースクリフの表情が、全く同時に、この世の終わりのように凍り付いてしまった。並んで歩いてくるのは、2人の青年だ。片方はイロスであり、もう片方は騎士団長を示す長いマントと腕章をしている。言わずもがな、ティルト・コンスターニャである。
彼は、短く切り揃えた金茶の髪に、深みのある青の双眸を持っている。肌の色が不健康ではないにせよ人外であるような青白さであるのは、彼の母親がれっきとした精霊族であるからに他ならない。黄金の髪に青の双眸、そしてやや青みがかった白い肌を持つのが精霊族である。混血児である彼は、その出自故に上流貴族の嫡子でありながら長年一介の騎士でしかなかった。
母親の血を継いだ所為で、老化が人間よりも緩やかであるというのも、理由の一つだったのだろう。既に四十代に差し掛かっているはずなのだが、外見はイロスと殆ど変わらない二十歳前後である。ティルトが騎士団長になったのは今から五年前の事だった。前任の騎士団長が老齢となり引退を決意したのではあるが、その後継者が決まらなかった時期である。たまたま興味を示したイロスが詰め所に足を運び、ティルトを含む騎士達の模範試合を眺めたことに事は発する。
優れた力量を持ちながら、その異質な出自故に騎士として十年近く下っ端であるティルト。その話を聞いた時に、イロスは埋もれさせてはいけない才能だと直感したのである。シーリン家は政治にも軍事にも関わることを赦されず、要職につくこともない。だがしかし、王族の傍近くに仕える者として、有能な人間を進言して役職に就ける役目はあるのだ。そしてイロスはその使命に従い、ティルトを騎士団長にと進言した。結果、今現在の騎士団長ティルト・コンスターニャが存在するわけである。
そうやってイロスによって実力発揮の場を与えられたティルトが、恩人である彼を慕い、尊敬し、半ば崇拝めいた感情を抱くのは当然であろう。イロスもまた聡明なティルトとの会話を好み、2人はそれなりに仲良くなっていった。だがしかし、知己となれない理由が、ライオスという傍迷惑なブラコン男の存在にあった。ティルトとイロスが急速に親しくなるのを見て、彼は打倒ティルトの決意を固めたのである。従って、今現在ティルトという男は、ライオスの中で最も殺したい存在として刻まれている。
「ライオスもケイロンもそこにいたのか。捜したぞ。」
「ヒース、騎士達は一体どうしたというんだ?戻るまでは休憩していろといったはずだが。」
「ライオス殿が稽古をつけて下さっただけですよ、騎士団長。」
「……稽古、ですか?ライオス殿、何度も申し上げましたが、騎士達の稽古は団長である私かヒースが行うべきものです。失礼ですが、騎士団とは全く無関係である貴殿が行われることではないと思うのですが。」
「それは申し訳ない。少々腕が鈍ったかと思い、お相手を願っただけですが。」
慇懃無礼な発言の奥底に、明確な殺意にも似た怒りが見え隠れしている。この人は、と頭を抱えるケイロンの傍らで、イロスが微笑みを浮かべている。この長兄は、鈍い。呆れたくなる程に、ライオスの暴走気質に対して、彼は鈍かった。やや阿呆といいたくなる程に兄バカである所為であろうが。
バチバチと火花を飛ばし合う2人が、そこにいる。それでは私が相手をいたしましょうと、ティルトが不敵に笑って告げる。それは有り難いと、ライオスが不気味なオーラを背負って答える。騎士達から剣を受け取った2人が、稽古場の中心へと歩いていく。発される殺気を感じて、ケイロンとヒースクリフは泣きたくなった。いつものこととはいえ、何とも物騒な2人である。
カキィンという音を立てて、剣が何度もぶつかり合う。2人とも卓越した腕前であるし、こう言ったところでは魔法剣は御法度。従って、ライオスは実力の一部を封じられていることになる。そうでありながら騎士団長と互角に渡り合う彼は、恐ろしい男かも知れないが。下手をすると殺し合いに発展しそうな二人を見て、ケイロンはがっくりと頭を落とした。
「何でこうなるかなぁ、ライオス兄上とティルトって……。」
「団長も、解ってないならきれいに流せばいいものを、わざわざ受けなくとも……。」
「…………。」
「イロス兄上、どうなさいました?」
沈黙して2人を見詰めているイロスに、ケイロンが声をかける。末弟を振り返った長兄の顔は、晴れやかな笑顔だった。何か嫌な予感がするケイロンとヒースクリフ。そしてそれは、何一つ間違ってはいないのであった。
「本当にあの2人は、仲がいいな。」
『…………………………。』
あえて何も言えなくなるケイロンとヒースクリフであった。やはり最強はこの人らしい。彼等はそんなことを思った。ニコニコと笑っているイロスは、何も気付いていなかったが。
彼等の視界の片隅では、ライオスとティルトが罵声込みの試合を続けているのであった………………。
FIN