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目覚めの優しき晄

短編。ライオスメイン。


 天空の果てに住まいし神すら知らぬ、優しき晄。空を眺める地上に目覚める、ただ一つだけの晄。それは、彼の者にとってのみの晄。それは、彼の者にとって、掛け替えのない晄。



 神よ、貴方はその想いの哀しさを知りはしないだろう。




 どうすればいいのだろうかと、彼はぼんやりとする頭で考えていた。目の前に、熱に浮かされて苦しむヒトがいる。誰よりも敬愛し、誰よりも慕ったヒトが今、常の聡明さすらかなぐり捨てて、苦痛に喘いで眠っている。言葉にならない声を聞くことがあまりにも苦痛で、己の耳を覆ってしまいたくなった。

 肩の上でザックリと切り揃えられた髪は純金。眠るそのヒトを見詰める双眸の色は、底の見えない海のような深い青。テバイ人特有の肌の白さを持ち、引き締まり鍛えられた肉体を持つ青年。年の頃は二十歳を少し超えたぐらいと見え、その割に浮かべる表情は幼い子供のようだ。まるで、親とはぐれて不安にくれる迷い子のような表情をしている。

 眠る青年の髪もまた、彼と同じ純金色をしている。常は綺麗に編み込まれている髪は今、白いシーツの上に緩やかに広がっていた。伏せられた双眸の色を彼は他の誰よりも知っている。鮮やかな、けれど決して威圧感など与えない、優しい藍色。常は彼と同じように色の白さが際立つその肌も、今は熱の所為で赤く染まっている。苦しげに喘ぐ度に胸が上下し、苦痛を堪えるように上掛けの布を握りしめる指に力が入る。


「……兄貴。」


 小さく、呼びかけてみても、答えはなかった。常ならば、どれほど小さな呼びかけであろうと答えてくれる兄が、今は、彼の声すら届かない場所で眠っている。悔しげに、彼は額に掌を押しつけて、指で頭を鷲掴みにした。ぎりぎりと爪が食い込む痛みだけが、意識を明瞭に保つ術に思えていたのかもしれない。

 ライオス・ファル・シーリン。それが彼の名前だ。この国で、テバイで彼の存在を知らない者はいないだろう。第1王女メディア・エタ・テバイの側近にして、名門貴族シーリン家の次男。更には、失われたといわれている魔法剣の使い手であり、頭脳明晰、容姿端麗、文武両道の見本として語られている。

 ライオスの目の前で眠るのが、彼のただ1人だけの兄、イロスだ。ライオス以上に、頭脳明晰、容姿端麗、文武両道、才色兼備と言った言葉の似合う、身内に甘く職務に忠実な、シーリン家の嫡男にして第1王太子テセウスの側近。良くも悪くもその行動は国の人々に注目され、些細なことさえ噂に上る。だからこそ、彼等は常に自分達の行動に気を配っていた。誰にも、何も言われずにすむように、彼等はさりげなく気を張って生きてきた。

 事の起こりは、三日ほど前まで遡る。シーリン家と言えばテバイ王国の名門貴族であり、それ故に命を狙われることも少なくはない。それが暗殺者や毒物であったのならば、彼等にも防ぎようがあったのだろう。だがしかし、今回イロスを狙った魔の手は、呪法によるものだった。かけた相手を蝕み、高熱によって体力を奪い、いずれ死に至らしめる呪法。つい先日大掛かりな戦が終結したこともあって、彼等も気を緩めていたのだろう。誰1人長兄を狙う魔の手に気づくことはなく、そして三日ほど前にイロスは倒れた。

 ただの過労であろうと、皆が思っていたのだ。常にイロスの側にいたテセウスですらも、そう思っていた。ただ1人ライオスだけが違和感を感じていたが、元来直接攻撃魔法以外には適正の薄い彼には、それがいったいどういう意味の違和感であったのかは解らなかった。気づけていれば、この事態は防げていたのかもしれない。イロスが倒れて、既に三日が経過している。危険どころではない状態になっていた。

 二人の弟妹達は、必死になってその呪法の解呪法を探していた。役目故に彼等の元に足を運べないテセウス、メディア、オリオンの3人もまた、空いた時間を見つけては何か方法はないかと探し続けている。

 既に犯人は捕まり刑罰を受けてはいるが、解呪法を知らないというのだ。解呪法も知らぬ呪法に手を出すなと誰もが思ったが、 相手は相手で必死だったのだろう。シーリン家を恨んでも仕方のない、つい先日取り潰しになった名家の嫡子だった。その家の取り潰しについては、シーリン家当主ピネウスから、国王カドモスに進言されていたのだから。


「……死ぬなよ。」

「……っ、……あ……ぅ……。」

「……死なないでくれ、兄貴……ッ。」


 誰よりも、喪いたくないヒトだった。前を向く度に、その背中があった。何かに躓いた時に、微笑みながら腕を差し伸べてくれるのも、不安になって迷っている時に大丈夫だと背を押してくれるのも、危険な目に合っている時に助けに来てくれるのも、全て目の前で眠るこの兄だった。他の誰でなく、イロスだったのだ。

 目を伏せて、そしてライオスは、ぎゅっと唇を噛み締めた。もう、待ってはいられない。解呪の方法が見つかるのを待っていれば、イロスは死ぬ。握りしめたイロスの手の冷たさが、熱に浮かされていながら冷え切った指先が、今彼がどれほど危険な状態であるのかを、伝えてくれた。

 意識が戻った時、イロスは死ぬほど怒るだろう。決して赦しては貰えないかもしれないと、解っていた。それでもライオスには、耐えられなかったのだ。目の前で、イロスが苦しんでいること。刻一刻と、彼に死が迫っているということ。そのどちらも、彼にとっては許し難く、耐えることのできない事態だった。


「……やっぱ、怒るだろうけどな……。……ごめん、兄貴。」


 手にした短刀で、左手の親指の腹を切りつけた。同じように、イロスの左手の親指の腹を切りつける。一瞬何かに怯えるように血管の動きが止まり、次の瞬間ふくれるように赤い血があふれ出してくる。指と指を重ね、あふれ出した血液が混ざり合うように押しつけ合う。切り傷による痛みさえイロスの意識を呼び戻すことはなく、だからこそライオスは、やはり躊躇わずにその方法をとるしかないのだと、思った。

 それは、密かに伝え続けられていた、奇跡の秘術の一つだった。近しい血を持つ者が、互いの病や呪いを移し替えるという、秘術。術を発動させた者に、相手の病や呪いを写し取り、その相手を救う秘術だ。知るヒトさえ、いないのかもしれない。今となっては幻と呼ばれる呪法を、けれどライオスは、もう随分と昔から知っていた。いつか、こんな日が来ると予想していたのかもしれない。或いは、そうなった時に、助ける方法がどうしても欲しかったのか。


「…………レスト。」


 静かに、呪文の発動を命じた。重ねた親指から、何かが流れ込んでくるのを確かに感じる。ぐらりと、視界が揺れた。熱が、身体中を駆けめぐり、身体が途方もなく重いモノに思えるほどの重圧が、かかった。耐えていたのかと、薄れゆく意識の中で思う。これ程の苦痛に、それでも彼は必死に耐えていたのかと、哀しさを通り越した怒りに似た感情で、ライオスは思った。

 跪くことすらできないままに、ライオスは兄の胸に倒れ込んだ。喉の奥が引きつり、掠れた息だけが漏れる。言葉を発することさえできないほどの苦しみに、けれど必死に目を開いた。この秘術を使うのは初めてで、だからこそ、本当に成功したのかどうかを見極める必要があったのだ。本当に、兄を救えたのかどうかを知らなければならないのだ。

 ゆっくりと、霞がかったライオスの視界の中で、イロスが重そうに瞼を持ち上げるのが見えた。深みのある、優しい藍色の双眸が、焦点を結ばないままにライオスを見る。不思議そうに、掠れて乾いた声が何をしていると問いかけるのを、聞いたような気が、していた。


「……ぁ、にき……。……よか…………た。」

「ライオス…………?」

「…………っ、……ぐ……。」

「…………ライオス?……ライオス、お前、……ッ、お前、いったい何を!!!」


 ようやっと意識が覚醒したのだろう兄の罵声が、耳を打った。元気になったと思うと同時に、意識が深い闇へと誘われるのをライオスは感じた。肩を掴む指の力も、名前を呼び続けてくれる焦りに満ちた声も、自分を見詰めているだろう、不安げな藍色の双眸も、全てが遠い世界のものであるような気がするほどに、ライオスの意識は沈んでいった。

 意識を完全に手放す前に彼が見たのは、兄の顔だった。泣きそうな、不安に揺れる表情をした、イロスの顔。何かを言おうとして薄く唇を開いて、けれど彼は言葉を発することはできなかった。そのまま、ライオスは全てを放棄した。悲痛な兄の叫びすら彼の耳には聞こえず、そのくせ、それは記憶の中の兄の姿と同じく、彼の脳裏に何処までも鮮明に響いていた。






 ゆらゆらと、まどろんでいるのだとライオスは思った。つい先程まであった苦しさは全て何処かに消えてしまい、まるで母の腕に抱かれているような安らかな温もりが彼を包み込んでいる。そんなわけがないと思いながらその温もりの中から抜け出せないのは、死を目前にまで感じるほどの苦痛に耐えた後だからだろうか。

 生気が戻ってくるのを、彼は何処か遠いところで感じた。指先にも力が戻り、ゆっくりと、瞳は閉じたままで掛け布の裾を持ち上げた。気配だけで、誰かが驚いたように身動ぎするのを知った。そして同時にそれが誰であるのかも悟り、何処かバツの悪い気分になる。それでも彼は瞼を持ち上げて、自分を覗き込んでいる相手を見詰め返した。まだその双眸は熱を持って潤んでいたが、いつもと同じ飄々とした笑みが浮かぶ。

 ライオスの顔を覗き込んでいたイロスが、震える唇で何かを言おうとして、けれどすぐにそれが言葉にならないことに気づいて俯いた。頬をぬらす冷たい液体が兄の瞳から溢れた涙だと知って、少しばかり胸が痛んだ。どれほどの心配をかけたか、解っているからだ。そしてライオスは、覚悟した。

 次の瞬間に起こることを、彼は他の誰よりも明確に理解していたに違いない。


「……ッ、この、馬鹿者がっ!!!!!」

「…………ッ。」


 慈しむように左手でライオスの右頬に触れながら、罵声と共に右手でライオスの左頬を張るイロス。どうでも良いが、相変わらず怒るのか心配するのか喜ぶのか一つにすればいいのにと、張られた頬の痛みを何とかやり過ごしながらライオスは考える。憤りに支配されてなお兄弟を慈しむことを忘れない長兄の、少しばかり厄介かもしれない行動にライオスはそう思うのだ。


「イロス兄上、いきなり張り手はないでしょう……。」

「ライオス兄上は病み上がりなのですよ?もう少し考えて差し上げませんと……。」

「イロス兄様、落ち着いて下さい。」

「イロス、少しは落ち着いた方がいい。」

「ライオスはもう大丈夫だから、心配しないで。」

「いくらライオスがタフでも、それでは身体が持ちませんよ。」


 にこやかにかわされる傍観者達のツッコミを、ライオスはぼんやりとしながら聞いた。順番に、ケイロン、アイトラ、セメレ、テセウス、オリオン、メディアである。どうでも良いが、直属の主君であるメディアの自分に対する認識はひどいと、彼でなくても思う感想を抱いた。だがしかし、それだけの人間に諫められても、イロスの怒りは収まらないらしい。

 どうやら自分は、ようやっと見つかった解呪法によって助かったのだろう。誰1人説明してくれないので、ライオスはそう結論づけた。おそらく、間違ってはいないだろう。部屋には魔法陣が書かれており、様々な魔法道具が存在している。願わくば、あまりいかがわしかったり信憑性が薄い術でないことを祈る。たとえ意識のない状態でかけられたモノであったとはいえ、あまり得体の知れないモノは嬉しくないのだから。


「あまりぞろぞろいても迷惑だろうから、私達は出て行くぞ。」

「テセ、私は少し話してから……。」

「早めに切り上げてやれ。イロスも、つもる話があるはずだ。」

「はい。」


 そういって、テセウスはイロスとメディアを残した面々をひきつれて去っていく。何を言う為に残ったのだろうと、ライオスは身構えた。兄に助けられて上半身を起こした彼の傍らに立ち、メディアはニコリと微笑む。本性が男であると知っていてなお見惚れそうな微笑みは、けれどライオスにだけは効かない。あまりにも近いところで見過ぎた所為で、今更それで惑わされるほど愚かではないのだ。


「随分と、楽しいことをしてくれたな?」

「……別に、楽しくありませんが。」

「以後、こういった真似をする時は一言私に断れ。護衛不在は少々面倒だ。」

「承知しました。」


 メディファルトの口調になって言い放つ主君を見て、ライオスは軽く頭を下げた。ちらりと俯いた状態で横目に隣に立つ兄を伺えば、身体の横で握りしめた拳が神経質そうに震えていた。おそらく彼の心境からしてみれば、そんなことは断られても許可するなと言いたいのだろう。だがしかし、この二人は似た者主従なので、そんなイロスの気持ちは気にしない。

 そんなイロスの反応にきっちり気づいていながら、何も言わずにメディアは立ち去る。究極の唯我独尊だとライオスは思ったが、そんな主君と平然と付き合い続けている彼にその資格はないのではなかろうか。細められたイロスの瞳が自分を見ているのに気づいて、掛け布を引き上げてその中に籠もるようにして潜り込む。何も聞かないと言いたげなその態度に、イロスはぴしりとこめかみを引きつらせた。


「自分が何をしたのか解っているのか?!」

「……解ってる。」

「だったら、何故、あんな真似を……ッ!」

「…………。」


 言えるわけがないと、ライオスは思う。どの言葉を口にしても、兄は怒るのだ。死んで欲しくなかったと言えば、私もお前に死んで欲しくないと言われる。苦しんで欲しくなかったと言えば、私もお前に苦しんで欲しくないと言われる。全てにおいて同じ感想を抱くのだと返されれば、抗う術はなくなるのだ。だから、あえてライオスは何も言わない。

 自分だけが、知っていればいいのだと思う。あの苦しみも、耐えきれないほどの嘆きも、押さえ込めないほどの憤りも。全て、自分の胸の内だけに仕舞い込んでおけばいいと思う。そう決めて、あえてイロスから目線を逸らしたライオスの頬に、怯えたような仕草で触れる指先があった。


「……本当にお前は、心配ばかりさせて……ッ。」

「………………。」

「心配ばかり、させるんだ、お前は…………。」

「…………悪い。」


 強くなりたいと切望するのは、いつでもこういう時だ。兄を不安にさせ、心配をかけ、哀しみを抱かせる時に、ライオスは力を渇望し、全てをねじ伏せるだけの強さが欲しいと何かに懇願する。だがそれが手にはいるわけがないことも知っているからこそ、彼は自分自身の生命さえ削っても、大切だと思う存在を護ろうとする。苦しませても、生きていて欲しいと願うからこそ。

 繰り返し、バカと掠れた声で告げるイロスの声を聞きながら、ライオスはゆっくりと目を伏せた。安堵のせいか、ひどく眠い。今まで散々眠っていた割には、身体は睡眠を求めていた。少し寝ると、兄に告げて微睡み始める。額を撫でた優しい掌が、幼い頃と代わらない兄のモノであったことに、どうしようもないほどの切なさを覚えながら、ライオスは眠りについた。



 貴方という存在である、その優しき晄だけが欲しかったと、夢の中で密かに告げる。



FIN

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