溢れ出てくるのはどろどろとした醜い感情
小ネタ。テセウスとメディア。
かたん、と音がする。机の上にペンを置いて、テセウスは溜め息をついた。視線を転じれば、庭で笛を嗜むメディアが見える。少女から女へと変わりゆく姿が、醜くも美しい。歪んでいると解りながら、そう思う。
この感情は、醜い。彼はそう思う。定められた運命に、抗おうとしているのか。それとも、足掻こうとしているのか。それすら解らないままに、感情だけが溢れてくる。
せめて、元の姿に。幼かった頃に、何気なく知った真実。偽りの姿で生き続ける、メディア。愛しいと想うと同時に、疎ましい。メディファルトの名を封じられた、醜い存在が。
けれど、想うのだ。醜いと心の片隅で想いながら。相反する感情が、日々育つ。既に死した母と良く似た笑みを浮かべるようになった。包み込むような、穏やかな微笑。それが本来の気性ではないと、テセウスは知っている。
誰より苛烈な性質を隠して、ただ笑う虚像の王女。
双子であるからだろう。その歪みだけが、何よりも許せない。その歪みだけが、彼を駆り立てる。いつか、ただしてみせると。父王を敵に回しても、構わないと。
本心を告げるなら、神さえ恐れはしないだろう。それで、元に戻るのならば。誰に遠慮することなく、メディファルトの名を呼べるなら。おそらくテセウスは、魔王にすら膝を折るだろう。メディアがそれを望まぬと、知っていながら。
溢れ出てくる感情だけが、全てを突き動かす。
そっと、それまで口に当てていた笛を膝に降ろす。視線をあげれば、窓の側で思案顔をするテセウスが見える。うろうろと歩き回りながら、顎に手を当てて。何か考え事をしているのだと、解った。
光り輝くほどに眩い兄。いっぺんの歪みも濁りも持たぬ兄。羨ましいと思うと同時に、憎らしくもあった。何故私がと、叫びたくなるほどに。言っても詮無き事と、解りながら。
誰にも恥じることなく、彼は生きていくだろう。晄の中で、神に祝福された王太子として。やがてこのテバイを統べる王として。その時、メディアはどうするのだろうか。メディファルトの名を封じられたままで、生きていくのか。誰かの妻になる事など、考えられない。
身体は女でありながら、心は男であるのだから。王女として生きる事など、望まなかった。それでも、父に逆らえばどうなるのか、解っていた。神に仕えろと言われて、何処かの神殿に押し込められる。それだけは、嫌だった。逢えなくなる。
ただ一人だけの、半身である兄に。
男のままで生きて行けたのならば、傍らに常にいれただろう。同じように馬を駆り、剣を携え戦場を駆け抜ける。どれほど卓越した剣技を誇ろうと、女では馬を並べる事はできない。たとえそれが偽りであろうとも。同じ場所には、いられない。
だからこそ、せめて。今のままのカタチを、奪われたくはなかった。同じ城の中で、生きている。共に笑い合う事ができる、今。それだけが、必要だった。
どれほど醜いと言われても。どれほど歪んでいると言われても。この感情だけが、確かなモノ。この思いだけが、メディアという存在を支える全て。
溢れ出てくる感情だけが、全てを突き動かす。
まだ、何も知らなかった頃。まだ、全てが始まる前。王太子がテバイを去る、少し前。
何気なく過ごした日々だけが、彼等の全て。




