まだ言葉というものに怯えたままの僕から、
小ネタ。ライオス。
「おめでとうございます、イロス兄上。」
「ありがとう、アイトラ。」
「今年もまた、兄上が幸福でありますように。」
「お前にも幸福が訪れるように。」
差し出されたアイトラからのプレゼントであるカフスを手にしながら、そっとアイトラの額にイロスは口付ける。アイトラもまた、イロスの頬に口付ける。21歳の誕生日を迎えた長兄を、皆で祝っているのだ。一番に言葉をかけたのが、たまたま側にいたアイトラだっただけだ。
続いて、次女のセメレが歩みでる。自らが神殿で祈りを捧げておいたアミュレットを、長兄に差しだした。それを見て、イロスは微笑みを浮かべる。セメレもまたアイトラと同じように、兄の頬に口付けた。
「おめでとうございます、イロス兄様。」
「ありがとう。」
「兄様の身に災いが降り懸かりませんように。」
「お前の身にも災いなどが降り懸からぬように祈っているよ。」
「まぁ、兄様ったら……。」
コロコロと笑うセメレの傍らにいたケイロンが、歩みでる。年の離れた末弟を見て、イロスが目を細めた。ケイロンが差しだしたのは、時計だ。先日愛用していたモノが壊れたと兄が言ったからこそ。
「生真面目なイロス兄上ですから、時計は必要でしょう?」
「お前は本当に細かいところまでよく覚えているな。」
「そうでもないですよ。イロス兄上、無茶は禁物ですよ?」
「お前もな。」
「俺はそこまで無茶はしませんよ。誰かの警護に就いているわけでもありませんし。」
にこやかに微笑むケイロンを見て、イロスも微笑んだ。その傍らにいた、アイトラとセメレも。その光景を見て、ライオスが息を吐く。手にしていた包みを、そっと持ち直した。カードを一枚、震える指先で差し込む。
「兄貴。」
「あぁ、お前も何かをくれるのか?悪いな、ライオス。」
「いや、別に。そんなに高価なモノでもないから。」
「何をくれるんだ?」
「……開けてみればいいかと。」
言われて、イロスが包みを解く。ぱさりと落ちたカードを、アイトラが拾う。それを何気なく差しだした妹の手から、イロスは受け取る。包みを解いた先にあったのは、イロスの肖像画だった。ただし、本職の者の手によるモノではない。
それが解ったのは、そこに描かれたイロスが私服だからだ。くつろいでいる時の姿そのまま。木漏れ日の下で本を読む姿だった。それを知っているのは、身内だけ。親兄弟と使用人達ぐらいの筈。
「……お前が描いたのか?」
「未熟で申し訳ありませんけど。」
「いや、とても綺麗な色遣いに筆使いだ。驚いたな、お前に絵の才があったとは。」
「それで食べていけるほどじゃないから。」
笑って誤魔化すライオスを見て、イロスは笑う。手にしたカードを、何気なく見た。書かれた文字を見て、顔を綻ばせる。
――最愛なる、我が兄へ。
覗き込んでいた弟妹達も、顔を綻ばせた。そう、最愛なる長兄。皆が愛している、愛すべき兄。その事を感じて、皆が笑う。
きっと、イロス達は知らない。その文字を刻む為に、どれだけの時間を有したかを。どれほど、震える手を叱咤しながら文字をつづったかを。きっと、誰にも解らないのだ。
言葉に、怯えていた。それが言霊になるのではと思うと。拒絶の言葉はないと知っていたが。それでも、明確に示すのが怖かった。本当に、怖かったのだ。
「ありがとう、ライオス。お前も、私の愛する弟だよ。」
「…………知ってます。」
「アラ、イロス兄上、私達は?」
「勿論、お前達皆も愛しているよ。当然だろう?」
「ええ、知ってますわ。」
「アイトラ姉様ったら……。」
「アイトラ姉上も、意地の悪い質問をしますね。」
くすくすと笑うセメレと、笑いを堪えるケイロン。笑うイロスと、微笑むアイトラ。その姿を見て、笑みを浮かべながら少し目を背けるライオスがいた。知っている。愛されている事も。その愛が、兄弟皆に平等に捧げられている事も。
だから、怖かった。最愛なる、我が兄へ。刻みたかったのは、本当にその言葉だったのか。我が、最愛なるヒトへ。そう刻みたかったのかもしれない。誰よりも愛しいヒトとして。
まだ、真実を告げるには言葉に怯えすぎていた頃の、小さな胸の痛み。




