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地上の楽園番外編  作者: 港瀬つかさ


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その背の傷跡に想う

短編。パリスとヘルメス。


 傷跡に刻まれた、一つの挿話がそこにある。



「やっぱり俺は、いつかお前を殺してやろうかと思うぞ。」

「意味の解らない物騒な発言をされる前に、山のように積み上げられた書類を整理して頂きたいのですが。」

「これは俺のやるべき分類の物じゃないだろうが。」

「貴方があっさりと見逃して脱走させたアドニス王太子の物です。代理として処理させよとの陛下のお達しですので。」

「…………。」

「自業自得だ。諦めろ。」

「喧しい!」


 礼儀のれの字も存在しない言い草に、パリスは思わず怒鳴り返した。おそらくは扉の向こうで小姓が驚いているだろうが、この際そんな事は無視である。そんなパリスに対して、ヘルメスは涼しい顔で書類の束を机の上に積み上げる。

 明らかに間違った遣り取りをしているが、この二人は一応クレタ王国の第3王子と親衛隊長である。くすんだ鉄色にも似た銀髪に青灰色の瞳を持つパリスは異端の色彩を受け継いだ王子であり、朱金の中に一房だけが真紅に染まった髪に、右が蒼で左が紅の双眸を持つヘルメスは、純血でありながらエルフの固有色彩を受け継がない異端児である。

 早い話が、どちらも普通にはあり得ない色彩を宿し、その事で色々と嫌な目にも遭ってきたのだが、図太すぎる神経のおかげで今日まで平然と生活している。


「確かに俺が悪いが、だからといってこの書類の山はないだろうが。」

「そうやって仕事を宛っておけば逃げないとでも思ったんだろうな。他の誰でもないお前の父親の考えだぞ?」

「お前が入れ知恵したんだろうが。ついでに、あまり仕事が多かったりすると、俺は逃げ出すからな。衛兵が役に立つと思うなよ。」

「だからこそ、本来の仕事を投げ出してまでここにいるんだが?」

「お前は俺に嫌がらせをする以外に生活目的が存在しないのか?!」

「失礼な。これも一応れっきとした仕事だ。」

「笑いを噛み殺した顔で言うな、ボケ!」

「言葉遣いがなってない。」

「……いてっ!」


 淡々とした口調で言ったヘルメスは、まるでそれが当たり前であるかのようにパリスの足を踏んづけた。限りなく間違った行動だが、この二人にとってはそれがいつもの事である。遠慮という単語を忘れ去っている親衛隊長に、それを異質だと思わずに接している王子。首を傾げる人間がいないあたり、何かがおかしい。

 仕方なく、パリスは大人しく書類に視線を戻した。異母弟の脱走に一枚噛んだ上に、門外不出の家宝を渡したのもパリスである。その事を罪に問わない父親の甘さに、この際感謝しておこうかと思う。とりあえず、物事を良い方向にのみ捉えておこうと、彼は思った。


「…………しかし、熱いな。上着を脱いでも良いか?」

「勝手にしろ。だいたい、何で俺に断る?」

「王族の前で制服を脱ぐんだ。一応断った方が良いかと思っただけだ。」

「お前が俺を主君筋に見ているとは思わなかったな。」


 パリスの言葉は、別に皮肉ではない。彼は心底そう思っているし、仮に主君筋と見ていられなくても平気だろう。むしろそちらの方が付き合いやすいと、平然と口にしそうである。そんなパリスに答えるわけでなく、ヘルメスは上着をばさりと脱ぎ捨てた。真っ白なシャツが視界に映り、パリスは何気なくヘルメスの背中へと視線を向けた。

 エルフ族は元来、骨格などが細い。だがしかし、目の前の青年は確かに骨格は細身だが、しなやかに付いた筋肉や薄いながらに広い肩幅などの所為で、随分とがっしりとした体格に見える。エルフ特有の色の白い肌は、シャツとの境界線が曖昧になるほど色素が薄かった。

 その、背中に、パリスは見つけてしまった。薄手のシャツの上からでもそれと解る、治る事の無いだろう傷跡。一瞬、顔が歪むのを止められなかった。不思議そうな顔をしたヘルメスに、何でもないと呟く声が震えている。まさか、いまだに引きずっているとは、自分自身でも思わなかったパリスである。


「……上着を、来ていた方が良いか?」

「いい。……平気だ。」

「青い顔をして言う台詞じゃないだろうが。……何か飲み物を持ってこよう。」

「いい。行くな。」

「パリス?」

「少し、そこにいろ。動くな。」

「…………御意。」


 窓の方を向いたままのヘルメスの背中に、パリスはそっと顔を埋めた。謝罪の言葉が口をついて出かけて、彼はそれを呑み込んだ。それは、告げてはならない言葉だ。けれど身体の震えは止まらず、ヘルメスの肩を掴んだ指に血管が浮いている。随分強い力で掴まれているにもかかわらず、ヘルメスは顔色一つ変えなかった。

 昔、パリスがまだ少年と形容されていた頃に、一つの事件があった。それまでも何度か暗殺未遂を起こされていた身だが、その時ほど生命の危機を感じた事はなかった。パリスも少年ながらそれなりに剣術を使えたが、その時の相手は凄腕だった。殺されると覚悟したその時に、たまたま非番だったヘルメスが駆けつけてきたのだ。

 今でも、パリスの記憶には明確にその時の光景が浮かんでいる。自分を庇うように身体を割り込ませ、幼いパリスの身体を抱きしめたままのヘルメスの、その背を右肩から斜めに切り裂く刃の軌跡。噴水のように溢れだした鮮血と、耳に近い位置で聞こえたヘルメスの呻き声。パリスを庇ったままでヘルメスは剣を抜き放ち、油断していた暗殺者を魔法も交えて瞬殺していた。

 どうしてと、幼いパリスが繰り返すのさえ聞こえないように、ヘルメスは自分の傷を放置してパリスの治療に当たった。鼻を突く血の臭いと、どんどん青白くなっていくヘルメスの顔色に、泣きながらもういいからと叫んだのをパリスは覚えている。自分の為に誰かが傷つくのも、その為に誰かを失うのも、彼は嫌だった。ただでさえ望まれていないと思っていた彼にとって、これ以上誰かに嫌われるのは嫌で、何も奪いたくなかったのだ。


「……俺は、後悔してないんだぞ?」

「……知ってる。……解ってる。」

「たとえ跡が残ったとしても、親衛隊長ならば別に普通だろう?」

「解ってると、言ってる!」

「お前が悪いわけじゃない。」


 肩を掴むパリスの掌に自分のそれを重ねて、宥めるように穏やかな口調で話すヘルメスがいる。まだ、自分は彼に護られて、救われて、支えられているのだと思う。その度にパリスは、少しでも前へ進み、強くなりたいと思うのだ。

 父王の前ですらさらけ出す事のできない弱さを、ヘルメスの前では晒す。血の繋がった兄弟達よりも何よりも、安心して身を委ねる事のできる相手だった。それは、まだ幼かった頃に只一人、ヘルメスだけがパリスを受け入れてくれたからかも知れないが。だからこそ尚の事、自分の所為で彼を傷つけるのは嫌だった。兄のように慕う相手だからこそ、余計に。


「……前から、聞こうと思ってたんだがな。」

「何がだ?」

「お前、何でそこまで俺を護ろうとしてくれるんだ?」

「親衛隊長が王族を護って何が悪いんだ?」

「お前が護るべきは国王と、第1王太子が優先だろう。それなのに、王位継承権もない第3王子の俺を護る理由が分からないんだ。」

「理由がいるのか?面倒なヤツだな。」


 ケロリと言い放つヘルメスの言葉に、パリスは眉をつり上げた。護る方はそれで良いかも知れないが、護られる方はそうはいかない。特に理由もなく目の前で怪我をされて、平然としていられるわけがない。そう言い募ろうとしたパリスは、困ったように頬をかくヘルメスを見てしまった。


「……ヘルメス?」

「……まぁ、お前を護るのは、俺のエゴだと思う。俺もガキの頃はお前みたいな扱いを受けてたからな。あの頃に俺は庇護の手が欲しかったから、お前も欲しいんじゃないかと思っただけだ。」

「……だったら、それを早く言え。」

「は?」

「俺は、今まで、ずっと、申し訳ないと思ってたんだぞ?!」

「…………意外に、繊細なんだな。」

「喧しい!」


 あまりといえばあまりのいいざまに、パリスが怒鳴る。その身体が既に震えていない事に気付いてはいたが、ヘルメスはあえてその事については触れなかった。やれやれと肩を竦めて、仕事しろよと笑いながら告げる。

 ふて腐れたままで仕事に戻るパリスを見て、苦笑した。幼かった頃の自分は、ここまで素直ではなかったと思う。自分の殻に閉じこもって、触れるモノ全てを拒絶して、誰にも心を開けないままに、追われるようにエルフの王国を出た。哀しかった思い出を、この青年には味わせたく無くて取った行動が、まさか彼を傷つけていたとは思わなかった。


「俺もまだまだ未熟って事か…………。」


 人間年齢に換算すればまだ20代になるだろう青年エルフは、皮肉げな笑みを口元に浮かべて呟いた。お前も手伝えと怒鳴りつける第3王子に向けて、ハイハイと彼は答える。気のない返事だと取られても、それが彼等の在り方だった。いつの間にか当たり前になっていた、態度だった。



 同じ傷だけは負わないようにと、密かに願う想いがある。



FIN

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