陽は御子の上に降るだろう
短編。アドニスとイアソン。
それはまだ伝説が始まる前の、ささやかなる挿話…………。
心底呆れたと言いたげな表情で、窓を開けて部屋の換気を行うのは、鮮やかな青髪に深みのある緑の瞳をした青年だ。端正とも秀麗とも取れる顔立ちは、名工の彫刻を思わせるほどに美しく、同時に完璧すぎて畏怖を抱かせざるをえない。けれど、今の彼の顔立ちは、浮かべる呆れの表情の所為か、幾分親しみを持って見る事ができる。
その傍ら、部屋の備え付けの寝台の上で上半身を起こしたままで、すまなそうな顔をしている青年がいる。常は束ねられている背の中頃まで延ばされた白銀の髪は、緩やかに踊っていた。やや熱を持って赤らんだ瞳は、極上の青玉石を思わせるほどに鮮やかな蒼色をしている。おっとりとした良家の子息めいた印象を抱かせる美貌は、他者に安らぎを与えるモノ以外の何でもない。
かつかつと寝台の傍らまで戻ってきた青髪の青年が、腰に手を当てたままでじっと相棒を見下ろした。溜め息をついた後に、右手を銀髪の青年の額に押し当てる。ほんの僅かに熱を持っているのが、掌越しでも解る。
「……まったく、馬鹿な真似をしたな、お前も。」
「…………すまない、イアソン……。」
「まぁ、俺に謝られても困るが。……あぁ、お前が庇ったという子供から、差し入れがきてるぞ。面会は熱が下がってからにしろと言い聞かせておいたからな。」
「ありがとう。」
困ったように笑うアドニスを見て、イアソンも苦笑した。何の事はなく、それ程暖かい時期でもないのに池に落ちれば発熱するというだけの事だ。ただ、アドニスは池に落ちかけた子供を庇って自らが水の洗礼を受け、その所為で熱を出しているのだが。
濡れ鼠のような状態で戻ってきたアドニスを見て、イアソンは本当にお前はクレタの王太子なのかと問いかけたかった。大国・クレタの第一王太子と言えば、各国にも名の知れた文武両道、眉目秀麗、才色兼備の将来有望な美丈夫だ。それなのに、実際のアドニスは確かにそういった面を持ってはいるものの、極度のお人好しで世間知らずなのである。仮にも王族が、たかが子供を庇って池に落ちるとは思えなかったのだが。まぁ、アドニスならば有り得るだろうと、ここしばらくの間で学習したイアソンである。
冷水に浸した布を軽く絞ると、まだ熱を持って火照るアドニスの額に押し当てる。そのまま、大人しく寝ていろと寝台の上に横たわらせると、少しばかり不服そうな表情が浮かんだ。横になっているのに飽きたらしい。
「あのな、そういう問題か?」
「寝てばかりだと、身体が辛い。」
「お前は起きるとはしゃいで熱がぶり返すタイプだろうが。大人しくしてろ。」
「別に、はしゃいだりするつもりは……。」
「大人しくしてろ。」
「…………はい。」
仕方なくと言いたげに頷いたアドニスを見て、イアソンはやれやれと溜め息をついた。子供達が持ってきた差し入れに目を落とすと、ひょいっと果実を一つ手の上で転がしてみせる。きょとんとしているアドニスを見て小さく笑うと、椅子を引き寄せて果実を手にしたままで座る。
「この地方の特産品でな、今が旬だ。良かったな、良い時期に熱を出して。」
「…………喜んで良いのか、それ。」
「少なくとも、不味いモノを食わなくていいぶんには喜んで良いんじゃないか?」
「……まぁ、そうだけど……。」
何かが違うとぼやくアドニスを無視して、イアソンは懐から取り出した薄いナイフでショリショリと果実の皮を剥いていく。掌は大きく、鍛えられてがっしりとした印象だというのに、その指はひどく繊細な印象を与えるほどに細く長い。けれど、それが決してアンバランスにはならない辺りが、イアソンという男の不思議な所なのかもしれない。
器用に長い皮を作っていくイアソンの手元を凝視していると、軽く額を叩かれる。驚いたようにアドニスが目を見張れば、細められた瞳が彼を見下ろしていた。
「何をじろじろ見てるんだ?」
「いや、器用だなと思って…………。」
「一人で生きてれば、嫌でもできるようになる。お前も、少しぐらいは身の回りの事を覚えていくようにした方が良いぞ。」
「解ってる……。」
「そう拗ねるな。王宮育ちで何でもできる方が、かえっておかしい。」
「別に、拗ねてなんかいない。」
心外なと言いたげにぼやくアドニスを見て、どうだかとイアソンは小さく笑った。意外に子供っぽい気質を残したままのアドニスが、イアソンには微笑ましく映る。大切に育てられてきたのだろうと解ると、何故か無性に喜ばしかった。アドニスがアドニスであるからこそ、彼は共にいてここまで落ち着けるのだろうから。
「だから、別に拗ねてなんかいないんだ。ただ、自分が本当に何もできない、子供みたいなモノだなと痛感してるだけで……。」
「気にするな。お前にできない事は、俺がそれなりに補ってやる。お前も、俺の苦手な所を補ってくれればいいさ。」
「………お前の苦手な所?」
「まぁ、しいていうなら子供相手は苦手だな。不必要に怯えさせてしまう傾向があるからな。」
「……それ、ただ単に目つきが悪いだけじゃないのか?」
「…………言ったな?」
「あ、う、……ごめん…………ッ!」
両手を顔の前で逢わせて謝るアドニスを見て、イアソンは苦笑した。そのまま、一口サイズに切った果実をアドニスの口に放り込む。優しい甘みが口に広がって、アドニスが自然と頬を綻ばせた。
「美味しいな。」
「それは良かったな。元気になったら、ちゃんと礼を言っておけ。」
「あぁ、そうする。」
おっとりと微笑むアドニスにつられるように、イアソンも口元に笑みを浮かべていた…………。
それはまだ全てが伝説になる前の、ささやかなる挿話……。
FIN




