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最愛の父との別れ

青來が葵の診察を終え、薬を処方して帰った後、

柚乃は、祖母の部屋で家族三人仲良く川の字で眠ることになりました。

そして、夢の中、彼女は遠い昔の過去を振り返る事に……。

 あれはまだ、私が十歳の時の事……。

 目の前に、感情を失ったかのように虚ろな目をした小さな男の子が、我が家の新しい一員となった。


『柚乃、今日からお前は、お姉ちゃんになるんだよ』


 僅か六歳……、小学校に入学する数か月前の事。葵は大好きなお父さんを交通事故で永遠に失ってしまったのだ……。

 それは……土砂降りの雨の日に起きた不慮の事故で、轢き逃げ犯はすぐに捕まったものの、葵のお父さんが生き返る事はなく、あの子は一夜にして大切な家族を……失った。

 元々、私のお父さんと葵のお父さんは昔からの親友同士で、私達家族とも葵は面識があり、よくうちで幼い葵を預かる事も多かった。

 葵のお父さんがお仕事の帰りに迎えに来る事がいつもの日常で、……その日の夜も、同じように、笑顔で幼い葵を迎えに来てくれると、思っていたのに……。

 

『お父さん……、まだかなぁ』


 私と一緒に絵本を読んでいた葵が、時計の針を見上げながら眠そうに欠伸を零したのと、自宅の電話がけたたましく鳴り響くのは同時だったように思う。

 最初は優しい声音で対応していたお母さんの声が……徐々に緊迫感を含み出し、信じられないというような響きを帯びた甲高い声が響き渡った。

 幼かった私と葵は、お母さんに連れられ、タクシーを呼んだ後、……病院に向かった。

 夜間用のドアを押し開け、病院独特の薬品めいた匂いに不安を抱きながら、早足で向ったその先で、お父さんが暗い顔をしながら手術室の前に座り込んでいた。


『……死ぬな、……死ぬな、継矢つぐやっ』


 呻くように何度も繰り返し呟いていたお父さんの肩は、何かに怯えているかのようだった。

 駆け寄ったお母さんに背中を擦られ、その時、『何』が起きていたのか……、お父さんは涙ながらに語ると、私と葵を招き寄せ、……手術室の向こうへと視線を定めた。

 葵のお父さんがお仕事の帰りに暴走車に跳ねられた事、その命を繋ぎ止める為に、病院の先生達が精一杯の努力をしてくれている事……。

 当時十歳だった私には、不安と共に把握出来た内容だったけれど、……まだ七歳にもなっていなかった葵にとっては、……。


『おとうさん……、おとう……さんっ』


 じわりと浮かび始めた不安の涙。葵は私の手を離すと、手術室とこちらを隔てる壁に、その小さな両手を叩き付けた。

 見ている私達の方が心を引き裂かれそうになる程に……小さな子供の泣き声が響き渡る。

 どんなに宥めようとしても、大丈夫だと励ましても……、葵は自分のお父さんが遠くに逝ってしまう事を……本能でわかっていたのだろう。

 手術室の大きな自動ドアが開き、飛び出して来た病院の人が、私達を中へと促し、葵のお父さんの所へ導いた。

 もう……手の施しようがない。最期のお別れを……葵に、と。

 視界が涙で滲むのを堪えながら、私は葵の手を強く握り締めて中へと走った。


『おとうさん!! おとうさぁ、んっ!!』

 

 私のお父さんの手に抱き上げられた葵が、台の上に乗っている自分のお父さんに、必死に声を届ける。

 薄らと開いた瞼……、最後の力を振り絞って、愛する我が子をその瞳に焼き付けようと、葵の姿を一身に見つめたおじさんの視線。

 

『あ……お、い。ごめん、な。……入学式、……一緒に、……行けなく、て』


『やだっ!! おとうさん!! しんじゃやだ!! いっしょにしょうがっこうにいくって、おいわいしてくれるって、いったじゃないかっ!!』


『はぁ……、葵、……おとうさんが、ごほっ、ごほっ、いなく、なって……も、ぜったい、に……、しあわ……せ、に、あ、……お、い』


 その優しい慈愛を宿した双眸が……、葵だけを見つめながら……永久の眠りの中に落ちていく。

 

『継矢!! お前、葵を置いていく気かよ!!

 まだこれからだろ!! 息子が成長していく姿を、いっぱい写真に収めるんだって、

 お前……、そう、……言った、だろうがっ!!』


『やだあああああっ!! おとうさんっ、おとうさんっ!!』


 葵の悲痛な叫び声に、病院の人達が顔を俯かせた。

 助けを求める命を救ってあげられない悔しさ……、旅立つ魂と、残された子供の悲しみ。

 鼓動が終わりを迎える音と、温もりが失われていく身体……。

 

『おとうさぁあああああああああああああああん!!』


 自分のお父さんが亡くなった事を受け入れられなかった葵は、私のお父さんの腕から飛び出しそうになるくらいに暴れて、ずっと……ずっと、愛するお父さんの事を叫び続けていた。

 葵は、お父さんと二人暮らしで、お母さんは葵を生んだ時に亡くなっていたし、頼れる親戚もなく、幼かった葵は……天涯孤独の身。

 私のお父さんは、大切な親友の忘れ形見である葵を、迷わずに引き取る事に決めた。

 自分達と家族になれば、普段から親しくしている間柄でもあったし、葵も施設に行くよりはきっと幸せになれるだろうと、そう考えての事だった。

 けれど、……私達と家族になった頃の葵は、お父さんが亡くなった悲しみを受け入れきれず、ずっと部屋の片隅でランドセルを抱え続けていた。

 葵のお父さんが買ってくれた……小学校に背負って行く新品のランドセル。

 一言も喋らず、最初は食事さえまともにとってくれなかった葵。

私のお父さんとお母さんも、どう慰めていいのかもわからず、暫くは見守る日々が続いた。

 

『おとう……さん』


 私の部屋で一緒に寝起きしていた葵は、眠っている時だけは涙を頬に伝わせ、大好きなお父さんの事を呼んでいた。

 私は葵の布団に潜り込むと、その小さな身体を抱き締め、葵の深い悲しみが少しでも和らぐようにと願いを込めて、一緒に涙を流した……。

 


 それから……、三か月が過ぎた頃、無理に自分達を本当の家族のように思い、振る舞う必要はない、前と変わらない親しいご近所さんとしての接し方で構わないと、お父さんが葵の傷ついた心を尊重し、私達も葵の傍に前と変わらず在り続けた結果、ようやく少しだけ……葵は元気を取り戻した。

 ほんの僅かな一歩、だけど、葵は自分のお父さんからプレゼントして貰ったランドセルを背に、小学校という新しい世界と、私達と本当の家族となっていく道を見据えて、歩き始めた。

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