ダルフィニー工房
軽やかな入り口の音を聞きながら『ダルフィニー工房』の扉を潜る。
クリーム色の床とダルフィニー工房の印である紋様の描かれた魔法陣。
それから、商品用の白い棚が幾つか並んでいる店内の奥、お会計をする為のカウンターの内側に、店主であるルシェノさんが椅子に腰をかけて本を読んでいるところだった。
「おや、お帰りなさ~い!! どうだった?」
二十代半ば程に見える彼は、陽気な笑顔と楽しそうな声音が人の好さを感じさせる。
ルシェノさんに、「ただいま戻りました」と返すと、彼は本を閉じ、カウンターの前にやって来た。
そして、私の手からジュエリーケースを受け取ると、そっと静かに蓋を開ける。
「うんうん、良い子達をお誘い出来たみたいだね~」
ジュエリーケースの中で眠っていた精霊さん達がふわりと外に飛び出し、ルシェノさんの周りを飛び回る。
少し、警戒心を抱いているようにも見えるけれど、ルシェノさんのふんわりとした優しい笑顔に、やがて自分達の方から、その背や頭の上に舞い降りていく。
ルシェノさんの左目には、特殊な片眼鏡が掛けられており、あれをしていると、素質のある人には、精霊さんの姿がくっきりと見えるのだ。
「初めまして、可愛いらしい精霊さん達。僕はルシェノ。このダルフィニー工房の主で、星麗石職人だよ」
『ユズノ様と、一緒……ですか?』
「あぁ。ユズノちゃんのお師匠様と言ったところかな。家に来てくれて有難うね。狭い所ではあるけれど、気に入ってくれると嬉しいなぁ」
デレ~……と、可愛らしい精霊さん達を前に相好を崩しているルシェノさんは、末期の精霊さんマニアだ。
精霊さんという存在を心から、いや、むしろ魂の底から愛しているらしく、幼い頃から星麗石職人となるべく、修行に明け暮れていたらしい。
せっかくの美形さんなのに、……とても他に人には見せられないデレ顔だ。
「ユズノちゃんは、僕の見込み通り、精霊達を見定める能力に優れた子だね~。弟子にして正解だったよ~。はぁ、この手触りがまた最高っ」
『ユ、ユズノ様~、助けてくださ~い!!』
「ルシェノさん、やめてください。精霊さんが思いっきり引いてますから!!」
初対面の相手に頬ずりまでされたせいで、薄桃色の精霊さんが涙目で私の方へと逃げてくる。
それを自分の腕の中に庇い、めっ!! と、ルシェノさんを睨む。
もう二人の精霊さん達もルシェノさんのテンションに付いていけず、私の肩の後ろに逃げ込んでいる。可哀想に。
「あはは、ごめんね~。新しい子を見ると、ついつい暴走しちゃって」
「悪気がないのはわかりますけど、もう少し穏やかにお願いしますね」
「は~い!」
ルシェノさんは反省しているのかいないのかわからない、というか、絶対に反省していない返事をして、外側の店扉に休店中のプレートをかけに行った。
「さてと、それじゃあ作業に行こうか」
「はい」
カウンターの奥から、工房の作業場へと移り、様々な原石が置かれた棚が並ぶ光景を目にする。
作業場の中をふんわりと飛び回っているのは、原石から起き出して来た精霊さん達だ。
普段は原石の中で眠っている事が多い子達だけれど、星麗石職人の暮らす家は心地が良いのか、度々目を覚ましては起き出して来るのだそうだ。
作業場の中には、ルシェノさんが作業をする為の専用の作業机があり、机の上には沢山のデザイン画が並んでいる。
全て、精霊さん達の宿る原石である星麗石を、どんな宝飾品にするかを思案して描き出したものばかりだ。
私もデザインだけはさせて貰えるけれど、まだ『形』にする作業をやらせて貰った事はない。
「ユズノちゃん、精霊達をこの『泉』の中に」
「はい。……皆、怖がらなくていいからね」
ルシェノさんが歩み寄ったのは、作業場の真ん中にある青色の薔薇が咲き誇るアーチの下……。
その中心に設えられている透明な水瓶。金色の装飾が入っており、中がよく見える仕様だ。
そして、その中心にはルシェノさんだけに与えられた専用の紋様が淡く光輝きながら浮いている。
この水瓶の中に原石を入れて、丸一日かけて『浄化』を行うのだ。
洞窟で眠っていた時に、余計な力の干渉を受けていたりすると、後で困った事になってしまうとかで、まぁ、簡単には言えば、精霊さん達の汚れを落とす作業の一環らしい。
ちなみに、ルシェノさん達、星麗石職人は、この水瓶の事を『泉』と呼んでいる。
私は傍へと歩み寄り、ルシェノさんからジュエリーケースを受け取った。
蓋を開け、そっと星麗石を指先で摘まむと、「大丈夫だよ。少し綺麗にするだけだからね」と声をかけて、『泉』の中に落とす。
最初に入れた水色の星麗石は、淡く発光し始めながら沈んでいく。
他の二つにも優しく声をかけて、同じように落とす。
「うん、これで一日待てば、綺麗になるだろうね」
「そうですね」
「じゃあ、今日はまた、デザイン画の練習と、星麗石に纏わる僕の話を聞いて貰おうかな」
「はい、お願いします」
ルシェノさんの後に続き、またお店の方へと戻った私は、すぐにお茶の準備を始めた。
いつも星麗石職人に纏わる勉強をする時は、いつお客さんが来てもいいように、お店のカウンターの中でお茶をしながら学ぶのだ。
星麗石職人としての心構えや、彼らが辿って来た長い歴史、星麗石が持つ『特別な力』のこと、知らなくてはいけない事が沢山あるから。
――……。
「……とまぁ、このように、昔は星麗石職人という人々は、数多く存在していたのだけど、時の流れと共に、『精霊を見る』事の出来る者は激減し、今では非常に稀な立場の者となってしまっているというのは、もう何度も話したよね。何故、その存在が目に見えて減ってしまったのか、精霊の存在が捉え難くなってしまったのかは、まだまだ謎が多くてね……。僕達、星麗石職人は万年後継者不足、というわけなんだよ」
「だから、私はルシェノさんの後継者候補として見習いをやっているというわけなんですよね」
「そうそう。見える子がいなさすぎてね~。才能や素質がある子がいても、皆、魔術師の方に進んじゃったり何だりで、僕にとって君は、まさに女神様のような存在というわけだよ~」
「そんな大げさな……。でも、私も石は好きですから、丁度良かったんですけどね」
向こうの世界である日本にいた頃から、天然石や原石に関しては興味があったし、幾つかブレスレットやアクセサリーの類も持っている。
そんな私が、まさか異世界の地で、それと直結した職業の道に進む事になろうとは、日本にいた頃は想像もしていなかった。
異世界に来て二週間ほどが経った頃、町でルシェノさんと出会った事が縁で、彼の腕に嵌っていた星麗石に宿る精霊さんが見えた事がきっかけとなり、星麗石職人を目指してみないかと、熱烈な提案を受けたあの日。
色々悩んでみたものの、思い切ってやってみたらいいんじゃないかという葵の後押しを受け、私はその道に飛び込んでみたのだ。
「ユズノちゃんは、しっかりはっきり見えちゃうようだしね」
「確か、ルシェノさんは、その片眼鏡をしていないと、はっきりは見えないんですよね?」
「そうそう。本当は見られるものなら、しっかりくっきり生身の目で全部見まくりたいんだけど、僕の場合、上級ランクの星麗石が相手となると、その姿を正確に捉える事が難しくなってくるからね……」
上級星麗石となると、その姿は朧気となり、専用の片眼鏡がなくては、はっきりと見定める事が出来ないのだと、ルシェノさんは前と同じように語ってくれた。
だけど、私は……、片眼鏡が無くても、初級、中級、上級の星麗石が全て生身の目でしっかりと見る事が出来るのだ。
何故だかは……自分でも全然わからないのだけど、ルシェノさんと出会った日の夜に、自分の左腕に着けていたブレスレットを覗き込んだら、……いたのよね。可愛らしい男の子の精霊さんが。
あちら側では見る事が出来なかったのに、何故突然変異の如く特殊能力が付いてしまったのか……。
(深く考えても仕方がないし、見えても害がないなら……まぁ、いいわよね)
葵にもそう言われたし、お祖母ちゃんにも「授かりもんは大切にしなさい」と、気にしないように微笑まれてしまったし、今の所、深くは考えないでいる。
「星麗石職人は、見る事以外にも、稀な力を持っているからね。星麗石と『対話』し、宝飾品や色々な物に加工、創作が出来る……」
「その為にも、まず必要な物が星麗石で、次に『デザイン画』ですよね」
「正解。僕達は全ての作業を自分一人でやらなくてはならない。どうすれば星麗石をより輝かす事の出来るデザインを生み出せるか……。まぁ、絵心のない星麗石職人は、補助役として『装飾画職人』の手を借りる事もあるけれど、大抵は全部一人でやるのが当たり前だね」
けれど、たとえ絵心があっても、デザインの中にこの世界独自の紋様や、精霊達が好む色合いやラインも取り入れなくちゃならなくて、結構色々難しかったりするのよね。
「変なデザインにでもしちゃった日には、精霊達が本気で怒っちゃうからね~……。繊細で気を遣う作業のひとつなんだよ、はぁ……」
自分で良いと思っても、それに使用する星麗石に気に入って貰えなければ、全て水の泡。
駄目出しを受けて、何度もやり直す事も、余程経験を積んでいない限り、良くある事らしい。
過去に経験済みのルシェノさんのしみじみとした溜息は、非常にリアリティのあるものだった。
……と、二人で星麗石職人の切ないお仕事事情を話していると、店への入店を知らせるベルが軽やかに鳴った。
☆ルシェノ
ダルフィニー工房の店主で、上級の星麗石職人。
幼い頃から精霊が大好きで、素質もありその道を選んだ。
陽気で楽しそうな雰囲気の二十七歳のお兄さん。
後継者候補として、柚乃を星麗石職人見習いとして見出した。
精霊を前にすると、ただのデレ変態な人にしか見えなくなる事が、たまにキズ。