お食事処にて
「それにしても、ユズノの熱心さには、毎度驚かされるね。アオイ、愛する義姉君の寵愛は『石』に取られているようだよ」
慣れた手つきで上品にステーキのお肉を切り分けて、綺麗な王子様顔をした中身真っ黒けっけの勇者様ことレイジェスティさんは爽やかな物言いと共にそれを頬張った。
この人の場合、嫌味な感じは全くしないから、毒を吐いても下品や粗野には見えない。
だけど、確実にいじりにかかってきてるなというのは、よくわかっている。
爽やかな物言いだけれど、……感じる精神的圧迫感が半端ないから。
「まぁ、柚姉の場合……、見習い期間の今が大事な時期とも言えるしな」
氷の踊っている水色の炭酸ジュース的な飲み物のグラスに口を付けながら、諦めの境地にも似た声音で呟いたのは、私の隣に座っている葵だ。
私が約束をド忘れしたせいで、二時間も待ちぼうけさせられた挙句、王都から三十分ほど離れた距離にある洞窟にまで迎えに来てくれた義弟は、自分の分の料理がまだ来ない事にそろそろ限界を感じているようだった。
可哀想なほど、ぐ~ぐ~と鳴っている葵のお腹の欠伸の音。
「ごめんね、葵……。次からは絶対に忘れないから、機嫌直してくれないかしら」
「別にもう気にしてない。……だけど、次からはもう待ち合わせはしない」
「おや、ついに過保護卒業かな?」
グラスを白いテーブルクロスの敷かれたテーブルの上に置きながら不機嫌そうに言った葵に、またレイジェスティさんの余計な茶々が入った。
「次からは、俺が柚姉を迎えに行く。そうすれば待ちぼうけをする事もないだろ」
「葵、それは……過保護さが上がっているとしか思えないのだけど?」
「そうしないと、いつまで経っても来ないだろうが! 俺の時間と、心配で擦りきれてく精神状態を考えたら、迎えに行く方が絶対にいい!!」
「やれやれ、やっぱり過保護は変わらないんだね。……むしろ、レベルアップしているし」
「はぁ……」
成人した身でありながら、義弟にここまで心配されて呆れられる私って一体……。
そこまで抜けている性格ではないと思うのだけど……、まぁ、仕方ないのかもしれない。
葵は三年もの間、この『異世界フェルクローリア』で生活した経験者だし、私の方はまだこの世界に身をおいてから、三ヶ月ほどしか経ってはいない。まさに異世界初心者だ。
幸いな事に、言葉は通じるから会話には困らない。だけど、……文字とか生活とか、色々覚える事が多くて、まだまだ不安要素満載の身である事には変わりない。
だからこそ、葵は私の事が心配で堪らないのだろう。私が逆の立場でもきっと心配になってしまうはずだものね。
「大丈夫よ、葵。次からはちゃんと考えて、忘れないように努力を」
「忘れる事前提で努力とか言ってる柚姉だから、迎えに行くんだよ」
「うっ……」
そ、それは……。
この異世界で暮らすようになってから、色々な事を覚えたり、『星麗石職人見習い』になったり、慌ただしく変化していく環境のせいで心に余裕が持ち難くなったからか……。
注意力が散漫になっていたり、物事をすぽんと忘れている事も時々……。
葵からじろりと視線だけで眼鏡越しに咎める眼差しを送られた私は、絶対に次は忘れない、という約束は……胸を張って出来ない、気がする。
特に、『精霊の宿る原石』が眠る星麗洞窟に入ると、幻想的な淡い光のダンスと、精霊達が息づいている事がよくわかる独特の心地良い気配に惹き付けられて……気が付けば数時間経っている事は一度や二度ではない。
私が見習いとしてお世話になっている『ダルフィニー工房』の主であるルシェノさんからは、「慣れればその内、浸り過ぎないようになるよ」とは言われているのだけど……。
見習いで異世界初心者の私には、まだまだ時間がかかるようだ。
「ご注文の、ファンダリオンのローストお待たせしました~」
「あ、葵っ、そんな事よりも、お待ちかねの昼食が来たわよ!! すみません、こっちの子にお願いします!!」
「かしこまりました~」
私の隣、奥の窓側に面した席に座っている葵の目の前に、ウェイトレスさんが大皿に載った、熱々の肉汁の匂いが漂ってくる美味しそうな肉料理を置いた。
だけど、葵はそれには目もくれず、ずずいっと私の顔の前に迫って来る。
「次からは、『絶対』に、俺が迎えに行くから、……逃げずに待ってろよ?」
「は、……はいぃっ」
「アオイは頑固だからね。観念して、迎えに来て貰うといいよ。あ、ついでに私も仲良しの印として、一緒に迎えに」
「貴方は来なくてもいいです、勇者様!!」
「どうしてそんな悲しい事を……。私は君に何かしたかな?」
「してますよね!? 毎日、顔を合わせる度に、私をいじりまくってますよね!?」
「だって、面白いからね」
「この腹黒勇者様!!」
「褒め言葉を有難う」
目の前の席で、両肘をテーブルに着き、その両手で自分の頬に手を添えたレイジェスティさんが、悪気も見せずに、にっこりと爽やかに微笑む。
やっぱり苦手だわっ、こういう風に底の読めない腹黒一直線、ううん、捻くれ曲がった性格をしてそうな男の人はっ!!
「はぁ……、レイジェスティさんの相手をしてると、本当に気疲れするんですけど」
「私は楽しいよ? 反応の良い小リスを相手にしているようで」
「どんな例え方ですか……っ」
「レイジェスティ、いつも言ってるが、あんまり柚姉で遊ぶな。……ってか、俺がお前のいじりに耐えられてるからって、柚姉までメンタル頑丈ってわけじゃないんだぞ?」
グサッと、お行儀悪くフォークをこんがりお肉の真上に突き刺した葵が、洞窟でしたのと同じようにギロリとレイジェスティさんを睨み付けた。
そう言えば、この異世界に滞在していた時に葵は、レイジェスティさんに散々いじられ倒して好き放題に使われたって、前に教えてくれたわね、確か……。
余程からかい甲斐があったのだろう。義弟をお気に召してしまった勇者様は、その義姉である私にも、その可能性を見出しているようだ。……大迷惑です!!
「ユズノは十分頑丈な精神力を持っていると思うよ? 見知らぬ世界に『引っ越し』て来て、周りは面識のない者ばかり……。言葉自体は通じるから会話には困らないけれど、文字や生活習慣、覚える事は多いし、勇者である私の力となってくれたアオイの義姉である事も含め、王宮の者達からも注目されている。……色々と気苦労も多いはずだよ」
「じゃあ、せめて柚姉に気を遣ったらどうなんだ? 主に柚姉の精神を疲弊させてんのはお前だろ、レイジェスティ」
「私は友好的に接しているだけだよ? ユズノは毎日頑張っているし、私の目から見ても根性がある。だけど、肩に力を入れっぱなしでは、いつか限界が来てしまうからね。そうならないように、私が息抜きをさせてあげているわけだよ」
「普通に気を遣え、ふ・つ・う・に!!」
はは……。一応、思った通り、レイジェスティさんの毒に悪気はない、と。
まぁ、悪気がなければいいってものではないのだけど……。
確かに、この異世界フェルクローリアに引っ越して来てから、周りは日本人以外ばかりだし、新しい生活や周囲の環境に馴染めるように気を遣う事も多い。
その上、この世界の人々にとって勇者様であるレイジェスティさんと過去に旅を共にした事のある義弟の葵は、称賛の的でもあった。
世界を混沌に陥れた『魔王』を長旅の末に打ち倒した勇者一行の一人。
所謂、英雄扱いをされてしまった葵からすれば、「早く家に帰りたかったから」頑張っただけであったらしいのだけど、世界を救った事には変わりない。
だから、私が葵と、それから、一緒に引っ越してきた『お祖母ちゃん』と、飼い犬の桃虎と桃鷹と一緒に住んでいるレリスティア王国の王宮内では、好奇の目やら複雑な思惑のある視線やらに晒される事も多々あると言ってもいい。
勇者様の信頼厚い人物の義姉、……私にはかなり荷が重い立場にも感じられるものだった。
けれど、それはまぁ最初の頃だけで、今では『星麗石職人見習い』になったお蔭か、この世界で暮らして行く為の自分の生き甲斐みたいな目的も出来たので、結構肝が据わった気がする今日この頃だったりする。
「はむ……。ん、美味しい!」
私がスプーンで掬って食べているのは、とろりとした半熟仕様で焼かれた卵の皮にくるんと巻かれた、大きなオムライス。
すっとスプーンを差し入れると、仄かに甘い匂いが鼻を擽り、ひと口食べれば……まさに天国。
最初は、西洋的な異世界じゃ、お米は無理なのかしら……と、お祖母ちゃんと一緒に落ち込んだものだったけれど、この世界の食べ物事情は、かなり凄かったりする。
レタス的な色合いと形の大きな球体をした見た目野菜の中から、畑で開花の時を迎えると、お米がどっさり出てくるらしく、開花直前のギリギリの所で収穫し、専用の開花場に持って行ってから、完全な開花の時を待つらしい。
開花したレタスもどきの中からお米を収穫し、農作物調整用の泉に持って行って、販売が可能になるように色々整えていくのだとか。
ちなみに、この世界でのお米の呼び名は『チャム』。
色合いも日本のお米とは少しだけ違って、クリーム色に近い感じだったりする。
味も、元から微かな甘味と香りを含んでいるから、完全にお米と同じわけじゃない。
でも、やっぱり近いような存在だから、私とお祖母ちゃんには十分だった。
「ご馳走様でした!」
「ご馳走様でした」
「ご馳走様」
私と葵は日本で育ったせいか、いつも食事の始まりと終わりには両手を合わせて締めくくるようにしている。
レイジェスティさんも、レリスティア王国の祈りの形に両手を組んで、短く言葉を空になったお皿に向けている。
「さてと、じゃあ私はそろそろ行くわね。早くお師匠様の所に行かないと」
一応、桃虎に手紙を届けて貰っているから、食事の後に戻る事は把握してくれているだろうけれど、出来れば日が暮れる前に作業を終わらせないと。
席を立った私が代金表を手に取ろうとすると、レイジェスティさんがそれを横から奪ってしまう。
「レイジェスティさん……、自分の分は自分で払います」
「女性に払わせるのは、私の信条に反するからね。大人しくご馳走させて貰えると嬉しいな?」
……私の心情的には、自分の分は自分で、がルールなのだけど。
流石西洋的な仕様の異世界と言うべきか。レイジェスティさんの場合は、物言いや私への接し方に色々難はあれど、女性に対するフェミニストな紳士精神は絶対的なものだったりする。
だから、一緒に食事をする時は、絶対にレイジェスティさんが支払いを譲ってくれた試しがない。
それをわかっているから、今日こそは自分の分は自分で!! と、代金表を奪いに行ったというのに……うぐぐ、鮮やかに奪取されてしまった。
「レイジェスティさん、この世界の女性に対してはそれが礼儀なんでしょうけど、私は別世界のルールで育ってますし、自分の支払いは自分で……」
「この世界に住むのなら、レリスティア王国のルールに従うべきだと思うよ?」
にっこり……。
根っからの紳士精神が凄すぎて……、というか、笑顔が有無を言わさぬ迫力付加で、もうご遠慮しますとは言えない。
私は観念して項垂れると、「ご馳走になります」と、レイジェスティさんに頭を下げた。
というか、レイジェスティさん……。別にそれ、レリスティア王国のルールじゃないでしょう?
ただ、男性的に、それが当たり前の精神となっているというか……。
(やめておこう……。反論しても、勝てる気がしないもの)
それに、どうせ奢って貰えるのなら、今度別の形でお返しが出来る様に何か考えておこう。
星麗石付きのペンとか作ってみようかしら……。
頭の中でデザインを考えていると、隣に座っていた葵も立ち上がる気配がした。
「柚姉、俺は祖母ちゃんの様子を見に行くけど、ちゃんと日が暮れる前に戻って来るんだぞ? 変な奴に付いて行くなよ?」
「葵、幾ら何でも成人済みの義姉に言う言葉じゃないと思うのだけど?」
「成人済みでも、うっかり癖と無防備が服着て歩いているような義姉には必要な言葉だろ」
ぐいっと硬い指先で額をグリグリと押され、私は心当たりがあるだけに反論できず、自分より背の高い義弟にされるがままだ。
そして、私達の様子を楽しそうに見ているレイジェスティさんからの視線が辛い。
「君達は本当に、義姉弟というよりは、義兄妹のようにしか見えないね」
「レイジェスティさん、紳士でありたいなら、窓の外にでも視線を避難させてくれませんか?」
「楽しいから、もっと見ていたいな」
即却下なのね……。って、あぁ、今度は葵が私の頭をくしゃくしゃと撫でているし、左手は私の頬のお肉を引っ張っているし、珍妙な見世物にしかなっていない。
暫くの間そうされっぱなしでいた私は、結局レイジェスティさんに食事をご馳走して貰い、今度こそ『ダルフィニー工房』への帰路を急いだのだった。
過去回想=異世界に至るまでのお話については、もう少し先で回想が始まります。
次話では、柚乃がお世話になっている『ダルフィニー工房』でのお話となります。