表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
87/123

朧月(二)

     2


 朧月はヒトが嫌いだ。

 ヒトの記憶を喰う鬼である朧月にとって、ヒトなど単なる餌に過ぎない。けれどもヒトが朧月に向けてくる憎しみは、彼奴らが朧月を鬼と知ってのことではない。

「なんと気味の悪い」

 朧月の燃えるような山吹色の髪を指差し、ヒトは怖れと嘲りにその口許を歪める。彼奴らは異形の者と見れば、隠しようの無い嫌悪の色を眼に浮かべて鬼と罵るのだ。嫌悪は憎悪となり、憎しみと悪意が全てを壊す。ヒトという種の排他的な愚かさが、朧月はどうにも好きになれなかった。

 そんな朧月がその少女に出逢ったのは、あれは一体幾百年昔のことであったか。



 初めは道端に襤褸が落ちているのかと思った。鼻に皺を寄せ、妙な異臭を放つそれを避けて通ろうとした時だった。襤褸がピクリと動き、汚れた小さな手が朧月の足を掴んだ。

「……きれいな髪だの」

 茫々と伸び、蔦の如く絡まり合い、元の色も分からぬような髪の隙間から、猫のように光る眼が覗いていた。襤褸かと思ったモノが生きたヒトの子であったことや、そしてそれに足を掴まれたことよりも、それが持つ瞳の色に驚いた。とてもヒトの子のモノとは思えぬ瞳の色に吸い寄せられるかのように、ついと手を伸ばして脂じみた髪を掻き上げる。陽の下に晒されて僅かに細められた瞳の中で、銀色の炎がチラチラと躍った。

 少女の眼に燃える銀の炎は美しく、けれどもその炎には生き物の温かみはなく、唯、冴え冴えと凍える月の光に似た冷たさだけがあった。思わず我を忘れ、まじまじと少女の眼に見入った。

 銀の眼を持つヒトには近づいてはいけないよ、という知合いのモノの教えが不意に脳裏を過った。鬼は銀の眼を持つヒトには近づいてはならない。なぜならそれは――

 ぴしり、と石礫が朧月の腕を打った。我に返って振り返れば、鉈やら棍やらを手にした村人達が、何やら喚きながら駆け寄ってくる。一瞬鬼である自分の正体を知って追ってきたのかと思ったが、直ぐに彼奴等の狙いが目の前の少女であることに気が付いた。朧月の陰に身を竦ませた少女が怯えと悲しみに細い肩を震わせ、込み上げる嘲りに口元を歪め、そして何よりも激しい怒りと憎しみに銀色の炎をゆらゆらと燃え立たせる。

 一体何事なのかと聞く間も無かった。投げられた礫にこめかみを打たれ、少女の躰がぐらりと傾いた瞬間、思わず腕を伸ばしてその身を抱きとめた。何故ヒトの子なんぞに向かって手を差し伸べようなどと思ったのか。朧月には今でもあの時の己が解せない。しかし敢えて言うならば、銀の眼の魔に魅入られたとしか言いようが無い。

 少女を腕に抱きとめた朧月が一瞬迷うかのように村人達を振り返り、そして忽然とその前から姿を消した。


     ❀


月虹(げっこう)の眼は綺麗だな」

 朧月がしみじみと呟くのを聞くと、齢千年はくだらぬ鬼はいつも銀色の眼を三日月のように細めて微笑む。背中に流れる真珠色の髪が宵闇に仄かに薫る。月虹が笑えば、月にかかった虹がちらちらと淡く揺らめく。月の名を持つ鬼の中でも、月虹ほど美しいモノはいないと朧月は常々思っている。

 金に翡翠、藤色に青藍、そして猩々緋。鬼の眼の色合いは様々だ。けれども銀色の眼を持つモノは滅多にいない。朧月の知っているモノの中では月虹だけだ。月虹の眼の色は、冬の月の光に似ていると朧月は思う。月に吹く風は、月虹の眼のように冷たく澄んでいるのだろう。

「ヒトにも銀の眼を持つ者がいるよ」

「本当か?!」

 驚いて声を高めた朧月に向かって、煙管を手にした月虹が優雅に頷く。

「まぁ滅多にいないけれどね。僕ですら実際に出会ったのは一度だけだよ」

 ヒト如きが月虹と同じ眼の色を持つことに何やらむっとして口を尖らせた朧月を見て、月虹がクスクスと笑った。

「ヒトなんて唯の餌に過ぎない。ヒトを必要以上に好くことにも憎むことにも、意味なんて無いんだよ」

「そうだけど……それでも俺はヒトが嫌いだ。奴らの記憶を喰い、奴らを知れば知るほど嫌いになる」

 異形の朧月に奇異の眼を向け、その髪の色を嘲笑い、しかしその正体を知った途端に年老いた母親を捨てて逃げ出した若者を思い出し、朧月が眉間に皺を寄せた。腹一杯で喰う気すらなかった朧月に向かって、赤児を差し出し命乞いした若い女の醜さ――

「自分の子ではなかったのかも知れないよ?」

 細く優雅な煙管を指先で弄びつつ、月虹が愉しげに笑う。この美しい鬼にとって、ヒトの所業など心を煩わせる一片の価値すら無いのだろう。自分もあと千年も生きれば、そのように思う日が来るのだろうか。

「……まぁ、でも、銀の眼を持つヒトってのは見てみたいな」

 朧月がそう言った途端、煙管を吸う手を止めた月虹が眼を細めるようにして朧月を見た。

「……鬼は、銀の眼を持つヒトに近づいてはいけないよ」

 笑みの消えた銀色の眼は、氷のように無機質で冷たい。

「鬼は銀の眼を持つヒトに近づいてはならない。なぜならそれは――」

 

     ❀


 足元に蹲っていた襤褸の塊がぴくりと動いた。真夜中、山中の洞穴で眼を覚ました少女が、ぼんやりとした顔で辺りを見回す。焦点の合わない眠たげな銀の眼は、春の夜に霞む朧月に似ていた。

 弱ったヒトの肉を狙って闇から這い出てきた小鬼達を、感情の無い眼がゆっくりと追う。しかし自分を見下ろす朧月に気付いた途端、霞が晴れるように少女の眼に銀色の炎が戻ってきた。

「山吹の」

 ぴんと立てた指を真っ向から朧月に突きつけ、少女が口を開いた。

「おまえは鬼か」

「……安心しろ。お前を喰う気はない」

「そうか」

 過去の記憶と言えるものの少ないヒトの子は、朧月の餌としては物足りない。つまらなそうに肩を竦めて眼を逸らした朧月を見て、不意に少女が肩を震わせるようにしてクツクツと笑った。

「ナズナもおまえは喰わぬ。おまえはナズナには大きすぎるでの」

 朧月がその言葉の意味を理解するよりも一瞬早く、少女が足元に忍び寄る小鬼を掴み、その首を喰い千切った。ビクビクと魚のように震える小鬼の骸から滴る血を喉を鳴らして飲み干すと、赤く染まった唇をニィッと歪めて少女が笑った。

「……今はまだ、大きすぎるでの」


 それが、朧月と鬼喰いの少女の出逢いであった。



(To be continued)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ