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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
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朧月(一)

 この世にはわすれぬ春の面影よ おぼろ月夜の花のひかりに (式子内親王)


     プロローグ


 山吹の、と彼女は俺を呼んだ。

 俺の名は山吹ではないと幾度言っても、彼女はころころと鈴を転がすような声で笑うばかりで、俺の言葉など気にも留めない。そして血に染まった唇をゆっくりと味わうように舐めながら、銀の炎をその眼に閃かす。

 山吹の、と彼女は俺に訊ねた。お前はこの身を喰いたいか、と。

 けれども俺の花が彼女を喰う前に、紅蓮の炎が彼女を喰った。


 銀の炎を喰ったあの紅蓮の炎を、あの容赦無い灼熱を、俺は決して許しはしない。



      1


 月の光も届かぬ深山で獲物を追い、樹から樹へ飛び移る。

 いつも肩に座っている狐とは疾うに(はぐ)れた。しかし心配は要らない。狐だって莫迦ではない。何処かで先回りして俺を待っているのだろう。今は目の前の獲物だけに集中すればいい。

 鋭く尖った枝が鞭のようにしなり、ぴしりと頬を打つ。ぬるりと流れる温かな血を拭いもせず、目前に迫った獲物の背へ手を伸ばす。

 これがトドメと枝を大きく蹴った刹那、暗い木立の中に突如現れた歪んだ空間とそこに溢れる光に目が眩んだ。なんとか躰の均衡を保ち、地に降り立った足元で何かが割れる激しい音が響く。

 煌々と差す月の光と足を濡らす甘い酒の匂いに、己が罠に嵌められた事を一瞬にして悟った。



 金に翡翠、藤色に青藍、そして猩々緋。闇に光る無数の視線が肌にぴりぴりと痛い。狩りの昂りと狙っていた獲物を逃した無念、そして嵌められた事に対する苛立ちに、胸の内に破壊衝動に似た何かが湧き起こる。

 月の光が明る過ぎるからに違いない、と心の中で呟く。冴え冴えと闇を照らす銀色の光は、俺の中の虚無を目覚めさせ、俺を狂わせる。何かを壊したい。全てを壊したい。荒れ狂う熱を両手に握り締め、己を睨むモノ達を睨み返す。

 ……ここにいるモノを皆殺しに出来ない訳ではない。しかし一目で何処ぞの名のある(ヌシ)と分かるようなモノも混じっている。地を鎮守するモノを殺せば、風が乱れ、空に歪みが生じる。歪みは鬼を呼び、人心を荒らす。それでは本末転倒だ。そもそも非は此方にある。

 獲物を追うのを諦め、小さく溜息と吐くと、煉が肩の力を抜いて一歩後ろに下がった。

「……ごめん。俺が悪かった」

「謝って済む事ではない」

 白蛇の化身であろうか。月の光に艶めく鱗の奥で、紅い眼が煉を冷たく突き放す。

「わかってるよ。いつか必ずこの償いはするから、ここは俺の借りって事で見逃してくれない?」

「我等の年に一度の宴を()ち壊しおってからに、見逃せとは手前勝手なことよの」

「だから償いはするって言ってるじゃん」

「償いだと? ヒト風情が笑わせる」

「ヒトの約束ほど当てにならぬモノはない」

 そうだそうだ、全くだ、と怒りに満ちた賛同の声が其処彼処に上がる。

「そんなこと言ったってさぁ、俺って金目の物とか持ってないし。あ、でも神社の宝刀とかさ、なんか欲しい物を言ってくれたら、盗ってくるくらいはできるけど」

「馬鹿にするのもいい加減にしろ」

 金色の眼を光らせた鵺が鞭のようにしなる尾を地に叩きつけ、吐き捨てるように言った。

「穢れた陰陽師如きが、貴様に出来ることで我らに出来ぬことなどひとつとしてない」

 そうだそうだ、と激昂した鬼達が煉に詰め寄ろうとした時だった。

「それはただの陰陽師ではない」

 鬼達の背後から静かな声が響いた。弓月さまだ、弓月さまだ、と鬼達が囁きを交わし、慌てて道を開ける。

「……煉」

 濃藍に銀糸を織り込んだ華やかな着物が良く似合う。白い項に弓張月の墨を入れた鬼が、煉を見てゆっくりと口角を上げた。

「煉だと? 人魚殺しの死に損ないか。噂には聞いていたが、こうして見るとなかなか旨そうじゃねぇか」

 弓月を押しのけるようにして大柄な鬼が顔を出す。

「およしよ、十六夜。相変わらず意地汚い。煉なんざ喰ったら腹を壊すよ。そもそもあんた、猫舌だろう?」

 切れ長の目元に三日月の墨を入れた粋な鬼が顔を顰めた。

「ほんと、若月の姐さんの言う通り、舐めたらベロをヤケドしそうだね。隠していても、腹の底で岩礁みたいにどろどろした怒りが渦巻いてるのがわかるよ」

 十五夜の月のように丸い眼をした小鬼がケタケタと笑う。

「ごらんよ、あの顔。煉って怒りん坊なんだね。でもそれなら弓月も負けてないよ。弓月を怒らせると、百年かけてネチネチ仕返しされるからね」

「煉」

 小鬼に構わず、弓月が煉に一歩近づいた。

「月見の宴を穢した償い、その身で払って貰おうか」

「え〜、俺って可愛いから高くで売れるだろうけど、残念ながら身売りする趣味はないんだよね」

 見るからに面倒そうな鬼の相手をする気は無い。この場を丸く収めることが出来ないのなら、さっさと逃げるしかないだろう。ふざけた調子で肩を竦めてみせつつ、鬼達の隙を窺う。

「その眼玉」

 藍色に染められた鋭い爪が煉の眼を指した。

「お前のその闇を映す眼玉ひとつを代償としよう。眼玉ひとつ失くしたとて、お前ならば死ぬこともあるまい」

「やだね」

 煉が素気無く首を横に振った。

「死ななくったって、俺って丸ごと失くした臓器は再生出来ないの。トカゲの尻尾じゃないんだからさ」

「そうか。それは残念だ」

 さして残念そうでも無く、弓月が肩を竦めて踵を返した。

「では先に捕らえたカケラだけで良しとしよう。カケラと言えど、砕いて煎じれば、焰狐は死病をも癒す妙薬になる」

 静かな笑みを口許に浮かべ、弓月が袂から光る珠を取り出した。

 月の光に淡く揺らめく珠に囚われた金色の影を見た瞬間、ぐちゃり、と煉が指を左瞼に突っ込んだ。焰が何か叫ぶのが聞こえたが、そのまま一息に眼玉を抉り出し、指先に絡まるつるりとした白い糸のようなモノを引き千切る。幾千もの鋭い針が脳裏に突き刺さるような衝撃と気が遠くなるような激痛の中、吐き気を堪えて自分を囲むモノ達を睨んだ。

「……俺はあんた達を皆殺しに出来る。でもやらない。俺があんた達を殺さないことは、あんた達に対する俺なりの謝罪だと思ってくれて構わない。だから……」

 煉が手に掴んだ眼玉を月明かりに翳した。

「だから俺の眼は焰と交換だ。それが嫌なら眼玉はやらないし、焰に指一本触れるなら、ここにいる全員を殺す。一匹たりとも逃がしはしない」

「……いいだろう」

 弓月が満足気に頷き、投げられた闇色の眼玉を手に受けた。



(To be continued)

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