表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
69/123

濡れ鼠(中編)

     3


「も~、話が終わるまで出てきちゃダメだって言ったじゃん」

 気がつくと、徹は床に寝かせられ、瞼の上に濡れたタオルが置いてあった。どうやら昨日に続き二度目の失神をしたらしい。霞がかかったように頭がぼんやりして、前後の記憶があやふやだ。少し吐き気もする。俺に一体何が起こったのだろう。何と無く思い出したくない気がするのは何故か。

「ちゃんと隠れて待ってろって言ったのに」

 この声は誰だっけ? 目を瞑ったまま少し考え、数秒後に思い出す。ああ、そうだ、確か煉とかいう少年だ。夜中にいきなりやって来て、鎖樋がどうたらこうたらと言い出したんだっけ。

「昨日だって大勢で囲んで驚かしちゃったんでしょ? キミ達のことが視えるヒトってのは少ないけど、でも視えたら普通は驚くってことくらい分かるでしょ?」

 ……この煉って少年は一体誰と話しているんだろう。そっと瞼の上のタオルをずらして少年の様子を窺う。

「おまけに酒まで勝手に飲んじゃってさぁ」

 ぶつぶつと文句を言う少年の足元に、白く大きな鼠が座って項垂れている。鼠が上目遣いでチチチ、と鳴くと、煉が素気なく首を振った。

「だめだめ、言い訳は聞かないよ」

 鼠の隣で毛繕いをしていた小柄な狐が、ククク、と肩を震わせて笑った。

「ま、そんなに目くじらを立てるな。こいつらだって鎖樋を奪われて憂さ晴らしが必要なのさ。母屋のニンゲンだってトオルが酔っ払って幻覚を見たと思ってるんだ、丁度良かったじゃないか」

「全然良くないよ、まったくもう」

 ズキズキと頭が痛む。これは幻聴付き幻覚か。気絶して倒れた時の打ち所が悪かったのか。それとも自覚していないだけで、自分は俊介が言うように本当にアル中なのか。

 徹が頭を振りながらゆっくりと身体を起こすと、振り向いた煉が慌てて駆け寄ってきた。

「あ、大丈夫? 気分はどう? あの、無理しないで横になっててよ」

 酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせながら鼠と狐を指差す徹を見て、煉が気不味そうに顔をしかめた。

「あ、もしかして聞いてた?」


     ❀


「――つまりこの鼠は、濡れ鼠っていう物の怪の一種ってこと?」

 少年の説明を聞き終えた徹がバリバリと髪を掻き毟った。でっぷりと腹の出た白い鼠が紅く光る眼でチラリと徹を見上げる。コレが物の怪? 確かに太り具合は凄まじいものがあるが、しかしそれ以外はただのドブネズミにしかみえない。

「コレが本当に物の怪なの? このドブネズミが?」

 煉の隣で肩をすぼめて小さくなっていた濡れ鼠が不意にキッと徹を睨みあげた。

「……あの、なんかすごい睨まれてるんですけど」

「こいつら、ドブネズミって呼ばれるのをやけに嫌うんだよ。まぁドブに棲んでるわけじゃないからね。普段は地下に棲んでて、あんまり目に付かないんだ。こーゆーのが視えるヒトってのもそんなにいないし」

「でも俺、別に霊感とかある方じゃないんだけど。幽霊とか見たこと無いしさ」

「あぁ、なんかね、そんなに霊感が強くなくても、偶然波長が合うと視えちゃったりすることがあるんだよね」

 ……何が悲しくてドブネズミの大群なんぞと波長が合ったりするのだ。どうせなら可愛い女の子の座敷童子とかが良かった。あ、でも物の怪とは言え、女の子に常に観られているというのもおちおちしないかな。他に徹の知っている物の怪と言えば、雪女とかぬらりひょん……なんでも雪女は美女だそうだが男の命を奪うのが趣味らしいし、百鬼夜行か何かの絵で見たぬらりひょんはホームレスっぽい爺さんだった。小汚い爺さんに部屋をウロつかれるよりは、ドブネズミの方が幾分マシかも知れない。

 考え込んだ徹の横顔を煉が気遣うように窺う。

「あの、心配しなくても濡れ鼠は別に悪いモノじゃないから」

「うむ、間違っても夜中にお前を襲って喰ったりはしないぞ。精々酒を盗み飲む程度だ」

 焰という名前のキツネモドキがにやにやと笑った。むむむ、と徹が唸る。物の怪達の情報ネットワークはかなり発達しているらしい。

「それにしても、なんで濡れ鼠達は鎖樋にこだわってるんだい?」

「あれって、こいつらに大人気の遊び道具なんだよ。見たんでしょ? 濡れ鼠が鎖樋に流れる水を伝って上に猛スピードで昇るところ。俺もよくわかんないんだけど、なんか面白いらしいよ。特にここにあったヤツみたいな輪っかの鎖樋がいいんだって。鎖樋にも色んな形があるからね。ちょっと前までは花弁の形のクルクル回るやつが濡れ鼠の間で人気だったんだけどさ」

 ううむ、と徹が再び唸る。物の怪の遊び道具にも流行り廃りがあるのか。今までその存在すら知らなかったが、物の怪の世界というモノは中々奥が深いらしい。

 ふと足下を見ると、畳の上に行儀良く座った鼠がおずおずと上目遣いに徹を見つめていた。徹と目が合うと、鼠が紅い眼をハシハシと瞬き、チチッと小さく鳴いて項垂れる。驚かせたことや酒を盗み飲んだことを反省してみせているのだろうか。見慣れてくると中々可愛い……ような気がしないでもないのは連日の寝不足と精神的疲労のせいか。それとも遂に精神に支障をきたしたか。徹が天井を見上げ、ひとつ大きく溜息をついた。仕方が無い。

「わかった、じゃあ朝になったら鎖樋は付け直しておくから」

 外で一斉にキキキ、チチチ、と甲高い歓声が上がった。



     4


 翌日、雨が上がった隙に鎖樋を付け直している徹をみて、叔母が不思議そうに首を傾げた。

「あら、徹君、蛇はもう大丈夫なの?」

「あ、う、うん。あれはどうも俺の勘違いだったみたいだから。鎖樋だっけ? これって結構風流だしね」

 庭を通りかかった俊介がそれを聞いてニヤニヤと笑う。

「つまり自己の問題を認める気になったんだ? よかったじゃん、脱アル中への第一歩が踏み出せて」

「もう、そんなことばっかり言ってないで、早く行かないと電車に遅れるわよ」

 ケラケラと笑いながら家を出て行く俊介を見送りつつ、叔母が溜息を吐く。

「徹君、俊が生意気ばっかり言って、ごめんなさいね。あの子って一人っ子だからかしら、ちょっと我儘というか、他人に気を遣うことがないのよ」

「いやいや、全然気になんないし。ウチの毅も中一だけど、あんなもんだよ」

「そうかしら。でも、毅君はサッカーとかやっていて、お友達も多いじゃない? 俊はちょっとお友達が少ないみたいで……」

「え?」

「別にいじめられているとか、そういうのではないみたいなんだけど、担任の先生が俊はちょっとクラスで浮いてるって言ってらして。ほら、最近若者のコミュニケーション障害がどうとかって聞くじゃない? 時々学校を休みたがったりするし、なんだか少し心配で……」

「うーん、コミュ障か。まぁ確かに生意気だけど、別にコミュ障ってことはないんじゃないかなぁ」

「おまけにあの子って趣味が勉強でしょう? 趣味の合うお友達っていうのも、あの年だと中々いないんじゃないかと思うの」

 あぁ、そりゃ確かに変わってるわ。小五で趣味が勉強なんて、俺があいつのクラスメイトでも絶対敬遠するな。叔母には悪いがちょっと慰める言葉を思いつかない。

 しかし叔母は誰かに話して少し気が晴れたのか、それ以上は俊介の話もせず、徹の大学の事などを少し聞いて母屋に帰った。


    ❀


 夕方、止んでいた雨がぱらぱらと降り始めた。濡れ鼠が出て来るかと、怖いもの見たさで縁側を覗くと、十匹程の濡れ鼠達がわっせわっせと日本酒の一升瓶を運んでいる。徹の前に瓶を置くと、代表らしい鼠が何やら得意気にヒゲを蠢かせつつ、徹に向かってチィチィと鳴いた。お礼及びお詫びのつもりなのだろう。この酒、一体どこから持ってきたのか微妙に気になるところだが、しかし細かい事を気にしても仕方が無い。物の怪達の折角の好意、有難く頂戴することにする。

 雨脚が強くなり鎖樋を伝う流れの勢いが増した頃、煉と焰が訪ねてきた。ぽりぽりと菓子を食う煉の隣で酒を呑みつつ、二人と一匹で縁側を眺める。

 鈍い灰色に光る五月雨の空。

 鎖樋を伝って落ちる艶やかな銀色の雨垂れ。

 稲妻のように一瞬にしてその流れを駆け上がり、天に昇るは濡れ鼠。

 鼠達は地に溜まった水を白い光と共に天に還す。

「――天に水を還して、それで?」と徹が尋ねると、煉が肩を竦めた。

「雨になって降ってきて、それをまた還す。その繰り返し」

「それって何か意味あるの?」

「いや別に? 単に面白いだけじゃないの? ほら、ヒトだって遊園地のジェットコースターとか好きでしょ。それと同じでさ、逆流ウォーターコースターみたいな?」

 うーむ。ウォーターコースターと言うよりは鼠の流し素麺に見えるのだが。徹の感想に煉が声を上げて笑う。

「ま、いいじゃん。奴等は楽しんでるし、濡れ鼠達にそのつもりがなくても、地に溜まった余計なモノも水と一緒に天に持っていってくれるしさ。ぬかるみも減り、地も清浄になる。鎖樋ってもしかしたら知るヒトぞ知る、昔のヒトの知恵なのかもね」

 どこぞの遊園地ではタキシードを着たネズミがヒトをもてなすが、この離れでは逆なのだ。濡れ鼠達の遊園地と化した部屋を眺めつつ、徹が試しに皿に酒を注いでやると数匹の濡れ鼠がいそいそと皿に寄ってきた。嬉しげに酒を舐める濡れ鼠達は、酔っぱらうにつれて蛍のようにぼうっと柔らかな光を帯びる。

 膝によじ登ってきた濡れ鼠をそっと撫でてみる。濡れ鼠、などと言うと何やら濡れそぼってみすぼらしい哀れな姿を想像しそうだが、こいつらは一味も二味も違う。乾いている時はふわふわした毛の割と普通の鼠だが、雨の中を駆け回り水を吸うと白い蒟蒻か杏仁豆腐の丸い塊の様なぷるんとしたモノになる。触っても手が濡れることはなく、ぷるぷる冷んやりして妙に触り心地がいい。

 膝を登ってきた濡れ鼠の腹をくすぐってやると、鼠がきゅきゅきゅっ、と笑っているような鳴き声を立てて杏仁豆腐風の腹をぷるぷると揺らした。なんだか旨そうだな、こいつら。妙にのんびりしているけど、天敵とかいないのか? 無防備な濡れ鼠の姿に少し心配になってくる。それにしても、このぷるぷる冷んやりした触り心地は癖になりそうだ。


    ❀


 鯉の滝登りならぬ鼠の鎖樋登りを肴に酒を飲むのが日課になった。アレは何度見ても面白く、中々見飽きない。雨が降らない日が残念なくらいだ。俊介ではないが、これでは近々本当にアル中になりそうだ。

 大学帰りにそんな事を考えつつのんびりと駅前の商店街を歩いていたら、前を歩く俊介を見掛けた。塾に行くところなのだろうか。細い肩に大きなカバンをかけ、真っ直ぐ前を見て姿勢良くせかせかと歩いている。あいつは道を歩いているだけで生意気そうな空気を醸し出しているなぁ、と何やら感心してしまう。徹が声をかけようとした時、前から走ってきた二人の少年が俊介を見て足を止めた。

「よお、俊介。これから野球やりに行くんだけどさ、俺らのチーム、人数足りないんだよ。一緒にやらねえ?」

 俊介が何か言いかけると、もう一人の少年が面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「バカ、聞くだけ無駄だよ。こいつカバン持ってんじゃん。どーせ今から塾に行くんだろ」

「そうなのか?」と少年に訊かれ、俊介が小さく頷く。

「うん、でも……」

「なんだ、じゃあ残念だけど、しょうがないな。今度塾のない日を教えてくれよ。また誘うからさ」

「おい、はやく行こうぜ! カズヤとか誘えばいいだろ。俊介は忙しいんだよ。なんせエリート街道マッシグラだからな」

 笑いながら駆け去って行く少年達を無言で見送る俊介の背中に声を掛けるのが、何故か躊躇われた。

 ――今のは見なかったことにしておこう。

 俊介に姿を見られる前に急いで踵を返し、家に向かう道を曲がった。

 家に帰ってきた徹が我ながら珍しく勉強していると、トントン、と軽くドアを叩く音がした。どうせ煉と狐だろうと思い、「鍵開いてるよ〜」と言いながら振り返る。

「煉……って、あれ、俊じゃん。あれ? お前塾じゃなかったっけ?」

 言ってからシマッタと思った。しかし今にも泣き出しそうな灰色の空の下で俯いていた俊介は、顔を上げるとキッと徹を睨んで口を尖らせた。

「別にいいだろ、そんなの。それよか煉って誰だよ?」

「え、まあ友達っていうか……」

 俊介が抱えている濡れたダンボール箱からミューミューと細くて高い不思議な音がした。

「……お前、それナニ?」

 何やら物凄く嫌な予感がした。


(To be continued)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ