夢蛤(1)
グロ注意!!!!!
動物虐待などを含むかなりグロテスクで残酷な描写があります。大変申し訳ありませんが、ホラー等の描写が苦手な方は読まないで下さい。
思ひつつ ぬればや人の見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを
(小町・古今集)
プロローグ
折れた翼でバタバタと足掻いていた鳩がようやく動かなくなった。地面に転がる生温かいソレを顔の高さまで持ち上げ、しみじみと眺めた。青みがかかった灰色のガラス玉のように虚ろな眼。半開きの嘴の中の細く尖った舌についた砂。裂けた腹から複雑に絡み合った紐のような腸がこぼれて赤黒い血が滴り落ち、スニーカーを汚した。
此の世に神などいない。もしいるとすれば、それは何処かの宗教が歌うような慈悲と愛に溢れた存在などではない。絶対的な力を持つモノが塵芥に等しいモノに心を動かされることなどあり得ないのだから。
ポケットから取り出した小さなナイフで鳩の頭を切り落とした。血糊で刃が鈍って切りにくかった。まるでムキになったように胴体にしがみつく3ミリ程の皮が切れず、ぐにゃりと手に絡みつく胴体から引き千切るようにして首を毟り取った。そろそろこのナイフも替え時だろう。
視線を感じてふと顔を上げると、公園のフェンスにとまったカラスがじっと此方を見つめていた。血の匂いに惹かれたのだろうか。黒いガラス玉のような眼には何の表情もない。カラスは悪食だ。飢えたカラスにくり抜いた己の眼玉を与えたら、それすらも喰うのだろうか。
……時間はある。時間だけは十分に。
1
百鬼夜行絵巻から抜け出たように、大小様々な鬼・妖が道をゆく。此処は異界の闇ノ市。年に数回、不定期に開かれる鬼の市は今日も盛況だ。
一軒の店の前に、ジャケットのフードを深く被った少年が立ち止まった。少年の肩に乗った小さな狐が軽く伸びをすると店内を見回した。
「何かお探しかい?」
店主であろうか。暗い店の奥に座って煙管を吸っていた粋な女の鬼が少年に声をかけた。
「ふむ、夢蛤が入荷したと聞いてな」と狐が答える。
「おや、耳敏いこと。確かにおとつい良いのがひとつ手に入ってね。大きさも色も申し分ないが、その分値が張るよ」
少年が無言でずしりと重い布袋を懐から取り出し店のカウンターに投げた。女店主がふっと煙管から煙を吐くと店の奥に声をかけた。
「ちょいと、夢蛤を出しておやり」
店の奥から桐の小箱を手にした大きな鬼がのそりと姿を現した。小箱の中には少年の掌に余るほどの大きさの見事な蛤が入っていた。蛤の紫と白の縞が艶々と濡れて美しい。 少年と狐が顔を見合わせ無言で頷いた。
「確かに仲々のモノ。ではこれを頂こう」
狐に答えずあらぬ方を眺めて煙管をふかしていた女店主が不意に、匂うね、と呟いた。
「お前さん、何処の出だい?」
フードを深く被った少年をじっと見つめて女店主が尋ねた。
「……西と東の間。北の海と南の山が交わる辺り」
低い声で少年が答えると、女店主がにやりと嗤った。
「つまり言いたくないってわけか。人界の出かい?」
「確かにこいつは人界の生まれだが、それがどうかしたか。今時人界生まれのモノなど珍しくもなかろう」
かん、と鋭い音を立てて煙管盆に灰を落とした女店主が狐を睨みつけた。
「人界で生まれようが木の股から生まれようが、鬼であるなら構わない。だが鬼でないなら話は別さ。闇ノ市は鬼の市。ヒトに売るもんなんてひとつとしてありゃしないんだよ。わかったらさっさと出て行きな」
すん、と鼻をうごめかし、道をゆく物の怪が足を止めた。
「匂う、匂うぞ」
すん、すん、と鼻を鳴らしながら少年に近付いてくる。
「ヒトじゃ、ヒトの匂いじゃ」
「ヒトだと?」
「本当だ」
「何故鬼の市にヒトがおるんじゃ」
あっという間に少年の周りに鬼や物の怪が群がる。
「ヒトの分際で異界に足を踏み入れたりするからだよ。自業自得さ」
女店主が鼻を鳴らしてせせら笑った。フードに顔を隠して俯いたまま無言で立つ少年の躰に一匹の鬼が手をかけ、べろりと大きな舌で顔を舐めようとした、その途端。
「あじゃじゃじゃじゃッ!!!」
鬼が悲鳴を上げて飛び退くと、口を抑えて地面を転げまわった。ひーひーと泣き声を上げる鬼の舌が焼け爛れている。鬼に舐められた拍子にフードが脱げた少年の顔を見て、少年を囲んでいた鬼の輪から悲鳴のような叫びが上がった。
「……煉!」
「あれは煉じゃ!」
「煉だと?」
「そうだ、ワシは前に彼奴の顔を見たことがある」
「死に損ないの面使いがこんなところで何をしておる?」
「退けっ」
「殺されるぞ!」
「バカ、押すなっ」
煉を一目見ようとするモノと逃げようとするモノで辺りがごった返す。
「あ~あ、やんなっちゃうな、もう」
溜息と共に煉が肩を竦めた。
「バレると面倒だから、顔を隠して、臭い消しにわざわざ鬼の湯で身体と服まで洗って来たのに」
「だから俺は初めから無理だと言ったんだ、鬼は鼻が利くからな」
「……煉か」
鬼達の騒ぎを尻目に女店主が興味深げにしげしげと煉を見やった。
「お前が煉なら話は別だ。事と次第に依っては夢蛤を売ってやってもいい。お前さん、死んだニンゲンの生まれ変りを探しているんだってねぇ。夢蛤をヒト探しに使うつもりかい?」
「そんなことどうだっていいでしょ。売ってくれるの?くれないの?」
「おやまあ、身バレした途端にふてぶてしいこと。ヒトの身で鬼とやりあおうってだけの事はあるね」
女店主がからからと笑う。
「それにしても死んだ者の為に身の危険を犯してまで異界まで来るとは健気じゃないか。その心意気に免じてこの夢蛤は売ってやろう。ただし鬼のモノをヒトに譲るんだ、金だけではお代には足りないね」
女店主がふっと煙管の煙を吐くと紅い唇の端を吊り上げるようにしてにやりと嗤った。
「……その眼玉」
細く尖った指先が煉の眼を指差した。
「金と合わせてお前さんの眼玉を片方貰おう」
じっと考え込んだ煉に畳み掛けるように女店主が身を乗り出す。
「夢蛤の持主は他人の夢を盗み見ることが出来る。眼玉ひとつで無数のヒトの夢を観ることが出来るんだよ。おまけにこれ程大きくて良いモノは闇ノ市にも滅多に出てこない。これでサガシビトが見つかると思えば安い買物だろう。なに、普通の眼玉の代わりにもっと良く視える眼玉が手に入ったと思えばいい」
「……見つけることが出来ればね」
不意に背後で声がした。
煉が振り返ると、ぞろりと霧を纏った桐刄が三匹の小鬼を従え佇んでいた。 桐刄じゃ、桐刄じゃ、と周りで成り行きを見ていた鬼達が怯えたように囁き交わし、後ずさる。
「夢蛤は確かに貴重だけど、でも誰であろうと一生のうち一度しか使えないし、使える時間も限られている。特定の相手の夢を覗けるわけでもないしね。そんなあやふやなモノに煉の眼玉では割に合わないと思うな」
桐刄がすっ、と煉の首元を指先でひと撫でした。何やら急に首筋が涼しくなった。
「これで十分だろう」
桐刄の投げた煉のヒト束の髪を番頭が慌てて掴む。
「……何事であれ、対価は等しくなければいけない」
にやりと嗤った桐刄に向かって女店主が忌々しげに舌打ちした。
❀
「煉、君は本当に怖いもの知らずだね。こんなところにわざわざ来なくても、夢蛤くらい僕に言えば手に入れてあげたのに」
闇ノ市のはずれまで煉を送ってきた桐刄が呆れたように溜息をついた。
「桐刄に頼み事なんかしたら返って高くつくからね」
ふん、とそっぽを向いた煉を見て桐刄がにやにやと笑う。
「夢蛤の使い方は知っているの?」
「うん、昔じーさんが使ってるの見たことがある」
「まぁ使い方自体はそんなに難しくないからね。でも他人の夢の中では君の力が役に立たないことを忘れてはいけないよ。夢の中では夢の主が一番強いからね。タチの悪い夢に捕まらないように気をつけるんだよ」
「……煉」
異界の出口で振り返った煉に桐刄が微笑みかけた。
「夢蛤がみせるのは所詮赤の他人の夜の夢。もっと良い夢がみたければ、遠慮せずいつでも僕のところにおいで」
2
真夜中。
焰と共に人界に帰ってきた煉が、樹の枝に寝っ転がって夢蛤を矯めつ眇めつ眺めていた。
「煉、藁をも掴みたい気持ちはわからんでもないが、あまり期待するなよ。夢蛤がみせる夢の数に上限など無い。こんなモノ、浜で目当ての砂のひと粒を探す方がまだ簡単だぞ」
「確かに夢蛤を使っても特定の人間の夢を覗けるわけじゃない。でも昔じーさんが言ってたんだ。夢蛤で一番簡単に見れるのは時空間に於いて近くにいる者、または過去になんらかの関わりのあった者の夢だ、って。だから、もし兄者が何処かにいるのなら、きっと夢の方から俺に近づいてくるはず……」
「しかしな、万がイチ泪が此の世に転生していたとしても、お前が夢蛤を使っている時に奴が寝ていなければ意味が無い。たとえ泪が寝ていても、必ずしも夢をみるとは限らん。運良く泪が夢をみていたとしても、無数のヒトの夢の中からたったひとつを夢を見つけ出すのは容易ではないし、泪の夢がお前にとって意味の無いモノなら、たとえ目の前にあってもソレと気付けんだろう」
「うん、そうだね。まぁ色々と問題はあるけど、やってみて損は無いと思うんだ。もうすぐ夜中の2時だから、殆どのヒトは寝ていると思うし、別にそんな危ないモノでもないしね。やってみて駄目なら駄目で別にいいんだ」
「油断するなよ。桐刄も言ってただろう? 他人の夢の中ではお前の力は使えんぞ?」
「わかってるよ。だけどそんなアブナイ夢をみるヒトなんて滅多にいないって」
ふん、どうだかな、と焰が鼻を鳴らす。
焰が心配気に見守る中、樹から飛び降りた煉が地面に胡座をかいた。目を瞑り、何回か深呼吸を繰り返し手に握った夢蛤と意識を同調させる。と、深い海の底に沈んでゆくような感覚と共に急に眠気が兆し、煉の頭がかくんと落ちた。
❀
気が付くと海の底にいた。目の前に煉の体よりも大きな蛤があった。蛤が少し口を開いたかと思うと、ぽわん、と泡を吐いた。
ぽわん、ぽわん、ぽわん。蛤が次々と吐き出す泡が大きく膨らみ、ゆらゆらと揺れながら海を満たし、ぶつかり合い、弾け、煉の前に無数の夢の世界を広げてゆく。知っているヒトの夢、知らない誰かの夢。音と色と光の泡が海を満たす、夢蛤の世界。
水飛沫が顔にかかった。人々の歓声の中、鮮やかにターンを決める克也の姿が見えた。そしてそれをゴール地点で待つもう一人の克也。一着でゴールの壁に手を触れようとした瞬間、突如腕が石のように硬く重くなり動かなくなった。溺れるかのように水に沈んでゆく克也を尻目に次々と他の選手達がゴールしてゆく。と、ゴール地点で待っていた方の克也が水の中の克也の腕を掴んで水から引き上げた。
「溺れてんなよ、ダッセーな」
「ばーか、俺様が溺れるわけないだろ。ダイブの練習だよ」
二人の克也が笑い合った。
近くで悲鳴がした。振り返ると、やけにリアルなゾンビに見知らぬ子供が追いかけられていた。きっと寝る前にホラー映画でも観たのだろう。可哀相だがこれはどうせただの夢だ。煉が無視して立ち去ろうとした。と、威勢の良い掛け声がして、ゾンビが何者かに攻撃された。怯える子供を守るようにしてゾンビに向かい合う少年の横顔を見て煉が首を傾げた。一昔前に流行った漫画、聖闘士ナンチャラのコスプレをしているアレは、塚乃護勇人ではないだろうか。
……あいつ、無意識のうちに夢渡りしているな。
たとえ眠っていても助けを求める声に反応し、他人の夢に入って悪夢を祓っているのだろう。あいつらしい。ゾンビを倒した勇人が子供に感謝される姿を見て、煉がくすりと笑った。ふと顔を上げた勇人が煉に気づき、驚いたように目を見張った。
「れ、煉?!」
勇人がはっとして自分の姿を見下ろし顔を赤らめた。
「ち、違うぞ、この格好は、あの、俺は、別に……!」
慌てて言い訳する勇人を見て煉が楽しげに笑った。
「いいんじゃない、正義のヒーロー。よく似合ってるよ」
きゃはははは。
不意に何処か遠くで子供の笑い声がした。振り返った煉の目に、ひとりの少年の後ろ姿が映った。紅い組紐で乱雑に結われた黒髪。草の上を転げ回ったせいで所々緑色に染まった着物。木登りしてつくった腕の擦り傷。小さく、身軽で、筋肉質な身体。
アレは、俺だ。
無数の夢の間を見え隠れしながら駆けてゆく己の後ろ姿を煉が懸命に追った。
「おいっ、待てよ! 待てってばっ!」
幾ら叫んでも影は立ち止りも振り返りもしない。泡が邪魔で仲々前に進めなかった。見失ってしまったかと思った頃、遠く、暗い夜の海に向かって立つ己の後ろ姿がみえた。
沖の闇に淡く浮かび上がる岩場。岩に砕け散る波がきらきらと輝いた。月の光を抱くように両手を広げた己の影が暗い海に足を踏み入れるのを見て、煉が思わず叫んだ。
「ヤメロッ! 行くなッ」
影に向かって駆け出そうとした瞬間、何かに足を掴まれて転倒した。黒くどろりとしたモノが足に絡みついていた。鋭く舌打ちして咄嗟に炎で祓おうとしたが、どろりとしたソレは逃げるどころか力を増すとあっという間に煉を見知らぬ誰かの夢の中に引きずり込んだ。その寸前、振り返った煉の目に暗い海に向かって泳ぎだす自分の後ろ姿が映り、そして全てが闇に呑まれた。
生きて動く汚泥のようなモノが躰に纏わりつき、逃げ道を塞ぎ、その腐臭で息が詰まりそうだった。多少の火ではびくともしないようなので、試しに全身から思いっきり高温の炎を出してみた。爆風で汚泥が飛び散り、その空いた隙間から煉が転がるようにして外に逃げ出した。一瞬、飛び散った汚泥の間にナニカが見えた。振り返ると、うねる汚泥の中心に豪然と座った少年と目が合った。少年が何か囁き煉を指差すと、どろりとしたモノが鬼の姿になって煉に襲いかかってきた。
鬼に足を掴まれる寸前、煉が目を覚ました。
(To Be Continued)




