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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第二章 〜 煉
23/123

終わりと始まり 〜 其の参・あの日(後編)

    7


 ……どうしてこんな事になった?


 肩に背負った兄はぐったりと重く、呼吸は浅く速い。


 ……俺は一体ナニを仕出かしたのだろう。


 泪の式神達の助けを借りて、谷の近くまで泪を引きずってきた。しかし泪の力が弱まるにつれて式神達が次々と消えてゆく。一瞬にして小さな水溜りのみを残して消える式神達の姿に煉が戦慄した。

「兄者……はやく、はやくオオババのところへ……!」

 谷の上に出た煉が鋭く指笛を吹いた。煉の指笛が谷に響き渡り、幾重にもこだまする。しかしそれに応えるモノはいない。

「だめか……」

 絶望と恐怖に足が震えた。思わず膝をついた時、ばさりと大きな羽音がして、目の前に漆黒の巨大な鳥が舞い降りてきた。

「か……らす……?」

 驚きに目を見開いて自分を見上げる煉に向かって鴉が肩を竦めた。

「この辺りの物の怪は皆、面使い共の退魔の渦に巻き込まれるのを恐れて逃げていった。残っているのは俺くらいさ」

 鴉が溜息をつくと忌々しげに肩の羽毛をを震わせた。

「全く、お前の面倒事に付き合わされるのもこれで最後にして欲しいもんだ」

「鴉、あの、その右眼……」

 潰れてドス黒い血の滴る鴉の右眼に煉が息を呑むと、ふんと鴉が鼻を鳴らした。

「お前の糞ジジイが張った結界の中でこの姿に成るための代償さ。安いモンだ」

 鴉が身をかがめて煉に背を向ける。

「さっさと乗れ。流石の俺も、この姿をいつまで保てるか分からんからな」



 オオババの家の前までようやくの思いで飛んだ鴉が崩れるように地に舞い降り、煉と泪を降ろした途端に元の大きさに戻った。

「はやく、そっと、そっとじゃ!」

 オオババの指示のもと、待っていた女達が泪を家に運び込む。人々の後ろから、よろめくように泪のもとに行こうとした煉の足が、血溜まりでぬるりと滑った。改めて自分の着物を見下ろし、思わず息を呑んだ。着物は既に元の色合いもわからぬ程どす黒く、手も足もべっとりと泪の血に染まっている。

 よろめくように泪の枕元に近づいた煉を見て、人々が憐憫の情を浮かべた。

「……オオババ…… あ、兄者……」

 オオババが暗い眼で煉を見ると、静かに首を振った。

「……泪は血を失い過ぎた。傷も深く、手の施しようがない。おそらくもって夕刻……」

 酷く耳鳴りがして、オオババの声が遠く霞んだ。何か言いながら、眼に憐れみを浮かべたオオババが煉に向かって手を差し伸べる。その腕を振り払い、煉が一歩二歩と後ろに下がった。


 オマエノセイダ。


「違う……」頭の中に響く声に首を振る。


 スベテオマエガワルイ。


「違う……!」耳を両腕で塞ぎ、目を硬く瞑った。


 オマエガ泪ノ言ウコトヲ聞イテイレバ

 オマエガ海ニナンゾ行カナケレバ

 オマエガ修行サエシテイレバ

 オマエガ邪魔サエシナケレバ


 オマエガ生マレサエシナケレバ

 泪ハ死ナズニスンダノニ。


 地面にしゃがみ込んだ煉が身を引き裂かれるような悲鳴を上げた。


 オマエガ人魚ニ魅入ラレタカラ、泪ハ死ヌ。


 ぴたり、と煉の悲鳴が止んだ。

「……人魚」

 鴉がはっとして煉を見上げた。煉がふらりと立ち上がると人々を押しのけ、家の外に駆け出した。

「煉……! だめだ、よせ、行くなっ、煉ッ!!!」

 既に飛ぶ力すら残っていない鴉の悲痛な叫びが煉を追ったが、煉は振り向きもしなかった。



    8


 傷つき、疲れ切った煉が海辺に立った。

(日の入りまで一刻……)

 午後の気怠い陽に照らされた岩場をじっと見つめる。

(この時刻なら、まだ殆どの人魚が沖に出ているはず。見張りは一匹か二匹……)

 浜に置いてあった小舟の綱を解くと、岩場から少し離れた方向に向かってそっと小舟を押し出す。岩場で休んでいた人魚が顔を上げ、ふと首を傾げると、波間を漂う小舟を見に泳ぎだした。

 煉が静かに海に潜り、見張りの消えた岩場に向かって泳ぎだした。


 卵の入った二枚貝が幾つも並んだ大岩に水音を立てないように上がると、端の方の一番小さな貝にそっと手を伸ばした。指先が貝に触れた途端、全ての貝が一斉に口を閉じた。

(くそ……)

硬い貝の口をこじ開けるのを諦め、以前紫蘭から貰った守り刀を使い、こつりこつりと岩を削って貝を岩から剥がしてゆく。ようやく貝がぽろりと煉の手に落ちた。

(よし!)


 心が浮き立った瞬間、ひんやりと冬の空気のように冷たい手がそっと煉の腕を掴んだ。


 はっとして顔を上げると、無数の金色の眼が波間から煉を見つめていた。ぞくりと背筋に寒気が走った。生まれて初めて、妖魔を真に恐ろしいと思った。煉を掴んだ人魚がギギギ、と不快な金属音のような声を出し、その瞳孔がすいっと猫のように細くなった。次の瞬間、恐ろしい力が煉を水に引きずり込んだ。

 キキキ、ギギギギ、と人魚達の凄まじい不協和音が海中に満ちる。無数の腕が煉を掴み、その肉を引きちぎり、深みに引きずりこもうとする。潮水を飲み、息を詰まらせた煉の目前に、煉の首を喰い千切らんと牙を剥いた人魚が迫った。

 不意に強い力が背後から煉を掴み上に引き上げた。獲物を見失った白い牙がガツンと音を立てる。上下に引き回され無数の手に揉まれ、気が遠くなった煉の脳裏に、血だらけになって自分を守る泪の姿が過った。

(兄者……)

 煉が歯を喰いしばった。

 俺は、帰るんだ。兄者が待っている……!


「離せっ!!!」 ありったけの力でもがき、暴れた。「俺は帰るんだっ!!!」

 自分を掴む腕が僅かに緩んだ。その瞬間、振り向きざまに自分を抱き締める人魚の胸に白貝の守り刀を突き立て、深々と切り裂いた。


 水中に広がった長い銀髪が頬を撫で、その美しい髪の先に結ばれた組紐の紅い色が眼に染みた。酷く驚いたように見開かれた暗い紫の瞳が、自分を見つめていた。

「……レ、ン」

 出逢って初めて自分の名を呼んだ人魚の喉から、ごぼり、と血が溢れ、視界を真っ赤に染める。

「し……しら……ん……!」

 人魚の名を叫ぼうとした煉の口一杯に鉄の味が広がった。煉を見つめ、少し哀しそうな微笑みを口元に浮かべた銀髪の人魚が水底に静かに沈んでゆく。悲痛な叫びを上げて人魚達が沈んでゆく影を追い、深海に消えていった。


     ❀


 夢をみていた。血を流したように真っ赤に燃える景色の中、まだ幼い俺は、泣きながら走っていた。空も、海も、地面も赤い。誰もいない。怖れ慄く俺の耳に、自分を呼ぶ幽かな声が聞こえた。


「煉……」


 先を行く兄者の背を懸命に追った。追いつけないのではと思うと怖ろしく、足が震え、息が詰まった。


「煉……」


 兄者が立ち止まって振り向くと、俺を抱き締めた。


「煉……」


 兄者が指先で俺の髪をそっとかきあげる。煉の手はとても温かいね、とよく兄者は言った。反対に、兄者の長い指は夏でもひんやりと冷たく、心地が良かった。

 俺の顔を覗き込んだ兄者が、こつり、と自分の額と俺の額を合わせた。泣きじゃくる俺を見つめ、兄者が優しく微笑んだ。兄者は優しい。誰よりも優しく、誰よりも深く、誰よりも尊いヒト。俺と一緒にいてくれるヒト。俺に最も近く、そして遠いヒト。

 俺は知っている。

 このヒトさえいれば、俺はダレも、ナニも、イラナイ。


「煉、大丈夫だよ」と兄者が囁く。


「いつも一緒だから。だから、そんなに泣くんじゃないよ……」



    9


 朝日の中、煉が見知らぬ砂浜で目覚めた。海に人魚の影はない。手には卵の入った貝が握り締められている。異様な喉の渇きと身体の節々の痛みに堪え、山に向かってよろめくように歩き出した。

 陽が昇りきった頃、ようやく村に辿り着いた。樹々はなぎ倒され、地は割れ、川は乾き、村は見る影もない。しかし、荒れ果てたその光景ですら、煉の胸を動かすことはなかった。煉は唯、足を引きずるようにして、静まり返ったオオババの屋敷に入った。

 誰かに腕を掴まれた。まるで水の中にいるかのように、全ての音が遠くくぐもる。

「……煉、丸三日も、一体何をしていた……」

「……親父殿も、伊吹も、闘いに出た面使いはひとりとして……」

 掴まれた腕を振りほどき、泪の寝ていた部屋の障子を開けた。


 そこに泪はいない。もうどこにも、泪はいない。


 誰かが煉に何事か囁くと、手に何かを握らせた。煉の手から貝が落ち、脆く砕けて割れた。中から溶けて腐った卵がこぼれ、その足元を濡らした。


 よろめきつつ、東の尾根に向かった。荒れた山の岩壁に巨大な穴が空いている。穴の内と外にみっしりと張り巡らされた蜘蛛の糸のようなモノをくぐって洞窟の中に入ると、糸の中心に静かにじじ様が坐していた。煉の気配にじじ様がうっすらと目を開けた。


「……煉」 じじ様が煉を見つめた。「……人魚の血を呑んだな」


 心も躰も痺れたように虚ろで、言われている言葉の意味がわからなかった。ぼんやりとじじ様の背後を見ると、張り巡らされた糸の中に、剣でひとつに貫かれたふたつの影がうっすらと映っていた。

「……お前の父が剣で仕留め、ワシが自身の肉体を依り代とし、魂を守りとする結界で封印した。しかし空蝉は死んではおらぬ。いつの日か、剣は錆びて腐り落ち、ワシの肉体と魂は砂と化す。さすれば結界は解け、空蝉の影は放たれる」

 じじ様の低く掠れた声が洞窟に響き、虚ろな風のように煉の中を通り過ぎてゆく。

「煉。これは終わりではない」

 ……これが終わりではないのなら、一体何が終わりだと言うのだろう。

 とても疲れていた。何も聞きたくない。何も見たくない。唯、心を閉ざして、己の殻に閉じこもりたい。そんな煉を、じじ様が目を細めるようにして見つめた。

運命(さだめ)の輪は廻り、泪がヒトとしてその生を転じる時、空蝉は己の欲する現身(うつしみ)を手に入れんと再び現れるであろう。お前はその時、泪の側にいてやるのだ」

 ふとじじ様が微笑んだ。

「煉、憶えておるか? お前は赤子の頃から実に落ち着きがなく、まだ碌に歩けもせん頃からうろうろと出歩いては迷子になりよった。そしてその度に、泪が半泣きになってお前を探しまわり、そして必ず見つけてきた」


「行け、煉。生きて、次はお前が泪をみつけてやれ」


     ❀


 誰もいない海辺に独り佇む。そこに人魚の影はない。人魚の子守唄が途絶えた夜、月の光に照らされた卵は全て腐って溶けた。

 指先に絡む青い組紐をみつめる。組紐に火がつき、一瞬にして煉の手の中で音も無く燃え尽きた。風が吹き、手に残った灰がさらさらと指の間から零れ落ちた。



【 エピローグ 】


 数百年後。東の尾根に咲く満開の山桜の枝に腰掛け、朽ち果て、今は跡さえも残らない故郷の村を見つめる煉の肩に、風もないのに散りゆく無数の花びらがはらはらと降り積もる。



 あの日、全てが終わり、全てが始まった。

 巡りゆく数え切れない季節の中、独り生き永らえ、そして死に続ける。


 死の夢をみる。

 それは余りに甘く、べっとりと腐ったように身体に纏わりつき、目醒めてもその余韻に指先は痺れ、そして変わること無く訪れる朝の静けさに願う。


 自由になりたい。

 心を絡みとり、押し潰す、此の世のすべてから、自由に。


 生きたい。

 生きてもう一度、あのヒトに逢いたい。

 そして次こそは、あのヒトを守りたい。




 ……寂しい。



(END)

これで過去編は一応完結です。読んで下さった方、そしてお気に入りに入れて下さった方、本当にどうも有難うございます。第三章からは個人的事情の為、かなり不定期更新になるとは思いますが、出来ればこれからもどうぞよろしくお願い致します。

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