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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第二章 〜 煉
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終わりと始まり 〜 其の壱・子守唄(後編)

     7


 成り行きで了承を得たとは言え、泪の気持ちを慮ると流石の煉もすぐには出歩く気になれず、数日の間は黙々と家事をこなして過ごした。そんな煉を庭の樹の上から眺めつつ、物の怪達がのんびりと噂話に花を咲かせる。


「流石の煉も泪の叱責が余程堪えたとみえる。見違えるほど大人しくなったではないか」

 キシシ、と小鬼が笑うと、鴉がふんと鼻を鳴らした。

「あいつの事だ。ほとぼりも冷めんうちにまたぞろ出歩くさ。見ろ、もうソワソワと東の空を見ておる。まぁ、もって明日の晩までだな。それにしても式神でもないのに何故俺があいつに付いて行かなきゃならんのだ」

「お前は煉と仲が良いからだろう」

「ふん、あいつは物の怪なら誰とでも仲が良い。仲の良さなら最後まであの馬鹿を庇ってやった泪の式のほうが余程上だろうが」

 鴉の言葉に式神が顔を顰めた。

「止めろ、嫌なことを言うな。ワシはもうあいつの名を聞くだけで胃の辺りがきりきりする。おかげで消化不良で毛艶が悪うなった」


     ❀


 翌晩。出掛ける準備を整えた煉が、泪の部屋に面した中庭で何やらグズグズしていた。その横で鴉が泪の書いた短冊をクシャクシャと丸め、それをゴクリと呑み込み、首を傾げつつ辺りを見回す。

「ふむ、仲々便利なものだな」と感心したようにひとつ頷くと、鴉が煉をジロリと見やった。

「どうした、何をグズグズしている? 行くならさっさとしろ」

「うん……でも……あのさ、やっぱ兄者に一言断った方がいいよね?」

「なんだ、まだ断りをいれてなかったのか。泪ならさっきその辺で見かけたぞ?」

「ねぇ、鴉……あのさ、俺、ここで待ってるからさ、ちょっと兄者に出掛けるって言ってきてくれる?」

「甘えるなっ」と叫ぶと、鴉が怒って煉の頭を突ついた。「俺はお前の子守りでも使い魔でもない! 海までついて行ってやるだけ有難いと思え!」

「いててっ、痛いって!」

 騒いでいるところに泪が通りかかった。

「ほら、さっさとせんか!」

 鴉に後頭部を蹴られて、煉がつんのめるように泪の前に出た。鴉に突つかれた頭を撫でつつ、煉がおずおずと泪を見上げた。

「……兄者、あの、今晩海に行きたいんだけど……いい?」

「そうか、気をつけて行って来い」泪が穏やかに頷くと鴉を見た。「眼の具合はどうだ?」

「うむ、中々良い」

「そうか。面倒をかけてすまないな。機会があればいずれ礼をしたい。俺に出来る事があればいつでも言ってくれ」

「気にするな」ばさりと黒光りする翼をひろげると、鴉が夜風に舞い上がった。「行くぞ、煉」


 一人と一羽を見送った泪が、部屋に戻るとそっと溜息をついた。



     8


 家を出た途端に抑えきれぬ喜びに顔を紅潮させて、跳ねるように山道を駆け上がる煉の頭上を飛びながら、鴉が感じ入ったように幾度も頷く。

「それにしても、泪は実に人間が出来とるなぁ」ちらりと煉に目をやる。「……やはりこんなのと一緒にいると、悟りを開くか心が病むか、どちらかなのだな。俺も気をつけねばいかん」

 煉が猿のように樹から樹に飛び移りながら楽し気に鴉を見上げる。

「なんか言った~?」


     ❀


 一方、家に残された泪が独り鬱々としているところに、伊吹が酒を持って訪ねて来た。

「お前の親父殿とじい様がうちの親父と呑んでいるから、俺はこっちに避難してきた。この前トンデモナイ量を無理矢理飲まされて、えらい目にあったからな」

「あの二人は(ザル)どころか(ワク)だからな。我が家の退魔用の神酒の殆どはあの二人の腹に収まっている。俺は常々、鬼共はあの人達の霊力ではなくて、実はあの酒臭い息に参っているのではないかと思っている」

 はぁ、と溜息をつきつつ浮かぬ顔で酒肴の支度をととのえる泪に伊吹が首を傾げた。

「どうした、色男。やけに元気がないな。色恋沙汰なら俺に任せろ。なんでも相談に乗るぞ?」

「うむ……」泪が切なそうに溜息をつく。「伊吹よ、子育てというものは、実に難しいものだなあ」

 途端に伊吹が吹き出した。

「なんだ、また煉が何かやらかしたのか」伊吹が笑いながら辺りを見回した。「そういえば、あいつはどこに行ったんだ?」

「東の浜に人魚を見に行ってるよ」

「こんな夜更けにか? つくづく物好きな奴だなぁ」

 伊吹が声を上げて笑い、しかし恨めしそうな泪の顔を見て、慌てて笑いを引っ込め咳払いした。

「そう言えば、あいつに人魚の話をしたのは俺だったな、スマンスマン」

「いや、たとえお前が話さなくても、煉のことだ、遅かれ早かれ何処ぞから聞き込んできただろう」

「それにしても、夜中に独りで人魚を見に行くなど、よくお前が承知したな。奴等はかなり気が荒いぞ?」

「……伊吹、獅子の仔落としの話を知っているか?」

「獅子は我が仔の器量を試すために千尋の谷に仔を落とす、ってあれか?」

「そうだ。俺も我が身を振り返り、煉を余りに過保護に育てるのもどうかと思ってな……」

「泪、言葉を返すようだが、煉なら大喜びで自ら谷に飛び込むと思うぞ?」


     ❀


 その頃。煉と鴉が切り立った崖の上に辿り着いた。鴉が辺りを見回した。

「ちょっと待ってろ。谷の主の使いを探してきてやるから……」

「え? 別にいいよ」

そう言った次の瞬間、煉が何の躊躇なく深い谷底に身を躍らせた。

「ええええええぇぇぇっっっ?!」


     ❀


「なあ、伊吹、獅子は我が子を谷底に落とす時、どんな気持ちなんだろうなぁ。俺は獅子が己の身を裂かれるような思いで泣く泣く落としていると思えてならん。なぁ、そう思わんか? 思うだろう?」

「……泪、お前、意外に大酒飲みの上になんか妙に絡み酒だな」

 手酌で次々と盃を空ける泪に伊吹の腰が引き気味になる。


     ❀


 谷底の岩を次々と器用に飛び移る煉の頭の上で、鴉がぎゃあぎゃあと喚く。

「お前っ、もしあそこに使いがいなかったらどうするつもりだったんだ?! 今の、普通に死ぬぞ?!」

「え? 大丈夫だよ。今までだって大丈夫だったんだから」

「馬鹿かお前は?! 妖魔だって居眠りもすれば腹を下すこともあるっ、谷の主の使いが下痢をしていたために死にました、など寒すぎて笑い話にもならんぞ?!」

「も~、鴉ってば心配性だなぁ」きゃははは、と煉が屈託無い笑い声を上げる。

「お前のその根拠のない自信は一体どこからくるんだ?! お前、常識以前に生存本能そのものが欠落しているぞっ」


     ❀


「なぁ伊吹、それにしても、獅子の仔は自分を谷底に蹴り落とすような親に育てられて嬉しいのかな? 人間不信……もとい獅子不信にはならんのかな?……おや、酒が足りないな」

 泪が空の酒瓶を振るのを見て、伊吹がおずおずと手を伸ばした。

「泪……今宵はもうその辺でやめておいた方が……」

「何か言ったか?」完全に目が据わっている。「ちょっと失礼」

 泪が突如立ち上がると、自分の座っていた畳をあげた。と、深く掘られた床下から数百匹の水蛇が団子状に絡まった塊が現れた。

「な、なんだそりゃ?!」

 驚く伊吹に構わず、泪がさらさらと短冊に何かしたためる。それを不気味にぬめり蠢く塊の前にかざすと、水蛇がちりぢりに別れて中から酒樽が現れた。泪が伊吹を振り返り、爽やかに微笑む。

「我が家には、たちの悪いウワバミが二匹もいるからな、酒の隠しどころには毎回苦労しているんだ」

「お前……」 伊吹が呆れた顔で肩を竦めた。「前々から高度な封印の術をやけに熱心に勉強しているとは思っていたが、まさかこんな事に使っていたとは……」



     9


 一刻後、煉と鴉が浜に着いた。煉が脱ぎ捨てた着物の上に鴉が疲れ切った顔で丸くなり、嘴を羽根に埋める。

「あそこの岩まで行くけど、鴉はどうする?」

「俺に話しかけるな。俺は今、精神崩壊の危機に瀕している。俺には精神的休養が絶対的に必要なんだ」

「ふ〜ん。大変だね」

 ウキウキいそいそと波打ち際に向かう煉を鴉が片目だけあけて見送る。

「……おい、人魚は肉食だ。捕食されるなよ」

「大丈夫、柘榴とかも好きみたいだから」

 背負った風呂敷を揺らしてみせる煉に鴉が呆れ顔で嘆息した。

「馬鹿めが、妖魔にとって柘榴は人肉の味というのを知らんのか」


 静かに海を泳ぎ渡り、岩に上がった煉が背中の荷物をほどいていると、手元の波間から紅紐を髪に結んだ人魚が顔を出した。余りの近さに胸が早鐘を打ったが、すぐに落ち着く。柘榴の実を手渡すと、人魚がふわりと微笑み、実をふたつに割ってひとつを煉に寄こした。

 岩に並んで腰掛け、柘榴を食べながらつくづくと人魚を眺める。長く艶やかな銀髪と銀色の鱗が月明かりにぬらぬらとひかり、此の世のものとは思えぬ程美しい。紫の瞳って物の怪の中でも珍しいよな、などと考え、つくづくと端正な横顔を眺めていると、ふと顔を上げた人魚と目が合った。

「ねぇ、君、なんて名前? 俺は煉っていうんだけど」

 人魚が僅かに身を乗り出すようにして、煉の口許をじっと見つめた。

「あ、あのさ、俺の面を拾ってくれたでしょ? すごく助かったよ。どうもありがとう」

 人魚は煉の口許を見つめるだけで、やはり一言も発しない。

 あれ? と煉が首を傾げた。もしかしてこの人魚って……。

 翼が風を切る鋭い音がして、鴉が近くの岩にとまった。

「煉!そろそろ帰るぞ」

 人魚がちらりと鴉を見ると、即座に波間に飛び込み姿を消した。



 帰り路。煉はやけに大人しく考え考え歩いていた。

「珍しく大人しいな、腹でも減ったか」と鴉にからかわれ、煉がようやく口を開いた。

「ねぇ、鴉。あの人魚の眼、紫色だったよ。すごくきれいだった。でも、あいつ、可哀相に口が利けないみたいなんだ。だから群れから離れていつも独りぼっちで、唄も歌わないし……」

「は? そりゃ違うだろ。歌わないのはアレが雄だからだ」

「ええっ?! 本当?!」

「あぁ。人魚の雄の眼は紫暗色で、雌は金色(こんじき)だ」

「でも俺が名前を聞いても首を傾げるだけだったよ?」

「俺もよくわからんが、あいつらには名前って概念がないんじゃないのか?そもそも奴等が人語を理解するとも思えんしな。人魚ってのは物の怪の中でも特殊で、俺達ですらあいつらとは言葉が通じないくらいだからな」

「ふーん……でも、やっぱり友達なら名前で呼び合いたいよね。そういえば、鴉も変な名前だよね」

 鴉がじろりと煉を睨む。

「失礼な奴だな。俺の名のどこが変だというんだ?」

「だってさ~、カラスの鴉、だなんて、俺の名前がヒト、みたいなもんだよ? どうせなら黒曜とかにすれば良かったのに。カッコいいじゃん、黒曜」

 鴉が馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。

「名は体を表すと言うだろう。俺はカラスの中のカラス、神仏による唯一無二の最高傑作だから、俺の名は鴉なんだ。お前みたいな出来損ないのヒトモドキと一緒にするな」

 鴉が不意に真顔になり、不満気に口を尖らせる煉をじっと見つめた。

「……煉、人魚はやめておけ」 鴉がふと空を見上げると、朝陽に眼を瞬いた。「お前は不思議な奴だ。お前は物の怪に惹かれ、そして惹きつける。だがこの件に関してはどうも嫌な予感がする。人魚に魅入られたヒトは不幸になる、って言い伝えもあるしな」

 鴉がばさりと大きく羽ばたいた。漆黒の翼が朝陽に濡れて煌めく。

「俺の予感はよく当たる。まぁ、その程度でお前が気を変えるとは俺も思わんがな」

 艶やかな黒羽が風に乗り空高く舞い上がった。

「海に行く時は呼べ」


 首が痛くなるほど長い間、鴉の飛び去った空を見上げていた煉が、ようやく村へ向かう道を歩きはじめた。


(END of 『Lullaby』)

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