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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第二章 〜 煉
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終わりと始まり 〜 其の壱・子守唄(中編)

     4


 朝遅く、家に帰って来た煉が裏口からこっそり家に入ろうとしていると、泪の式神が戸口の隙間から顔を覗かせた。

「煉! 遅過ぎるぞ! 泪がさっきから苛々しながらお前を探しておる」

「げ、兄者にはなんて言っておいたの?」

「怖ろしくて泪に口なんぞきけるか。朝日が昇ってもお前が帰って来んから、ワシはお前の寝床を捲ってお前が起き出したように見せかけて、今の今まで天井裏に隠れておった」

「ごめんごめん」

 手を合わせて謝る煉に、式神が溜息をついた。

「ワシとて泪の式だ。お前には色々と世話になっておるが、しかし流石にこれ以上泪を騙くらかすのも気が引ける」式神がちらりと煉を見た。「……ところでお前、面はどうした?」

「それが、実は……」

 ばつが悪そうに口ごもる煉を見た途端、式神がサッと蒼ざめた。

「お前まさか……いや、何も言うな! ワシは何も知りたくない。知らねば罪には問われんやもしれぬ」 ハッとした顔で式神が背後を振り返った。

「いかんっ、泪が来るぞ!」

 煉と式神が慌てて家から逃げ出した。


     ❀


 泪の式神と共に山に逃げ込んだ煉から事情を聞いた鴉が、う〜む、と天を見上げて唸った。

「まさか面を失くすとは……面使いの歴史の中でも類い稀なる馬鹿だな」

「あれ、木で出来てる癖に結構重いんだよ。多分あの辺りの海底に沈んでいると思うんだけど、鴉、探してきてくれる?」

「お前、俺を()かなんぞと勘違いしてないか? 海になんぞ潜れるか。そもそもソレは式神の仕事だろう」

「言うておくがワシは泪の式だからな!」と泪の式神が慌てて牽制する。

「そうだ、術師の端くれの癖に自分の式神も持っていないお前が悪い」

 鴉に決めつけられ、煉が口を尖らせモジモジした。

「だって……力で抑えつけて言う事を聞かせるなんて、なんか嫌なんだもん。今までは式神が必要なことなんてあんまり無かったしさ」

「ふん、お前は甘過ぎる。伊吹辺りが聞いたら大笑いしそうだな」

「まぁ、でもワシも煉の式神なんぞになるのは御免だな。なんだか物凄く理不尽なことで苦労しそうだ」

「しかしな、煉。お前修行もしないし、滅多に面なんぞ使わんだろう。その辺の木でそれらしきものを作って持ち歩けば、意外に誰も気付かんのではないか?」

 鴉の提案に煉が首を横に振った。

「うん、俺もちょっとそれ考えたんだけど、やっぱ、いくらなんでも、そんなので兄者やじーさんを騙せるとは思えないよ。父者やイブ兄くらいならイケそうだけど」

「面倒な奴め。まぁ、ダメモトで今晩もう一度海に行ってみろ。案外誰かが拾ってくれているかも知れんぞ」

「今日は家事の心配はせんでいいからな。事情を察した他の式神達が泪に気付かれぬよう片付けて置いてくれている。お前はとにかく、泪にバレる前に面を見つけることだけに専念しろ。こんな事が泪にバレたら、お前の夜遊びに手を貸したコッチの身も危ないからな」



     5


 真夜中。不安気な式神を部屋に残し、煉が再び家を抜け出して海へ向かった。浜をしばらく歩き回り、やがてぐったりと波打ち際に腰を下ろした。

「波で浜に打ち上げられてないかと思ったんだけどなぁ。やっぱそんなに上手くはいかないか」

 岩場では時折人魚の影がちらつくが、何故か今宵は唄が聴こえない。

「……昨日のこともあって、警戒されちゃってるのかなぁ」

 はあ〜と嘆息し、襲いかかってくる人魚の姿と怒り狂う泪の顔を頭の中で天秤にかける。

「どっちが怖いか……ってまぁ比べるまでも無いでしょ」

 幸い今宵は曇っていて月もない。意を決して立ち上がると着物を脱ぎ捨て、岩場に向かって静かに泳ぎだした。

 気配を殺し、水音を立てないようにそっと昨日の岩に這い上がる。運が良ければこの近くの岩にでも引っ掛かっているかも知れない……

「あっ!」

 探すまでもなく、面が岩に括り付けてあるのを見て思わず喜びの声が漏れ、慌てて周囲を見渡した。

「あれ? でもこれって……?」

 面に結ばれた紐を見て煉がふと首を傾げた。海藻を細かく編んだ紐は、煉のモノではない。

 パシャンと岩を打つ微かな水音に振り返ると、一匹の人魚が水に飛び込むのが見えた。海に消える寸前、ちらりと煉を見た人魚の目が微かに笑っていたような気がした。闇に浮かぶ紫色の瞳……。

 煉はなんだか少しぼんやりとして、人魚の消えた波間に浮かぶ淡い泡を見つめていた。


     ❀


 翌日の夜中。大きな風呂敷包みを背負って家を抜け出そうとする煉に、泪の式神が呆れた顔をした。

「煉、お前も懲りん奴だのう。折角面も無傷で戻ってきたのだ、もうこの辺で辞めておけ」

「だって……」

「だっても糞もあるか。お前といるとこっちの寿命が縮む。泪が年の割に疲れて老けているのもよう解る」

「だけど、せめてお礼くらいしないと」

「妖魔に礼など要らん。どうせ只の気紛れだ」

「でも、兄者がいつも言ってるでしょ? 礼節は人生の基本だって。兄者だって話せばわかってくれると思うんだよね」

「むぅ」

 式神にこれ以上追及されぬ間に、と煉がそそくさと家を出る。残された式神が大きくひとつ溜息をつき、ぼそりと呟いた。

「話せばわかる、か。何故人魚に礼など言う羽目になったか、そこに辿り着く前にまず三度は半殺しだな」


     ❀


 風呂敷包みを背負ったまま煉が岩場に泳ぎ着いた。今宵は人魚達の笑いさざめきや歌も聴こえるが、3度目ともなると慣れたもので恐怖もない。風呂敷包みを下ろすと、果実、木の実、茸などの詰まった草籠を取り出し岩に結び付ける。最後に籠の端に紅い組紐を結びつける。これは煉が自分で染めた絹糸で編んだモノだ。

「あの人魚、今夜はいないのかな……」

 束の間人魚達の歌声に聴き入り、日が昇る前に名残惜しげに岩場を離れた。


     ❀


 翌晩。月明かりの中、煉が岩場に結んだ籠の中身を確かめていた。

「柘榴と山葡萄が無くなってる。甘いのが好きなんだな」

 持ってきた風呂敷包みの中から甘そうな実を選んで籠の中身を入れ替える。組紐もなくなっていることに気づく。


     ❀


 さらに翌晩。綺麗に空になっている籠に果実を入れようとした煉が、ふと手を止めた。籠の底に白く光るものがある。取り出したそれをつくづくと眺める。

「貝の守り刀……」

 煉の手のひらに収まるほどの大きさの、光沢のある白貝で造った小刀。端に小さな穴が開けてあり、海藻で編んだ細紐が通してある。紐を首にかけ、蛍のように淡く仄光るそれを月明かりに透かして眺めつつ、岩にもたれて人魚の歌を聴く。


 不意に視線を感じて目を上げると、あの夜の人魚が向かいの岩に座ってじっとこちらを見つめていた。長い銀色の髪の先に、煉が編んだ紅い組紐が結ばれている。煉が首に下げた守り刀を見せると人魚が微かに微笑んだ。目を閉じて他の人魚の歌声に聴きいる銀髪の人魚を見て、煉がふと首を傾げた。

(なんでこの人魚は歌わないんだろう……)


 流石の煉も連日の海通いの疲れが出たのか、岩に座って人魚達の子守唄を聴きながら少しうとうとするうちに、すっかり寝込んでしまった。


 朝陽に照らされて煉が目覚めた。欠伸しながら伸びをして、ぼんやりした顔で辺りを見回し、数秒後に跳ね起きた。

「し、しまった……!」



     6


 陽が昇りきった頃、ようやく家に帰りついた。気のせいか、家から何やら黒い瘴気が滲み出ているように見える。やけに静まり返った家の中にそっと入り、気配を消し足音を忍ばせて泪の部屋の前を通ろうとした、その時。


「煉」


 障子の向こうから己を呼ぶ低い声に、煉がびくりとした。しばし逡巡した後、そっと障子を開けて泪の部屋に入り、机に向かって書き物をしている泪の背後に正座した。

 部屋の隅には一晩で見る影もなく面やつれした泪の式神が背を丸めて座っている。泪にどこまでバレているのか知りたくて、何とか式神の気を引こうとしたが、式神は頑として煉と目を合わせようとはしない。式神の隣には何故か父者が座り、あらぬ方を眺め、もぞもぞと居心地悪そうに尻を動かしている。じじ様の姿はない。要領の悪い父者のことだ、きっと逃げ遅れたのだろう。

 式神からの情報収集を諦めて、なるべく己の行いを後悔している様に見えますようにと願いつつ、しょんぼりとうな垂れてみせる。しかしいつまで経っても一言も発しない泪の背中を、煉が上目遣いにちらりと見上げた。


 泪の長い髪は美しい組紐で一糸の乱れもなく結われている。あの組紐は、深い藍色と淡い空色、そしてじじ様に頼んで京で手に入れて貰った数本の銀糸を織り交ぜて、水を操る兄に似合うようにと煉が編んだのだ。出来上がったものを渡した時、泪は『ふーん、器用なものだな』と感心したように呟き、以来肌身離さず大切に使っている。

 しかし気のせいか、鮮やかな色合いの筈の紐が今日はやけにくすんで見える。仕方がない、と煉が腹を括った。どこまで兄者が承知しているのかはわからぬが、どちらにしろさっさと謝ったほうが得だろう。まさか殺されはしまい。


 慣れぬ正座に煉の足が痺れ切った頃、ようやく泪が筆をおき、ゆっくりと振り返ると静かな声で訊ねた。

「煉。人魚の唄は美しかったか」

 水を打ったように家中が静まり返った。半径一里以内の生きとし生きるモノ全てが息を潜めて自分を見詰めているのを感じ、流石の煉も思わず身を縮こませた。

「どうした?」

 泪が正面から煉を見据え、静かな声で続ける。

「俺を騙し、あろうことか女郎の如き手管で俺の式神を誑かしてまで聴きに行きたいほど、人魚の声は甘かったかと訊いている」


 ヤバイ、と思った。今顔を上げたら殺されるかも知れない。少なくとも手足の一本や二本はもがれるだろう。煉が首が折れるほど項垂れた。


 父者がごほんと咳払いすると場違いに明るい口調で泪に話しかけた。

「まぁまぁ、そこまで言わずとも、煉の物の怪好きは今に始まった事でもあるまい」

 ざわり、と部屋の空気が不穏に揺れた。(誰ぞあいつを黙らせろ……) 家の何処かで何かがぼそりと呟く。

「そんなに怒ると自慢の艶髪も抜けて禿げになろうぞ──」

「父上はお黙りなさい!!!」

 泪の鋭い一喝に父者がびくりとすると、大きな背中を縮こませた。


 このヒトは本当に水の術師なのだろうか。氷の間違いなのではないか。いや、炎かも知れぬ。物凄く熱いと、返って冷たく感じるものだとじじ様が言っていた。何にせよ、絶対零度の怒りの前に、煉も父者も無力なのだ。嵐の如き巨大な力を前にした時、ヒトはただひたすら身を低くしてそれが過ぎ去るのを待つしかない。


「煉……」

 凍った刃の様な泪の視線が不意に力を失い、煉を通り抜けて何処か遠くをみた。

「俺はお前が望むものを取り上げる気も、望まぬものを押し付ける気も無い」

 手の平からこぼれ落ちる乾いた砂のように、泪を形造る何かがさらさらと崩れてゆくような気がして、どきりとした。もしかしたら、俺は兄者を怒らせたのではなく、哀しませたのかもしれない……何だか急に息が苦しくなって、煉が唇を噛みしめた。遅ればせながら、初めて後悔の念が胸に湧いた。

「俺はお前に人魚を見に行くなと言ったのではない。ひとりで行くなと言ったのだ。理由はわかるな?」

 煉が項垂れたまま小さく頷くと、泪の声が僅かに和らいだ。

「人魚は夜しか歌わないのか?」

 何故そんなことを訊かれたのかわからず、上目遣いにちらりと泪を見て、煉がまた小さくひとつ頷く。

「そうか、では今宵からは鴉と共に行け」

 泪が机に向かうと短冊にするすると難解な模様のようなものを描いた。

「これを鴉に渡せ。あいつは鳥眼だが、これさえあれば夜目も効く」

 煉の前に短冊を置くと、泪が机に向き直り何事もなかったかのように書物を開き読み始めた。煉が無言でもじもじしていると、泪が肩越しに振り返って微笑んだ。

「どうした、もう行っていいぞ」

 ……本当はちゃんと謝りたいのに、でも何を言えば良いのかわからず、しばらく迷ってから泪の背に一礼してそっと部屋を出た。父者もそそくさと煉に続く。

 部屋の外に出たところで、父者がひとつ大きく息を吐くと、優しい眼で煉を見つめ囁いた。

「煉、無茶もほどほどにしておけ。泪が此の世で最も大切にしているモノは何か、それも分からぬほどお前とて愚かではあるまい」



「……子守唄か」

 部屋に残された泪が書物を閉じると、廊下を去ってゆく煉の足音に耳を澄ませ、そっと溜息をついた。


(To Be Continued)

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