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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第二章 〜 煉
17/123

終わりと始まり 〜 其の壱・子守唄(前編)

 立ち返り あはれとぞ思ふ よそにても 人に心を 沖つ白浪 (在原元方)


     1


 半年ぶりにもなろうか。遠方での退魔の仕事を終えた一家が久々に故郷の土を踏んだ。父と祖父がオオババに挨拶に行っている間、オオババの家の前で兄弟がのんびりとしているところに従兄妹達が通りかかった。兄の伊吹(イブキ)は泪と同い年、数えで十八になる。双子の妹の桜と椿は十四〜五にもなろうか。木陰に座っている泪を見つけた伊吹が、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「泪! 帰ってたのか。久し振りだな」

「さっき着いたばかりだよ。今、父上とじじ様がオオババ様に挨拶している。伯父上と伯母上に変わりはないか?」

「うちは相変わらずさ。変わりと言えば、三月程前に桜と椿が面を貰い受けた」

 泪が姉妹に微笑みかけた。

「それは凄いな。二人共もう一人前だね」

「いや、面使いとしてはまだまだだよ。でも、こいつらは薬草や生薬を見分けるのが上手くてさ。最近はオオババに就いて薬学なんぞを学んでいる」

 伊吹が妹達を振り返り、愛おしげに目を細める。

「確かにオナゴでも、お前達の母御……茴香(ウイキョウ)殿の様な素晴しい使い手もいるが、俺としては出来ることなら桜と椿には武術よりも学問を修めて欲しいと思っている」 ふと伊吹が辺りを見回した。「そういえば、子猿の姿が見えんな?」

「誰が猿じゃい!」

 煉が泪の頭上から顔を出すと、木の枝に逆さまにぶら下がって伊吹を睨みつけた。煉の周りを小鳥が羽ばたき、栗鼠が駆け回る。煉の首に巻き付いた白蛇を見て、桜と椿が悲鳴を上げ、伊吹が呆れた顔で笑った。

「煉、お前も変わらんな。少しは修行してるのか?」

 ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く煉を見て、伊吹がにやにやした。

「可愛くない奴め。折角良い事を教えてやろうと思ったのに」

と、煉が途端に目を輝かせて木から飛び降りる。

「なになに?! イブ(ニイ)の狼が仔を産んだのか?! 俺に一匹くれる約束おぼえてる?!」

 伊吹が笑いながらそんな煉の頭を撫でる。

「残念ながら、仔を産んだのは狼じゃない。人魚だよ」

「人魚?!」

「尾根を越えて東の谷を下ったところに小さな漁村があるだろう? その近くの海辺の岩場に人魚が卵を産み付けたらしい。人魚の産卵期は数百年に一度らしいからな。漁村のやつらは大喜びだよ」

「え? なんで? 」と煉が首を傾げた。「俺が前に出会った漁師は、人魚のこと、すっごく怖がってたよ?」

「確かに人魚だって妖魔の端くれだから人を襲ったりもするけど、奴等の唄は海を豊かにするからな」

「唄?」 伊吹の言葉に煉が不思議そうに首を傾げた。

「卵を育てるために、人魚は子守唄を歌うの。それが海の恵みも育てるのよ」と椿が答える。「とても素敵な唄らしいんだけど、聴いた人はあまりいないのよ。産卵期の人魚は気が立ってるから、人は近付けないの」

「人魚の卵は万病に効くらしいから、きっと盗みにくる人間を警戒しているのね」と桜が頷いた。

「という事だ。どうだ、面白い話だったろう?」

 自慢気な伊吹を前に、煉がじっと考え込み、「人魚の子守唄か……」 と呟いた。

「……煉、お前、間違っても一人で海に行ったりするなよ」

 泪が素早く煉を牽制しつつ、じろりと伊吹を睨んだ。全く、帰って早々に伊吹も余計な話をしてくれたもんだ。伊吹がぺろりと舌を出すのを見て、泪が溜息をついた。

「煉、わかっていると思うが、人魚は元々かなり気が荒い上に人嫌いだ。人魚の周りをウロチョロして万が一の事があっても、修行不足のお前では水に棲む妖魔には太刀打ち出来ない」

「うん、わかってる……」

 兄の言葉に殊勝げに頷きつつ、煉がカチカチと親指の爪を噛む。浜まで行くには尾根伝いだとまわり道になるから二刻はかかるな。谷を降りて直接行けば一刻、上手くすればもっと速く行けるかも……。

 上の空で頷く煉をみて泪が溜息をついた。

「煉、お前今日から当分の間炊事洗濯掃除の当番な。あと、水汲みに畑仕事と式神達の世話、庭の掃除もして貰おう」

「えぇっっ?! なんで?!」

「なんでって、修行も勉強もしないんだから、時間ならたっぷりあるだろう? あぁそうだ、しばらく空けていたから、家もあちこちガタついているだろうな。大工仕事も頼もうか。お前、そういうの得意だろう?」

 面白そうに二人を見比べている伊吹を泪がちらりと見やった。

「それが嫌なら、これから毎日、日の出から日没まで俺と伊吹と共に修行しろ」

「おいっ、俺を巻き込むな! お前らと一緒に修行なんぞしてたら、こっちの身が持たん!」

 慌てる伊吹を尻目に泪がにっこりと微笑む。

「どちらでも、お前の好きな方を選べばいい」


 騒ぐ伊吹と情けない顔をした煉を後に、泪はひとりでさっさと家へ帰ってしまった。



     2


 泪の奸計により、煉は連日家事に追われ、全く息つく暇もない。煉は式神を使わない。そもそも式神の作り方すらよく知らない。だから兄に言い付けられた仕事は全て自らの手でこなすしかないのだ。

 雨漏りを直すために登った屋根の上で一休みした煉が、東の尾根の方を眺めて溜息した。

「遅いなぁ。もうそろそろ返事が来てもいい頃なんだけど……」

  と、東の空にぽつりと黒い点が現れ、みるみるうちに近づいて来る。

「来た!」

 思わず歓声を上げそうになり、しかし誰かに聞かれてはマズイと、慌てて口を噤む。屋根に立って手を振る煉の肩に大きな鴉が舞い降りてきた。

「どうだった?!」

何やら目を輝かせ、勢い込んで訊ねる煉に鴉が羽繕いしながら答える。

「谷の主は煉殿の頼みなら喜んで、だとよ。晩方と早朝にそれぞれ一羽づつ谷底に待たせておくと言っておった」 嬉しそうな煉を見て、鴉がふと首を傾げた。「それにしても、こんな事、泪がよく承知したな」

 泪の名を鴉が口にした途端、煉が顔色を変えた。

「兄者には内緒だよ! 絶対言わないでよ!」

 慌てる煉を尻目に鴉がのんびりと欠伸する。

「俺に口止めしても無駄さ。泪はあれで中々勘が鋭いからな、お前のやりそうな事などどうせ御見通しだろう」

 煉の肩から飛び立った鴉が頭上を悠々と一周する。

「せいぜい用心するこった。俺は泪の怒りのとばっちりを喰らわんよう、しばらく山の方にいる。何かあったら呼べ。泪の機嫌の悪い時には呼ぶな」

 山へ向かって飛び去ってゆく鴉を見送った煉がワクワクした表情で大工道具を掴んだ。

「よし、こうしちゃいられない、さっさと屋根を直して家事を終わらせようっと」


 

 ……数日後。大アクビをしながら家事をこなす煉を泪が不審そうな目でじっと見た。泪の視線を感じた煉が慌てて欠伸を噛み殺し、そそくさと外に水汲みに出る。

 ……おかしい。 泪が顎に手を当て考え込んだ。煉の奴、なんであんなに疲れてるんだ? しかし日中に家を空けた様子はないし、家事も全てこなしている。まさか夜中に家を抜け出しているわけあるまいが……いや、わからんな。泪が首を振った。我が愚弟は常に人類の予想の左斜め上をゆく。一応式神を見張りに付けておくに越したことはない。


 一方、一家の式神を飼っている部屋に煉が餌をやりに入った。泪の式神達を特に念入りに毛繕いして、多めの餌を与える。すっかり煉に懐いた泪の式神達が煉に腹を見せて擦り寄った。



     3


 真夜中。寝静まった家から小さな影が走り出ると木陰に飛び込んだ。その数秒後、厠に行こうと自室を出た泪が、中庭で足を止めて耳を澄ませた。

(気のせいかな? 枝の折れる音がしたと思ったんだけど。)

 泪が煉の部屋の障子をそっと開けると中を覗き込んだ。小さな弟が眠る寝床はふっくらと丸みを帯び、枕元に泪の式神が座っている。障子の隙間から射し込んだ月の光に式神が目を細め、泪から顔を背けた。

(式神もちゃんと付いているし、大丈夫だな。)


 泪が安堵の表情でひとつ頷くと、そっと障子を閉め自室へ戻った。


     ❀


 月明かりに照らされた急な山道を、煉の小さな影が駆け登る。不意に道から外れて木立に飛び込むと、大木の枝から枝へ猿のごとく器用に飛び移り、あっという間に東の谷の崖の上に出た。そして次の瞬間、深い谷底に張り出した岩をひと蹴りし、指笛を吹きながら恐れ気もなく谷底に身を躍らせた。ばさりと羽音がして、大きな影が月の光を遮るようにして岩から飛び立ち、煉の帯を空中で掴まえた。そして谷底までゆったりと煉を運び、岩に降ろす。

「ありがと~、谷の主によろしくね!」

 煉が投げて寄越した握り飯を怪鳥が一飲みする。飛び去るそれに手を振ると、今度は岩から岩へ飛び移り、川を下り、一刻程で海に出た。

 浜から百メートル程離れた沖にある岩場を眺めながら浜に腹這いになると、目をつむり、耳を澄ませる。波の音の合間に切れ切れに微かな歌声が響く。

「どうせならもっと近くで聴きたいなぁ」

 起き上がって波打ち際に近付き、岩場の方角に目を凝らす。人魚の影がちらつく大岩から少し離れた波間に幾つかの岩が見える。気付かれないようにあそこまで辿り着ければ、もっと近くであの歌声が聴けるのではないか。

「よし!」

 泪の怒った顔が一瞬頭に浮かんだが慌ててそれを打ち消すと、着物を脱ぎ捨てる。縄で縛った面を眺めて少し迷い、やがて意を決したようにひとつ深呼吸すると面を背中にくくりつけ、沖に向かって静かに泳ぎだした。

 なるべく水飛沫を上げないよう静かに泳ぎ、人魚達の集う岩から少し離れた岩場に上手く辿り着いた。そっと岩に這い登ると、岩の裏に隠れたまま人魚の歌声に耳を澄ませる。煉は人魚の言葉を知らない。しかしその旋律は、波間を吹く風や、月明かりに砕け散る波の煌めき、そして遠く深淵な海の色を想い起こさせる。

 綺麗だなぁ……。そっと溜息をつき、月を見上げた。

 煉は子守唄を知らない。

 泪は音痴だし、父者やじじ様は音楽や芸術などにはもっとも縁遠い人種と言えよう。無い物ねだりをしても仕方がない。そもそも子守唄を知らないからと言って、煉は己を不幸だなどと思った事はない。唯、暗い海原に響く歌声に、見知らぬ母を想う。

 母上は生きていた時、俺のために歌ってくれたのだろうか……。

 自分のために子守唄を歌う母を想像してみようとしたが上手くいかず、せめて卵のために歌う人魚の姿をひと目を見たいと思い、煉がそうっと岩陰から顔を出した。

 次の瞬間、心の臓が二秒ほど停止した。


 鼻先三寸程の暗闇に、ぬらりと光る人魚の眼があった。


 僅かに開けられた紅い唇の隙間から覗く細く尖った歯は仄かに光を帯び、余りに白くて、なんだかそれだけ別個の生きモノのように闇に浮いてみえた。ふ、と空気が揺れ、不意に煉を見つめる瞳孔がすいっと猫のように細くなった。

 まさか卵から離れた岩場に人魚がいるとは思わず油断していたためか、はたまた亡き母のことなど想って柄にもなくしんみりとしていたためか、思わず焦って足を滑らせた。

「ぐえっ」

 尖った岩肌に酷く肩を打ち付け、潮水をしたたか飲む。

 人魚達の歌がはたと途絶えた。

 無我夢中で浜まで泳ぎ帰ったが、人魚達が煉に襲いかかってくる様子はなかった。肩で息をしながら浜に上がり、岩場を振り返る。月が翳り、人魚の姿は見えない。煉がほうっと安堵の溜息をついた。

「今の、ちょっと危なかったなぁ」

 まさに危機一髪だったが、まぁ終わり良ければすべて良し。岩にぶつけた肩を見ようとして、振り返った瞬間、一気に血の気が引いた。

「しまった……」

 岩にこすった時に縄が切れたのだろうか、肩に掛けていた筈の面が無い。

 泪の鋭い声が頭に響く。


『面使いの心得、其の壱。面使いたる者、如何なる時も決して面を手放すな。面を失くすなどもっての外だ』


「あわわわわわ」

 慌てて周囲を見回したが、面が見つかるはずもなく、更に人魚の縄張りに近いせいか、手助けしてくれそうな物の怪もいない。

「どどどどうしよう……」

 怒り狂う泪を想像し、焦りに焦って浜を駆け回る。だめだ、絶対にあの岩場近くで落としたに決まっている。かと言って、侵入者を待ち構えているであろう人魚達の岩場に戻るなど、流石の煉もぞっとしない。

「それどころか、きっと面は今頃海の底だろうな……」

 もしかしたら波で浜に打ち寄せられるかもと、一縷の望みに賭けて陽が昇るまで浜をうろついてみたが、とうとう面は見つからなかった。面は見つからず、おまけに卵を盗みにきたのではないかと浜の漁師達に睨まれて、昼前に這々の体で村へ逃げ帰った。


(To Be Continued)

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