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幕間その三 居酒屋にて【Side:理一郎】

山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。

ハラハラドキドキなお話をお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

 パソコンの電源を落として机の上を片づける。

 時刻は午後六時。

 理一郎が仕事を終えたと同時に見計らったように終業のベルが鳴る。

 周りでも皆思い思いに机の上を片付け始めた。

 中には残業覚悟なのだろうか。机にかじりついたままの者もいる。

「瀬川くん」

「はい」

 顔をあげると同僚とはいっても二年先輩の男性社員がブリーフケースを片手に近づいてきた。

「これから二課や総務部の連中と飲みに行くんだけど、君も行かないか?」

 理一郎が社長子息と知られていないからだろう。

 瀬川一族の一人だとは認識されていても、妙にへりくだったり気を遣われたりせずに気軽に声をかけてくれるのはありがたい。

 しかし今日は先約があるのだ。

「あ、いえ、自分は」

「酒が飲めなくてもいいじゃないか。ウーロン茶でもジュースでも! 付き合いは大切だぞ~?」

 今日は遠慮しておくと言いかけると男性社員は「まさか」と言って内緒話するように顔を近づけた。

「デートか? 彼女と会うのか?」

「そんな約束があったらすっ飛んで帰りますよ。今日は大学時代の友人と会う約束なんです」

 彼女はいる。

 つい先日、結婚を前提として付き合い始めた女性が。

 それは恋人、もしくは彼女と言っていいだろう。

 しかしまだ彼女のことは公表したくはなかった。

 彼女の存在が知られてしまったら、きっと根掘り葉掘り聞かれたあげくに、あることないことまで噂されそうだからだ。

 桜子が社外の人間でよかったと、これだけはいえる。

「それは男か?」

「当たり前じゃないですか」

 笑って即答すると「それなら仕方ないか」とガックリと肩を落として背を向ける。

 なんだか断ったのが悪かったみたいな気がしてその背に声をかける。

「すみません。また機会がありましたら」

「ああ、いいんだ。君をエサにして総務部の女の子を呼ぼうとしただけだから。言ってみれば社内合コンだよ。イケメンが一人か二人いれば女の子は寄ってくるからな」

「はぁ」

 思わず気が抜けてしまう。

 自分をダシにされるというのは気分的にはよくないが、下心をあっさり暴露して潔く諦めるところはこの男性のいいところだと思うので、理一郎は個人的には親しみをもっていた。

 だからだろうか。

 廊下に出た彼を追いかけて、並んで歩きながら彼にだけ聞こえるように言った。

「俺、彼女いますよ」

「えっ!? ……え、マジで!?」

「社内の人じゃないですけどね。だから、そういう集まりに呼ぶのだけは勘弁してもらえませんか?」

 エレベーターに乗り込むと二人きりになって普通の声の大きさに戻る。

「いつから? 今年の新年会のときにはフリーだって言ってなかったか?」

「つい最近ですよ。付き合い始めだからあんまり誤解されるようなことはしたくないもんで」

 誰に、とは言わなくてもわかるだろう。

「じゃあ今日はやっぱりデート……」

「違いますって。この時間だと彼女はまだ働いてる時間ですから。今日は本当に友達と会うんですよ」

「そうか。じゃあ仕方ないな。皆に言っておくよ。瀬川くんは彼女ができたみたいだからふられたーってな」

「言わないでくださいよ……。佐野さんだから正直に言ったのに」

 拗ねたように言うと、宥めるように肩を叩かれた。

「わかったわかった。本当のことを言っておく。瀬川くんは先約があって、大学の友達と会うみたいだって言えばいいんだろう?」

「お願いしますよ、本当に」

 念を押しておけば大丈夫だろう。プライベートなことだから、彼ならばあちこちに言いふらしたりはしないはずだ。

 道に出ると飲み会の会場に向かう彼と別れて駐車場に向かう。

 酒はあまりたしなまない理一郎のことをよくわかっていて、自分を家まで送れという図々しい友人だがいざとなれば頼りになることも知っている。

 だからって。

「なんで居酒屋なんだ」

 普通のレストランでもいいだろうとひとりごちながらハンドルを握った。

 

「おー、待たせたな」

「遅い。俺、酒も飲まずにウーロン茶とつまみだけで、店員に変な顔されたぞ」

「悪い悪い。車がつかまらなくってさー」

 大学どころか、付属中学からの付き合いである友人、杜島朝もりしまはじめは理一郎の向かい側に腰を降ろした。

「島グループの後継者がなんで居酒屋を指定してくるんだ。個室があるレストランでもいいだろうが」

 ブツブツと文句を言う理一郎の態度は悪い。

 視力は悪くないので、はずしたメガネをスーツの胸ポケットに差し込んだまま相手を睨む。

 こんな理一郎を目にしたら、桜子はきっと目を丸くするに違いない。

「こういうところだからいいんだよ。ダチと会うんだから改まった場所なんて用意する必要はない」

 上には上がいるというのはこういうことを言うのだと杜島を見るたびに理一郎は思う。

 桜子から見たら理一郎だって相当な資産家の子息と思われるだろうが、杜島は理一郎の上をいく。

 彼は国内でも有数の優良企業、島コーポレーションをトップに島グループを形成している杜島家の跡取り息子だ。

 杜島家の資産は瀬川家の十数倍はある。

 そんな家の重みが杜島の肩にはかかっている。

 将来、理一郎も瀬川家を背負っていく立場ではあるが、杜島も悩み事は数多くあるだろうにそんなことはおくびにも出さずにいつも楽しげな顔をして生きている。

 理一郎は彼のそういう精神的な強さを羨ましいと思い、一目置いているのだ。

「そういえば、お前、見合いしたらしいな?」

 飲みかけたウーロン茶を気管に入れてむせかえった。

 まだ瀬川本家内での話であって、親戚筋にすら知られていないのに。

「なんでお前知って」

「うちの系列のホテル使っておいて、俺には連絡もなしか?」

 チラリと考えないではなかったのだ。

 いつも利用しているホテルは島グループ系列のホテルで、まさか瀬川家の総領息子が見合いのために利用しましたなんてグループ上層部にいる杜島まで連絡がいくとは思わなかった。

「なんてな。本当はチラッと耳にはさんだだけだよ。『この前、瀬川社長と息子さんらしき人をホテルで見ましたよ。息子さんのほうは着物を着た女性と仲良く歩いてらっしゃったので、結納でもされたんでしょうか。結婚式はやっぱりおたくのホテルでされるんでしょうかねえ』ってね」

 やっぱりどこに人の目があるかわからない。

 いまだ瀬川家を継ぐ者として公表されていない自分一人なら目立つことはないが、父と一緒にいるとどうしても周囲の目が向いてしまうのだ。

「お前が結婚するなんて全く聞いてなかったから、結納じゃなくて見合いだろうなーとは思った」

 カマかけたのが正解だったかと杜島は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「しかし見合いねえ。おまえはそういうのはしないと思ってたよ。どこの家のお嬢さんなんだ?」

「そんなにいい家の娘さんじゃない。普通の家だよ。こう言っては悪いと思うけど」

「は? 普通の家なのにお前と見合い? いったいどういうツテだよ」

 杜島には話しておいてもいいだろう。

 もしかしたら、いざというときには助けを求めることができるかもしれない。

 ざっとあらましを説明すると杜島はビールを一口飲んでから言った。

「へえ~、お前それで惚れちまったの? 確かにお前は誰かに本気になることなんてなかったよな。来るものはとりあえず選ぶけど、去るものは追わずだったし。本気でのめりこんだことなかっただろ」

「俺だって親父とじいさんに言われるまでは半信半疑だったよ」

 瀬川家の男は、一目で自分の生涯の伴侶となるべき女性を選ぶらしい。

 見合いが終ってから祖父や父にそう教えられた。代々、何故かそう・・なのだと。

 おまけにその女性を一途に想うという。

 いままでなんとなくという気分とか流れで女性と付き合っていた理一郎は、本気になれなかったのはそのせいかと納得してしまったほどだ。

 今はとにかく桜子が欲しい。

 許されるならいますぐ腕の中に閉じ込めて、誰にも見せたくないくらいだ。

「で、お付き合いを始めたのか。お前だったら口説くのは簡単だろ? んでホテルのスィートにでも連れてってやれば、一発でオーケ…」

「言うな、アホ!」

 ベシッと頭をはたいた。

 天下の杜島家の跡取り息子にこんなことができるのは片手の数もいない。

「彼女はそういうタイプの子じゃないんだ。それでなくても俺、というか瀬川に対して負い目があるから」

 自分で言っておいて凹んだ。

 彼女自身は理一郎を嫌ってはいないだろう。表情や仕草、言葉の端々からもある程度の好意は持ってくれていると思う。それが恋愛感情を伴っているのかどうかはわからないが。

 これだけ真剣に交際を申し込んでいるというのに、全面的に信じてもらえていないみたいでかなり落ち込む。

「本気だ、将来的には結婚をって言ってるのに、試しにお付き合いしてみるって感じなんだよなあ」

「そりゃ相手にしてみればそうだろうよ」

「あ?」

 中ジョッキのビールを飲み干した杜島はつまみを摘んでいた箸で理一郎を指した。

「そんだけ見た目がよくて、お金持ちのおぼっちゃんが自分なんかを本気で口説くわけがない。お試し期間みたいなもので、そのうちにおまえのほうから別れを告げられるとか思ってんじゃないの?」

「……そうなのか?」

 人を箸で指すなと手を押しやってから眉間に皺を寄せる。育ちがよくて所作も完璧なのに、友人達と集まると途端に柄が悪くなるのは何故なのかといつも不思議に思う。

「お前さあ、そのお見合い相手の彼女に好きだの、惚れただのって言ったか?」

「……結婚を前提として申し込んでるんだ。それくらいわかるだろう?」

「……バッ……ッカか、お前!」

 杜島は脱力したようにテーブルに突っ伏す。その態度が言葉ではなく心からバカにされたみたいで思わずムッとする。

「やだよー、顔がいいだけでモテまくって、自分から告白したことのない男って! んなんだから彼女に本気にされないんだろ?」

「なっ……お前だっ………お前は、違ったな」

 幼い頃から押して押して押しまくって、幼なじみ兼ハトコを婚約者として手に入れた男だ。理一郎が反論できるわけがない。

「ま、いまさら告白したって、とってつけたみたいになるからやめとけ。むしろ清い交際でもしてみたらー?」

 語尾を延ばしたいい加減そうな言葉にカチンときた。

「杜島、お前、俺に用があったんじゃないのか?」

「ああ、この話をしたかっただけ。だって面白そうじゃん」

「それだけなのか……」

 お互い社会人になって、自分が継ぐべき会社のことがある。何か深刻な問題でも起きたのかと心配するではないか。

 杜島はビールを飲み干すと追加注文してから言った。

「それに、婚約したのは俺のほうが先だけど、お前のほうが先に結婚しそうだな」

「そう思うのか?」

「なんとなくな。お前のじーさまが早く早くってせっつきそうだ」

「そうなんだよ。『ワシが元気なうちに曾孫を早くつくれ』ってうるせーのなんのって……、つくるどころかその前段階にも持ってけねーっての」

「だから清い交際から始めろっつってんだろ。たまにはいきなりベッドじゃなくて、段階踏んでみろよ。千里の道も一歩から、だ」

 なんだかひどい言われようだとは思ったが、桜子が相手ならそれがいいのだろう。

 理一郎はいい加減とか不誠実な男ではないのだ。

 こちらの本気をわかってもらうにはそれしかない。

「そういえば聞き忘れたけど、彼女ってどんな感じの女よ? 美人なのか?」

 興味をもたれたら困ると一瞬考えかけたが、苦労して思いを遂げた女性がいるヤツだ。心配の必要はない。

「可愛い」

「は?」

「ものすごい美人ってわけじゃないんだけど、どっちかというと可愛い系で、でも美人かと訊かれたら、美人だっていえる」

「はぁ」

「見た目の雰囲気がふんわりした癒し系なんだけどな、口開いたら印象が少し変わる。ギャップがあるっていうのかな。行動もテキパキしていて、無駄のない動きするんだよなあ。それでいて、こっちにいろいろと気を遣って遠慮がちなところもあって、なんかもう全部が可愛い……なに笑ってんだ」

「………いや………お前、すげーな。いままでつきあってきた女とイメージ違うじゃん」

 声を出さずに肩を震わせて笑っている友人を訝しげに見ると、感心したように言われて複雑な気分になった。

 言われてみれば、理一郎がこれまでつきあってきた女性は、自分に自信があって、連れて歩いても見劣りしない容姿の持ち主ばかりだった。しかも理一郎は付き合っている間は浮気などしないし、誠実に接するものだからタチが悪い。

 しかし、理一郎自身が本気にならず、まず家を第一、家族を最優先にするものだから、彼の一番にはなりえないと女性たちのほうが諦めて去っていくのがほとんどだった。

 社会人として働き始めたころから家を継ぐという意識も芽生えてきたので、おざなりな付き合いはやめようとスッパリと縁を切っていたことを知っている杜島から見れば、理一郎の今の言葉は新鮮に思えるのだ。

「見た目ふんわり癒し系の可愛い系美人か。お前には意外とあってるかもな。それでスタイルも抜群によかったら完璧じゃないのか?」

「スタイル……」

「なんだよ、まさかガリガリ貧乳とか言うんじゃないだろうな? お前が今まで連れて歩いてた女だって、モデルばりの体つきだったけど、どこもかしこも骨ばっかりで抱いても痛そうだったぞ。いいか、女ってのは触り心地が一番大事なんだ。ふわふわぷにぷにしてるのが一番いいんだ! 胸だってデカイのがいい!」

「それはわかる。腰骨なんかが当たるとマジで痛いからな」

 力説する杜島にこのおっぱい星人めと心の中で悪態つきつつ、あまり気にしていなかったが桜子はどうだっただろうかと考える。

 初めて会ったときのシャツとジーンズ姿、見合い当日の振袖姿、つい先日映画を見に行ったときの格好などを思い出す。

「……ヤバイ」

「何が?」

「胸、デカイ」

「そうなのか?」

「背はそんなに大きくないんだけど」

 そう言って理一郎は自分の顎先に手を挙げる。おそらく百五十五センチ前後しかあるまい。

 体型も太りすぎても痩せすぎてもいない。

 なのに。

「胸がデカかった。巨乳ってわけじゃないんだけど、服着てても大きいってわかる程度には」

 ふっくらと形よく盛り上がっている胸は上げ底なんてしていないだろう。あの胸の形を見ればわかる。

 小さく見積もってもC、おそらくはDカップかEに近いのではないか。

 夏服などの襟ぐりの開いた服を着たら、ちょっと覗き込むだけで胸の谷間が見えそうだ。

「トランジスタグラマーってヤツ?」

「勘弁してくれ。次に会ったらまず胸に目がいきそうだ」

 そんないやらしい目で見られているなんて桜子が知ったらどう思うだろうか。

 頭を抱える理一郎を意地の悪そうな目で見た杜島は腕を伸ばして肩を叩いた。

「男のサガってそんなもんだよ。お前がガリガリ貧乳じゃないと嫌だってなら別だけど」

「んなわけあるか。胸は大きいほうがいいに決まってる」

 もちろん、体のどこもかしこも柔らかいのがいい。

 小柄だけど抱き心地はよさそうなんだよなあ、とぼんやりと考えていると、杜島がトドメの一発を刺した。

「お前、次のデートのときにいきなりホテルに連れ込むなよ?」

 

 杜島を自宅マンションに送り届けて瀬川邸に戻ったときには午後十時近くだった。

 彼は本当に理一郎の見合いの事実確認をしにきただけだったらしい。

 酒に弱い理一郎とは反対に、杜島はザルだ。

 かなり飲んでいたはずなのに、自宅のあるマンションの前で降りたときもケロリとした顔で手を振っていた。

「ただいまー」

 玄関に入ると大きく息をついた。

 友人と食事をするのは楽しいが、今日は妙に疲れた。

 明日は土曜日だ。

 日曜日には桜子と水族館に出かける予定なので、用事は済ませておかなければ。

 予定を思い出しながら靴を脱いで上がり框に足をかけたところで、脱いである靴に気づいた。

 同時にトタトタトタという足音が聞こえてきたので顔を上げると下腹部に衝撃が走る。

「りーちにぃー! おかえりー!」

「おま……和佐かずさ!」

 ぶつかるように抱きついてきたのは従弟の和佐だった。

 今年五歳になる和佐は両親が仕事で家を空けるときにはいつも泊まりにきているのだ。

 そういえば今日は両親の帰りが遅くなるため、泊まる用意をしているはずだった。

「おまえなあ、いきなりぶつかってくるのはよせ」

 ただいまといって頭を撫でるように髪をかきまぜる。

「りーちにぃ、遊ぼう?」

「遊ぶぅ? 今、何時だと思ってるんだ? もう寝る時間だろう?」

 いつもは午後九時前には布団の中に入っている和佐は頬を膨らませて理一郎を見上げた。

「あしたはおやすみだもん」

「お休みでもダメ」

 足にまとわりついてくる従弟をなだめすかしながらリビングに入ると、もう一人の従妹、和佐の姉である麻里子まりこが「おかえり」といった。

 和佐も麻里子もすでにパジャマ姿だった。

「母さん、和佐の布団は用意できてるんだろ?」

「そうなのよ。さっきから寝なさいって言ってるのに、あなたが帰ってくるまで待ってるってきかなくて」

「だって、りーちにぃとあそぶんだもん」

「拓海はどうした。拓海はっ」

 遊び相手なら自分じゃなくてもいいだろうと言うのに、麻里子が肩をすくめていった。

「拓海兄さんは合コンなんだって。いつ帰るかわからないって言ってた」

「たくにぃはごうコン! りーちにぃ、ごうコンてなに?」

「あー……おまえはまだ知らなくていいから」

 早く寝ろといつも寝室がわりに利用している客間へ追い立てる。

「まだねむくないーっ!」

「嘘言うな! さっきから目をこすってるじゃないか。コラ、目をこするな!」

 しょうがないとひょいと片腕に抱き上げて客間に入ると、畳の上に敷かれた布団に寝かせる。

「ほら、もう寝ろ」

 きちんと上掛けをかけてやってから理一郎もその横に寝そべった。

 リモコンで部屋の明かりを消すと途端に闇に包まれる。

「むかしむかしあるところに……」

「りーちにぃ、そればっかり」

「うるさい」

「ねぇ、りーちにぃ、じぃじがね、りーちにぃはおよめさんをもらうっていってたよ。およめさんはいつくるの? およめさんてきれいなんでしょう?」

「あー? じいちゃんはまたよけいなことを……」

 和佐の言う「お嫁さん」とはテレビで見ているウェディングドレスや白無垢を着た女性のことだろう。

 まだ幼い子どもとはいえ、和佐も男なのか、テレビで見る綺麗な花嫁をやたらと気に入っていた。

 ああいうドレスなどを着たままで女性が家に来ると思っているのだろうか。

「お嫁さんねぇ……そうだな、いつかは来るかもな」

「いつかっていつ? あした?」

「明日は無理だな」

 子どもらしい問いだと思いながら、ぽんぽんと布団の上からおなかを優しく叩く。

「あしたのあした?」

「うーん、明日の明日も無理だな」

 その日は水族館デートだ。いきなり家に連れてくるわけにもいくまい。

「……」

「和佐?」

 寝てしまったらしい。

 いつもながら寝つきのいいことだ。

 寝起きもあまりぐずらないのでこうして本家で預かるときはいつも助かる。

(背広脱げばよかったな)

 皺の寄ってしまった背広を脱ぎながら自室に戻る。クリーニングに出すことにしよう。

 普段着に着替えてリビングに戻ると志保が立ち上がった。

「何か食べる? 車で戻ってきたんだからお酒は飲んでないんでしょう?」

「お茶漬けでいいよ。杜島と居酒屋に行ってたから、つまみみたいなものばっかり食べてたんだ」

「あら、杜島さんの息子さんと? 相変わらず仲がいいわねえ」

「腐れ縁だよ」

 テーブルの上に置かれた茶碗と箸を手に取った。

「理一兄さん」

 麻里子が隣に腰掛ける。

 問いかけるような目に、茶碗に口をつけながら目で問い返す。

「おじいちゃんから聞いたんだけど、結婚するの?」

「いや、まだだけど」

 和佐が聞いたというのだから、麻里子だって聞いているのは当然か。

「婚約は?」

「それもまだ。というか、そういう話が出ているだけで、相手の人とは付き合い始めたばかりだから、婚約だの結婚だのって話はまだ先だ」

「そうなんだ」

「あら、マリちゃんはお兄ちゃんをとられるから寂しいの?」

「えっ!? 違うの! そうじゃなくて」

 麻里子は手を振って否定しながら不安げな顔をした。

「大丈夫だよ、麻里子。相手の人はとってもいい人だから」

 安心させるように従妹の頭を撫でた。

 麻里子は人見知りする上に内気でおとなしい性格だ。それに、理一郎しか知らないトラウマがある。

「きっと麻里子も気に入るよ。和佐だって」

「もう、理一兄さん、それはおかしいんじゃない? 私たちが気に入った人をお嫁さんにするつもり?」

「似たようなもんだよ」

 

 杜島には思いっきり笑われたように見た目が好みだったというのは本当だが、それよりも重要視しているところもある。

 

 しかしそれを麻里子に話すつもりはない。

 

 もし、そのことを話すとしたら、まず一番に桜子に対してだ。

 

 

 

「幕間」は理一郎サイドの話です。

本編に関わるような深い話ではありません。

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