第四話 デートに行こう
山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。
ハラハラドキドキなお話をお求めの方にはおすすめできません。
約束の日曜日。
「さっちゃーん! 理一郎さんがいらしたわよ~」
「え、もうっ!?」
前日まであれこれと悩んでコーディネイトした服を着て、メイクをし終えたところで母から呼ばれた。
「私が早く来すぎただけなので、ゆっくりしてても大丈夫ですよ」
理一郎の声が玄関から聞こえてくる。
「だったら上がって待っていらしたら?」
「いえ、車を表に停めたままですから、こちらでお待ちします」
そんな会話をされたら急がないわけにはいかない。
バッグの中身を確認して、携帯電話を持つと玄関まで走った。
「さっちゃん、家の中では走らないの!」
「わかってますっ」
母に注意されつつも、逆光の中に浮かび上がる長身の姿を見とめるとドキリとした。
(今日はスーツじゃないんだ)
Tシャツの上にVネックの春物セーターを着て、ボトムは細身のデニムだ。
格好いい人というのは、何を着ても似合うなあと感心する。
「お、おはようございます」
「おはよう」
柔らかく微笑んだ彼の額にかかる髪に今日はきっちりとセットされていない。
そうしていると、年相応というか学生っぽく見える。
スーツと髪型の効果はかなりあるようだ。
「すぐに出れる?」
「はい、大丈夫です」
背の高い理一郎に合わせるために少々踵の高い靴を選んで取り出すと背後から声がした。
「ホントにデートなんだ」
振り返るとパジャマ代わりの上下のスウェットを着た修吾が立っていた。髪が寝癖でくしゃくしゃだ。
なんて恥ずかしい格好だ。理一郎の前だというのに。
「修ちゃん! そんな格好で出てこないでよ!」
「しょうがないだろ。トイレ行きたかったんだよ……っと、はじめまして、弟の修吾です」
理一郎はまったく動じた風もなく、穏やかに軽く頭を下げた。
「瀬川理一郎です」
「ごめんなさいね、理一郎さん。修ちゃんたら日曜日は遅くまで寝てるものだから」
のんきに笑った百合子とは対照的に桜子は一人で恥じ入る。
「いえ、俺の弟も似たようなものですから。修吾君は大学二年だと聞いたけど……?」
「そうです。K大の文学部で」
「じゃあ弟と同い年だ。顔は…合わせたことないかもしれないな。同じK大の経営学部なんだ」
「そうなんすか! 今度大学で探してみますよ。理一郎さんの弟さんなら、きっと目立つだろうからすぐにわかるかも」
「俺も弟に話しておくよ」
なんだか妙に気が合っているようだ。
理一郎と弟にはさまれて桜子は二人を交互に見た。
仲が悪いよりはいいのだが、弟には早く着替えてもらいたい。
「んじゃ、姉ちゃんをお願いします」
姉の心弟知らずとでもいうのか、修吾は軽く頭を下げると部屋に戻っていった。
「桜子さん」
「あ、はいっ」
「それじゃ行こうか」
「は、はい。それじゃ、お母さん、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
靴を履いて玄関に立つと、理一郎は百合子に言った。
「早めに戻りますので」
「あらあ、いいんですよ、遅くなっても。さっちゃんたら友達と遊びに出かけてもお夕飯までに戻ってくるんですもの。若いんだからもう少し遊んでくればいいのにね」
「わかりました。じゃあ、夕飯は食べて戻ります」
え、と戸惑う桜子を促して理一郎は玄関のドアを閉めた。
階段を降りて表に向かうと、店の前に黒のコンパクトカーが停まっていた。
「ちょっとの間だったから、ここに停めさせてもらったんだけどよかったかな?」
「え? あ、はい。大丈夫です。今日はお店も休みだし、長時間でないなら……でも、この前の車と違いますね?」
先日、理一郎が乗っていた車はシルバーのセダンだった。
目の前の車は理一郎のような若い男性が好んで乗るタイプの車だ。しかもハイブリッドときている。
「ああ、この前のは親父の車。社用車でもあるから仕事のときは使ってるんだ。これは俺のプライベート用」
「はあ、そうなんですか」
運転手つきの高級車もあるし、いったい何台の車を所有しているのだろうか。
瀧沢家では店の仕入れ用の幌つきのトラックが一台と、家族で使う軽自動車が一台あるだけだ。
桜子も時々父の手伝いで市場に行くことがあるので車の免許を持っているが、自分の車を持つなんて今の収入では無理だ。
「実家住まいだからね。家賃とか駐車場代がいらないだけにローンを組んでも十分払えてるよ」
助手席のドアをどうぞと開けられて乗り込む。
「ご自分で支払われてるんですか?」
「そりゃあ自分の車だからね。当然じゃない?」
それはごもっともなことなのだが、桜子の友人の中には親に買ってもらったという話も聞いていたので、瀬川家の資産を考えると親が買い与えたなどという考えが思い浮かんだのだ。
しかし、先日会った恭一郎夫妻の人柄からして子どもを甘やかすなどということはしなさそうだ。
感心しながらシートベルトを締めようとすると後部座席がチラリと視界に入り、思わず後ろを振り返った。
(あれって、チャイルドシート……ジュニアシートっていうんだっけ?)
六歳以下の子どもを乗せる場合に必要なものが何故この車にあるのか。
「ああ、アレか」
理一郎は桜子が何を見ているのか気づいて苦笑した。
「時々、いとこを乗せることがあるんだ。まだ小さいから必要なんだよ。降ろすのも面倒くさいからそのままにしてる」
「あ、ああ……いとこ、ですか」
「何を想像してた?」
笑いを含んだ声で聞かれて、桜子は何もと首を振った。
「あの、いとこって幾つなんですか?」
「ええと……今年で五歳じゃないかな。並みの子どもより大きいからシートなんて必要ないとは思うんだけど、車に乗るとジッとしてないから大人しくさせるのにちょうどいいんだ」
「ずいぶんと年が離れてるんですね」
「ん? ああ、でもそのいとこには上がいるから。上の子は中学一年の女の子だよ。この二人は近所に住んでてうちにもよく来るから桜子さんも仲良くしてくれると嬉しいんだけどな」
そんなことを話しているうちに幹線道路に出た。
理一郎の運転は最初に感じたとおり、ずいぶんと上手かった。車の流れに自然にのっていく。
「あ、私でよければ……」
と言っておいてハタと気づく。
(家に行くの決定!?)
なんだか着々と外堀を埋められている気がする。
桜子にその気がないわけではないのだ。
結婚はいつかはしたいし、子どもだって欲しい。はたして理一郎がその相手になるのだろうか。
彼を警戒しているわけではないが、静かになるのが嫌で何か話題をと必死に考えた。
「あの、瀬川さんのご趣味ってなんですか?」
自分としては至極まっとうな質問をしたつもりだったが、理一郎は噴きだした。
「なに、その質問……もうお見合い終ってるんだけど」
おかしすぎると理一郎は前を向いたまま笑う。
そんなに変な質問だっただろうか。彼について何か知らねばと思っただけだというのに。
何も言えなくなって押し黙ってしまうと理一郎は謝ってきた。
ちょうど赤信号で車が停まる。
「ごめん。俺は陽介さんに君のことを少し聞いていたからわかっていたつもりだったんだ。でも、君は俺のことを何も知らないんだったね」
そう、それが不安になっていた原因だ。
少し泣きそうになっていたために声が出ずにコクリと頷いた。
「とりあえず、お互いのことをこれから知っていくためにも、俺のことは名前で呼んでくれないかな」
「は?」
何故そうなる。
「俺は君のことを名前で呼んでるのに、君は『瀬川さん』なんて不公平すぎる」
どういう理屈だ。
そう思ったのだが、理一郎は話を続ける。
「うちに来たら全員が瀬川さんだよ。名前で呼んでくれないと誰を呼んでるかわからないだろ」
「それはそうですけど」
桜子は少しドキドキしながら彼の名前を口にする。
男性の下の名前を呼ぶことはめったにしないので、妙に緊張した。
「あ、の、り、いちろうさんは映画はよく観るんですか?」
「よく、というわけではないけど、観たい映画は必ず観に行くよ」
信号が青に変わってゆっくりと車は動き出した。
「この前も言ったと思うけど、君も映画を観に行くって聞いたから、話が合いそうだなって思ってたんだ。ただ、学生時代に比べると行く回数も減ってるけど」
「私もなんです。働き出すとなんだかんだで時間があまりとれなくて」
最近は映画の公開からDVDになるまでの期間も短い。DVDが発売されるのを待とうなんて考えることも多くなってきた。
「だけど、やっぱり映画館の大画面で見たくなるんだよな」
「はい」
一つでも好みが合うものがあれば話題はつきない。
どんな映画を見たのかなどと話していたら、残り半分の距離まできていた。
「休憩とかしなくて大丈夫?」
「私は平気ですけど、理一郎さんはお疲れじゃないですか?」
「俺も大丈夫だからこのまま行こうか」
「はい」
車で一時間くらいかかるとは聞いていたが、事前にトイレは済ませておいた。
映画が始まる前にもう一度トイレに行けばいい。
「お休みの日は映画を見に行く以外は何をされてるんですか?」
「そうだなあ……友達と会ったり、家の用事をしていたり、いとこたちの子守とかかな」
「そうなんですか」
なかなか忙しい日々を過ごしているのだなと思う。
すると理一郎は笑いをこらえたように言った。
「もしかしてさ、デートしてるかとかって聞きたかった?」
「え!? いえ、そんなことは全然」
ぷるぷると首を振る。
そんなこと考えもしなかった。自分としては気になることを聞いただけだったのだ。
「あ、そう……しまった。余計なこと言わなきゃよかったな」
理一郎は顔をしかめた。
そんな彼を見ていると、なんだか気になってきた。
「理一郎さんは、付き合ってる人はいないって……」
「いないよ。それは本当。見合いの日も言っただろ。そんな人いたら君との話は断ってるって」
「えと、それは聞きましたけど……」
「いままで女の子と付き合ったことがないとは言わないけどさ。今は君だけだから信じて」
「は……」
ズキュン、と心臓を狙い撃ちされたかのような衝撃があった。
はい、と頷きかけたが、まるで告白されたかのような言葉に胸が痛くなるほどに高鳴る。
(それって、それって!)
胸が痛い。
顔が熱い。
どう反応したらいいのかわからない。
頬が熱くなっているのを感じながら膝の上に乗せたバッグの柄を握りしめる。
そんな桜子の様子に気づいているのかいないのか、理一郎は話題を変えた。
「桜子さんの誕生日ってやっぱり四月?」
「え? たん……?」
突然話が変わってホッとすると同時に話についていけなくて戸惑う。
「誕生日」
「あ、はい。四月です。わかり……ますよね。やっぱり」
「うん、まあ『桜』だしね」
理一郎は苦笑気味に言った。
「名づけたのは陽介さん?」
「いえ、おじぃ……祖父なんです。祖父にとって初めての女の孫だったし、私が生まれた日はいい天気で桜が満開だったからって」
「なるほどね」
名前の由来を聞いたときは安直だなあと思ったけれど、祖父の一番好きな花が桜で女の子が生まれたら桜と言う字を使って名づけようと思っていたのだと後になって聞いて嬉しかったのだ。
桜子はそのことも話そうとすると、理一郎の言葉に目を丸くする。
「大介さんは桜が好きだったもんな」
「え?」
大介というのは祖父のことだ。理一郎は祖父と面識があるのだろうか。
聞こうと思って口を開きかけると、彼のほうから説明してきた。
「大介さん……君のお祖父さんは亡くなられる前はときどきうちに来てたんだよ。というか、うちのじいさんに会いに来てたんだけど。うちの庭にも桜があるから春になると二人でよく花見してた」
「そうだったんですか」
理一郎の祖父とは本当に仲が良かったのだろう。
そんなことはちっとも知らなかったけれど。
祖父の話も気になるが、自分の誕生日の話をしていると気になることがでてきた。
「あ、あの、理一郎さんのお誕生日は……?」
「俺? 俺は八月。八月二十日生まれ」
ということは、彼は今二十三歳だと聞いていたから八月で二十四歳になるということか。
(誕生日プレゼントとか用意したほうがいいのよね?)
今は五月だ。まだ三ヶ月先のことだが、リサーチしておいたほうがいいような気がする。
でも、家が裕福な彼が欲しいものなんてあるのだろうか。
頭の中であれも違う。これも違うなどと考えていたら目的地に到着したらしい。
「着いたよ」
「え」
前方を見ると大きな建物があった。
ニュースにもなっていた最近オープンしたばかりの大型ショッピングモールだ。敷地面積だけでもかなり広く、映画館も入っているという。
「大丈夫?」
「な、何がですか?」
「喋らなくなったから車に酔ったのかと思ったんだけど」
「だ、大丈夫です! ……ごめんなさい。考え事してました」
「それならいいけど」
それ以上深く追求されなかったのでホッとした。
そのうちにも理一郎が運転する車はショッピングモールの立体駐車場へと入っていく。
「ここなら君も気に入るかと思ったんだけど、どうかな?」
「ニュースで聞いてはいましたけど、すごく広いんですね」
「この前、叔母がここに来たらしくてね。楽しかったっていうから。映画を見終わったあとにショッピングもできるだろ?」
「はい、そうですね!」
映画も楽しみだけどその後も楽しみになってきた。
最上階にある映画館に着くと、理一郎は「ちょっと待ってて」と券売機でチケットを発券してきた。
スラリとした長身は大勢の客の中にいても目立つ。
しかもモデルのようなスマートな歩き方なので、その容姿が際立って見える。
周辺の客、特に女性たちが彼に気づいて何か囁きあっている。
「はい」
「ありがとうございます」
チケットを手渡されて慌てて財布を取り出した。
「いいよ。お金は」
「でも」
「俺に出させてよ。男の甲斐性の見せ所ってもんでしょう」
いいのかな、と思っていると理一郎は言った。
「俺が誘ったんだから気にしなくていいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
これ以上問答しても彼は絶対に受け取らないだろうから素直に好意に甘えておこう。
場内に入って席に座ると、隣の理一郎の肩が妙に近いことに気づく。
膝の位置もずっと前にあって、彼の足の長さがよくわかる。
自分も居心地のいいように腰を落ち着けると、理一郎は後ろを気にしていた。
「?」
「後ろの人の邪魔してないかと思ってさ」
桜子はシートから頭も出ていないが、理一郎は頭半分出ている。
「大丈夫じゃないですか? 最近の映画館は座席の間も高さも余裕がありますから」
「シート自体も大きく作られてるしね」
「せがわじゃなくて……理一郎さんは背が高いから頭が出ちゃいますね」
そう言うと理一郎はプッと吹きだした。
「胴長だって言われなくてよかった」
そんなことはない。バランスのいい体格で足なんてすごく長く見えるのに。
冗談めかした口調が可笑しくて声を抑えて笑っていると場内が暗くなった。