幕間その二 嫁認定(?)【Side:理一郎】
山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。
ゆるやかに話が進んでいきますので、ハラハラドキドキなストーリーをお求めの方にはおすすめできません。
幕間は理一郎サイドの話です。サイトではなく、ブログで番外編として公開したものを加筆修正しています。
見合い当日の朝。
理一郎はクローゼットの中からスーツを取り出した。
三つ揃いのスーツは成人式のときにオーダーメイドで作ったものだ。
大学の卒業式や華やかな場には着ていったことがあるが、仕事には不向きなのでめったに身につけることはない。
そのスーツに合わせたカラーシャツを着てネクタイを締める。
「お、なんかはりきってんじゃん」
ノックもせずに扉を開けて覗き込んできた弟に顔をしかめた。
「ノックぐらいしろ」
「兄ちゃんだってしないだろ。……彼女をうまく落として家に連れきたら考えるよ」
この部屋に二人で籠もるというのなら遠慮くらいしてやろうという意味にますます渋面になる。
「そう簡単に連れ込めるかっ」
「そうかあ? ま、いままでここに連れ込んだことないのは知ってるけど。うちに連れてくるってことは本気だろうから、そんな簡単に手を出すつもりもないんだろ?」
「……だからってここでそんなことできるわけないだろうが」
そう、一番の問題はそれだ。
一応各部屋防音対策はしっかりなされているが、四六時中誰かが家にいるのであれば、短い期間でも一人暮らししたほうがいいだろうかなどと本気で考えている。
しかし、まさかそれ目当てに家を出るわけにもいくまい。
「とまあ、仮定の話は置いといて」
仮定の話かよ! と心の中で突っ込む。
「兄ちゃん、マジで落とすつもりなんだな」
「……ああ、手は出すなよ」
「出すつもりないって。俺と兄ちゃんの好みって似てるようで違うからな」
「だな」
おかげで歳が近いというのに女性を取り合うどころか深刻な兄弟喧嘩もしたことがない。
いいのか悪いのかと思うが、兄弟でお互いに立ち位置が違うことをわかっているからかもしれない。
「でも、兄ちゃんの好みの女かー。興味あるから近いうちに連れて来いよな」
「そのうちにな」
この一年でかけなれたメガネをとろうとすると、横から拓海がとりあげた。
「おい」
「やめとけよ。会社じゃないんだし、目が悪いわけでもないんだから、女落とすならメガネじゃないほうがいいって」
「そうか?」
「それって女避けのつもりでかけてるんだろ?」
「……全然女避けになってないけどな」
学生時代、端整な顔立ちのせいで散々女性に言い寄られたので、少しは顔を隠せるかと思って就職してからメガネをかけるようになった。
確かに言い寄る女性は減った。メガネ越しの目つきが冷たそうだという評価を受け、実際にそっけない態度をとっていたので女性が群がることはなくなったが、熱い視線を送られるのは反対に増えてしまった。おかげで会社内にいるとどこでも人の目がありそうで、気の休まる暇がない。
理一郎が社長子息だというのは実はあまり知られていない。「セガワ商事」の会長、社長ともに瀬川という名字ではあるが、専務、常務にはじまり、子会社の社長など関連会社や社員の中に瀬川という名字があまりにも多いので、「瀬川」という名字がつけば瀬川一族なんだなと思われる程度だ。
そんなわけで理一郎が次期社長だと知っているのは瀬川一族とそれ以外の重役たちだけだ。もしかしたら薄々勘付いている者もいるかもしれないが、そういう連中は頭の回転も良いので無駄な騒ぎは起こさないだろう。
もしも理一郎が次期社長だと知られたら玉の輿目当ての女性が目の色を変えて近寄ってくるに違いない。
いままでもそうだった。
家柄とか財産目当ての女性なんて絶対に御免だ。
桜子もある意味では似たようなものだが、決定的に違うのは瀬川の家の力をあてにしていないところだ。
うまく立ち回れば借金のことだって帳消しにできるだろうに、そんなことはまったく考えていないのだろう。
祖父の友人にそっくりだ。
だからこそ好ましいと思ったのかもしれない。
絶対に頷かせてみせる。
借金の返済を盾にするなんてフェアじゃない。
そのことを抜きにしてこの家に連れてくる。
そのためには使えるものはなんだって使う。
まずはこの見た目を生かすべきか。
弟のアドバイスを受け入れ、理一郎はメガネを置いて廊下に出た。
光一郎が予約を入れた料亭があるのは、瀬川邸から車で約三十分ほどのところにあるホテルの中だ。
理一郎が自分の車をホテルの駐車場に預けると、ほどなく両親もロビーに入ってくる。
「佐々木は待たせてるの?」
「ああ、四時から別のところで会合があるからな。佐々木には瀧沢さんたちを送らせるから、おまえの車で送ってくれ」
「俺が瀧沢さんたちを送ればいいじゃないか」
「おまえの車は狭いだろう? 静かで振動が少ないのはいいが、窮屈じゃないのか?」
「……わかったよ」
こんなことなら社用車にもしている恭一郎のセダンのほうがよかったか。
眉間に皺を寄せると恭一郎は見透かしたようにニヤニヤと笑う。
「桜子さんにいい所見せたいんだろうがな」
「……後ろに乗ってくれよ」
助手席には座らせないという意味に恭一郎は声を押し殺して笑う。
「わかったわかった」
「ったく……あ」
ティーラウンジでコーヒーを飲み終えたところで桜子たちが入ってくるのが見えた。
「お見えになったのか?」
「あ、うん」
「あのお嬢さんが桜子さん? 理一の言うとおりに可愛いわねえ」
一応お見合いというのを考慮したのだろうか。
桜子は落ち着いた色合いの振袖を着ていた。
着物だけではなく身につけている一式がすべて誂えられたように揃っているので自前なのだとすぐにわかった。
先日初めて対面したときにはノーメイクだったが、派手にならない程度に化粧しているのでずっと目鼻立ちがはっきりしている。
最初から可愛い顔立ちだとは思っていたが、こうしてみると可憐さが引き出されている。
見た目だけならふんわりとした優しげな感じなのに、口を開くと少し印象が変わるのだ。
両親はそれをどう思うだろうか。
理一郎はそんなことを考えながら桜子たちに近づいた。
父を会合が開かれる料亭に送り届けてから自宅へと車を走らせる。
「理一、買い物したいから途中で寄ってくれる?」
「ああ」
いつも母が買い物しているスーパーは駐車場も広くて停めやすい。
ただ、夕方で混雑しているだろうから、どこかうまく空いてくれればいいのだが。
「桜子ちゃんもお料理するって言ってたわね」
目を瞬かせてバックミラーで母の顔を確認する。いつの間にか「ちゃん」付けになっている。
食事中、志保はしきりに桜子に話しかけていた。
桜子のほうは少し緊張はしていたようだが、志保の言葉に嫌な顔一つせず微笑んで丁寧に答えていた。
* * *
「ごめん、母がいろいろと突っ込んだことまで聞いたりして……」
「え? 全然そんなことないですよ。うちの店に来るお客のオバサンたちなんてもっとパワフルですから。それに、理一郎さんのお母さまはうちのお母さんと雰囲気が似てますよね。のんびりほややんとしてて……だから調子を合わせやすいっていうか、安心します」
「の、のんびりほややん……ね」
理一郎が吹き出すと、桜子は慌てて弁解するように言った。
「あ、ご、ごめんなさいっ。うちのお母さんを表現するとああなるっていうか……その、おっとりされてて優しそうなところがっ」
「いや……いいよ。その、表現が的確で感心した……」
庭で二人きりで話をしたあと、両親の元に戻る途中で話した内容を思い出した。
* * *
「母さん、彼女のこと気に入った?」
嫁姑の関係が悪かったらどうしようかと思っていた。
最悪の場合、家を出たほうがいいだろうかと思っていたのだが。
「そうねえ、弟さんがいらっしゃるお姉さんなんでしょう? しっかりしてるみたいだし、お箸の持ち方とか、食事の仕方とか、お着物を着たときの歩き方とか、ちゃんと教えられてそれが身についているんだもの。きちんとした躾をされたお嬢さんなのね。あれなら安心だわ」
「……そんなところ見てたのか」
確かに箸を持った手が綺麗だなとは思った。
女性と食事をする機会は何度となくあったが、あまりにも箸の持ち方が悪くて食べ方まで変に見えてしまってげんなりすることもあった。
そんなこともあって、外で食事をするときにはなるべく洋食にするようになってしまった。
「あら、わからなかった? お着物を着たら、歩き方も変えないと格好が悪く見えるのよ。桜子ちゃんは苦労せずに歩いていたから、あなたは気づかなかったでしょう?」
「……そう言われてみればそうかも……」
「そういえば、あのお振袖もレンタルじゃなくて自前ね」
そこまで気づいたのか。さすがに女性は目の付け所が違う。
「お振袖にしては色や柄がおとなしめだとは思ったのよ。だけど、あれは将来的には訪問着にもできるようにしてるのね。お嫁入りするときには袖を切って縫い直すんじゃないかしら」
「へえ、なるほどねえ」
「楽しみねえ、桜子ちゃんがうちに来るのが」
「気が早いだろ。一応、結婚を前提として交際を始めるって話をしただけで、結婚式どころか婚約の話すらできてないんだから」
どうやら将来の嫁認定はされたらしい。あとは口説き落とすだけだが、あまりにも気の早い母の言葉に苦笑してしまう。
「あら、何を気の弱いことを言ってるの。せっかくお父さん似のいい男に生んであげたんだからがんばりなさい」
「見た目だけ好かれてもねえ」
「何言ってるのかしら、この子は。外も中身もって話じゃないの」
志保は自画自賛するんじゃないけどと言った。
「母さん、買い物するんじゃないの?」
母が話している間にいつものスーパーの駐車場についていた。
「早かったわねえ。じゃあ行きましょうか」
「はいはい」
習慣というのは恐ろしいもので、母のあとをついていきながら買い物カゴをカートに載せる。
我に返って苦笑する。
子どものころはそうでもなかったのに、いつの間にか荷物持ちが身についてしまっている。
こんな風に桜子と買い物をする日が近いうちに訪れるのだろうか。
それはきっとそんなに遠くない未来であろうと思っている。