第二十話 招かれざる客
山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。
ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
祖母の家を出た二人はそのまま瀧沢家へと向かった。
陽介に承諾を得るためだ。
二人が結婚することを報告すると、陽介は少しだけ寂しそうな顔をしたがすぐに頷いてくれた。
「理一郎くん、桜子をよろしくお願いします」
と、それだけを言った。
瀬川家への挨拶はというと、理一郎が「俺が報告するだけで大丈夫だよ」と言う。
毎週顔を合わせていて、すでに嫁扱いとなっているのでいまさらだと言うのだ。
それでも一応両親を連れて一度ご挨拶に来ますと言って理一郎は帰っていった。
その週の土曜日の午後。
桜子がいつものように瀬川家で花嫁修業をしていると、突然来客があった。
アポイントすら取らずにやってきた客に、志保は戸惑いながらも表側の玄関に向かった。
この日、珍しくも光一郎と恭一郎の二人ともが何の予定もなく午後には帰宅していたので、二人で来客の応対をする。
その間に教えられたとおりに来客用の湯飲みを出してお茶の用意をしていると、志保が慌しく台所に入ってきた。
「桜子ちゃん、お義父さんと恭一郎さんが呼んでいるから応接間に行ってちょうだい」
「私がですか?」
嫁扱いされているといっても正式に瀬川家に嫁いできたわけではない。
来客の応対はしなくていいと言われていたのに、どうしてだろうか。
怪訝に思っていると、志保はリビングで新聞を読んでくつろいでいた理一郎にも声をかけた。
「理一も一緒に来るようにって」
このところ週末の出張もなくなって土曜日は桜子とともに瀬川家で過ごしていた理一郎だったが、二人揃って呼ばれるとはどうしたことか。
桜子は湯飲みを載せたお盆を持って理一郎の後ろをついていった。
表側の接客スペースの応接間に入ると、光一郎と恭一郎が座る真向かいに女性二人が座っていた。
「沙絵子おばさん……沙希ちゃん?」
この前会ったばかりの叔母ともう一人、こちらは久しぶりに会う従妹がいた。
この従妹は弟の修吾と同い年で、叔父夫婦の一人娘だ。
人見知りするタイプではないのだが、とても内気な性格だ。
その沙希は心なしか青ざめている。
知らない家に来たからというわけではなさそうだ。
「来たか。座りなさい」
「はい」
桜子はとりあえず湯飲みをテーブルの上に置くと、控えるように少し離れたところに座ろうとした。
「桜子ちゃん、あんたはもううちの人間といってもいい。理一郎の隣に座りなさい」
「は、はい……」
威厳ある光一郎の声に否と言えず、理一郎の隣にそろそろと座る。
これから何があるのだろうかと不安に思って理一郎を見上げると、大丈夫だというように手を握られた。
「ずいぶんと桜子ちゃんは可愛がられているようですね」
沙絵子は桜子を無遠慮な目で見た。
その目に剣呑な光を見つけてますます不安になる。
一体どうしたというのだろう。
「理一の嫁にはもったいないと思っとるよ」
「ちょっと調べさせていただきましたけど、知りませんでしたわ、お義兄さんの店に融資なさったのが瀬川会長だったとは。あの店もどうなるかと心配はしていたのですが、持ち直したと聞いて驚いたばかりだったのです」
「……陽介くんは元々堅実な商売をする。元あった店だけなら十分にやっていけるのだから、驚くことでもないでしょう」
恭一郎は普段よりも低めの声で淡々と喋った。
「それもそうですね。でしたら、その弟の啓介さんにも力を貸してくださってもよいのでは?」
啓介とは陽介の弟、つまりは桜子の血の繋がった叔父だ。
ああ、そういうことか、と桜子はようやく理解した。
叔父の啓介は料理の才能があったのか、料理好きも高じて調理師の免許をとり「ビストロTAKI」という洋食店を開いた。
開店当初はテーブル席が十席もない小さな店だったが、陽介のフォローもあって味が良いと口コミで評判になり、どんどんと店を拡大させて今では支店をあわせた三店舗を構えるほどになった。
その店の経営面を支えたのが啓介の妻、沙絵子だった。
結婚当初はお互いに支えあって店をきりもりしていたのに、何年か経ったころから、啓介は店の運営に忙しく、沙絵子は店舗拡大のために走り回ってすれ違いの生活をしていたらしい。
一人娘の沙希は忙しい両親にかまってもらえず、一人寂しい思いをしていた。
それを察した母の百合子がなにかと家に呼んでは面倒を見ていたのだ。さすがに大きくなってからはあまり顔を出さなくなっていたので、会うのは久しぶりだった。
陽介と啓介は血の繋がった兄弟なだけに仲はいい。しかし、百合子と沙絵子の嫁同士はどうにも気が合わないらしく、喧嘩はしないまでも態度はよそよそしいままだった。
沙絵子は「ビストロTAKI」をここまで大きくさせたのは自分の力だと思っているフシがあり、それをなにかにつけては鼻にかけるようなことを言っていたので、桜子も内心では辟易していた。
しかし経営手腕に目を瞠るものがあるのは確かで、店の経営は順調だと思っていたのだが、そうではなかったと知ったのは一年以上も前のことだ。
マートタキザワが大きな負債を抱えてしまったとき、陽介がまず最初に頼ったのは当然ながら実の弟だった。店も繁盛しているということだったし、多少の余裕があるのではないかと思っていたのだ。
啓介は話を聞いた途端、渋い顔をした。
金を貸すのを嫌がったのではない。
自分のところも余裕がないのだと、そのとき初めて告白したのだ。
それでもやはり兄を助けようと思ったのか、支店の二店舗の土地を担保に銀行から金を借りてみると言ってくれた。
しかし、そこで反対したのが沙絵子だった。
そんなことをして、もしも自分たちの店まで倒れるようなことがあったらどうするのだと。
その言葉が啓介の怒りに火をつけたのか、お互いを罵りあう夫婦喧嘩が始まった。
驚いた陽介は、もういいと言ったのだ。
自分達のせいで弟夫婦が喧嘩するなどよくない、自分達でなんとかするからとその場を収めた。
その話を聞いた桜子は会社を辞めて店を手伝う決意をしたのだった。
そして現在、沙絵子は瀬川邸を訪れて、光一郎たちの前に座っている。
もしかすると、この前祖母の家の前で理一郎に会ったことで察しをつけたのかもしれない。そこでマートタキザワと瀬川家の関係を調べたのだろう。
ようするに、陽介ばかりを助けて、その弟は助けてくれないのかということを言いたいらしい。
それはその通りなのだが、桜子は穴があったら入りたいという言葉を本当に実践したくなった。
ブルブルと震えだした桜子を気遣うように理一郎が握りしめている手に力をこめる。
恥ずかしさと怒り、哀しみがごちゃまぜになる。
「沙絵子おばさん、恥ずかしいと思わないの!? こ、こんな……こんなことをしてっ!」
陽介は自ら金の無心に来たわけではない。息子の状態を見るに見かねた母親が頭を下げたからこそ、光一郎が乗り出してきたのだ。
それを自分も恩恵を受けるのは当然という顔をするなんて、なんという面の皮の厚さか。
しかし沙絵子は桜子の憤りを目の当たりにしても、冷ややかに睥睨した。
「思っているわよ。だから恥を忍んでお願いに来ているんじゃないの。あなたこそ、一体どんな条件を出されたのかしらね? お父さんの店の借金を背負う代わりに、跡継ぎを産めとでも言われたの?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
叔母の言葉をもう一度頭の中で反芻して、ようやく何を言われたのか理解する。
カッと頬が熱くなった。
「っ!?」
「いい加減にしろ!!」
ダンッ!
と理一郎がテーブルを叩いた。
「黙って聞いていれば、さっきから勝手なことばかり言って! 調べたという割には、調査が甘いんじゃないのか!? お義父さんは……陽介さんはあんたみたいに娘を売ったりなんかしていない!」
理一郎が先に怒り出したせいで出鼻をくじかれたみたいになった桜子はその言葉を聞いて唖然とした。
沙希がいるのはそのためか!
「沙希ちゃん!?」
従妹は俯いたかと思ったらワッと声をあげて泣き出した。
桜子は怒りを忘れて沙希のそばへ行って宥めるように背を撫でた。
「ごめ……ごめんなさ……さっちゃん……」
「いいの。いいのよ……沙希ちゃんは悪くないから」
あきれ果てたとしか言いようがない。
実の娘を売ろうとする母親がいたなんて。
いったいいつからおかしくなってしまったのだろう。
怒りを通り越して悲しくなってしまった。
「……理一郎のいうとおりだ。あなたは調査不足だったな。陽介くんは毎月うちにきっちりと返済している。それも決められた額以上をだ」
恭一郎が静かに言った。
それを聞いて桜子は顔をあげる。
そんなこと知らなかった。毎月ちゃんと返済しているとは聞いていたけれど。
「私は無理をしなくていいと言ったんだ。だがね、陽介くんは言ったよ。『少しでも胸をはって、桜子を嫁に出してやりたい』とね。あなたの考えとは天と地ほどの差があると思うが?」
「お父さんが……」
桜子を安心させるように恭一郎は頷いた。そして沙絵子に向かって言う。
「こちらとしてもあなたにはいろいろと言いたいことがある。私たちが陽介くんのところに融資をする際に何も調べていないとでも思っていたのか?」
大きくため息をついた光一郎は息子の後を継いで言った。
「親兄弟から親戚筋に至るまで、借金が返済可能かどうかくらいは調べさせてもらった。それでもワシが陽介くんに融資を決めたのは、佳美さんに頼まれたからだ。啓介くん……いや、あんたを助けてくれとは頼まれていない」
「そ、れは……」
「ここ数年、あなたは店の金を使い込んでいるそうじゃないか。ホストクラブのホストに相当貢いでいるらしいな。こっちではその金額も把握しているんだが? まあ、このことはこの前、理一郎からどうにもあなたの行動が怪しいと聞いたから調べておいたんだ」
桜子は驚いて理一郎を見た。まさかあの日のことを気にして父親に報告していたとは。そんな素振りはまったく見せていなかったのに。
恭一郎は父親ほどではないにしても、相当厳しい目をして言った。
光一郎も恭一郎も、金がないのは自業自得だろう、何故、自分たちがそんなことをしでかす者を助けなければならないと言わんばかりの顔つきだった。
彼らは慈善事業者ではない。自分の利益に繋がらないことには、そう簡単に財布の紐を緩めることなどないのだ。
沙絵子の顔色は真っ青を通り越して真っ白になっていた。
ガタガタと大きく震えはじめる。
桜子は気の毒と思うよりも哀れみを覚えた。
悪い人ではないのに。
自分が幼かったころ、開店したばかりの小さな店のテーブルで、明るい笑顔で笑いかけてくれて、叔父の作ったビーフストロガノフを自慢げに目の前に差し出してくれたことを思い出す。
「そのくらいにしてやってください」
静かな声が聞こえて襖が開いた。
「勝手にお邪魔して申し訳ありません。妻がご迷惑をおかけしました」
「あなた……」
「叔父さん?」
桜子の叔父、瀧沢啓介は室内に入ってくると沙絵子の隣に正座すると深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。瀬川会長、社長。このたびは本当に申し訳なく思っております。妻がしでかしたことは、もともとは私のせいです。私が、もっと早くに決断していればこんなことには……」
啓介は苦々しい顔をしながらスーツの内ポケットから一枚の用紙を取り出した。
テーブルの上に広げられたそれは「離婚届」だった。
「慰謝料は払う。おまえが作った借金も俺が持つ。でも、沙希は渡さん」
きっぱりと言い切った啓介をぼんやりとした顔で見上げた沙絵子は、手渡されたペンでのろのろとサインをして立ち上がる。
一旦、部屋を出て行きかけたが思いなおしたかのように正座しなおして畳に手をついた。
「お騒がせして、申し訳ありませんでした」
その謝罪がせめてもの良心のように思えた。
まるで最初の威勢の良さなどなかったかのように出て行く背中はずっと小さく見えた。
「おかあさん……」
母の後を追おうとした沙希を「やめなさい」と啓介が止める。
「自分で責任を取らせるべきだ」
「啓介叔父さん……」
「桜子、おまえにも迷惑をかけたな」
「ううん……」
緩く首を振った桜子は従妹の背中をそっとなで続ける。
「会長、社長、それに理一郎くん……だったね? ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
もう一度頭を下げた啓介に倣い、桜子も沙希も頭を下げる。
「やめなさい。ワシらはあんたたちには迷惑をかけられてはおらんよ。それよりも、啓介くん、店のことはどうするのかね?」
「はい……店は全部たたもうと思います。もともと私には手に余るほどだったんです。すべて売ってしまえば全額返済できるかと。沙絵子への慰謝料もどうにかなるでしょうし、残ったお金でまた小さな店を開こうと思います。私にはそれが性に合ってると思いますので」
「そうか」
光一郎は頷いた。
叔父の答えは彼を満足させたようだ。
「そのときは是非うちに声をかけてください。すべてとは言えませんが、ある程度は力になれると思います。私が知ってる業者を紹介することができると思います」
理一郎がすばやく口をはさんだ。
すると啓介は口元をほころばせた。
「それはずいぶんと心強い」
「いや、それはちょっと待ってほしいんですがね」
再び襖の向こうから声が聞こえた。
「無断であがりこんでしまって申し訳ありません。勝手知ったる他人の家というやつですが」
「杜島!?」
襖を開けて姿を見せたのは、杜島朝だった。
理一郎が驚いたように友人の名を呼んだ。
桜子も何故彼がここにいるのか訳がわからない。
杜島は光一郎のそばに来ると正座してお辞儀した。
「夏にはお会いしましたが、瀬川会長、社長、お久しぶりです」
「うむ」
「元気そうでなによりだ」
「この場をお借りして申し訳ありませんが、ビジネスの話をさせてもらっても構いませんか? もちろん、会長たちにも話を聞いていただきたいのですが」
それはかまわないと光一郎たちは頷いた。
杜島は啓介に挨拶をして、名刺を手渡した。
名刺に目を通した啓介は驚いた顔をして杜島の顔を見たが、すぐに首を傾げた。
巨大ホテルグループの御曹司がいったい何の用だと思っているのだろう。
「瀧沢啓介さん、あなたは先ほど店を売ると仰いましたが、売却に関しては我が島コーポレーションの不動産部門にまかせていただけませんか? それともう一つ……あなたをヘッドハンティングしたいのですが」
「私を……ですか?」
啓介は驚愕に目を見開いた。
理一郎は何かを窺うように杜島に訊ねた。
「杜島……何を考えてる?」
「たいしたことじゃない。今度、市内にあるうちのビジネスホテルを一つ、大改装して新規オープンさせる予定なんだが、その一階に宿泊客だけでなく一般客も気軽に入れるレストランを作りたいんだよ。入口もホテル内だけじゃなく表通りにも作ってな。高級じゃなくていい。それこそ、誰にでも好かれるような味を提供してくれるレストランをだ」
杜島は説明を始めた。
「俺はずいぶん前から『ビストロTAKI』に目をつけていたんだ。味がよくて、アットホームで気軽に立ち寄れる店だって評判だったからな。オーナーシェフだけじゃなく、他の料理人もかなり腕のいいのが集まってるって話も聞いた。実際、俺も食べに行ってみた。本当に美味かった。この腕は欲しいと思ったね。しかし……」
深くため息をつく。
「経営状態がかなり悪い。どうしたものかと思いながら調査報告書を読めば、なんとオーナーシェフは桜子ちゃんの叔父さんだって話じゃないか。それならツテのある瀬川会長に相談してみようかとここに来てみたら、さっきの騒ぎというわけだ。申し訳ないが隠れて聞かせてもらってたんだよ」
杜島は口元に笑みを浮かべて言った。
「運も実力のうちというが……俺は運がいいらしい。瀧沢さん、あなたに新規オープンするホテルのレストラン『ビストロTAKI』のオーナーシェフになっていただきたい」
もちろん、正式な依頼は後日しますと杜島は言った。
誘いをかけられた啓介は戸惑った顔になる。
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、私は料理を作るだけで……」
「経営面に関してはうちの専門家たちを派遣しますのでご心配なく。そして、この話にはセガワ商事にも一枚噛んでもらいたいと思っています。担当は瀬川、おまえを指名したい」
「俺を……え、なんで?」
瀬川家はもともとは学校の経営から事業を始め、そのうちに学校の備品、机や椅子などを自社で製造販売するようになり、少しずつ事業を拡大させていった。
その結果、現在の株式会社セガワ商事の主な事業内容は、学校の備品の製造卸売はもちろんのこと、オフィス家具の製造卸売に加えて店舗販売もしている。近年ではオフィス家具の販売を視野に入れた、オフィスデザインをメインに手がける「デザインルーム・セガワ」という会社を立ち上げていた。
理一郎が所属しているセガワ商事本社の営業部営業二課は、企業相手のオフィス家具の卸小売を担当している。
担当課を越えた業務はできないのに自分を指名するとはどういうことか。
なるほど、と言ったのは恭一郎だった。
「わが社の製品をホテルで使っていただけるということですか」
「あ」
「ええ、そういうことです」
ビジネスホテルということもあり、ラグジュアリーホテルのイメージとは違うものにしたいらしい。
文字通りにビジネスに使用するホテルということで、ロビーに置くソファやテーブル、ホテルの事務所内のオフィスデザインと家具は、専門のセガワ商事に依頼することにしたのだそうだ。
「デザイン専門の会社があるんですから、有効活用させていただきます。家具についてはうちのホテルオリジナルのデザインをお願いしたい。もう一つ、専門外となるかもしれませんが、レストランの内装と家具のデザインも依頼します」
「父さん……」
さすがに大口の契約となると社長の息子ではあるにしても、社内では平社員の一人である理一郎の一存では担当はできないだろう。
窺うように社長である父を見やる。
「販売担当は理一郎……いや、おまえ一人ではまだ荷が重い。おまえの上司は浅岡だったな? 浅岡と二人で担当しろ。デザインのほうは、泰平にまかせる」
父の口から叔父の名があがり目を瞬かせる。
デザイン製作部門の統括責任者は恭一郎の一番末の弟だ。「デザインルーム・セガワ」のトップデザイナーでもある。インテリアデザインは専門外だが、これまでセガワの製品デザインを手がけてきた優秀な人材が部下にいる。
それを耳にした杜島はニヤリと笑った。
「瀬川社長、ずいぶんと太っ腹ですね」
「これを足がかりにさせてもらうつもりですよ。……というわけで、理一郎も頼むぞ」
「はい」
理一郎はしっかりと頷く。そこで頃合を見計らった桜子が恐る恐る口をはさんだ。
「あの……それで、叔父さんのことは……?」
そうだった、と理一郎と杜島、恭一郎までもがマズイという顔つきになった。
すっかり置いてけぼり状態になっていた啓介は、呆気に取られた顔をしていた。
「申し訳ありません。瀧沢さん、すっかり仕事の話に夢中になってしまって……」
「申し訳ない」
「すみません」
三人から謝られて、啓介は恐縮したように手を振った。
「いやいや、気にしないでください。詳しい話はまた後日として、この話はお受けしたいと思います」
「本当ですか? ありがとうございます!」
大企業の御曹司はその地位を鼻にかけることなく畳につきそうなほど頭を下げた。
「叔父さん、いいの?」
少しだけ心配になって叔父に訊ねると、苦笑して頷いた。
「俺は料理は好きだが、経営のことになるとさっぱりだ。専門の人がついてくれるというのならありがたい。それに、『ビストロTAKI』の名前が残るんだからな……」
「そうだな、その名前は大ちゃんがつけてくれたものだものな。啓介くん」
「はい」
そんな思い入れがあったのか。知らなかった桜子は沙希と顔を見合わせた。
「それでは込み入った話はまた日を改めて席を設けさせていただきます。企画書はうちの担当から書面にしてメールで送らせていただきますが、とりあえずは……瀬川、おまえ宛でいいか?」
「……そうだな。俺から社長に渡しておく」
恭一郎が頷くのを確認してから答える。
そこで一応自分の話は終ったと杜島は立ち上がった。
「それじゃ俺はこれで失礼します」
「杜島さん、ありがとうございました」
結果的に叔父を助けてもらったことになる。
桜子は感謝の気持ちを込めて言った。
「葵の友達が悲しむ姿は見たくないんでね。それと、婚約祝いも兼ねてるんだ」
それは建前だろう。でも気にはかけてくれていると思うと嬉しいものだ。
茶目っ気をこめたウインクをして、杜島は出て行った。
いい男というのは何をしても様になるんだなとしみじみ思った。
「さて」
ポンと光一郎は膝を叩いた。
「どうやら啓介くんの件も落ち着くところに落ち着きそうでよかった。二人とも夕食を食べていかんかね?」
「あ、いえ、私は店を放り出して来てしまったので、これで失礼させていただきます」
「そうか……。じゃあ沙希ちゃんは食べていくといい。桜子ちゃんもいるから、理一郎に一緒に送らせよう」
「え、でも……」
沙希は戸惑った顔で桜子を見た。
「いいじゃない。今から帰っても一人でしょう?」
ね、と桜子にも言われてコクリと頷いた。
「おお、そうだ。ついでに拓海に会ってみるか?」
「じいちゃん、まさか」
「会わせてみるだけだ。一応な」
「……おじいさま?」
理一郎と桜子は光一郎の意図を察した。
咎められるような孫たちの視線に肩をすくめた光一郎は言い訳がましく言った。
「会ってみるぐらいかまわんだろう。どう思うかは二人次第だ」
「その必要はないんだけどね」
スパン、と奥側の襖が開いて拓海が姿を見せた。
「俺たち、もう会ってるし。なあ、沙希ちゃん」
「え……ええっ!?」
桜子だけではない。
理一郎も光一郎たちも皆驚いた顔をしていた。
いつの間にと思っていると、拓海は自分の携帯電話を掲げてみせた。
「どうやら沙希ちゃんの王子様の出番はなかったみたいだけど」
「おうじさま?」
何を言っているのかと思うと表玄関のチャイムが鳴った。
「あ」
桜子が玄関に向かうと、そこにいたのは見知った顔だった。
「修ちゃん!?」
読んでいただきまして、ありがとうございます。
次回、最終話です。