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第十八話 甘く囁く

山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。

ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

 杜島たちは光一郎たちが帰ってくると挨拶だけして帰っていった。

 明日はこちらが彼らの滞在する別荘に行くことになっている。

 そして今日とは逆に、光一郎たちが別荘で留守番をすることになった。

 

 昨夜とは違い、子どもたちの寝室である屋根裏部屋には理一郎も来ていた。

 ベッドではなく、ビーズクッションの上に胡坐をかいた彼の膝に和佐が腰掛けて絵本を読んでもらっている。

 そうしていると本当に親子みたいだなと思ってしまう。

「桜子」

 理一郎が声を抑えて呼ぶ。

 手招きされて覗き込むと、和佐がコックリコックリと舟を漕ぎ始めていた。

「プールで泳いだから体力使っちゃったのね」

 反対側を見ればいつの間にか麻里子も目を閉じていた。

 ベッドに寝転がって本を読んでいたはずが、気持ち良さそうに寝息をたてている。

 手元から落ちかけた本をそっと取り上げて、きちんと上掛けをかけるとスタンドの明かりを消した。

 音を立てないように階段を降りて自分たちの寝室に入る。

 ベッドメイキングしなおしたベッドに腰をかけると理一郎に引っ張りあげられた。

 後ろから抱え込まれ恋人座りになるとドキドキしてくる。こんな風に座るのなんて初めてだ。

「あー、やっと二人きりになれた」

「……なんだかんだで誰かがいるわね」

「おまけにあいつらまで来るとは思わなかった」

 後ろから耳もとで囁くように言われ、桜子はくすぐったく思いながらも首をすくめた。

「ごめんなさい。私、葵さんの婚約者って人に会ってみたかったの。葵さんが連れてきてくれるっていうから、つい……言っておけばよかったわ」

「まあ、俺もあいつから桜子に会わせろって言われてたからなあ……。俺としてはちゃんとした席を設けるつもりだったんだけど」

「そうだったの?」

 振り返って理一郎を見上げると憮然とした顔をしていた。

「それなのに、あいつにおまえの水着姿見られた! もったいない!」

「もったいないって……でもあの時は不可抗力だったじゃない」

「そうだけど! 俺だって葵の水着姿を見たことないのに」

 その言葉にビシッとこめかみに青筋が浮いた。

「……理一郎さん」

 自分を囲い込んでいた腕から抜け出して恋人に向き直る。

 ベッドの上に正座すると、キョトンとした顔をした理一郎を見上げた。

「桜子?」

「見たいんですか?」

「え」

「見たいのかって訊いてるの!」

 ボフンッ

 桜子は平手を寝台に叩きつけた。

 その形相に驚いたのか、理一郎は一瞬だけ眉を潜めたがその問いの意味に気づいて慌てて首を振った。

「違う! 言葉のアヤだろ! アヤ!」

 へー、そうですかと言いながらも胡乱げに見上げる。

「葵さん、スタイルいいものね」

「そりゃそうかもしれないけど、俺が自分から見たいと思うのは桜子だけだって」

「どうだか」

 ぷいっとふて腐れて横を向くと思いっきり腕をひっぱられた。

 勢いよく理一郎の胸に飛び込むとそのまま抱え込まれた。

「ん、くるし……」

「意外とヤキモチ妬きだな」

「ちが……」

「……杜島のことは言えないか。俺もそういう状況になったら見るだろうし」

 低く笑う声に唇を尖らせる。

「変な気持ちを起こさなければいいけど」

「信用ないな」

 苦笑いしたものの怒った素振りは見られない。

 そういえば、と気になっていたことを訊いてみた。

「葵さんのことなんだけど……、その……どう思ってたの?」

「うん?」

 意味がよくわからないと首を傾げる理一郎を見上げた。

「だって、葵さんてすごく綺麗でしょう? だから、好きだなーとか、付き合いたいなーとか少しも思わなかったのかなって……」

 葵に初めて会った日にも思ったこと。

 とても仲が良さそうで、「元カノかな」と気になって微妙に落ち込んでしまったが、それが杞憂にすぎなくてホッとしたのだった。

 今思えば、葵には申し訳ないことを考えてしまった。あんなに素敵な婚約者がいるのに、もしかしたら理一郎と付き合っていた女性かもしれないなどと邪推してしまうなんて。

 桜子が微妙に自己嫌悪の海に落ち込みかけていると、理一郎は軽く笑い飛ばした。

「前に似たようなこと言っただろ。俺が好きだなーとか付き合いたいなーとか思ったのは桜子が初めてだって」

 桜子の言葉を真似た理一郎は桜子を抱えなおした。

「葵と初めて会ったとき、確かに美人だなとは思ったよ。杜島が自慢するだけはあるってさ。だけど、それだけだったかな。恋愛対象としては真っ先にはずしたね。……友達はなくしたくないからさ」

「ふふっ」

「なんだよ」

 理一郎の最後の呟きに笑い声をあげると早速頭の上に顎が乗ってグリグリと押さえられる。

「あんっ、もうっ……なんだかんだ言って、杜島さんとは仲がいいわよね」

「まあ、な。アイツのことは認めてなくもない。というか、アイツのほうがすごいってことはもう知ってるから」

 どういう意味だろうか。

 自分は杜島に敵わないとでも言いたいのだろうか。

「そういえば、杜島さんのお家ってどんな……」

 高級宝飾店の老舗になる月島宝飾の社長令嬢と婚約しているのだ。

 杜島家というのは瀬川家にも劣らない家なのだろうとは思ったのだが。

「言ってなかったか? 杜島の親父さんは島コーポレーションの社長だよ。で、じいさんは会長」

「ごめんなさい。島コーポレーションがどんな企業かわからないわ……」

 瀬川家と関わりのある家のことは知っておくべきなのだ。

 いままで気づかなかったが、自分が直接セガワ商事の経営に携わることがないとはいえ、会社のことはもちろん、取引先のことも頭に入れておかねばならない。

 瀬川家の人々があまりにも好意的に迎え入れてくれようとしていたため、そんなこと思いもしなかった。

 杜島にはある意味感謝せねばならないだろう。

 そのことに気づかせてくれたのだから。

 別荘にいる間に、いや、帰ってからも理一郎に教えてもらわねば。

 申し訳なく思いながらも桜子がそう決意していると、理一郎はまるで心を読んだかのように言った。

「それもそうだったな。うちの会社で働いてもらうことはないし、正式に婚約してからでもいいかと思ってたけど、会社のことや取引先のことも少しずつでも勉強しなきゃな」

「ええ」

「それで、杜島の家のことだけど……俺たちが見合いしたホテルがあるだろう? あそこを経営しているのが島コーポレーションだよ」

「ああ、あそこ………え? ………ええっ!?」

 桜子たちが見合いと称した会食をしたホテル「ディア・フォレスト」は全国の主要都市には必ずあると言われているラグジュアリーホテルだ。たしか姉妹ホテルでビジネスホテルもあったはずで、こちらはそれこそ全国各地に点在している。

 最近では海外にも出店したはずだ。

 理一郎の話では元々は江戸時代に旅籠はたごを営み始め、それが明治に入ってから旅館へと規模を拡大させていったのだという。

 今もメインの業務はホテル経営だが、それに関わる結婚式場やレストランの経営も行っているという。

「葵さんの家も……」

「ああ、杜島からは分かれたけど、月島家も一族の一つで島グループの傘下企業だよ。『セガワ』は業種が重ならなくてよかった。あんな大きなところが相手だとライバルどころか傘下に入ってたかもな」

「理一郎さんと杜島さんが出会ったのは中学でというのは聞いたけど、元から家同士のお付き合いが?」

「そうだな。昔から家とか会社同士の付き合いはあったんだよ。瀬川家の披露宴は必ず杜島に世話になってるし、会社のほうも提携を結んでいて、出張の宿泊先にはビジネスホテルを利用してる。杜島にとってはセガワは上得意になるんだよ。セガワとしては、うちの製品を使ってもらおうと接触を図ってるところだ」

 なるほどと頷く。

 同じ業種であればライバルだが、持ちつ持たれつの間柄であれば仲もよくなるだろう。

 それを口にすると理一郎は顔をしかめた。

「違う。最初はあいつとはものすごく仲が悪かった!」

「え、そ、そうなの?」

「俺は理事長の孫で、あっちはホテル王の息子だろ? 同学年の中でも目立ってたし、回りの奴らも俺たちがライバルって勝手に決め付けてたからな。自然とお互いにいがみ合うようになってさ……相手のことをよく知りもしないのに」

 転機が訪れたのは中学二年の秋だった。

 次期生徒会長を決めなければならない時期になって、候補が二人あがったのだ。

 理一郎たちが通う中学では、生徒会長と副会長は前任者からの指名で決まる。

 そこへ指名されたのが理一郎と杜島だった。

 二人とも適任だとは思われたが、どちらを会長にすべきかは判断が難しかった。

 しかし、二人とも会長になんてなりたくないとお互いになすりつけようとしたのだ。

 とうとう業を煮やした生徒会顧問の教師が勝負をして負けたほうが会長になれと言ったのだ。

 そのとき授業でも習っていた柔道での勝負になり、理一郎はほくそ笑んだ。

 柔道はそれこそ幼いころから習っている。

 自分が負けるはずがないと。

 だが、それは誤算だった。

 相手も古くからの名家で、護身術くらい習っているであろうことを察するべきだった。

 どうやらそれは杜島も同じことを思っていたようで、二人はお互いに苦戦したのだ。

「それで、どっちが勝ったの?」

「俺が負けた。……おかげで俺はそれから一年間、生徒会長という名の雑用係だったんだ」

 スポ根漫画ではないが、その柔道勝負でお互いを認め合った。似た境遇でもあったためか、話してみると共感できる部分が多くあったらしく、いつの間にか一番の友人になっていたのだ。

「じゃあ、杜島さんが副会長だったのね」

「うん。……まあ、高校ではリベンジしたけどな」

「リベンジ?」

「俺があいつを会長にしてやったってこと」

「ああ、そういうこと!」

 高校のときにも同じようなことが起こったらしい。

 負けた理一郎はその後も稽古を欠かさなかった。

 それは杜島も同じだったようだが、勝利の女神は理一郎に微笑んだのだった。

「ふふ……理一郎さんと杜島さんが試合しているところを見てみたいかも」

「はぁ? ……勘弁してくれ。時間があれば稽古はしてるけど、まともに試合できるかどうか……いや、それはアイツもか」

「杜島さんも忙しいのね」

「俺よりもよほど忙しいぞ、アイツは。でも、葵と一緒に住んでるんだから、それは羨ましいかな」

「ええっ、そうなの?」

 それは同棲というやつか。

 結婚はしていないというのだから、そういうことになるのだろう。

 婚約しているのだし、親も公認ならば世間体も悪くないのかもしれない。

「杜島がそれなりの地位につくまでは結婚はお預けなんだってさ」

「まあ」

「アイツの親父さんがな、言い出したんだって。元々、葵との結婚には反対されてたから」

「そんな……葵さんだって関係のない家じゃないんでしょう?」

「ああ、そういうことじゃなくて、親父さんは葵のことは気に入ってる。問題は杜島のほうなんだ」

 苦虫を噛み潰したような恋人の表情にどういうことだろうかと首を傾げた。

「葵を好きすぎてのめりこみすぎやしないかって心配してたんだ。彼女に何かあったら、アイツは何もかも放り投げてしまうんじゃないかってさ」

「それは……」

 桜子はそう聞かされてもよく理解できなかった。

 自分も理一郎のことは好きだ。誰よりも好きだと思っている。

 昼間に会った杜島の顔を思い浮かべる。

 明るくて優しそうで、陰の一つもなさそうな笑顔。

 その彼が誰よりも愛している葵。

 それは一歩間違えば狂気とすらとられかねないほどということだろうか。

「だからアイツの親父さんは条件を出した。それほどまでに葵が欲しいなら、実績を上げろってな。誰にも文句をつけられないほどになって、葵を自分の手で守ってみせろということだ」

 実際、杜島が本気になったらできないことなんてないけどな、と理一郎は笑った。

「実は俺も陰ながらいろいろと力になってる」

「そうだったの……だったら心配いらないわね」

「ん?」

「だって、理一郎さんがついてるんだもの。杜島さんにとっては百人力よ。それに、なによりも葵さんがいれば大丈夫。たぶん、葵さんも負けず劣らず杜島さんを好きだと思うわ」

「そうなのか」

「そうなんです」

 確信を持って頷いた。

 

 

 土産にもらったプリンをおやつに用意するために手伝ってもらったときに葵が言ったのだ。

「あんな人なのよ。ちょっとがっかりでしょう?」

「う~ん、でもそういうところがいいんじゃないですか? なにもかもが完璧でカッコよすぎたら本当に近寄りがたいけど、杜島さんはそんなことないですし、なんだかんだいっても葵さんを大切にしてるのは見てるだけでもわかりますよ。葵さんだって見た目を好きになったんじゃないんでしょう? 全部をひっくるめて杜島さんだってわかってるからじゃないですか?」

 そう言うとはにかんだ笑顔を見せた。

 妙齢の女性だというのに、その笑顔はとても可愛らしくて同性の桜子でさえドキドキした。

 

 

「やっぱり同性だからわかるのかな?」

 理一郎は桜子を抱きしめなおした。

「俺はさ、杜島が葵に愛想つかされなければいいけどって、ずっと思ってるから……」

「杜島さんみたいに素敵な人ってなかなかいないから、愛想つかすっていうのは難しいと思うけど?」

 理一郎のことを知ったときでも、「こんな人っているんだ」と思っていたのに、それとタメをはるほどのいい男がもう一人いたなんてびっくりだ。

 あんな人を掴まえたら早々手離せないと思う。

 そんなことを考えていると抱きしめている腕に力がこめられた。

「理一郎さん?」

「……桜子もやっぱりそうなのか?」

「え?」

「杜島はたしかにいいヤツだよ。男の俺でも見た目がいいなって思うから、女性には人気があるし……」

 なんだ、と思う。

 今度は理一郎がヤキモチを妬いているらしい。

 可愛すぎる。

 感情的になるまいと冷静さを保とうとしているようだが、ヤキモチを妬くまいとがんばっている姿が妙に可愛いのだ。

 桜子は微笑みを浮かべて自分を抱きしめる腕の中で回れ右し、広い背中へと腕を回して抱きしめ返した。

「桜子?」

 背伸びをして頬に口づける。

「理一郎さん、可愛い」

 一瞬、呆けたような顔をした理一郎は言われた言葉をよくよく考えたのか顔をしかめた。

「なんで可愛いんだ」

「あのね、杜島さんは確かに素敵な人よ。それは一般的に見てってことで、もしも私があなたと杜島さんのどちらがいいかって訊かれたら、もちろん理一郎さんだって答えるわ。だって……杜島さんは見てるだけのほうがいいんだもの。こんなことしたいのは理一郎さんだけよ」

 桜子は広い胸に頬ずりした。

 逞しくて厚い胸板は温かくて、力強い。とくとくと脈打つ心臓の音が聞こえる。少し速まっているみたいだ。

「桜子……そんな風に刺激するなよ……」

 はぁ、と理一郎はため息をついて抱きしめ返してくる。

 すりすりと髪に頬ずりされて、ますます嬉しくなってぎゅっとしがみつく。

「だから……ダメだって……普段でもかなりヤバイのに、ノーブラで……」

「え?」

 切なげな声が耳朶に触れる。そのまま甘噛みされて体が跳ねた。

「ひゃうっ!?」

「桜子……」

 そのままぐうっと押し倒されてベッドに沈み込む。

 理一郎が覆いかぶさってきて、豊満な胸と逞しい胸が薄い布越しに押し付けあわされた。

「んぅ」

 理一郎の指が顎を捉えて微かに口を開かされると、いきなり深く重ね合わせてくる。

 息も絶え絶えになるころにようやく解放され、理一郎は嫣然と微笑んで唇同士が触れあいそうな距離で囁いた。

「誘うの、巧いな」

「え!? ち、ちが」

 何もしていないと言おうとすると唇をふさがれた。

 

 彼の指が、手が、そして唇が触れてくる。

 彼を受け入れると体中の隅々まで悦びで震えが走る。

 

 悦ぶ、ということを初めて知った夜だった。

 

 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

もうしばらく続きますのでお付き合いください。

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