第二話 いざお見合い
山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。
ゆるやかに話が進んでいきますので、ハラハラドキドキなストーリーをお求めの方にはおすすめできません。
スーパーマーケット「マートタキザワ」は都心とは反対の郊外の街にある。
桜子の祖父の代からこの街で店を開いていて、昔からの常連客のおかげで成り立っているようなものだ。
大型スーパーやディスカウントストアのように広範囲にチラシを出しているわけではないが、陽介がいろいろと工夫をして販売し続けてきたおかげで口コミで噂が広がり、安価な食材を求めて飲食店の経営者がその日の分の食材を買うために遠くからやってくることもある。
地道に売上を伸ばしていたところへ、二号店を出店しないかという話を不動産屋が持ちかけてきた。
無理はしたくないと初めは断ったのだが、一階を店舗用として貸し出しているビルの近辺にはコンビニしかなく、競合店がないので店を出せば客は来るはずだという話に乗ってしまったのだ。
そして店を出してみたはいいが、そこは一人暮らしの若者が多く住む街で昼間はあまり客がなかった。一日の売上も微々たるもので家賃や人件費、その他の経費を払うのもままならず、半年足らずで撤退することになってしまった。
後に残ったのは出店費用のためにと銀行から借りたお金の返済だった。
文句を言おうにもその話を持ってきた不動産業者はいつの間にか倒産して、経営者は行方をくらましていたのだ。
当然、敷金などは返ってこなかった。
もとからあった店の利益も経費等を差し引けばほとんど残らない。自社ビルなので家賃の心配だけはいらないが、借金を返済していくのは大変だ。
そんなときに借金の肩代わりを申し出てくれたのが「セガワ商事」だったのだ。
「さっき理一郎くんから連絡があったぞ。日取りは今度の日曜日でということだから予定は空けておくんだぞ」
店の閉店時間は午後七時だ。それから後片づけをしていると、晩御飯の時間は自然と遅くなる。
家族がテーブルを囲んだのは午後九時を過ぎていた。
今日の今日で、すぐに連絡か!
桜子は箸を動かす手が止まった。
「え、何、日取りって?」
大学に通っている桜子の弟、修吾は怪訝そうな顔をした。
「お見合いよ。お姉ちゃん、お見合いするんですって。セガワ商事の次期社長さんと」
「え、姉ちゃん、もう結婚するの!? 相手は次期社長!?」
「結婚じゃないわよ。見合いよ、見合い」
「さっちゃん。お母さんはね、さっちゃんが嫌ならお断りしてもいいのよ? 借金はがんばって返せばいいんだし」
「お、おいおい、別に桜子が結婚したら借金がチャラってわけじゃないんだぞ。理一郎くんと結婚してもしなくても、条件は同じだからな」
酒のつまみを箸でつつきながら陽介は言った。
「ええっ!? じゃ、じゃあ、お見合いなんてする必要ないじゃない!」
「でもさ、相手の人が次期社長ってことは玉の輿じゃん」
悲壮な覚悟で見合いに臨もうとしていた桜子は非難めいた声をあげ、修吾は気楽そうに言う。
「玉の輿なんて冗談じゃないわ」
「え、嫌なの? その相手の人って姉ちゃんが嫌がるような見た目なの?」
「その反対なのよ……」
「とってもカッコいいのよね」
母は嬉しそうに言うのだが、だったら自分が見合いすればいいと思う。
「なんで嫌がってんの? 彼氏いないんだったらちょうどいいじゃん」
「相手もそうだとは限らないでしょ!」
「あ……」
それもそうだと今ごろになって両親は気づいたらしい。
「あ、相手は昔からの名家だからな……。お金もあるし……」
「でも、あちらのお祖父さまからお話があったんでしょう?」
「理一郎くんが命令に従ってるだけで、もしかしたら他に恋人がいるかもしれない。あれだけ見た目がいいんだからモテるだろう」
「まさか、さっちゃんは本妻でほかにお妾さんがいるなんてことないでしょうね?」
「わ、わからん……」
まだ結婚してないのだから自分は本妻ではないと両親に突っ込みたかったが、二人はそれどころではないようだ。
「まあ、お父さんっ、どうしてそのあたりを確認しておいてくれないの!?」
「す、すまん……理一郎くんがあまりにも誠実に接してくれるもんだから……。いまさら聞くわけにもいかないか?」
「……ごちそうさま」
両親が言い争いを初めてしまったのを横目に桜子は立ち上がった。
食器を流し台に運んで手早く洗い物を始める。
借金はしていても、娘が幸せにならない結婚まで強いるつもりはないらしい。それがわかっただけでも嬉しかった。
「もういいわよ。とりあえずお見合いはするから。お断りしてもいいかどうかは確認するわ。どう転んだって断るつもりだけど」
「悪かったな……桜子。お父さんが悪かった」
「うん。どっちにしてもがんばろうよ。ご厚意でお金を貸してくれるのは本当にありがたいことなんだしね」
自分の分の食器を片づけ終えると自室に戻る。
姿見で自分の姿を眺めてため息をついた。
仕事を終えたままの格好だ。
伸びっぱなしの髪を後ろでひとくくりにして、仕事をするのに楽だからとシャツにジーンズ。
おまけに二十代女性の平均身長よりも低い背丈。太ってはいないはずなのに、胸が大きめでふくよかに見えてしまう体型。
あのオーダーメイドのスーツを着た理一郎と比べたら月とすっぽんのように見えてしまう。
「化粧くらいしておけばよかったかな」
肌の手入れは毎日やっているものの、メイクまでは面倒がっておざなりになってしまっていた。
彼が帰ってから気づいたのでは後のまつりだ。
思わず鏡の中の自分に向かって独り言をぶちまけた。
「だいたい、なんであんなお金持ちがうちなんかと結婚の話になるの? お祖父さん同士が親友だからっておかしいわよ」
もっと家柄が釣り合う家だってあるだろうに。
スーパーを経営しているだけ―しかも借金もち―の家と縁を結ぶメリットなんてないだろうに。
わからない。
あんなにカッコいい人がなんでお見合い?
最後にはどうしてのその疑問が思い浮かんでしまう。
確かにあの男性と付き合えたらそれだけで周りに自慢してしまいそうだけれど。
でも……
「きっとあの人もお祖父さんに言われたからお見合いするだけよ」
そうに決まってる。
だから過度な期待なんてしない。
桜子は自分自身に言い聞かせていた。
お見合い当日。
瀬川家から指定された一流ホテルの一階ロビーに桜子たちは足を踏み入れた。
(うぅ、恥ずかしい)
振袖姿はこのロビーでは妙に目立つ。
今は振袖だが、将来は袖を切って仕立て直せば訪問着に作り変えられるようにと二十歳の成人式のときに祖母が買ってくれたものだ。
朝早くから予約していた美容院で事前にカットしていた髪をセットして着付けしてもらい、ここまでタクシーでやってきたのだが、いかにも「お見合いです」という風体だ。
いまどきこんなに仰々しい格好をしてお見合いなんてする人がいるのだろうか。
現在の時刻は午前十時五十分。この十分後に待ち合わせをしており、会食をすることになっている。
「瀧沢さん」
ロビーのソファで待っていようかと話していると、先に到着していた理一郎のほうがこちらに気づいたらしく声をかけてきた。
「おはようございます」
今日の彼は三つ揃いのダブルのスーツを着ていた。仕事用ではないのか少し華やかな感じがする。
それに妙な違和感を感じて顔を見上げると、先日はかけていたメガネがなかった。
メガネをかけていない彼はイケメン度が二割増しだ。
その彼は穏やかに微笑みかけた。
「お早かったですね」
「いやいや、お待たせしてはいけないとこちらが先に待っているつもりだったんですが……」
「私達も先ほど着いたばかりですよ」
理一郎がそう言って振り返ると彼の後ろには初老というにはまだ早そうな男女が立っていた。
「瀬川社長」
陽介は慌てて頭を下げた。つられて桜子と百合子もおじぎする。
「父と母です」
面識のない桜子と百合子に向けて理一郎が紹介する。
男性のほうが軽く会釈して自己紹介した。
「瀬川恭一郎です。こちらは妻の志保です」
「はじめまして。可愛らしいお嬢さんですね」
恭一郎も志保も陽介夫妻に比べたら年上のようだったが、それでも十分若々しく見えた。
特に恭一郎は理一郎の父親らしく、息子よりは若干低いものの十分長身だった。
瀬川夫妻の自己紹介に応えて、陽介も妻と娘を紹介する。
「妻と娘の桜子です」
「はじめまして」
ロビーの真ん中で話し込んでいると周囲の視線をやたらと集めた。
「ここにいてもなんですから、もう店にいきましょうか」
理一郎が案内して一階の奥へと歩いていく。そちらに会食の予約を入れた店があるのだという。
案内された店は和食の店だったが、畳敷きの部屋ではなくテーブルと椅子が用意された部屋へと通された。
「このホテルは外国人の泊り客もいますから、こうした形式の席のほうが多いんですよ」
そう説明したのは恭一郎だ。
予約を入れてあったので、席につくとほどなく料理が運ばれてくる。
お互いに、というよりも瀬川家の両親があれこれと桜子に訊ねてきて、それに応対している間に食事が終ってしまった。
食後のコーヒーが運ばれてきて、恭一郎が口を開く。
「ここはやっぱりほら、若い二人だけで話でも、というべきかな?」
「そうねえ、さっきから私たちが桜子さんと話してばっかりで、理一とはちっとも喋ってないもの」
「それじゃ父さんたちの期待に応えるわけでもないですが、桜子さん、庭に出ましょうか」
「あ、はい」
ここだ! ここで話を断らねば、流されるままに結婚話にまで発展しそうだ。先ほどまでの恭一郎夫妻もまるで結婚後の話をしているみたいで、桜子一人が話についていけなかった。
立ち上がろうとした桜子の背後に回った理一郎はサッと椅子を引く。
こういうことがスマートにできてしまうところが小憎らしい。
ホテルの庭に出ると理一郎の後をついていく。彼が先導しているわけではないが、なんとなく近寄りがたい。
「桜子さん」
ふいに理一郎が振り返った。
「は、はいっ」
心なしか身構えてしまったが、そんな桜子に気づかなかったのか理一郎は話を続けた。
「この庭を見てどう思いますか?」
「庭……ですか?」
庭木も綺麗に剪定された日本庭園だ。どこかおかしなところでもあるのだろうか。
「よく……手入れされてると思いますけど」
「ええ、よく手入れはされていますね。けど、背後の建物とあわせて見るとミスマッチな気がしませんか?」
そう言われて振り返ると、ヨーロッパの建築様式を模したホテルの外観と日本庭園の組み合わせはよく考えてみればあわないような気もする。
「そうですね。私はテレビとか写真でしか見たことないですけど、ヨーロッパの古い宮殿の庭とかを真似ればよかったのかも」
「こういう庭は日本家屋のほうがしっくりきますね」
我が意を得たりとばかりに理一郎は頷いた。
桜子は思わず笑ってしまった。
「あの、なにか?」
「あ、ごめんなさい。妙なところに気づくんだと思ったものですから。私なんてそれが当たり前のように見えてました」
「子どものころから気になってたんですよ。日本庭園だというのに、どうして建物は洋式なんだろうってね」
ゆっくりと歩きながら池のほとりに立つ。
「あの…今日は、メガネはどうされたんですか?」
どうでもいいことなのだろうが、なんとなく気になってしまう。
コンタクトレンズでも入れているのだろうかと思って訊ねてみた。
「ああ、これは弟に言われたものですから。メガネはかけないほうがいいと。視力は悪くないんですよ。あれはダテなので」
「そうなんですか?」
先日、メガネをかけていた彼は怜悧で神経質そうな印象があったが、今日はそれが和らいでいる。
「そういうことですので問題はありません。ところで桜子さん」
「はい」
思わず背筋が伸びた。
恭一郎夫妻がいるところでは話しづらかったが、ここでならなんとか断れるはず。
目の前の男性はとても素敵だと思う。
けれど、結婚したいかと聞かれたら即答はできない。
「私はこのまま話を進めたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?」
「はっ?」
「すぐに式を挙げるわけにもいきませんので、結婚を前提としたお付き合いということで」
「ちょ、ちょっと待ってください」
両手を突き出して制止する。
「あの、私が今日ここへ来たのは、このお話をなかったことにしていただきたくて……」
ひたすら深々と頭を下げる。
「借りたお金は必ずお返しいたします。お話はとてもありがたいものだと思ってます。でも、やっぱりお受けできません」
「……なぜ断りたいのか理由を聞かせてもらえますか」
心なしか低くなった声に首をすくめる。
「その……お祖父さまからのご命令だとはいえ、わざわざうちのような家と縁戚関係になることもないんじゃないかと。どう考えてもあなたにメリットなんて」
ないでしょう? と続けようとしたのだが、いらだたしげなため息をつかれて肩を震わせた。
「すみません。ちょっと待ってください」
理一郎は自分の髪をかきまぜた。
せっかくセットしてある髪がくしゃくしゃになってしまった。
けれど、本当に見た目がいいとそんな姿すらちょっとワイルドで格好良く見えてしまう。
「確認したいんだけど、いいかな?」
いきなりくだけた口調に、桜子は目を瞬かせた。
驚いている桜子に構わず理一郎は話を続ける。
「君が俺との縁談を断りたいのって、借金の返済云々より家柄が釣り合わないとかそんな理由?」
「え、ええ」
理由はもう一つあるが、この際はなんだっていいだろう。
「俺のことが気に入らないわけじゃなくて?」
「あなたのことをですか!? と、とんでもない!」
慌てて手を振って否定する。
立派な家の人、ということは抜きにしても桜子は理一郎のことを好ましいと思っていた。社長令息とはいっても、他人に素直に謝罪することができるし、礼儀正しくて誠実そうで、気遣いもできる人だと思う。ただのお坊ちゃんという感じもないし、この人が本気で口説いてきたらきっと首を縦に振ってしまいそうなくらいには好意を持ち始めていた。
ああもうしょうがない。一番気になっていることを言ってしまおう。
この人相手だったらちょっともったいない気はするけれど、本妻の位置にいたって愛人がいて顧みられないよりはずっといい。
「あなただったら、きっといい家のお嬢さんがいくらでもいらっしゃるでしょうし、その、お付き合いされている方がいらっしゃったら、その人にも申し訳なくて……」
「そういうことか……」
はーっと大きくため息をつかれて、桜子は俯いた。
「いまさらだとは思うけど、大昔の見合いじゃあるまいし、いくらうちのじいさんが持ってきた話だからって、恋人の一人でもいたらこんな話は受けないよ」
「………………え?」
「じいさんの孫が俺一人ってわけじゃない。俺には弟もいるし、従弟たちもいる。ただ、年齢が釣りあって、尚且つ恋人の一人もいないのが俺だったってこと」
「………………え……え!?」
それはつまり、理一郎はこの自分と結婚する気があるということなのだろうか。
「あ、のっ、でもっ、けっ、結婚を前提としたお付き合いということは、結婚するってことですよ!? いつかは!?」
「ああ、そうなるかな」
「いいんですか!?」
「だから、その気がなかったら最初からこんな席は設けてない」
この人は自分と結婚するつもりなのだ。
明言はしていなくとも、言葉の端々からも彼の意思が伝わってくる。
クラリと眩暈がしそうになった。
しばらく更新ペースは早いです。