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第十三話 お出迎え

山もなければ谷もなく、波乱万丈なストーリーではありません。

ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

 土曜日。

 桜子は待ち合わせ場所である駅前の喫茶店に入った。

 相手はすでに来ていたらしく、窓際の席に座っている。

「遅れてしまってすみません。お義母さま」

「いいのよ。いままでお仕事していたんだものね。お疲れさま」

 待ち合わせの相手――理一郎の母、志保はにこにこと笑う。

「外は暑いでしょう? ちょっと涼んでいきましょうか」

 

 

 志保から掛かってきた電話の用件は桜子の「花嫁修業」についてだった。

『結婚してからうちのことをいきなりやってもらうのは大変だと思うのよ。だから少しずつ慣れていってもらったらいいんじゃないかしら。覚えることもたくさんあるし』

 桜子が嫁入りした場合のことを考えて志保は心配になったらしく、陽介に相談してきたのだ。

 正式に婚約したわけでもないのに気が早いかもしれないけれどと、電話向こうの声は苦笑気味だった。

『土曜日の午後からちょっとだけうちのお手伝いをしてもらえないかしら。帰りは理一郎に送らせますから』

 陽介もそういうことならと仕事を早退して瀬川家に行くことを許可してくれた。

『理一には内緒にしておいてちょうだいね。今週の土曜日は出張から帰ってくるでしょう? この手は一回しか通じないだろうけど、びっくりさせてみたいのよ』

「……いいですね、それ!」

 出張から帰ってくる彼を出迎えて驚かせてみたい。

 どんな顔をするか楽しみだ。

 そう考えるあたりが気が合っている未来の嫁と姑だった。

 

 

「理一から聞いているとは思うけど、結婚したらうちに住んでもらいたいの。あの家は理一が受け継いであの子の子へと引き継がれるものだから……あっ、もしも桜子ちゃんが私たちとの同居が嫌なら他所に家を借りてもらってもいいのよ? 私たちに気を遣わないでね?」

 志保の言葉には温かみがあって桜子の気持ちを尊重してくれる。

 それに理一郎の嫁と認めたうえで、桜子個人に対しても好意をもって接してくれている。

 志保と話をするのはまだ数えるほどだが、嫁いびりなどする人ではないだろう。

 それでなくても息子の嫁にと望まれているのだから自分も応えるべきだ。

「大丈夫です。理一郎さんはおうちを出る気はないそうですし、私は理一郎さんと一緒にいると決めていますから」

「まあ……ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」

 喫茶店を出ると買うものがあるのだと歩き出す。

「懇意にしている陶器屋さんがあるのよ」

 連れられて行ったのは落ち着いた雰囲気の陶器店だった。

「桜子ちゃんのお茶碗を買わなきゃね」

 小さめの花柄の茶碗と箸がセットになっているものが目についた。

「それが可愛くていいわね。それと湯飲みとマグカップと……」

「あの、お義母さま……」

 そんなに一度には必要ないと言おうとしたが、楽しそうな志保の顔に言葉が詰まる。

「いいわねえ、初めてなのよ、桜子ちゃんくらいの若い女の子とお買い物するのは。娘がいたら楽しかったでしょうに、うちには男の子二人なんだもの。こういう買い物につきあってはくれても適当に相槌打つくらいで真剣に見てくれないのよ」

「そういうものですか」

「そういうものなのよ、息子っていうのは。だから女の子が欲しかったのに……瀬川の遺伝子はホントに強いわ。千里ちゃんが羨ましい……マリちゃんみたいな可愛い女の子が生まれて」

 志保は頬に手を当ててため息をついた。

「うちの子たちは無駄に見た目がよくて、スポーツ万能で、頭が良いだけなんだもの」

「は、はぁ……」

 それは十分褒められるべき点なのではと思うのだが、母親としては思うことがあるのだろう。

「性格もどちらかといえばいいほうかしらね。根は真面目だし、親孝行しようとは思ってくれているみたいだし」

「それならいいのでは……」

 かなり良い息子の例ではないだろうか。

「そうね、いい息子たちだと思うのよ。でもこうして一緒にお買い物するなら娘のほうがいいわ。だから私は期待したの。あの子たちのお嫁さんにね」

 志保は微笑んだ。

「あの子たちがお嫁さんをもらうことになったら、絶対に仲良くしようって思っていたのよ。お買い物したり、お料理したり……娘がいたらやってみたかったことを一緒にやろうってね」

「お義母さま……」

「今になってお義母さんの気持ちがわかるわ。お義母さんもね、私が瀬川の家に来たときには喜んでくださって、よく一緒にお買い物に出かけていたのよ。あのときのお義母さんの気持ちは今の私と同じね、きっと」

 嬉しかった。

 桜子を歓迎してくれているのはわかっていたが、こんな風に考えていたとは思ってもいなかった。

 

「ごめんなさいねぇ、私が車を運転できたらよかったんだけど」

 瀬川家までは電車で帰ることになり、最寄り駅を降りた二人はゆっくりとした足取りで歩く。

「いえ、道を覚えられていいですから」

 理一郎の車で送り迎えされるのでは徒歩での道は覚えられない。

「この近所のことも覚えなきゃね」

「はい」

「母さん!」

 瀬川邸の塀沿いを歩き、大きな門が見えたところで道の向こう側から拓海が駆け寄ってきた。

 どこかから帰ってきたところらしく、肩から斜め掛けにバッグをかけている。暑い中を歩いてきた彼の額にも汗が浮いていた。

 母親が持っている手提げ袋を何も言わずに受け取ると、桜子が持っている袋も貸せというように手を差し出した。

 こういうことをしてくれるのは何も理一郎に限ったことではないようだ。

 桜子は礼を言って手渡した。

「あら、拓海、ただいま。あなたも帰るのが早かったのね」

「ああ、もう一度出かけるから……って、さくらちゃんいらっしゃい……。兄貴はいないけど?」

 怪訝そうに首を傾げる拓海に、志保が内緒話をするように声をひそめた。

「今日は桜子ちゃんにお手伝いに来てもらったのよ。理一には内緒よ」

「ふーん、内緒、ね」

 桜子がにっこりと微笑むと、拓海もニヤリと笑った。

「面白そうだなあ。兄貴がどんな顔するのか楽しみだけど……俺、夕方からバイトなんだ」

 シャワー浴びて着替えたらすぐに出るからと拓海は言葉通りにすぐに家を出た。

「あの子も慌しいわねえ。でもまあ、社会に出れば理一みたいに落ち着くでしょう」

「理一郎さんもあんな感じだったんですか?」

「ええ。しょっちゅう家を空けててね。男の子だし、特に問題も起こしてなかったから放置してたんだけどね。少しずつ落ち着いてきて、社会人になったころには今のような理一になっちゃったわね」

「……理一郎さんもいろいろと考えてらっしゃるみたいですから」

「あら、桜子ちゃんにはちゃんと話してるのね。いいことだわ」

 買ってきたものを片づけて晩御飯の相談をしていると奥から瑠璃子がやってきた。

「志保ちゃん、そろそろ……あらっ、桜子ちゃん!」

「こんにちは、お邪魔してます」

 拓海といい、瑠璃子といい、桜子が来ることを知らされていなかったのだろうか。志保のいたずらっぽい笑顔は桜子の想像が正しいといっている気がする。

「まあ~…来てくれるって知ってたら前もって準備しておいたのに」

「お義母さん、桜子ちゃんは花嫁修業に来てくれたんですよ。黙っていたのはびっくりさせようと思ったんです」

 志保がにこにこしながら瑠璃子に言った。

「もう、本当にびっくりしたわよ。でも嬉しいわ。早速花嫁修業に来てくれるなんて。光一郎さんも喜ぶでしょう」

 早く知らせないと、と瑠璃子はいそいそと奥へと戻っていった。

「あのぅ、お義母さま、もしかして誰にも知らせてない、とか……」

「恭一郎さんには話してあるわよ。今日はお義父さんと一緒に会合に出てらっしゃるから、理一よりも帰りが遅くなるかもねえ」

「理一郎さんは夕方より早めにお帰りになるって言ってました」

「あら、そうだったの? だから晩御飯のことは何も言わなかったのね……。うふふ」

 志保は嬉しそうに言った。

「なんだか本当に桜子ちゃんがうちにお嫁に来たみたいねえ。理一の帰る時間まで把握済みなんて」

「あっ……昨夜電話で話したので……」

 何時ごろに帰ってくるのかと聞いたら、なるべく早めに帰ると言っていたのだ。

「桜子ちゃんがうちで待ってるってことは喋ってないわよね?」

「もちろんです」

 びっくりさせたい。

 どんな顔をするのか見てみたい。

 そのために昨夜の理一郎との電話での会話にはこのことを一切出さなかった。帰ってきたら連絡を入れるという彼に「また明日」と言って電話を切ったのだ。

(ごめんなさい、理一郎さん。帰ってきたら謝るから)

 驚いて、そして喜んでくれるといいなと思いながら夕飯の支度に取り掛かるのだった。

 

 

 小さな物音が聞こえたような気がした。

「あら、帰ってきたかしら」

 志保が振り返ると同時に玄関のほうから「ただいまー」という声が聞こえた。

「あっ!」

 いってらっしゃいと志保が頷いたので急ぎ足で玄関にむかった。

「おかえりなさい」

 急いで玄関に駆けつけた桜子が声をかけると、下を向いていた理一郎の肩がビクッと震えて顔をあげた。

「………………ただいま」

 シャツの首元のボタンをはずし、ネクタイをはずしかけていた理一郎はそのままの格好で固まる。

 予想していたのと違う反応だったが、驚かせることは成功したようだ。

「あの、びっくりしました?」

「……うん」

「お義母さまが理一郎さんを驚かせようというので黙ってたんです。ごめんなさい」

「……うん」

「あの、理一郎さん?」

「……うん?」

 いつの間にか壁際まで後退して背中が壁に当たっている。目の前の至近距離には理一郎のゆるめたネクタイが見える。

 夏物のスーツの腕が伸びて完全に囲い込まれていた。

「り」

 名前を呼ぶ前に唇を塞がれた。

 咄嗟に目を閉じると、ちゅ、ちゅ、と二回ほど軽いキスをされた。

「あの、あの、理一郎さんっ」

「ん?」

 何、と耳もとで囁かれる声はやたらと艶っぽい。

「ここはお家ですから」

 触れるだけのキスなのに何故か腰砕けになりかけて震える腕で理一郎の胸を押し返す。

 チッと軽く舌打ちする音が聞こえて理一郎は背を向ける。

 怒ったのだろうかとビクビクしていると小さなキャリーカートとブリーフケースを持ち上げた。

「うっかり忘れてた。早く会いたいと思ってたら、目の前にいたもんだからつい……」

 自分のスリッパを履いた理一郎の手からブリーフケースを受け取ろうとすると、パソコンが入っていて重いからと遠ざけられた。

「父さんとじいちゃんはまだ帰ってないんだな」

 外の車庫を見たのだろう。

 運転手付の車はなかった。

「はい、夜までにはお帰りになると思いますけど」

 スタスタと奥へと向かう理一郎にくっついていく。

「ただいま」

「おかえりなさい。どう? びっくりした?」

「びっくりしたよ……まったく、母さんも子どもじみたことをするよな」

 作戦成功と喜ぶ母に理一郎はわざとらしく顔をしかめた。

「あら、じゃあ桜子ちゃんがいなくてもよかった?」

「…………そんなことは言ってない」

「さっきあなたが帰ってきたときの桜子ちゃんを見せてあげたいくらいよ。そりゃあもう嬉しそうな顔をして急いで出迎えに出たもの」

 日に焼けた頬が赤くなり落ち着かなげに視線が泳いだ。

「外は暑かったでしょう? 着替える前にシャワーでも浴びたら? お父さんたちが帰ってくるまで夕飯は我慢してちょうだい」

「わかった」

「桜子ちゃん、理一を手伝ってあげて」

「あ、はいっ」

 部屋に向かった理一郎の後を追う。

「そういえば拓海は?」

 理一郎が脱いだ背広を受け取って部屋の壁にかけてあったハンガーにかける。

「一旦帰ってきたんですけど、バイトだってまた出て行きました」

「ああそうか」

 弟がバイトをしているのは知っているのだろう。それ以上は何も言わなかった。

 はずしたネクタイも受け取って同じハンガーにかけておく。

「拓海くんはどこでアルバイトしてるんですか?」

「ああ、二十歳になったから居酒屋でね。大学生になったら自分の小遣いは自分で稼ぐのが基本だろ」

 理一郎はシャツのボタンを二、三個はずしてから振り返った。

「桜子」

 背中に腕をまわされ抱き寄せられた。

「ごめん、ちょっと汗くさいかもしれないけど」

 髪に頬ずりされて桜子も筋肉質の胸に頬をあてて目を閉じる。

 汗くさくなんてない。

 香水をつけているのだろう。男性用のものはよくわからないが、強くはないその香りは好ましいものだった。

「理一郎さんですから」

「……ほんっとびっくりした」

 しみじみと言われて、ふふふと笑う。

「昨夜、黙ってたんだろ?」

「だってびっくりさせたかったんです」

「そういうところ、母さんと気が合うよなー」

 頭の上に理一郎の顎が乗るとグリグリと押さえられる。

 どうやら抱きしめられると頭がちょうど顎の下にくるらしく、理一郎はそれが気に入ったのか時々こうしうて顎で押さえるのだ。

「ゃんっ、いたいですっ」

 本当は痛くない。手加減されているのはわかるけど、わざとらしく抗議する。

「びっくりさせられたから仕返し」

 笑い声をあげると、顎をつままれて上向かせられた。

 ジッと見つめられると何故か目が潤んでくる。

「……これも、仕返し?」

「うん、仕返し」

 ゆっくりと目を閉じると柔らかくて温かいものが唇に触れた。

 

「それは冷蔵庫に入れておいてね」

「はい」

 桜子が志保と瑠璃子の手伝いをしていると、シャワーを浴びて風呂から出てきた理一郎が台所に入ってきた。

「母さん、麦茶」

「桜子ちゃん、そこにグラスが入ってるからお願いね」

「はい」

 リビングスペースでソファに座りタオルで頭を拭いている理一郎の前にグラスを置く。

「どうぞ、理一郎さん」

「あ、ああ、ありがとう」

 手ぐしだけで整えた髪の理一郎はちょっとだけ幼く見える。

 グレーのTシャツと紺色のスリークォーターの麻のパンツという部屋着姿は初めて見るのでドキドキした。

「理一ー、素直に桜子ちゃんに頼みなさいよ」

「なんでっ」

「今日の桜子ちゃんはお客さまじゃないからです」

 うちのお嫁さんよ~と嬉しそうな志保の声に理一郎は立ち上がる。

「『うちの』じゃなくて、『俺の』嫁だろ!?」

「……」

「あ」

「まあっ、聞きました? お義母さんっ、理一ったらもう独占欲丸出しでっ」

「本当ねえ~、どうしてうちの男たちはこうなっちゃうのかしら。一途といえば聞こえはいいけど」

 しまったというような顔をして理一郎はソファに座りなおした。耳が赤くなっている。湯上りのせいではないはずだ。

 理一郎と義母たちの間に立った桜子は顔を赤らめながらもぎくしゃくとした足取りで台所に戻る。

 嫁宣言に思わぬふいうちをくらった。理一郎本人の口から「嫁」と言われると妙に意識してしまう。

「おっ……お義父さまたちいつごろお帰りになられるんでしょうねっ」

「そうねえ、光一郎さんには連絡しておいたからそろそろ帰ってくると思うけど」

 先ほどのやりとりはなかったかのようにケロリとした顔で瑠璃子は時計を見る。

 その言葉を聞いていたかのように玄関の扉が開く音がした。

「ただいま」

「あら、恭一郎さんが帰ってきたわ」

 今度は志保がいそいそと玄関に向かう。

 そのあとを瑠璃子が追っていった。

 桜子も出迎えにいったほうがいいのかとオロオロしていると、理一郎がその腕をとる。

「桜子は俺だけを出迎えに出ればいいんだよ」

 恭一郎と光一郎がリビングスペースまで入ってくる。

「おかえりなさい」

「おお、ただいま桜子ちゃん!」

「ただいま」

 光一郎は満面の笑顔でまるで孫にするかのように桜子の頭を撫でる。

 恭一郎は穏やかに微笑むと軽く頷いた。

 スーツ姿の二人はそれぞれ妻を連れて私室へ入っていく。

「おじいさまはいつもお元気ですね」

「七十過ぎのじいさんには見えないよな」

 

 皆がテーブルにつくと光一郎と恭一郎はグラス一杯ずつビールを注ぐ。

 それで十分なのだという。

「桜子ちゃんも一杯どうかね」

「あ、いえ、私は」

 光一郎に勧められて桜子は手を振って断る。

「ん? 飲めないわけじゃないだろう」

「ええ、でも……」

 理一郎が飲んでいないというのに、自分が飲むのも悪い気がする。

「飲んでもいいよ。俺よりも強いんだから少しくらいいいだろう」

「ええ、それじゃ……」

 一杯だけとビールをもらう。

「桜子ちゃんは夏休みはあるのかな?」

 食事がほぼ終りかけたところで光一郎が訊ねる。

「いえ、うちはスーパーですからお休みは日曜日だけです」

「そうか……陽介くんに一週間くらい夏休みをもらえるように訊いてみてくれるか?」

「え……あの?」

 どういうことだろうかと首を傾げると瑠璃子が言った。

「もう、光一郎さんたら説明が足りないのよ。それが理一にもうつってしまってるのに」

「ん? ああ、そうだったな。ワシと瑠璃子が一週間ほど別荘に行くんだが、一緒に行かんか? もちろん理一も一緒だ」

「ちょっ……じいちゃん、俺聞いてないけど!」

「だから今言っとるだろう」

 しれっとした顔で言う祖父に理一郎は「今思いついたに決まってる」とブツブツ言っている。

「おお、そうだ。麻里子と和佐も連れて行こう。和志たちは……」

「和志たちは仕事だ」

 社員全員は無理だが、部下でもある弟たちのスケジュールは把握済みの恭一郎が言った。

「和志たちの休みには麻里子たちをハワイへ連れて行くと言ってたじゃないか」

「ん? そうだったか。まあいい、和志たちはともかく、麻里子たちはまだまだ夏休みだからな。構わんだろう」

「……それは和志たちに聞いたほうがいいんじゃないか?」

 食事を終えた恭一郎は携帯電話を取り出した。

 それを横目で見た理一郎は桜子に言う。

「とりあえず、お義父さんに訊いてみてくれ。じいちゃんは言い出したら聞かないから」

「理一、聞こえとるぞ。陽介くんがダメだと言ったらワシが頼んでやるからな」

「……いえ、たぶんお父さんはいいって言うと思いますけど……」

 理一郎と二人きりだというのなら渋い顔をするかもしれないが、光一郎たちが一緒というのなら二つ返事で頷くに違いない。

 と、そこまで考えて一気に酔いが回ったかのようにクラクラしてきた。

(え、ちょっと待って……理一郎さんと一緒にお泊り!? おじいさまたちはいるけど!)

 桜子がそんなことを考えているとは思っていないのか、理一郎はどうしたと首を傾げる。

 彼はなんとも思っていないのか、それとも気づいていないのか。

 どうしよう。

 別荘行きの話は断るべきだろうか。

 本音を言えば行きたい。

 そこにはほんのちょっぴりだが淡い期待もある。

(おじいさまたちが一緒だけどねっ。もしかしたらマリちゃんたちも一緒かもしれないし)

 そんな雰囲気になんてならないかもしれない。

 けれど、一週間も好きな人とずっと一緒にいられるというのはかなりの魅力だ。

「……ああ……理一郎が面倒見てくれるだろう。和佐だってそこまで手がかからなくなってるからな……ん?……わかった。そう言っておく」

 桜子が頭の中であれこれと考えている間に恭一郎は弟との電話を終えた。

「麻里子たちは桜子ちゃんが行くなら一緒に行くと言ってる。和志の条件は、理一郎が麻里子の家庭教師をすること、だそうだ」

「なんだ、それくらいはいつものことじゃないか」

「よし、話は決まったな」

 光一郎は膝を打つ。

「理一、おまえの夏休みはいつになってるんだ?」

「俺の休みは八月の十六日から二十三日までだけど」

「なんだ、遅いんだな」

「八月頭まで出張が重なるんだよ」

「まあいいか。ワシが休みを合わせたほうがよさそうだな。恭一郎、あのあたりに余計な予定は入れるなよ」

「わかりました」

 会長といってもセガワ商事では名誉職といってもいい。スケジュール管理は息子の恭一郎がやっている。正確には秘書が、だが。

 

 別荘、か……

 

 友達たちとの旅行の経験はあるが、別荘という名のつくところには行ったことがない。

 どんなところだろう。

 桜子の中で期待がかなり大きくなりはじめていた。

 

 


読んでいただきましてありがとうございます。

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