・彼女の選択(5)
「ごめんねユキハ。邪魔するつもりじゃなかったんだ」
三人で公園に向かう途中で、多加弥が小声で謝ってきた。
「謝るのは私の方だよ。いくらなんでも置いてくなんてひどいよね」
「急いでたんなら仕方ないよ」
そこは怒ってくれてもいいのになと思う。多加弥はお人好しだ。そのせいで悪いことに巻き込まれやしないかと心配してしまうくらいに。
公園に着いてベンチに座ると、由起葉は自分の見た沙英と花恵の関係を淳に話した。とはいっても、あまり情報は多くなく、淳はすでに知っているようだった。
「安原を助けてくださったんですね。ありがとうございました」
「いや、ほとんど間に合ってなかったけどね」
ジュースもかけられたし眼鏡も壊されてしまった。助けたというにはちょっと力不足だ。
「サエちゃんは花恵ちゃんたちと仲良くしたいみたいだね。あんなにひどいことされてるのに、悪く言わないでって怒られちゃったよ」
「安原にとってはやっとできた友達だからなんでしょう」
「友達いなかったの?確かに学校では静かで地味な感じだけど、それだけで友達ができないとかある?」
「安原は今はあんな感じですが、中学のときは全然違ったんです。むしろ中学のときの方が本当の安原に近かった。今の姿は偽りなんです」
中学時代の沙英はとても華やかで、周りの目を引く存在だったらしい。生まれ持った容姿と能力。そして誰に対しても変わらない優しさが沙英の人気を不動のものとした。沙英はいつも友達に囲まれ、楽しい中学生活を送るはずだった。
しかし、徐々に歯車は狂いだした。沙英にその気がなくても、周りの目が変わってしまってはどうしようもない。中学生という難しい年頃の心の変化を、沙英一人ではどうすることもできなかった。
「誰にでも優しかったのが逆にいけなかったんですかね。勘違いする奴も多く出てきて、男子のほとんどは安原をただの友達とは思ってなかったと思います」
そして不幸は始まりを告げる。一人の男子生徒の告白を皮切りに、沙英は恋愛競争の渦中に放り出されることになった。それだけでもこたえていた最中、大きな事件が起こる。
学内で名の知れていた三人の先輩から続けて告白されたのだ。沙英は全ての申し出を断った。だが、それで事が済むわけがなく、後日沙英は女子の先輩たちに取り囲まれ暴力を受けることになる。
「オレが駆け付けたときには安原は階段の下で倒れてて、逃げていく何人かの先輩の姿が見えました。詳しい経緯はわかりませんが、もみあっていて階段から落ちたみたいで、安原は腕を折って入院しました」
その後淳は何度かお見舞いに行ったが、女友達は誰一人来た様子がなかった。
沙英は事件の詳細を決して語らず、階段で滑って落ちたという説明を繰り返した。淳は違うことを知っていたが、沙英の強い姿勢を見て何も言うことができなかった。
「退院して学校に来たときにはもう、安原の居場所はなくなってました。みんなが安原をねたんでたとは思えないし、女子の中にも仲良くしたい子はいたと思うんです。でも周りが怖くてできなかった。女子がそんなだから男子は安原を守ろうとして、逆に状況を悪化させてしまった。安原は望んでもいない好意のせいで完全に孤立してしまったんです」
「女って怖い・・・」
そういうあんたも女でしょうが。圭の突っ込みが聞こえた気がした。
「でも、安原はそれからもずっと学校に来てました。卒業するまで環境は良くならなかったけど、負けずに一人でがんばってたんです。オレはそんな安原が好きだった。強くて優しくて、ただ遠くから見守るしかなかった勇気のないオレと違って、すごく輝いてる安原が好きだったんです。いつか安原はこんな陰気な世界から抜け出して、誰からも愛される人になる。そう信じてました」
淳の口からこぼれるのは沙英への愛ばかりだ。こんなにも好きなのに、今淳は沙英に呪われかけている。なんと皮肉な話だろう。
「ジュン君はサエちゃんのことが本当に好きなんだね」
「はい。恥ずかしいですが、それは自信を持って言えます」
「結構積極的に迫ってたよね」
「本当はそんな大胆なこと軽くできるような人間じゃないんです。安原への気持ちだって自分の内に秘めておくつもりだったし。でも、高校での安原の姿を見たらたまらなくなって・・・」
淳は急に泣きそうな顔になった。
気持ちを察することはできる。華やかで強く輝いていた沙英が、周りを気にして目立たないように姿を変えた様を見て、淳は胸が詰まったことだろう。誰からも愛されるはずだった本当の沙英は、自らの手で押し込められ世間に姿を見せなくなってしまった。
「今度こそオレが守るんです。安原は安原らしく生きるべきだし、あんな風に偽らなくても本当の姿を受け入れて友達になってくれる人はいるはずだから。オレは自由に生きてほしいだけなんです」
気持ちはよくわかった。だが、その願いが今沙英を苦しめている。
この問題に完璧な解決は望めないだろう。手に入れるものと諦めるもの。沙英にできるのは後悔のない選択だけのように思われた。
淳を駅まで送った帰り道。由起葉は隣の多加弥が気になって仕方がなかった。まったくしゃべらない。何かを考えているのは明らかだった。
由起葉はただ黙々と歩きながら、多加弥から話しかけてくるのを待っていた。
「ねぇ、ユキハ」
多加弥が口を開いた。
「うん?」
「やめてほしいって言っても、無理だよね」
多加弥が何のことを言っているのかはすぐにわかった。沙英の問題に首を突っ込んでいることを言っているのだ。
「怒ってるの?」
「怒ってはいないよ。ユキハの優しいとこ好きだし。でも心配にはなる」
「ごめん」
「いや、いいんだ。ユキハが放っておけないのはよくわかってるし。ただ、もしユキハまで巻き込まれたらって思ったら。俺は傍にいないし」
多加弥は何のことを言っているのだろう。由起葉までもがいじめの対象にならないかを心配しているのだろうか。それとも呪いのことを何か感じているのだろうか。
後者はあり得ないと思いながらも、由起葉は少しどきりとした。
「まぁ、傍にいたからって俺じゃ何もできないかもしれないけどね」
「そんなことないよ」
由起葉は多加弥との距離が広がっていることに今気付いた。自分だけが見えるモノ。自分だけが知っていること。多加弥の入り込めない世界を自分は持ってしまったのだ。
全てを打ち明けて秘密を共有すれば、多加弥の抱いている焦りのような気持ちは和らぐかもしれない。でも、それでどうする。結局は見えないのだ。今度は見えないということが多加弥を焦らせてしまうかもしれない。
呪いなんて関わらない方がいい。知らない方がいいことだってある。
「俺にできることって何かある?」
「あるよ。私のこと、離れてても想ってて」
「想ってるよ、いつも」
「それでいいよ。私はタカヤに想われてるんだって思ったら、それだけでうれしいし強くなれる。私はタカヤがタカヤでいてくれればいいんだ。タカヤに何かしてほしいなんて、本気で思ったこと今までにもないよ」
「欲がないね。俺はユキハにしてほしいこといっぱいあるよ」
「な、何よ」
「あんなことや、こんなこと・・・」
「あんたねぇ」
由起葉は多加弥の耳を引っ張ってやった。多加弥は痛がりながらも笑っている。
(ごめんね、タカヤ)
「大丈夫だよ」
心の中の声に多加弥が反応したのかと思い、由起葉はびっくりした。
「ユキハには無茶しないでほしいけど、でも、なんとなくユキハが本当に危ないときには傍にいれる気がするんだ」
「また適当なこと言って。・・・でも、ありがとう」
何もしないのが一番いいのかもしれない。自分が危ないことをすれば、いつかは多加弥も巻き込むことになる。
わかってはいる。わかってはいるけれど・・・。
(やっぱり放っておけないんだ)
夕日に照らされて浮かんだ二つの影は、しっかりと手をつないでいた。