・彼女の選択(2)
名前と顔がわかっているので探すのはそう難しくなかった。
一年二組。安原沙英。周りの人の印象は一様にしておとなしいというものだった。目立った特徴はないようだ。
気にしているからか、呪いが引き寄せているからなのか、由起葉は度々沙英の姿を見るようになった。静かに学校生活を送っている。そんな様子の沙英は、一人でいることが多かった。
それでも決して学校が楽しくないようには見えなかった。由起葉にしてみればつまらない日常だが、彼女にとっては居心地のいいスタイルなのかもしれない。考えてみても呪いとは結びつきそうになかった。
「気のせいだったのかな・・・」
もう沙英を追いかけるのはやめようかと考えていた。あれ以来影も見えないし、沙英の周囲で呪われそうな人物も見当たらない。気のせいだったですめば、由起葉にとってもありがたい。
掃除当番の由起葉はゴミを捨てるため校舎裏に来ていた。後ろをナギがついてくる。
由起葉たちのクラスはホームルームが長引いてしまったため、掃除に入るのが遅れていた。そのため裏のゴミ捨て場には他のクラスの生徒の影もなく、静かだった。由起葉はすでに山になっているゴミの中に、自分のクラスのゴミを突っ込んだ。
そのとき、少し離れたところにある用具倉庫の陰から、小さな笑い声がした。ナギも反応してそちらを向く。楽しげな声ではなく、人をバカにしたような意地悪な笑いだった。
由起葉はそっと近付いていった。木の陰に隠れてのぞいてみると、三人の女子生徒の後ろ姿が見えた。
一人が手に持っていたジュースのパックを地面に投げつける。いや、地面ではない。そこにはもう一人女の子がいた。パックはその子にぶつかり、中に残っていた液体が飛び散った。また笑い声があがる。
「ちょっと」
たまらず由起葉は声をかけていた。人に見られたことに驚き、三人は慌てて逃げていく。あっという間に走り去っていったので顔がよく見えなかった。
「ワンっ」
いなくなった三人の方ばかり見ていた由起葉は、後ろでナギが吠えたことにより視線を座り込む女の子に向けた。そこでぎょっとする。真っ黒だ。影が女の子を取り巻いている。
「まさか・・・サエちゃん?」
由起葉は駆け寄って肩を揺すった。
「サエちゃんっ」
黒い影の中で、女の子がぴくっと動いた。次の瞬間、地面に吸い込まれるようにして影が一気に女の子から離れていく。中から現れたのはやはり沙英だった。
はっとして由起葉を見ている沙英。その表情にほっとする。
「あ、あの・・・・あなたは・・・」
「あ、あぁ。私はえっと、通りすがりの上級生よ。それにしてもひどいね」
「・・・本当だ。ひどい格好ですね」
沙英は自分の汚れた制服を見て他人事のように言う。
「いや、格好のことじゃなくて、さっきの子たちのこと。三人で取り囲んでゴミ投げつけるなんて最低だよ」
「べつに、気にしてませんから」
「えっ?気にしてないって・・・。そんなわけないでしょ」
「私は大丈夫ですから」
由起葉は言葉に詰まってしまった。それほどまでに強く、沙英はきっぱりと言い切ったのだ。それ以上言うことは許さない。そういう目をしている。
「これ、よかったら使って。顔とかも汚れてるし」
由起葉はハンカチを差し出した。それが精一杯だった。
沙英の手にハンカチを押し込んで、由起葉はその場から去った。
今何を言っても沙英は聞いてくれない。そう思った。
由起葉は諦めたわけではなかった。あれからも沙英の姿を探しては様子をうかがっていた。
そんなある日、由起葉は人気のない下駄箱の前で怪しい動きをしている人物を見つけた。すぐに壁に隠れてこっそりうかがう。あの辺りにはちょうど沙英の下駄箱があるはずだ。
下駄箱のひとつを開けて何やらしている人物をじっと見ていた由起葉は、ある光景と重なって見えるような気がしてきた。あの後ろ姿。逃げていった三人のうちの一人ではないだろうか。
彼女は作業を終えると、周囲を気にしながらそそくさと逃げていった。
由起葉は確認しようかと一度下駄箱の近くまで寄ったが、人のところを勝手に開けることにためらい、結局そのままにして帰った。
沙英の下駄箱から大量の砂が出たのを知ったのは、次の日だった。昨日の子がやったに違いない。由起葉は人物を特定するため動き出した。
彼女を見つけるのは案外あっさりできたが、情報を得るのにてこずった。一年生との交流が浅いため情報入手のルートがない。それでもなんとか名前と沙英との関係を調べた。
大崎花恵。いつも三人で行動しているらしいので、校舎裏で目撃した三人は彼女たちであると言っていいだろう。花恵たちは入学当初から仲良くしていたようだが、ある頃から沙英だけ一緒に行動しなくなったようだ。それでも特別仲が悪くなったような感じはなく、クラスでも普通にしゃべったりはしているらしい。
「女って複雑だよね・・・」
「なにを急に。あんたも女でしょうが」
思わずつぶやいた由起葉に圭の突っ込みが入る。
「私はいい仲間に恵まれてるよ」
「本当にどうしたの?そこまでしみじみ言われると、ちょっと気味悪いよ」
美和までもが怪訝な顔をする。
由起葉は自分の知った女の友情関係について、みんなに話そうかとも思ったが、やめた。妙なことに首を突っ込んでいる自覚はある。それで周りを巻き込みたくはない。
「ユキちゃん何かあった?シオリの玉子焼きあげるから元気出して」
「はは・・・。ありがと」
由起葉は詩織の頭をなでた。こうして友達になるまでにはいろいろあった。特に詩織と圭の仲は最悪で、いじめに近いことをしていたと言っていい。さっぱりとした性格の圭は、ぶりっ娘のような詩織のことが大嫌いだったのだ。
でも、詩織のことを深く知ることで圭は全てを受け入れた。今では圭が詩織を守ってやるまでになった。
由起葉は考える。あの頃の詩織は誰かを呪ったりしただろうか。自分の置かれた境遇を誰かのせいにして、その誰かを消したいとは考えなかったのだろうか。
もしあの頃の自分に呪いが見えたら、詩織の姿は影に包まれていたのではないだろうか。
「詩織、今って楽しい?」
「うん、楽しいよ。ケイちゃんが優しくしてくれたら、もっと楽しいのに」
「なんだって?」
「きゃう」
圭に頭をぐしゃぐしゃされておろおろする詩織を、美和がよしよしする。本当にナイスな人間関係だ。
お弁当を食べ終えて、美和に髪を整えてもらった詩織は上機嫌だ。その間に圭はゴミを捨てにいって詩織のお弁当の包みもきれいに直してくれた。本当は優しいのだ。
今沙英はどんな気持ちだろう。辛いだろうとは思うが、踏み留まってほしい。由起葉はそう考えてしまうのだった。