2彼女の選択
夏休みは終わり、新学期が始まった。
多加弥とは学校が違うため、しばらくお別れだ。だが、例の犬は学校までついてくる。誰にも見えない大きな犬。契約のせいだろうか、ある程度の距離以上は離れられないようだ。
犬にはナギという名をつけた。この犬が現れた場所が柳楽神社というので、そこからとった。
学校ではホームルームの時間に由起葉の目のことが簡単に説明された。自分のことなのに、由起葉は上の空で聞いていた。
窓からグラウンドが見える。ふらふらとのんきにお散歩しているナギが見える。なんておかしな日常だろう。
「ユキハ、大丈夫なの?」 始業式がメインなので、今日は午前中で学校は終わりだ。帰る前にみんなが由起葉のところへ寄ってくる。
「言ってくれたらよかったのに」
「うん。なんて言っていいかわからなくてさ」
「困ることがあったら何でも言ってよね。助けるからさ」
「ありがと。でも私自身まだそんなに不自由を感じてないんだ。これから不便なことが出てきたら言うね」
しばらくわいわいとしゃべった後、そのままみんなと教室を出た。
校舎から出ると、ナギが寄ってきた。由起葉たちから少し離れておとなしくついてくる。こんなに大きな犬が近くにいるのに、みんなはまるで気にしていない。本当に見えないんだなと実感する。
「あっ、ユキハ、あれ」
校門の方を指差して美和が肩を叩いた。見ると、門のところに多加弥がいる。
「わざわざお迎え?」
「約束なんてしてないのに」
「ユキハのことが心配なんだよ」
「柏井くぅん」
詩織が大きく手を振りながら駆けていく。
ゆっくりと近付いてきた由起葉を見て、多加弥は気まずそうにしている。
「ごめん、みんなと帰るなら、俺はべつに・・・」
「ここまで来といてべつに帰るの?」
「でも・・・」
「わざわざ来たんだし、一緒に帰りなよ。私たちは先に帰るからさ」
「そうそう。ほら、詩織も人の彼氏にべたべたしないで、帰るよっ」
「ケイちゃん、それひどい。べたべたなんてしてないもん」
「はいはい。いい子だから帰ろうね」
小さな詩織は圭に首根っこをつかまれて引きずられていった。
残された由起葉と多加弥。急に静かになる。
「ご、ごめん」
「なんで謝るのよ」
「だって、せっかくみんなと帰ろうとしてたのに」
「そんなに気にするなら来なきゃよかったじゃない」
「それは・・・」
「冗談よ。ほら、一緒に帰ろ」
多加弥はほっとした顔で由起葉についてくる。その横にナギも並ぶ。多加弥は人でナギは呪いだが、どちらも犬みたいだと思った。
「ユキハ、不便はなかった?」
「特には。ちょっと黒板の字が見にくくなったくらいかな。でもそのうち慣れると思う」
「そっか。ねぇ、ユキハ。塾やめるって、本当?」
「・・・・うん」
それが聞きたくて来たのだろうか。由起葉は夏休み中考え続けた結果を答えた。
「ごめんね。私なりに考えたの。事故のせいでだいぶ遅れをとっちゃったし、それに大学に行って勉強するのに私の視力ってどうなのかなって思っちゃって。やっぱり左目だけでたくさんの文字や数字を追いかけていくのに限界を感じるの。きっと、ずっとは続けられない」
「進路はどうするの?」
「専門学校に変更しようかなって思ってる。私、体動かすの嫌いじゃないし、整体とかインストラクターとか、体や手を使ってできるものを目指してみようかなって」
前向きな発言だった。無理をしているわけではない。少しでも興味のあることにつなげただけだ。
それなのに、隣の多加弥はバカなことを言う。
「俺も、やめちゃおうかな・・・」
「はぁ?」
「俺もユキハのおかげで武術とかやってるし、ユキハと同じ道に・・・」
「それ以上言ったら本気で怒るよ」
由起葉はぴしゃりと制した。
「なんでそういう考えになるのかなぁ。私の分までがんばろうとか思わないの?私だってタカヤと一緒にいたいし、同じ道に進みたいよ。けど、私なりに考えたの。たとえ道は変わっても精一杯やるから、タカヤは今までどおりがんばってよ。タカヤならできるから、こんなことで心を乱さないで」
「こんなことって・・・。俺には大事なことだったんだ」
「いつも傍にいることがそんなに大事?高校卒業したら同じ学校に行けるって、そのためだけに努力してきたの?」
「そうじゃないけど」
「ならちゃんと考えて。将来一緒になればいいじゃない」
「なっ」
「それじゃダメなの?」
冷静に言い放つ由起葉に対して、多加弥は顔が真っ赤だ。
「ユキハ、大胆だね。それってさ、要するに、プロポ・・・・やばいな、鼻血が出そうだ」
「なにバカ言ってるのよ。とにかく、わかったわね」
「うん」
素直にうなずく多加弥。本当にわかってくれたか怪しいものだ。
由起葉たちは駅前のバス停まで歩いた。学校のすぐ近くにもバス停があるが、そこから乗ると由起葉の家の方まで行けない。多加弥は由起葉と同じ街に住んでいるので途中まで一緒だが、自分の通う高校から電車で来てバスにまた乗るわけだから、本当にわざわざやって来たことになる。
バスが来た。由起葉たちが乗り込むと、ナギはあの巨体からは想像できない身軽さでバスの上に飛び乗った。朝もこうやって来た。最初見たときは声を出しそうなくらい驚いたが、さすがに二度目は慣れている。
乗客が次々と乗り込み、由起葉たちは後ろの方の席に座って発車を待っていた。すると、ドアが閉まりかけたときに一人の女の子が駆け込んできた。
由起葉と同じ制服だ。でも見覚えがない。今までバスで一緒になったことはあっただろうか。
女の子は眼鏡をかけていて、長い髪を三つ編みにしていた。胸元に名札を付けたままだ。名札に入ったラインが緑色なので一年生だとわかる。安原と書かれていた。
安原は息を整えるため深呼吸し、前の方の席に向かっていった。
そのとき、由起葉は目を疑う光景を見てしまった。
真っ黒な、霧のような影が急に足元からはい上がり、安原の後ろ姿を覆ってしまったのだ。安原は動く影となり席に座った。
見てはいけない。由起葉は思わず目を手で隠した。
「どうしたの?目が痛いの?」
隣の多加弥が不安げな声で聞いてくる。
「ううん、大丈夫」
そっと手を外して、もう一度見ると、黒い影はなくなっていた。
呪いだ。聞くまでもなくそう思った。
その夜、由起葉は昼間のことを思い出しながらナギの毛をなでていた。ナギは目を閉じて由起葉に身を任せている。
今ではこうして触れ合うことにもすっかり慣れてしまった。自分の順応力に驚くが、それでもやっぱりあの黒い影には慣れない。おぞましさにぞっとする。
「あの子、呪われてるのね・・・」
由起葉のつぶやきに反応するように、突然ナギが顔を向けてきた。
「なに?どうしたの?」
聞いたところでナギはしゃべれない。わかっていたが、それでも聞いたのはナギが何か言いたそうだったからだ。しばらく見つめ合う。
「私の言ったこと、何か間違ってる?」
「ガウゥ・・・」
「あの子は呪われてるわけじゃない・・・」
ナギは促すように目を細めた。
「あの子が呪おうとしてる・・・。そういうこと?」
「ガウ」
ナギはうなずく代わりに一声吠えた。
「あなたそんなことまでわかるの。賢いのね」
感心してしまう。ナギの能力はまだお目にかかったことがないが、力も強そうだし知能も高そうだ。とはいっても、呪いに知能があるのかは疑問だが。
「ナギをつれてた女の人と一緒ね。あの子の影も成長したら呪いの対象者のところへ行くんだ」
おとなしそうな女の子。静かに日常を送っていそうな彼女には、呪いを生み出すほどに憎い相手がいる。そしてその相手は、このままいけば危ない目に遭う。
「わかってるのに何もしない方がいいなんて・・・」
もし安原に呪われる相手が自分の周りの人間だったとしても同じことが言えるだろうか。見て見ぬふりなんて、できるだろうか。
「・・・・できないよね、やっぱり」
由起葉は自分の性格に少し嫌気がさした。不生の言うとおりだなと思った。