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・見えざるモノ(3)

 悪い夢だ。黒い世界に落とされ、不生という男に片目をとられて、自分は幻覚を見るようになってしまった。

 目が覚めて、幾日かの朝を迎えれば、そんな異常な精神状態は収まるはず。由起葉は信じて眠りについた。

 しかし、残念なことに、なんでもない朝は訪れなかった。代わりに自分の見ているものが幻ではないと証明される夜が訪れた。

 すぐ近くで唸る《うなる》ような声が聞こえる。眠っていた由起葉は呼び覚まされるように目を開いた。そのまま首だけ動かして部屋の様子をうかがう。

 寝覚めは最悪で、視界はまだぼんやりとしている。そんな状態でも由起葉の目は、確実に二つの光を捉えた。暗闇の中に浮かぶ二つの金色の光。その辺りから低く唸る声が聞こえてくる。

 由起葉は頭から冷水をかぶったように、一気に意識がはっきりした。あの光は記憶に新しい。そしてこの声。まるで威嚇する犬だ。

 (まさか、昼間神社で見たあの大きな犬?)

 由起葉は動けない。息をするのも忘れてしまいそうなほど動揺していた。得体の知れない何かが自分の部屋にいるのだ。どうやって入ったのかも、何が目的なのかもさっぱりわからない。ただただ恐ろしい。

 (どうしよう。私まだ夢の中にいるのかな。もう一度眠れば消えてくれるかも)

 由起葉は爆発しそうな心臓を押さえて、再び目を閉じようとした。

 そのとき、あの犬が動く気配がした。ゆっくりと近付いてくる。気配が近くなるにともなって、由起葉の手は震えはじめた。

 (やっぱり無理。こんなリアルな恐怖、夢でも幻でもないよ。どうしよう。このままじゃ私、こいつに・・・。誰か助けて)

 ぐっと目をつむった瞬間、由起葉の脳裏にあの男の姿が現れた。朦朧とする意識の中で聞いた言葉。

  

  

 「君には人には見えないものが見えるかもしれない・・・。もし困ったら呼びなさい。ワタシは・・・・」

  

  

 「フキっ」

 由起葉は叫んでいた。

 急に目の前が明るくなり、光をまとった不生が現れた。その光を受けて犬の姿もはっきりと浮かび上がる。

 不生は指で五芒星ごぼうせいを描くと、掌を犬の額に向けてかざした。すると突然犬はおとなしくなり、しつけのされたペットのように行儀よく座り込んだ。

 その一連の流れを、由起葉は茫然と見つめていた。

 「呼んで正解だったね。これはまたすごいの呼び込んじゃったみたいだね」

 「本当に・・・来た・・・」

 「君が呼んだんじゃないか。呼ばれたら来るのがマナーだろう」

 「いったい何がどうなってるの?聞きたいことたくさんありすぎるけど、あなたは答えてくれる?」

 「どうかなぁ。全部は答えられないかもしれないな」

 不生はいきなり犬の背に腰を下ろした。由起葉は驚いたが、犬はおとなしく床に伏せている。

 「その犬、もしかしてあなたのペット?」

 「まさか。ワタシは猫派なんだ」

 そういう問題ではない。由起葉は突っ込みたいところを流した。

 「あなたはいったい何者なの?」

 「それはまだ答えられない」

 「じゃあ、その犬は何なの?」

 「この子は呪いだよ」

 「呪い?」

 「そう。呪いには様々な方法があり、形状も様々なんだ。この子以外にも何か見なかったかい?」

 由起葉は公園で見た光景を思い出した。

 「女の人におかしな影があった」

 「それも呪いだ。誰かが彼女を呪ったんだろう」

 「じゃああの人は呪われてるってこと?」

 「そういうことになるね。影というのはなかなか凶暴なんだ。かわいそうだけどその女性は無事じゃ済まないかもしれないね。まぁ、この子に比べればマシだろうけど」

 そう言って不生は犬の毛をなでた。不生は犬を呪いだと言った。ということは呪いに触れることになる。

 「私、その犬が女の人の後ろについて神社の石段を降りてくるのを見たの」

 「なるほど。だからこんな立派な姿なのか」

 「あの人はこの犬に呪われてるの?」

 「犬が呪うわけじゃない。犬は呪いの形だよ。それにこの子はまだ完成されてないみたいだから、おそらくその女性が誰かを呪おうとしているんだろう。神社に通っては誰かに対する怨みの言葉を吐き出してるんだろうね。呪いの言葉がこの子をつくり、こんなにまで成長させた。もう少し成長したら恨みの対象へこの子が向かうはずだ」

 「呪われた人はどうなるの?」

 「この子の場合は力が強いからなぁ。最悪は死んじゃうかもね」

 「犬に噛み殺されるってこと?」

 「ちょっと違うかな。この子が食らうのは人の魂であって、人そのものじゃない。よほど特殊なものでない限り、呪いは具現化しないし、見ることも触れることもできない。だから人に直接的に危害を加えることはできないんだ」

 「でもあなたは触れてる。人じゃないんだ」

 「おっと、なかなか鋭いな」

 「そして私には見えてる。私も人じゃなくなっちゃった・・・」

 「それは違うよ。君はワタシとは違う」

 「ねぇ、これは夢の続きなんでしょ?あの事故でやっぱり私は死んだんでしょ?」

 「君はちゃんと生きてるよ。ただちょっと、普通じゃなくなってしまったけどね」

 普通じゃない。その言葉はむしろ由起葉を安心させてくれた。自分が普通でないからこんなおかしな目に合っている。充分納得がいく答えだった。

 「覚えているかい、ワタシと契約したことを」

 「あの黒い世界でのことね」

 「そう。あのとき君はワタシに片目を差し出すことで契約を成立させた。ワタシとの契約は呪いの契約となる。つまり君の片目は呪われているんだ。だから見えないものが見えてしまう」

 「ちょっと待ってよ。そんなの聞いてないっ」

 「説明している時間がなかったからね。それに、聞いていたとしても君は彼を助ける道を選んだだろう?」

 言い返せない。たぶん不生の言うとおりだ。

 「私はこれからどうすればいいの?」

 「どうもしなければいい。見て見ぬふりをして過ごせばいつもと変わらない日常を送れる。今回のように下手に呪いを意識すると自分の元へ呼び込むことになるから気をつけた方がいい」

 「そうよ。なんでこの犬は私のところへ?」

 「呪いというのは人の念だ。恨めしいと思う相手を苦しめるために絶対の力が向けられる。だから邪魔するものを排除しようとするんだ。君のように存在を認識できる者には邪魔される可能性があるからね。それをさせないために危害を加えに来たんだろう」

 「この子は私に見られたからここに来たんだ・・・」

 「君は理解が早くていいね。君みたいな賢い子から目をもらえてよかった」

 「ねぇ、この犬はこのまま放したら誰かを呪いに行ってしまうんでしょ?」

 「まぁ、そうだろうね」

 「なんとかならないの?あなたは不思議な力を持ってるじゃない。呪いを消すこともできるんじゃないの?」

 「消してどうする?」

 「どうするって・・・」

 「この子を消すことくらいはできるよ。でも消したところでまた新たな呪いが生まれるだけだ。この犬を連れていたという女性は相手を殺すまで恨みの心を捨てないかもしれない。だとしたら彼女の思いを遂げるまで呪いは生まれ続けることになる。終わりがないんだ」

 「じゃあ、放っておけって言うの?」

 「仕方ないんだよ。君は見えるというだけで何もできない。君だけじゃない。誰にもどうすることもできないんだ。呪いをかける本人をどうにかしない限りね」

 由起葉は納得できない気持ちを残しながらも、それ以上何も言えなかった。

 「君は賢くて清い。でも、その過剰な正義感は身を滅ぼすことにつながるよ」

 「ご心配どうも」

 「そうだ。この子を君にあげよう」

 「えっ?」

 不生が指し示しているのは、自分の下のあの犬だ。

 「それ、呪いだって言ってたよね」

 「そうだよ。まぁ、ペットみたいなもんだと思ってさ。ちょっとくらいのことならこの子が守ってくれるだろうから、もらっておきなよ」

 由起葉の返事も待たず、不生は犬の頭に手を当てながらなにやら唱えはじめた。それが一通り済むと、由起葉の手をとる。

 「さぁ、契約を」

 由起葉は引かれるままに犬の口に手を軽く入れられた。そこから淡い光があふれる。不生は最後の言葉を囁いた。

 「これでこの子は君のものだ。触ることもできるよ」

 由起葉はおそるおそる触れてみた。本物の犬のように、ふさふさとした毛並みがわかる。これが呪いだとは信じられない。

 「なついてると結構かわいいもんだろう。好きに呼んであげたらいいよ。じゃあ、今夜はこれで失礼するよ。まぁ、できたらもう会わないでいたいけど君はまた呼びそうだからね。そのときはまたお邪魔するよ」

 不生は軽く手を振ると、瞬く間に姿を消した。

 部屋が暗くなる。ぼんやりと浮かぶ白い生物。あの犬は本当に由起葉の元へ残った。

 「・・・・部屋が狭いな」

 犬はのんきにあくびをしている。大きなペットは部屋の空きスペースをほぼ占領していた。


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