・蛇と呪いと契約と(7)
真っ暗だった。いや、暗いのではない。自分の周りが真っ黒なのだ。その証拠に自分の体はよく見える。
「いやぁ、久しぶりだね」
「誰だ」
突然声がして顔を上げると、さっきまで真っ黒なだけだった空間に男が立っていた。白い髪に赤い瞳をしている。
「俺、あんたのことなんて知らないけど」
「あぁ、そうだね。君は死にかけてたし無理もないね」
「いったい誰なんだ。それに、ここはどこなんだ?」
自分はさっきまで由起葉と同じ場所にいたはずだ。歩美に襲われて、梢を助けるために近付いたところまでしか記憶がない。瞬きの次に目を開けると、多加弥はここにいた。
「そんな難しい質問されても、答える言葉が見つからないよ」
「夢でも見てるのか?」
「夢でも幻でもないよ。でも、現実ともちょっと違う」
「俺を帰してくれ。ユキハを助けなくちゃいけないんだ」
「あぁ、確かに今、彼女はピンチだね」
「ユキハのこと、知ってるのか?」
「知ってるとも。君のことだって知ってるよ。あの子がいい子でよかったね。そうじゃなきゃ、今頃君はあの事故で死んでる」
「事故・・・」
「覚えてるだろ?車に跳ねとばされて君たちは死にかけた。そのとき君たちはこの世界に来たんだよ。もっとも、君は虫の息だったけどね」
そんな馬鹿な。確かにあの日、多加弥は由起葉と共に事故にあった。直後の記憶はなかったが、目覚めたときにはさほど深い傷もなく、すんなり退院できたくらいだ。それが虫の息だったなんて。
「あのとき、いったい何があったんだ・・・?」
「教えてあげようか。でも、知ればもう後戻りはできない。このまま何も知らずに彼女から離れて生きていけば、君には限りない幸せな未来が待っているかもしれない。だが、知れば君は、死ぬまで彼女の傍で運命と戦い続けることになるかもしれない。それでも教えてほしいと?」
「当たり前だ。俺にはユキハしかいないんだ。今も昔も、そしてこれからも、ユキハから離れるつもりなんてない」
「愛されてるなぁ、彼女」
不生は満足そうに笑った。
「彼女はね、ワタシと契約したんだよ。呪いの契約。君を助けるために自分の眼を売ったんだ」
「眼を・・・?まさか、ユキハの右目が見えないのって」
「事故のせいじゃない。君がとっさに彼女をかばったおかげで、彼女はわりとまともに生きてたよ。ただ、逆に君が死にかけてた。あのままだったら病院に運ばれても助からなかったと思うよ」
「でも俺は生きてる・・・」
「そう。彼女は自分の眼をワタシに捧げて契約し、ワタシはその代償として君を助けた。ただ、あまりにも君の魂が消えそうなくらい弱っていたから、彼女の魂を半分いただいたけどね」
「どういうことだ」
「だから、今君の中には彼女の魂が半分宿ってるってこと。ちょっとは感じるだろ、自分の思いの外で感情が揺れたりするの。彼女の魂が受けるものは君にも少しは伝染するようになってるからね」
信じられないような話だったが、多加弥には思うところがあった。
今まで以上に由起葉のことを心配したり、不安になったりしたのは事故からの精神的不安定さによるものだけではなかったのだ。そして今まで以上に由起葉を求める心の奥の熱も、きっと魂が呼び合っていたからなのだ。
それなら、なおさら離れるわけにはいかない。由起葉と自分が二人で一つだというなら、傍にいて当たり前ではないか。
「ユキハが俺を助けたなら、今度は俺がユキハを助ける番だ」
「でも、今の君には力が足りない」
「足りない?」
「そう。今彼女が戦っているものが何なのか、君にはまだわかっていない」
「何を言ってるんだ?ユキハは今あの女に殺されかけてる。だから早くここから戻してくれ」
「あの女性を押さえ込んでも彼女は助けられないよ。それに君の可愛いお友達も」
「梢ちゃんも?」
「いいものを見せてあげよう」
不生は多加弥の右腕の辺りを指差して軽く振った。すると、そこに巨大な蛇が姿を現した。蛇はがっしりと多加弥の右腕に絡みついている。
「なっ、なんだよこれっ」
「呪い。あの女性が君のお友達にかけた呪いの形だよ」
多加弥は必死でつかもうとするが触れることができない。
「触ることはできないよ。呪いっていうのは普通見えたり触れたりできるもんじゃないからね。ただ、彼女には見えてる。彼女の右目には、今君が見ているものと同じものが見えてるんだ」
「まさか・・・」
「でも、見えるだけで触れられない。だから呪いと直接的に戦うことができない。彼女は呪いが人を苦しめる様を生々しく見ることができるだけで非力なんだよ」
多加弥が感じていた違和感はこれだったのだ。由起葉にだけ見えるモノ。自分にはわからない何か。
「彼女の片目は契約により呪われ、見えざるモノが見えるようになった。そして正義感の強い彼女は呪いを何とかしようとして苦しんでいる」
「でも見えるだけで触れることもできない・・・」
「そう。だからワタシから提案なんだ。君、左腕をワタシによこす気はないかい?」
「なっ・・・」
「左腕をワタシに捧げて契約すれば、君は呪いに触れるようになる。その蛇だって、つかむことはおろか、引きちぎることだってできるようになる。どうだい、力を得て彼女を助けないか?」
「腕を捧げる・・・」
「捧げたからって腕がなくなるわけじゃない。心配しなくても生活できる程度にはちゃんと動く。ただ、もし契約すれば君の左腕は一生繊細な動きができなくなるだろう。たとえば、ピアノを弾くとか・・・」
多加弥はピアノの一言に気持ちが吹っ切れた。この男はどこまで自分のことを知っているのだろう。
「ピアノなんて、一生弾けなくなってもかまわないさ。片腕くらいあんたにくれてやる。それでユキハを助けられるんだろう?」
「力しだいだが、君なら彼女を守れるだろう。契約成立だ。左腕を前へ」
多加弥は言われたとおり腕を出した。不生は肩から指先まで、なぞるように手を当てていく。すると、多加弥の腕から光があふれ、やがてその光は一つにまとまって不生の手の中に渡った。
「なかなか力強い光だ」
不生はその光を呑み込んだ。その瞬間、多加弥の左腕を激痛が襲う。多加弥は腕を押さえてうずくまった。
「ぐっ・・・」
「少ししたら収まるから、我慢してくれ。これでこの世界を出たら君は呪いに触れることができるようになっている。彼女のように鮮明には見えないが、呪いの存在を認識できるようにもなっている。彼女を守ってやってくれ。君ならそれができる」
「あんた、いったい何者なんだ・・・」
「ワタシは不生。今はそれ以上言えない。ワタシは君も彼女も失うわけにはいかないんだ。だから、頼んだよ」
「ユキハのことなら、任せてくれ」
多加弥はそのまま意識が薄れていった。