・蛇と呪いと契約と(4)
多加弥に手を引かれてやってきたのは、同じ敷地内にある桜蘭学園大学だった。土地は一応つながっているのだが、入口は別になっており、大学の方は一般の出入りが自由になっている。
由起葉は西側の入口から入ってすぐにあるカフェへ連れていかれた。
由起葉としてはどこでもよかったのだが、多加弥はどこか焦っているようにも感じた。大学生や桜蘭の生徒の中でテーブルにつきながら、由起葉はまずいなぁと思っていた。多加弥に限界が近付いているのだ。
「ユキハ、帰る前にお茶していこうよ」
「うん・・・。かまわないけど・・・」
いつものデートのときのように無邪気に笑う多加弥。でも、由起葉にはわかる。多加弥のまとう空気の色が変わっている。
大学内のカフェということもあってかセルフ形式なので、多加弥は由起葉の分のオーダーもしに行ってくれた。
戻ってきた多加弥の手には由起葉の頼んだカフェオレと共に、チーズケーキがあった。
「これ、新しくできたケーキなんだ。食べるでしょ?」
「ありがとう・・・」
にこにこと微笑む多加弥に笑顔が向けられない。チーズケーキは好物だ。それをわかっていて持ってきた多加弥の気遣いが、逆に由起葉を追い詰める。
「ねぇ、タカヤ」
「ん?どうしたの?」
「優しくされると、辛い・・・」
「・・・・」
多加弥の顔から笑顔が消えた。
「タカヤ、私たち今離れかけてる。このままじゃダメだって、私だって思ってる。けど、どうしていいかわからないの」
「どうもしなければいいよ。今までどおりでいてくれたら、俺は何も思わないし、不安にもならない。でも、ユキハはあの事故の後から何かが変わった気がするんだ。片目が見えなくなったことが原因なら、俺にはわかってあげられないと思うけど・・・」
見えなくなったならまだよかった。残念なことに光を失った片目は、見えざるモノを見るようになってしまったのだ。
「確かに私は事故の後から少し変になってると思う。でもそれは片目が見えない不自由さのせいじゃないの」
「じゃあ何?」
「それは・・・」
言わなければ。全てを伝えられなかったとしても、ほんの少しでもいい。多加弥と何かを共有しなければ。
心は早まるのに、なかなか口が動いてくれない。由起葉は一度落ち着きたくて窓の外へ視線を流した。それを追うようにして多加弥も外を見たらしく、そこで何かに気付いて声をあげた。
「あっ。梢ちゃんのお父さん」
「え?」
多加弥の視線の先には大学の教授らしき眼鏡の男性が立っていた。
「梢ちゃんて、この前会ったあの子?」
「うん。梢ちゃんのお父さんは海桜大の教授なんだ。ここでは授業をもってないけど、たまに見かけるんだ」
海桜大学は桜蘭学園の系列の大学で、全国でも有数の名門大学である。最先端の設備と優秀な教授陣がそろっており、入るのも難関なうえに学費も馬鹿にならない。同じ系列といえど、エスカレーター式に上がれてしまう桜蘭学園大学とは格が違うのだ。
それでもやはり桜蘭とつながっているためだろう。中には両方で授業を受け持っている教授もいるし、定期的な会合も開かれているらしい。資料の貸し借りなども行われているため、海桜大学の教授が出入りすることも珍しいわけではないのだ。
「梢ちゃんのお父さんて、すごい人だったんだ」
完全に気持ちが削がれてしまった。安堵している自分が憎らしい。由起葉は視線をそのままに、フォークを手に取った。そのとき、大学生らしき女の人が視界に入ってきた。何回生かわからないが、ずいぶん大人っぽい。
女の人は教授の前に回り込むと、なにやら話しはじめた。あまり穏やかな様子に見えない。
「誰だろ・・・」
多加弥も不思議に思っているようだ。
「なんか妙な雰囲気じゃない?」
「うん・・・」
たぶん多加弥も同じようなことを思っている。だからこそ核心に触れるような発言ができないのだろう。知っている人のことならなおのことだ。
今にも泣きそうな顔をする女の人に、教授も苦しそうな表情を見せる。
「まさか・・・」
多加弥が思わず声をもらしたのは、教授がまるで彼女をなだめるようにそっと頬に触れた瞬間だった。いけないものを見てしまったような気になる。
教授はそれ以上何をするでもなく、彼女を置いて去っていった。ついに涙がこぼれた女の人は、顔を歪めて教授の去っていった方を向いた。その瞬間。
「あっ」
今度は由起葉が声をもらした。カシャンと、音を立ててフォークが落ちる。
由起葉の視界の中で、女の人は蛇をまとっていた。