81話 鎧が脱がれる時
エルヴィスさんは川岸にいた。
さっきより顔色が悪く、息も荒い。身体の震えも止まっていない。
川に向かってゼイゼイと吐き出し、完全に弱りきっている。
それでも何度も何度も拳を地面を叩き、なんとか自分を立て直そうと必死だった。
恐怖を、克服しようとしている。
「来るな」
私の気配に気づいたのか、静かに止められる。
「こんな姿を、見せたくない」
続いた声は命令ではなく、願いだろう。
やっぱり彼のプライドが、それを許さない。
だから私は、彼の背中にそっと背を合わせに座った。
「これなら見えませんよ」
「……屁理屈だぞ」
「はい、屁理屈です」
怒られても開き直る。
こんな彼を見てしまったら、放っておけない。
手探りで彼の手を探し、そっと触れた。
いつもの温もりはなく、氷のように冷たい。
「触れるな」
「でも、握っているのは、エルヴィスさんの方ですよ」
拒絶されても、彼の手は私の手を強く握っている。
振り払おうとしても、離れなさそうなほど強く。
――本能は、私を求めてくれている。
でも心が、それを認めないだけ。
そう思ったら、彼がとてつもなく愛しく思えて、母性本能がくすぐられる。
諦めたのか、それ以上は何も言われなくなり、沈黙が続く。
今は励ますよりも、こうして寄り添うが正解なんだと思った。
「幻滅しただろう? 俺の弱々しい姿を見て」
しばらくして、ぽつりと問われる。
聞かなくても、私がここにいることが答えなのにね。
「まさか。余計に愛しくなりました。エルヴィスさんも普通の人間なんですよね?」
誤解されないようまっすぐに答え、少しだけ当たり前の質問をしてみる。
もっと弱さを曝け出して、楽になってもらいたい。一人で全部背負わなくてもいいんだって、分かって欲しい。
「当たり前だ。俺だって恐怖に負けることもある。仮面を被っていたときは、完全に負けていた。穂香がいなければ、今頃俺はデュークの人形になっていただろう。今も勝てる気がしない。無様に負けて、ひれ伏す未来しかない」
ぽつりぽつりと本音が零れ、徐々に声が震える。
「だったら私と一緒に逃げますか?」
生真面目な彼なら、選択肢にない逃げ道を、あえて提示する。
それは、決して選んではいけない道。
選べば彼は、世界を裏切ることになる。
それで世界は滅びるかもしれない。
たとえ滅びなかったとしても、世界中から糾弾されるだろう。
逃亡者として、一生日の当たらない場所で、何かに怯えながら生きていく。
「私、エルヴィスさんと一緒なら、地獄の果てでも着いて行きますよ」
「……っ」
息を呑む音。
振り返った彼の顔は、真っ青だった。
頬には乾ききらない涙の跡。揺れる瞳。怯え。限界。
このまま戦場に立てば、きっと簡単に折れてしまう。
彼が私の傍にいてくれるなら、世界がどうなろうと構わない。
世界中を敵に回してたとしても、私は喜んで彼の傍にいる。
「……そんなに俺はひどい状態なのか?」
「はい、とっても。触れたら壊れてしまいそうなくらい」
「そんな俺でもいいのか?」
「もちろんです。約束したじゃないですか。死ぬまで一緒にいようって」
笑って抱きしめる。
「……少し、このままでいてもいいか?」
痛いぐらいに抱き返され、私に身を委ねてくれる。すごく嬉しくて声が弾む。
「もちろんです」
そのあと彼は初めて声を上げて泣いた。
辛い。怖い。悔しい。
さんざん弱音を吐いたあと、
最後に――
「……怖い。だが――勝ちたい」
これもまた本音だろう思いを力強く吐き出し、顔を上げ私を揺るぎない瞳で見つめる。
私の知る彼の勇ましい表情に戻っているものの、指先だけはまだ少し震えていた。
さすがの彼でもすぐには完全復活出来なさそうだけれど、それでももう立ち向かう決心はついたようだ。瞳の奥で炎が燃え上がっている。
だったら私も
「負けっぱなしは、エルヴィスさんらしくないですからね」
強く背中を押す。
「……さっきと言っていることが違う」
「私はあなたの選んだ道なら、全力で応援するだけです。言ったでしょ? 地獄の果てまで着いて行くって」
痛いところを突かれても、私は調子良いことを言って笑った。
「そうだな。穂香が傍にいてくれれば、俺は強くなれる。弱い自分とはさよならだ」
「違いますよ。弱い自分もちゃんと受け止めてください。それが強さです」
前向きになってくれたのは良いけれど、また弱さを切り捨てようとするから、そこは否定する。
「……分かった。努力してみる」
さすがにすぐには理解されず、保留されてしまった。
それでも前進した方だろうか?
「はい。では、みんなのところに戻りましょう」
取り敢えず問題は解決。残り時間も僅かだから、そう言って戻ろうとした。
「ああ、そうだな。……穂香」
呼ばれて視線を戻した瞬間。
突然スタンプみたいに、軽くキスを交わされる。
あまりの不意打ちに、頬を赤く染めキョトンとする私。それをみて、彼はくすっと笑う。そして何事もなかったように、私の手を取り軽い足取り歩き出す。
――なんか、ずるい。




