63話 涙の奇跡
仮面の攻撃は、見えない壁に弾かれた。
同時に、私は誰かに強く抱き寄せられる。
――この温もりを、私は知っている。
「なに……なんでお前が動いている? そんな力、もう残ってないはずだろう?」
仮面が、初めて露骨に動揺した。
「残ってなくても……絞り出す。愛する女のためならな」
波音にかき消されそうな声。
それでも、迷いのない、確かな強さを帯びていた。
――彼の声。
愛する女って……私のこと?
エルヴィスさんが、戻ってきてくれた?
私のしてきたことは、無駄じゃなかった?
失われていた色が、少しずつ世界に戻っていく。
「はっ。それはお前が否定してきたものだろう? 感情など、脆いだけだ」
仮面は怒りを露わにする。
「違う。護るべきものがあれば、人は強くなれる」
あれほど疑いなく信じ込んでいた考えを、あっさりと否定する。
新しい信念が、彼の中で生まれていく。
「面白い。だが、いくら正気を取り戻そうと――お前はすでに、おいらの呪いの支配下だ。こうすれば」
「――ぐっは……!」
仮面が再び指を鳴らす。
エルヴィスさんは悲鳴を上げ、私から離れ、膝から崩れ落ちた。
正気に戻っても、呪いは終わらない。
「さて……いつまで耐えられるかな?」
「耐える」
彼は歯を食いしばりながら言い返す。
「彼女が、ここまで頑張ったんだ。次は俺の番だ。これくらい……どうってことない」
肩で息をし、立ち上がろうとするが、痛みは増すばかりなのか、立ち上がれず。
「エルヴィスさん……私に呪いを預けてください。あなた一人で苦しまないで」
「駄目だ。お前には耐えられない。これ以上、犠牲になるな」
「でも……」
私も痛みをこらえ、彼の背中を抱きしめる。
考えるより先に、身体が動いていた。
呪いを移せるかなんて分からない。
それでも――今度こそ、どうなってもいい。
「……なら」
彼は、静かに言った。
「俺に、力を貸してくれ」
「え……?」
澄んだエメラルドグリーンの瞳が、まっすぐ私を捉える。
さっきとは違って、未来を見ている強い眼差し。
これが、私が愛する人の姿。
「穂香。愛してる」
囁かれた愛の言葉とともに、唇が重なり合う。
深く、深く。
――ようやく、私の名前を呼んでくれた。
砕けていた心が、みるみる修復されていく。
壊れるのが早ければ、立ち直るのも早い。
結局、私には――彼がすべてだった。
そう確信した瞬間、心の奥に眠っていた何かが目を覚ます。
光が溢れ、私たちを包み込んだ。
温かくて、心地いい。
「――もう大丈夫だ。穂香は、下がっていなさい」
「はい……分かりました。負けないでくださいね」
「当たり前だ」
名残惜しいほど短い口づけを終え、彼はすっかり血色を取り戻していた。
頭を撫でられ、指示されるまま、私は後ろへ下がる。
不思議と、怖くなかった。
彼の自信に満ちた声が、確かな安心をくれる。
「一緒に戦わないのか?」
「私は邪魔になるから……って、クロさん? いつの間に?」
隣には、何食わぬ顔のクロさんが立っていた。
「穂香さんと旦那の行く末を見届けたくてな。隠れて見てた」
「……え。一部始終?」
「ああ」
声が裏返り、魂が抜けかける。
私の醜態、全部見られた?
仮面に無様に惨敗するのはまだしも、愛を語って、濃厚な口づけまで?
――最悪なんだけど。
「すまない。後でちゃんと謝る。だが今は旦那を見てろ」
「あ……そうですね。……って、なんで?」
視線を戻すと、エルヴィスさんは仮面の猛攻に押され、防ぐので精一杯だった。
防ぎきれない攻撃を受け、あちこちに血が滲んでいる。
――今すぐ助けに行きたい。
でも、私が出ていけば足手まといになるだけだ。
祈ることしか出来ない自分が、歯がゆかった。
「穂香さん。これを」
クロさんが差し出したのは、掌に収まるほどの小さな球体だった。
表面には、魔法少女が使うステッキのような意匠が刻まれている。
ピンポン球ほどの大きさなのに、ただならぬオーラを放っていた。
「魔族に伝わる秘宝だ。術者に合わせて武器に変化する。覚醒したお前なら、使いこなせるはずだ」
「え……私が、覚醒?」
――覚醒?
なにそれ。
身に覚えがまったくなく、思わず首を傾げる。
「無自覚か? 覚醒したから、旦那の呪いと、お前自身の怪我を軽減できたんだろう?」
「はぁ……」
実感がなく、間の抜けた返事しか出ない。
けれど言われてみれば、確かに痛みは最初よりも和らいでいる。
エルヴィスさんも、きっと……。
――本当に、覚醒したのかな?
「理屈はどうでもいい。旦那を助けたいなら、秘宝に魔力を注ぎながら、強く願え!!」
「は、はい!!」
痺れを切らしたように怒鳴られ、私は反射的に秘宝を両手で包み込む。
エルヴィスさんを助けたい。
力になりたい。
ただ、それだけを精一杯に願った。




