20話 ここにいたい理由
「穂香ちゃんは、元の世界に帰りたい?」
「え、考えたことなかったです」
いきなりのマミア様の問いに、何も考えず答えてしまった。
かなりアホな返答だと思う。
案の定、マミア様はぽかんとした顔でフリーズする。
まだ体の痛みは残っているものの、身を起こせるくらいには回復した昼下がり。
暇を持て余して窓から見える風景をボーと見ているところに、マミア様がケーキを持って看病にやって来たのだ。
天下の次期伯爵に看病される筋合いなんてないと拒否したのに、
「怪我の原因は自分の責任」と押し切られ、結局負けて今に至る。
「元の世界に恋人はいないの? 家族は? 友人は? 仕事は?」
我に返った途端、当然の問いが次々と飛んでくる。
言われてみれば、仕事はともかく、家族と友人は――。
……私が突然いなくなったら心配するよね。
今ごろ、実家では大騒ぎだろう。心配してなかったら泣く。
「……でもエルヴィスさんと別れ……あっ!!」
つい本音が口から漏れ、慌てて塞ぐ。
……遅かった。
マミア様はニヤリと笑う。
あ、完全にバレた。
「なるほど。穂香ちゃんは、エルが好きなのね」
「す、好きは好きでも! 今の関係のままでいいんです! 恋人になりたいとか、それ以上の関係なんて望んでません!」
必死で誤解しないようと釈明するも、心臓の音は高鳴って爆発しそう。
全身も熱くなって、傷の痛みどころじゃない。
でも――これは本心だ。
好きにならないように気をつけていたのに、結局好きになってしまった。
昨日、ほとんど意識がなかった時に現れたエルヴィスさんは、完全に白馬の王子さまに見えた。もう、あれでとどめ。
……でも言葉通り今の関係が続けばいいと思っている。
同じ屋根の下で暮らして、一日の大半を一緒に過ごして、たまにへべれけになるまで大宴会。
それだけでも、私には十分すぎるほどの幸せ。
だから――これ以上を望んじゃいけない。
だって相手はあんな超エリートのエルヴィスさんが、私なんかを選ぶはずないから。
告白して振られて関係が壊れるくらいなら、今のままでいい。
「穂香ちゃんって、初々しいのね。私なんて、好きになったら一直線よ? 今の旦那は民衆だったの。しかも当時は私に許嫁がいてね。速攻で破談にしてもらって、そこから毎日アタックよ。何度フラれたかわからないわ。それでも諦めなかった。だって愛してたから」
自分の恋愛武勇伝を、懐かしむように語るマミア様。
自信家らしいエピソードだけど、不思議ととても美しい。
夕陽のせいか、マミア様がまるで女神さまのように輝いて見える。
凛として聡明で、強くて、美しい。
私にはないものばかりでうらや……でもそれは努力の結果なんだろう。
「私もマミア様みたいになりたいです。凛々しくて聡明な女性に……そしたら、エルヴィスさんにほんの少しだけ近づけると思うんです」
後ろ向きになっていた自分が嫌で、両頬を叩き、気合を入れ直す。
本当の私はもっと前向きのはずなんだ。張り切り過ぎて裏目に出るぐらい。
ウンそんな私に早く戻らないと。
「うん。努力するのは素敵よ。でも今は怪我を治すのが先決ね」
「た、たしかに……」
ごもっともすぎて言い返せない。
私は今、重体患者。
鏡を見れば顔はともかく、体は包帯まみれ。
足の骨折で歩くことすらできない。
うっ……見てたらまた心が沈みそう。
私、ルル先生に文字通りにコテンパにやられたんだ。
「……ルル先生は、エルヴィスさんとどこにデートに行くんですかね?」
聞きたくないのに、聞いてしまった。
今の関係で満足してる……はずなのに、胸がぎゅっと痛くなる。
「ルルちゃんは重大な違反を犯して、今は拘束されてるわ」
「重大な違反……?」
「ええ。規定以上の魔術を使用したの。殺傷能力のある魔術をね。生徒ならまだしも教師にとってはあるまじきことだわ」
マミア様の表情が急に厳しくなる。
言われて、ようやく理解が追いついた。
――つまりルル先生は私を、本気で殺そうとしてた。
「私……そんなにルル先生から憎まれてたんだ……」
とてつもない恐怖を感じた。
嫉妬なんて、私とは無縁だと思っていた。
……あんな嫉妬で狙われるなんて。
「穂香ちゃん、人を好きになるって、そういうことなの。時には他人との奪い合って手に入れることもあるのよ」
「…………」
言いたいことはわかる。でも、私には到底無理だ。
どう努力しても、私は普通の人でしかない。
暖かいはずの部屋が、ひどく寒く感じる。
身体の震えは、どんどん強くなり――
前向きな元の私に戻るって決めたばかりなのに、心がいうことを聞いてくれない。
それどころかどんどん沼に沈んでいって、暗闇に飲み込まれそうになっている。




