第3話:『盾の役割』が呼び出した、過保護な守護騎士イージス
奈落の深淵、静寂を取り戻した仮設拠点。
アステラによる訓練は、常識外れの苛烈さを誇ったが、その分、クロノの成長も驚異的だった。しかし、彼自身は慢心することなく、最強の英霊との間に存在する絶対的な壁を冷静に認識していた。
「ハァ……ハァ……っくそ。今の受け流し、一瞬遅れた。アステラの足捌きを完全に模倣するのは、骨が折れるな……」
クロノは全身から湯気を立てながら、折れた短剣を杖代わりにして、膝に手をついた。彼の視線は、巨人を一瞬で両断したアステラの流星剣の軌跡を、脳内で何度も再生している。彼は地道に、一歩ずつ、強くなる道のりを歩んでいた。
アステラは、そんなクロノの姿を、まるで宗教画を鑑賞する信徒のような眼差しで見つめていた。
「マスター……貴方は、本当に尊い」
訓練の終わりを告げると同時に、アステラは剣士の威厳をかなぐり捨て、クロノの前に滑り込むように跪いた。
「我は『流星剣』の剣聖。剣の極致を見た存在ですが、マスターの粘り強さ、ひたむきな努力の輝きは、我が生涯で出会った誰よりも眩しい。あの卑劣な元仲間たちは、マスターの真の価値を視る目が無かったのだ!」
アステラはクロノの汗で濡れた手を取り、その甲に熱いキスを落とした。
「我の剣は、マスターへの献身。貴方の意志と努力こそが、我ら英霊の力を十全に引き出します。さあ、マスター。我の体で休息を!この上着の下は意外と柔らかいですよ!」
アステラは、顔を真っ赤にしながら、甲冑を脱ぎ捨てようとする。
「アステラ、待ってください!」
そこに、冷静沈着なシヅクが割って入った。
「マスターの訓練は肉体的なものです。休息は精神的な安定を伴わなければ、疲労が蓄積しますわ。マスターの安息の管理は、私の『雑用』。アステラの『献身』は過剰で、やや下品です」
シヅクは優雅な仕草でアステラを押し戻し、クロノの頭を胸元に抱き寄せる。
「さあ、マスター。私のアームカバーに埋もれて、奈落の空気を忘れてください。貴方の聖域を守る完璧な『雑用』、シヅクがおります」
最強の美少女二人の間で、クロノはため息をついた。
「うん、ありがとう二人とも……。でも、もうすぐ夜だ。夜には、また何か厄介な魔物が来るかもしれない。備えておかないと」
クロノの予感は的中した。その日の深夜、仮設拠点の周囲は、ねっとりとした不快な空気に包まれた。
シヅクがすぐに警戒態勢に入る。
「マスター、お目覚めを。最悪の客人ですわ。この深淵で、最も卑劣な魔物、『吸精の悪魔』が三体」
クロノは飛び起きた。結界の外の光景は、ぞっとするほどおぞましい。
壁の影から現れたのは、半透明で粘液質の体躯を持つ、醜悪な悪魔の群れ。彼らは、人の生命力や精気を吸い取る瘴気をあたり一面に放っている。
悪魔たちの口元が醜く歪む。
「クチュ、クチュ……ククク、若く清い精気が充満しておる!結界など無駄!この悪魔の『吸精』の力は、物理的な障壁を無視し、魔力そのものを食らい尽くす!」
三体の悪魔が、結界に一斉に手を張り付けた瞬間、結界は目に見えて縮み、クロノの魔力が急速に吸い取られていくのが分かった。
「いけません!マスターの聖なる生命力まで吸われかねません!」シヅクの顔に焦りが走る。
「くっ!我の剣では、実体の薄い奴は斬りきれん!魔力で防ぐしかないが、これではマスターの魔力が先に尽きる!」アステラが剣を構えるが、手が出せない。
クロノは、額に冷や汗を滲ませながら、全身が衰弱していくのを感じた。レオンたちに追放された時の、無力感が再び襲いかかる。
(まただ……また、僕は、何もできないのか!?いや、違う!僕には《英霊喚び》がある!僕の全てを、誰にも侵させない力がある!)
クロノは、歯を食いしばった。自分の命、そしてシヅクとアステラという大切な英霊たちとの居場所を奪おうとする悪魔たちへの、強い怒り。
「許さない!僕の安息を、僕のテリトリーを、穢させるものか!」
クロノは全身の力を振り絞り、悪魔たちの醜悪な姿を脳裏から引き剥がすように、強く、強く、心の中で『役割』を求めた。
「来い!僕の『盾』!僕の全てを、永遠に、完璧に守り抜く、不落の守護者よ!」
クロノが両手を前に突き出すと、銀色に輝く、重厚な魔力の奔流が空間を切り裂いた。その魔力は、悪魔たちの吸精の力すらも遮断する、絶対的な硬度を感じさせた。
ガシャァン!
空間の裂け目から、冷たい金属音と共に、一人の少女が飛び出してきた。彼女は銀色のフルプレートアーマーに身を包み、幼い見た目からは想像もつかない、圧倒的な重装甲を纏っている。
彼女の顔を覆っていた銀髪が流れ、不安と熱情を帯びた薄紫の瞳が、クロノを捉えた。
「マスター……マスター!!」
少女――イージスは、周囲の悪魔たちを一瞥もせず、クロノに向かって一気に駆け寄った。
「私の役割は『盾』。即ち、『マスターの聖域を、命懸けで永遠に守り抜くこと』」
イージスは、クロノの身体を隅々まで見つめ、その瞳に狂信的な愛慕を宿す。
「マスターの御身に、微塵の傷も、穢れも、不埒な魔物の視線すらも許しません!」
彼女は、自分を召喚したクロノ以外の全てを「脅威」と断定した。
悪魔たちが再び結界に力を込めた瞬間、イージスは、幼い体格に似合わぬ凄まじい脚力で飛びかかった。イージスは巨大な盾を叩きつけ、悪魔の醜い体を、文字通り鉄塊で弾き潰した。
ズシャアアアアア!!
「マスターの精気を奪うだと?傲慢です!」
イージスは、盾をハンマーのように振り回し、三体の悪魔全てを、物理的に、そして魔力的に、完全に破壊し尽くした。
勝利を収めたイージスは、すぐにクロノの元へ戻った。そして、何を思ったか、鎧を軋ませながらクロノの前に跪き、フルプレートの兜を外した。
「マスター、ご無事で何より……。お願いです、マスター!私を、抱きしめてください!」
イージスは、クロノにしがみつくと、冷たい鎧の隙間から自分の熱い頬を押し付けた。
「私の鎧は冷たい。ですが、マスターの温もりこそが、私の永遠の守りの源泉となるのです。マスターの身体を私の守りの内に置かせてください。私は、マスターの傍から一歩たりとも離れません!マスターの命も心も、私の守護テリトリー内です!」
「な、なんだと!?このちびっ子!マスターを拘束するな!」アステラが怒鳴る。
「マスターの精神の安定こそ、私の最優先『雑用』。イージス、マスターにその重装甲を押し付けるのは、安息を乱す行為です」シヅクが微笑みながらも圧をかける。
三人の最強の美少女英霊の、極度に過剰な愛と崇拝に、クロノは喜びと困惑を覚えた。しかし、彼らは誰も、彼を「役立たず」とは言わなかった。彼らは、クロノがこの世界で最も大切にされるべき存在だと信じている。
「わ、分かったから!三人とも、僕は無事だ。ありがとう。みんな、僕にとって、最高の『役割』だよ!」
クロノの優しさが、英霊たちの愛をさらに増幅させた。三人の英霊に囲まれ、クロノ・アークライトの最強の旅が、さらに深く、熱を帯びていくのだった。
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