#08 レジスタンス
俺をオルフェンは、レジスタンスと合流するべく、フィールドを歩き続けていた。
どれくらい歩いたのか――すでに深夜となっていて、居住区からはかなりの距離が離れていた。
月明かりが赤い大地を照らす中、遠くでモンスターの鳴き声が響く。
だが、オルフェンの存在が放つ異様な気配のせいか、近づく気配はなかった。
「レジスタンスの基地は地下にある。旧時代の研究施設を改造したものだ」
険しい岩場を進み、一時間ほど歩いた頃、オルフェンが崖の陰を指差した。
「ここだ」
岩壁の裂け目のような入り口を抜けると、冷たい空気が肌を刺す。
薄汚れた灰色の通路をしばし進み、階段を降りると――地下には、広大な空間が広がっていた。
そこには20人ほどの人々がいた。
皆、年齢も性別も違うが、どこか俺と似た雰囲気を持っていた。
何かを失い、諦め、それでもまだ足掻き続けようとする意思を持った目をしていた。
「おお、オルフェン。新しい仲間を連れてきたのか」
迎えに出たのは、白衣を着た初老の男だった。
「この子が前に話したレイ・シンクレアだ。君たちが待っていた不適合者だよ」
「ほう……」男は興味深そうに俺を見つめた。
「確かに、強い意思を感じるな。私はドクター・ヴァイン。ここで技術研究を担当している」
「皆さんも……不適合者なんですか?」
「大半はそうだ。後は何らかの形で幸運にもチップの制御を逃れた者たちだ」ヴァインは穏やかに微笑んだ。
「それにしても君のように、生まれつきプラナの流れが強い者は珍しい。我々にとっては希望の証だ」
メンバーの紹介を受けながら、俺はひとつの疑問を口にした。
「なぜマザーは、不適合者を完全に排除しないんですか?」
「良い質問だ」ヴァインの目が細くなった。
「それは我々にもまだ分からない。だが――マザーにとって、不適合者は“想定外の誤差”ではなく、“必要な異物”なのかもしれない」
「必要な……異物?」
「マイクロチップを解析していると、不思議なことが見えてくるんだ」
ヴァインは端末を操作し、複雑な波形データを映し出した。
「チップには、思考制御以上の隠された機能がある。体内に微細な粒子――ナノマシンを生成しているらしい」
「ナノマシン?」
「元は環境適応用の技術だったはずだが、今は別の目的に使われているようだ。
チップとナノマシンを通じて、人間の体から“何か”を少しずつ抜き取っている。
――エネルギーのようなものをね」
「プラナ、ですか」
「そうだ。それがどこかへ送られている痕跡もある。マザーにとって人間とは、エネルギーを生み出す資源なのかもしれない」
「家畜同然だな……」オルフェンが低く呟く。
ヴァインは頷きつつも、言葉を濁した。
「だが、不適合者は別だ。生まれながらにプラナは異常に活性化している故に、チップは干渉出来ない。
それをまるでマザーが“観察”しているようなんだ。 ……我々には、まだその目的が読めない」
俺は息を呑んだ。
「……つまり、マザーは俺たちを完全に排除する気はない?」
「少なくとも今は、ね」ヴァインが言った。
「マザーは人間を“管理”しているだけではなく――“人間の進化”を観察しているのかもしれない」
その言葉を聞きながら、ふと俺は部屋の奥に目を向けた。
そこには見慣れない装置があり、透明なケースに厳重に保管されてた。
その縁に取付けられた金属プレートには古びた文字で《EMP》と刻まれていた――
「あれは…」
「電磁パルス発生器だ」オルフェンが低く答えた。
「……お前が求めていたものだ」
「それを使えば……アヤを――」
「ふむ…どういう事だね?」
――ドクター・ヴァインが眉を顰めると、オルフェンが事情を説明した。
「……我々がここで生き残っていられるのは、チップへの直接干渉を避けてきたからだ。
使えば、確実に報復が来るな」
「だから言っただろう、今は動くなと。お前が感情で動けば、全てが台無しになる」
オルフェンが腕を組み、重く言い放った。
「……それでも、助けたいんだ」俺の声が震える。
「“最適化”されたら、アヤはもう元には戻れないかもしれない」
「レイ……」オルフェンが目を細める。
沈黙が落ちる。
数秒の間だが、心臓の鼓動がやけに早く感じていた。
ドクター・ヴァインが、わずかにため息をついて言った。
「……もし使うなら、波形が消えるまでの約4時間、それまでに全員が基地を離れなければならない。
それでも追跡を振り切れる保証はない」
「レイ」オルフェンが肩に手を置いた。
「今は諦めろ。必ず別の道を見つけられる」
俺は拳を握った。理性では分かっている。
だが、心ではどうしても納得出来なかった。
明後日、アヤは“人形”になる。
そんな未来を、黙って見ていられるはずがなかった。
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翌朝、俺はレジスタンス基地に与えられた寝室で目を覚ました。
まず感じたのは独特の湿気だった。灰色の壁に染み込んだ湿気が、呼吸するたびに肺にまとわりつくようで、身体の奥までじっとりと冷やしていく。
天井に這う古い配線からは、時折チリッと青白い火花が散り、かすかなに焦げたような匂いを漂わせていた。
周囲では、すでに仲間たちが動き出していた。
カチャカチャと端末を叩く硬質な音。油のにおいを漂わせながら銃器を分解し、念入りに部品を磨く金属音。
各々が自分の仕事と向き合う息づかいに、まるで戦場のような緊張感が感じられた。
「おはよう、レイ」
背後から低い声が響く。振り返るとそこに居たのは、白衣を羽織ったドクター・ヴァインだった。
ピンしたと乱れのひとつもない姿勢。細い眼鏡のレンズが淡い光を反射し、眠たげな俺の顔を鋭く射抜くように観察している。
「おはようございます」
「よく眠れたかね?」
落ち着いた声。しかし、その響きの奥には何かを探るような気配があった。
俺は一瞬ためらうが、すぐに答えを返す。
「はい……」
反射的にそう答えた。
だが、自分でも声がかすかに震えているのがわかった。
実際、眠れてなどいなかった。
アヤの顔が、夢と現実の狭間で何度も浮かんでは消えていった。
彼女の笑顔、小さく震える指先。――そして最後に見た、あの不安に揺れる瞳。
思い出すたびに、胸が締め付けられ、息が苦しくなった。
まぶたを閉じても、彼女の声が耳の奥で囁く――“レイ、助けて”と。
「……目の下に、随分と隈ができているな」ヴァインが顎を引いた。
「睡眠不足は判断を鈍らせるぞ。ここでは、1つのミスが命取りになるかもしれない」
「気をつけます」
そう答えながらも、心は別の方向に向かっていた。
「さて、今日から君も正式にレジスタンスの一員だ」ヴァインの声が、低く地下に響く。
「まずは基地の構造を覚えてもらう。そして、我々の活動の目的を理解してほしい」
「……わかりました」
言葉を返しながら、俺の胸の奥では別の鼓動が踊っていた。
――明日の夕方、アヤたちは『最適化プログラム』を受ける。
それまでに、何としても行動を起こさなければならない。
だが時間は、容赦なく減っていく。
午前中、俺はリーナの案内で基地を見て回った。
「この施設は旧世界の生物学研究所を改造したものです」
リーナは技術者であり、ドクター・ヴァインの助手のような立場の女性だった。
白衣姿の彼女は背筋を伸ばし、端正な顔立ちを引き締めて淡々と語る。だがその瞳の奥には、どこか誇りにも似た光が宿っていた。
彼女の説明によれば、地下1階には居住エリアと食堂がある。
そこは戦いに疲れた仲間たちが束の間の休息をとる場所であり、生活の中心だった。
地下2階は、訓練施設。武器を振るい、力を磨き、仲間同士で汗を流す場所だという。
地下3階が、技術開発室と医療施設で兵器の改造、負傷者の治療、すべてがこの階で行われている。
地下4階には、通信設備と制御システム。この施設の情報の中枢であり、外界との唯一の窓口となる。
そして地下5階――そこには重要機器の保管庫と緊急避難施設があるという。最後の砦であり、要塞の心臓部だ。
リーナに連れられて、一通り基地の内部を見て回った。
――だが、アヤの事が頭から離れず、内心は焦りが渦巻いていた。
「レイ……貴方の事情は聞きました。」
リーナが歩みを止め、指先で示した先にあったのは――昨日見かけた電磁パルス発生器だった。
青白い灯に照らされて鎮座するそれは、まるで無機質な棺に入っているように見えた。
「EMP-7型。旧世界の軍事技術の遺物です。
それをマイクロチップへの対策用として改造したものになります。」
リーナの声色からは、様々な想いが滲んでいるように感じられた。
俺は思わず一歩近づき、まじまじと装置を見つめる。――思ったよりも小さい。
肩に担げば持ち運べる程度の大きさで、それがかえって現実味を感じられなかった。
俺は無意識に手を伸ばしかけた。
「……これで、チップに干渉できるんですね」
「ええ。ただし――効果範囲は半径3メートルだけ。
効果時間はおよそ10分と言われています。」
たった10分。
だがその10分が、アヤを救うための唯一の“鍵”になるかもしれない。
「……10分あれば」思わず呟いた。
「レイ?」リーナが眉を寄せる。
「……本当に、これを使うつもりですか?」
リーナの呟くような声が、驚くほど俺の心臓を震わせた。
「どうして……」
リーナがケースをそっと開けた。
中には無骨な装置と、ケーブル、そして古びたマニュアル。金属光沢のある筐体が、微かに冷気を帯びている。
持ち上げてみると、意外なほど軽い。背負えば走れる。
それだけで、決意が一段深く沈み込む。
「レイ、……あなた、リスクを十分理解した上で、これを持ち出すつもりですよね?」
「ああ……」
沈黙。逃げ場はない。
俺は深く息を吐き、肩を落とした。
「理由を、貴方の口から聞かせて」リーナの鋭い視線が、俺を射抜く。
「……世話になった仲間が――大事な人が明日、“最適化”を受けるんです」声が震えた。
「人格を消される。だから、止めたいんです。救いたいんです」
リーナは黙っていた。
沈黙が長く続く。蛍光灯の微かなノイズが、やけに大きく響く。
やがて彼女は、わずかに視線を落とした。
「あなたの気持ちは……わかるわ」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「じゃあ――」
「でも」彼女の目が厳しく光る。
「この基地には20人の仲間がいる。その命を危険に晒してまで、たった1人を救う価値があるの?」
「……わからない」正直に言った。
「でも、何もしなければ、きっと一生後悔する」
リーナの唇がわずかに震えた。
沈黙ののち、彼女はゆっくりと視線を外し、壁の計器を見つめる。
「本当に……馬鹿ね、あなたは」
「リーナ……」
「でも、その馬鹿さ加減が……時には、必要なのかもしれない」
「え……?」
彼女は目を閉じ、小さく息を吸い込んだ。
そして、そっと装置のケースに手を伸ばす。
「私も手伝うわ」
「な、なぜ……?」
「私にも、愛する人がいたの」リーナの声がかすかに震える。
「でも、私は臆病で、救えなかった。彼を見捨てた。その後悔を、今も背負ってる」
彼女は装置を軽く持ち上げ、その重量を確かめるように手のひらを滑らせた。
「だから今度は、あなたに後悔してほしくない」
「でも、基地が――」
「なんとかなるわ」短く、だが力強く言い切る。
「オルフェンは怒るでしょうけど、理解してくれるはずよ。
彼も……あの人を救えなかった過去を、いまだに抱えているもの」
彼女の目に浮かぶ光は、恐れではなく、決意の色だった。
「ありがとう……」
「礼を言うのはまだ早いわ」リーナが微笑む。
「まずは、作戦を成功させましょう。」
「……ああ!」
俺は強く頷いた。
胸の奥で、燃えるような決意が音を立てて広がっていく。
――必ず、アヤを救い出す。
アヤに受けた恩を、想いを……今、動かなければ意味がないんだ。
たとえ仲間たちを危険に晒す事になっても。