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#53 新しい世界

 1年後――。


 俺は新庁舎の窓辺に立ち、ゆっくりと街を見下ろした。朝日が高く昇り、街を金色に染めていく。

 かつて高い防壁に閉ざされていた都市は、今では開かれた自由な街になっていた。防壁の一部は取り壊され、フィールドへの道が整備されている。

 市場では商人たちが元気に客を呼び込んでいた。かつてはマザーが配給していた食料を、今は自分たちで取引している。食物を人々が自分で育て、作り、売り、買う。それが当たり前になった。

 学校の校庭からは子どもたちの笑い声が聞こえる。管理教育の名残はもうなく、教師たちが子どもたち1人ひとりに寄り添っていた。

 自由に働き、自由に学び、自由に悩み、自由に生きる。そんな毎日が、ようやくこの街の“日常”になった。


 俺はそんな賑やかな光景を眺めるのが日課になっていた。


「考え事?」


 背後からアヤの声。気配を感じなかったのは、エージェント時代の癖だろう。


「ああ、少しな」


 振り返ると、アヤは柔らかく笑って窓辺に並んだ。朝日に照らされた金髪が、今の世界を祝福してるかのように輝いていた。


「この1年のことを、思い返してた」


「大変だったわよね。本当に」


 俺はアヤの手を取った。その手のぬくもりは温かかった。


「けど、やり遂げたな」


「ええ。みんなで、ね」


---


――1年前。完全統合計画が中止された、あの瞬間から全てが始まった。


 放送の直後、街は混乱に包まれた。突然自由を与えられた人々は、どうすればいいのか分からなかった。何かを“自分で決める”という行為そのものが、彼らにとっては未知だったからだ。


「特に最初の3ヶ月は、本当に大変だったな」


 俺が言うと、アヤは苦笑した。


「もう、倒れるかと思ったわよ。あなたも私も」


 最初の危機は、計画の中止からわずか2週間後にやってきた。食料配給システムの混乱だ。マザーは食料の生産は続けるが、配給は市民主導の方式に変えた。チップにより自動管理されていたものが、配給所へ事前に登録が必要になったのだ。しかし、その方法を知らぬ者が続出して、配給所はパニックになった。


「食料はどこへ行けば……?」

「子どもが腹を空かせている!」


 俺たちは対応に追われた。トムとマリアは急遽各地区で市民説明会を開き、俺は群衆の前に立って叫んだ。


「落ち着いてください! 食料はあります。

 配給の手順が変わっただけです!」


 声が枯れるまで説明した。事態が収まるまでの1週間は本当にキツかった。


 1ヶ月後には、東部と西部の資源配分で大きな対立が起きた。


 工場を抱える西部。人が多い東部。それぞれの主張がぶつかり、ついには衝突寸前になった。


「エネルギーが足りなくて生活が大変なのよ!」

「いや、工場が止まれば生産が間に合わない!」


 あの時の空気は、今でも忘れられない。


『人類の争いを検知しました。

 このまま激化すれば、介入の準備を開始します』


 そうマザーが警告を出した瞬間、背筋が冷たくなった。


 だから俺とアヤは両者の間に飛び込んだ。


「東部の人々の言い分も聞いてください。

 彼らも生活に困っているんです」


 アヤが東部の市民たちに語りかけた。


「工場の重要性を理解してください。

 彼らがいなければ、私たちの生活は成り立ちません」


 3日間の徹夜会議。議論は激しかった。怒号が飛び交い、何度も決裂しかけた。妥協点の擦り合わせを重ねて、ようやく合意が生まれた。


 3ヶ月後、チップの強制制御が解除されると、街はまた揺れた。


 チップによる思考制御が消えた結果、マザーの懸念にあったように、一部の人々が自由とは何をしてもいいと誤解してしまったのだ。

 

 小さな窃盗、暴力、詐欺など、少しずつ犯罪が増えていった。


「マザーが止めてくれないなら……」


 そんな声が一部の市民から出始めていた。


 そこでミラたち元レジスタンスのメンバーが主導し、新治安局を立ち上げた。「ルールは市民が決めるべきだ」というミラの言葉に、多くの市民が頷いてくれた。新治安局が夜通しパトロールを続け、市民ボランティアも街の安全を守った。

 さらにマリアが“自由と責任”の教育を広めてくれた。


「自由には責任が伴います。

 あなたがされて悲しいと思うことは、他人だって悲しいのです」


 マリアの言葉は、驚くほど多くの市民の心に届いた。


 4ヶ月目には、犯罪が徐々に減り、人々が自発的に助け合うようになった。


「困ってるなら手伝うよ」

「話し合おう」

「暴力じゃなくて対話で解決しよう」


 そんな声があちこちで聞かれるようになった。


 5ヶ月目、市民主導の初のプロジェクト――市民農園コミュニティが成功した。


 市民たちが自発的に集まり、居住区内に農園を作る。マザーの配給に依存せず、自分たちで食料を生産する試みだった。

 最初は誰も信じていなかった。


「素人が農業なんてできるわけない」

「失敗して終わりだ」


 だが、皆の協力の結果、無事に収穫まで辿り着けた。最初の収穫を見たとき、参加者の一人が震える声で言った。


「俺たちでも……できるんだな……」


 あれは多くの人に希望を与えた。その後、工房や教室が次々とできていった。人々がやりたかったことを自分で選べる時代が来たのだ。


 6ヶ月目、思考補助機能が完全解除。人々は戸惑いながらも、自分の頭で考えるようになった。


「間違えても構いません」


 マリアはそう講演会で言った。


「大切なのは、自分で考えること。

 失敗を恐れないことです」


 その言葉が、街にゆっくりと根づいていった。


---


 7ヶ月目。その日、俺たちの理想を揺るがす“最大の危機”が訪れた。


 一部の市民グループが暴動を計画している――そんな報告が飛び込んできたのだ。リーダーはダニエル・ウェスト。50手前の、かつての政府官僚。マザーの管理社会で、それなりにいい暮らしをしていたらしい。


「自由なんて必要ない。マザーの管理する社会が一番平和だ」


――そう言い切る声音には、管理社会への依存が滲んでいた。気がつけば200名もの賛同者が集まり、事態は手遅れ寸前だった。新治安局がその情報を掴んだ時――彼らはすでに武器を準備し、明後日には武力による庁舎占拠を計画していた。


「本気みたいね。動けば、確実に衝突になるわ」


 その情報を掴んできたカイが焦りを隠さず言うと、ヴァンスが腕を組んで眉を寄せた。


「新治安局で鎮圧すればいい。力で抑え込むべきだ」


「……いや、それはできない」


 だが俺は首を振った。その空間にざらつくような緊張が広がる。


「暴力で解決すれば、マザーとの協定が崩れる。

 俺たち自身の信念もだ」


「ではどうするつもりです?」


「対話だ。直接話す」


 自分でも驚くほど迷いのない声だった。


――翌日。

 俺とアヤ、そしてミラとルナの4人で、彼らが集まっている巨大倉庫へ向かった。カイとヴァンスは周囲で待機し、最悪の事態に備えている。

 倉庫の扉を開けた瞬間、空気が変わった。200名の市民たち――その全員から、怒気と不満が混じった熱が押し寄せてくる。ダニエルが前に進み出てきて、冷ややかな目を俺に向けた。


「自由の英雄様が、わざわざ何の用だ?」


「あなたたちの話を聞きに来た。

 ……何が不満なんだ」


 ダニエルは嗤った。


「不満だらけだよ。どこから話してほしい?」


――マザーの管理する社会は安定していた。自動で配給される食料、割り当てられた仕事、完璧な治安。

何も考えずに生きられる世界。


「それが今はどうだ。

 食料は自分で確保しろ?仕事も自分で探せ?

 だが犯罪は増え、対立は絶えない。

 …こんな不安定を自由と呼ぶのか?」


 周囲から、賛同する声がいくつもあがった。


 俺はそれを黙って聞いた。逃げずに、全部受け止める為に。

こうなる事も予測はされていたからだ。確かに……気持ちはわかる。


「あなたたちの言い分はわかる。自由とは確かに楽じゃない」


 そう前置きして、俺は続けた。


「だが敢えて聞こう。

 ここの皆は、本当に管理されるだけの人生に戻りたいのか?」


 ダニエルが鋭く俺を睨む。


「苦しまず安定した生活を望んで何が悪い!」


「……家族はいるのか?」


 俺が訊ねると、ダニエルは一瞬だけ目を細めた。


「妻と娘がいる。だからこそ安定を求めてるんだ」


「娘は何が好きなんだ?」


「……花だ。花を育てるのが好きだ」


「じゃあ訊く。

 マザーの管理下で、あなたの娘は自由に花を育てられたか?」


 沈黙。


 そして彼はゆっくりと視線を落とした。


「……許可が下りなかった。

 労働割り当てに含まれなかったから」


「今は?」


「……今は育てている」


 その時初めて、彼の声が揺れた。


「家の庭で。毎日大事そうに水をやってる……

 俺も、その姿を見て……」


――ああ。やっと、分かり始めたんだ。


「それが自由だ」


 俺はまっすぐに言った。


「不安定でも、自分で決められる。

 守られた檻の中では見られなかった、心からの笑顔を作れる」


 倉庫の空気が変わった。怒りの密度が薄まり、別の感情が生まれていく。


 その時、アヤが一歩前に出た。そっと胸に手を当て、震える声で口を開く。


「私は……マザーにすべてを奪われて生きてきました。

 記憶も、意志も……自分が誰なのかも」


「でも、レイが私を救ってくれました。

 自分で考えて、自分で感じることが……

 こんなに尊いなんて、知らなかった」


 彼女は涙を拭いながら笑った。


「確かに自由は大変です。

 でも……生きていると実感できる。

 私はもう、道具には戻りたくありません」


 倉庫の奥で、誰かが息を飲む音がした。すると年配の男性がおずおずと手を挙げた。


「だが……俺たちはもう歳だ。

 新しいことなんて覚えられん。

 若い者にはいいだろうが、俺たちは……」


「歳なんて関係ない」


 俺は彼の手を取った。


「若者には適応力がある。

 だけどあなたたちには――人生経験がある。知恵がある。

 それは、今の俺たちには絶対に足りないものだ」


 男が目を見開く。


「だから手を貸してほしい。未来を共に作るために。

 代わりに、若い世代があなたたちを支える。

 そんな社会を目指しているんだ」


 ざわざわと人々がし始めた時、マリア、トム、エミリーが駆け込んできた。


「高齢者向けの学習プログラムを作ります!」

「技術訓練は誰でも無料で受けられるぞ!」

「コミュニティの支援網ももっと強化するわ!」


 彼らの力強い言葉に、市民たちの表情が1人、また1人と変わっていく。


 それを見ていたダニエルは深く息を吐いた。その肩には、もう怒気はなかった。


「……俺は、逃げていただけなのかもしれないな」


 そして、俺を見る。


「助けてくれるか?俺たちが……今の社会に適応するのを」


「もちろんだ。俺たちは誰も見捨てない」


 暴動計画は完全に消えた。200名の市民たちは支援を受け、新しいスタートを切った。ダニエルは後に、高齢者支援プログラムのリーダーとして市民に慕われる存在になる。

 この一連の出来事を見ていたマザーは、後日俺に言った。


『印象的でした。

 あなた方はこの緊急事態を暴力ではなく対話で問題を解決した。

 私は、人類の可能性を確かに見ました』


 その声は、マザーが本当に喜んでいるように感じられた。


---


 そして、1年の猶予期間が終わる朝を迎えた。


 俺はアヤと共に新庁舎の大会議室にいた。マザーがどう判断するのかと空気は張り詰め、誰もが息を潜めている。ミラ、ルナ、カイ、ヴァイン、リーナ、ヴァンス、ジン。……仲間たちが円卓に並び、市民代表も大勢来ていた。

そこにはダニエルの姿もあった。覚悟を決めた彼はすっかり顔付きが変わっている。


 正午。居住区全体に響き渡るように、マザーの声が聞こえてきた。


『レイ・シンクレア、アヤ・クリムゾン。

 そして市民の皆さん』


 いよいよだと、胸の奥が跳ねた。


『1年間、私は人類を観察してきました』


 マザーが静かに話し始める。今から下される審判の前に、心臓が嫌にうるさい。


『争いは、確かにありました』


 冷徹な宣告だ。会議室の空気がひやりと揺れる。


『しかし――成長もありました』


 その声が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


 各データのグラフが宙に浮かんだ。

 犯罪率は3ヶ月目に最悪へ――けれど半年を境に安定し始めた。

 幸福度は管理時代の60%から82%へ跳ね上がっていた。

 経済も、教育も、社会の結束も……全部が、前より強くなっていた。


『特に印象的だったのは、暴動未遂事件の解決方法です』


 あの日の倉庫。

 ダニエルの叫び。

 アヤの泣きながらの訴え。

 みんなの震える声。


 当時の記憶が全部甦る。


『レイとアヤは、武力を使わず対話で問題を解決しました』


 俺はアヤと視線を交わす。彼女は小さく頷いた。


 そして、しばしの沈黙が流れ…マザーの判決が下された。


『認めます。人類には、自己統治能力があります』


 会議室が沸いた。歓声、涙、抱擁、喜び。感情が爆発していた。俺はアヤを抱き寄せていた。


「やったな……本当に……」


「ええ……みんなで、ね……」


 声が震え、涙が零れる。けれど、その涙は、これからの明るい未来の始まりを示すように温かかった。


---


 マザーは続ける。


『チップの制御機能を完全に開放します。

 影響を受けるかは個人の自由です』


『私は惑星インフラの管理を段階的に移譲します。

 数十年かけて』


『私は人類を見守りますが、介入はしません。

 それで滅ぶとしても、それもまたあなた方の選択です』


――それはマザーが再び人間を信じた瞬間だった。


---


 会議後、俺たちは街を見て歩く。

夕日の中、子どもたちが走り回り、市場には笑い声があふれていた。老人たちはベンチで談笑し、若い連中の仕事場には活気があった。


「平和だな」


「ええ。これが……私たちが選んだ世界」


 噴水の前のベンチで、アヤが俺の手を握った。虹色の光が水面に揺れる。


「この1年、あなたと戦えて良かった」


「俺もだ。アヤがいなきゃ、ここまで来られなかった」


 彼女の瞳が揺れる。俺の胸の奥も、ゆっくり熱を帯びていく。


「……これからも、一緒にいてくれる?」


「当たり前だ。俺たちはこれからも未来を作るんだ。二人で」


 アヤが微笑む。その笑顔ひとつで、俺の中のどんな不安も消えていくようだった。


---


 その夜、俺は丘の上の墓へ向かった。

師匠――オルフェンの墓はひっそりと星空を見上げるように立っている。墓前に青い花を置き、静かに口を開いた。


「師匠…報告があります。

 俺たちはやり遂げました。

 人類の自由を守れる、新しい社会を作りました」


 風がそっと頬を撫でる。それはまるで師匠の返事のようだった。


「俺はこれからも戦います。

 平和を守って、人類の可能性を証明し続けます。

 ……師匠の最後の弟子ですから」


 墓石に触れると、ひんやりしてるのにどこか温かい。


――よくやった。


 そう聞こえた気がした。


---


 翌朝。新しい街づくりの計画が始まった。

現場は賑やかだった。みんなが未来へ全力で走り出している。ルナが図面を広げ、ミラは笑いながら工具を掲げる。

カイが注意をして笑い声が響く。マリア、トム、エミリー、ジン、ヴァンス……みんなが協力して、新しい時代への一歩を踏み出していた。


「……行こう、レイ」


 アヤが手を差し出す。


「ああ。任務開始だ」


 その手を握る。温もりが伝わり、胸の奥に確かな灯りが灯った。


 師匠から託された想い。

 仲間と積み重ねた絆。

 そして隣には大切な人。


――これなら、怖いものなんて何もない。


 新しい時代はここから始まる。自由で、希望に満ちていて、俺たち自身で作る未来だ。


 そして――俺とアヤの物語も続いていく。


 これからも、ずっと。





 ーFinー


これにて完結となります。


SFの描写の難しさに悩みながら、なんとか完走できました。

これも最後まで生暖かく見守ってくれた皆様のおかげです。


本当にありがとうございました!


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