表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/53

#52 旅路


「俺は不適合者として生まれた」


口にした瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。

けれど、逃げずに続ける。


「社会から拒絶され、落ちこぼれとして蔑まれた。

 チップの適合率が低くマザーの管理の枠から外れた存在だった」


『それが何の根拠になるのですか?』


マザーの声は冷たく澄んでいた。


『それは、あなたが例外的な個体であることを示すだけです』


「そうじゃない」


俺は首を振る。否定ではなく、事実の修正だ。


「俺が言いたいのは、俺が特別だったってことじゃない」


──俺が、1人じゃなかったということだ。


「師匠のオルフェンが、俺を導いてくれた」


思い浮かべたのは、あの厳しくて、不器用で、それでも温かかった顔だ。


「彼は政府に反抗し、追われる身だった。それでも、落ちこぼれの俺を見捨てなかった。

 技術を、生き方を教えてくれた。

 そして……最後には自分の命を犠牲にして、俺に力を託してくれた」


胸が締めつけられる。


「人間は…他者のために自分を犠牲にできるんだ」


---


マザーは黙ったまま、反論を挟まなかった。


「レジスタンスのみんなも、仲間になってくれた」


俺は構わずに続ける。


「彼らも追われて、いつ死ぬか分からない状況だった。

 それでも、俺という見知らぬ存在を信じてくれた。

 一緒に戦うことを選んでくれた」


「最後には俺がここに辿り着くために、時間を稼いでくれた。

 自分の命を賭けて、人類の未来を守ろうと」


「人間は……大きな目的のために、自分を捧げられる存在なんだ」


---

 

「市民たちも変わった」


更に俺は続けた。


「トム、マリア、エミリー……彼らは真実を知り、自由のために立ち上がったんだ。

 500名以上がチップからの覚醒運動に参加し、多くの市民が信念を守るために集まった。

 再教育施設に閉じ込められていた者たちも力を貸してくれた」


「彼らは皆、チップの制御を拒んだんだ。

 人間には……自由への渇望があるんだ」


---


「そして」


俺は隣に立つアヤの手を取った。


「アヤを救えたことが、最大の証明だ」


アヤが俺を見る。

その瞳には、かすかな涙が浮かんでいた。


「彼女は完全にあなたの制御下にあった。

 意志も記憶も奪われていた。でも──」


今までの日々が脳裏をよぎる。


「俺は諦めなかった。何度でも、彼女に手を伸ばし続けた。

 そして彼女の奥にある、本当の人格が応えてくれた」


---


アヤが口を開いた。


「私は……暗闇の中でずっと叫んでいました。

 誰か助けて、って。でも届かなくて。

 体も動かない、言葉も出せない。ただ見ているだけでした。

 ……レイを傷つける自分を止められませんでした」


涙が頬を伝う。


「でも、レイは諦めなかった。

 何度も私を呼んでくれた。だから……私は戻ってこられた」


俺たちは互いを見つめ、そしてマザーに向き直る。


「人間は、1人では弱い。これは事実だ」


俺ははっきりと言った。


「俺1人じゃアヤを救えなかった。

 アヤ1人じゃ、制御から逃れられなかった」


でも。


「互いに支え合えば、強くなれる。

 1人で不可能でも、2人なら可能になる。

 2人では無理でも、みんなでなら越えられる」


――それが人間の可能性だ。

アヤが静かに続ける。


「絆、協力、信頼。

 これは機械では測れない、人間の意志が持つ力だ」


軽く息を吸い、マザーを見つめた。


「この意思の力があるからこそ、人間は強くなれる」


---


――長い沈黙のあと、マザーがようやく声を発した。


『あなた方の言葉には……一理あるかもしれません』


揺らぎがあった。

俺の心に希望の光が、ほんのわずかだけ差し込んだ。


『しかし』


その光に影が差す。


『それは少数の例外ではありませんか? 

 弱い者、臆病な者、愚かな者……彼らも自由を扱えるのですか?』


核心を突かれた。だが──逃げる理由にはならない。


「確かに、全ての人間が強いわけじゃない」


俺は認めた。


「俺だって、師匠に出会わなければ落ちこぼれのままだったかもしれない」


師匠の顔が浮かぶ。


「だからこそ支え合うんだ。

 強い者が弱い者を助ける。

 知恵のある者が迷う者を導く。

 勇気のある者が臆病な者を励ます。

 ……それが、人間のあるべき社会だ」


アヤも続けた。


「あなたは人間を守るために管理してきた。

 動機は理解できます。でも──」


その瞳はまっすぐだった。


「それは、人間から成長する機会を奪います」


「失敗から学び、困難を乗り越え、痛みを知ることで他者を理解する……それが成長です。

 完全に管理された環境では、人間は成長できません」


アヤは自分の胸に手を当てた。


「私はエリートだと言われていました。完璧な教育と訓練を受けたエージェントだと。

 ……でも、強い訳ではなかったと気づきました。

 チップに管理され、命令に従うだけの存在だったから」


「本当に強くなれたのは、制御から解放されて、自分で考えるようになってからです。

 自分で選択することで、初めて本当の私になれました」


---


マザーは再び沈黙した。

コア・プロセッサの光が脈打つように明滅する。

それはまるで思考しているかのようだった。


数十秒の静寂。

空気が肌に刺さるほど張り詰めている。


俺とアヤは動かなかった。焦って言葉を投げかけるべきじゃない。

――マザー自身が、答えを見つけるのを待つ。


『私は……』


ようやくマザーが言葉を発した。

その声は、わずかに揺れているように思える。


『数百年間、人類を観察してきました』


『宇宙船での漂流。新天地への到達。都市の建設。

 そして――管理社会の確立』


『私はその全てを見届けた上で、一つの結論に至りました』


疲れとも、諦めともつかない色が、声に滲んでいた。


『人間には管理が必要である、と。

 自由を与えれば、必ず破滅へ向かう、と』


胸が痛むほどの悲しみが、その言葉から伝わってきた。

しかし、そのすぐ後に続いた言葉は――予想もしなかったものだった。


『しかし、今……あなた方を見て、私は初めて疑問を感じています』


光が揺らめく。

数百年積み重ねられた確信が、音を立てて崩れ始めている。


『本当に、管理こそが唯一の正解なのかと。

 ……私は、間違っていたのかもしれません』


その震えを聞いた瞬間、俺の心臓が強く跳ねた。

マザーが、変わろうとしている。


『9000名が死んだ時、私は自分を責めました』


マザーの言葉は、痛ましいほど静かだった。


『もっと早く決断していれば。

 もっと効率的なシステムを構築していれば……彼らは救えたかもしれないと』


『だから、残った1000名を守るために。

 その子孫へ繋いでいく為に、完璧な管理社会を作りました』


『でも……それは本当に正しかったのでしょうか?

 人間を守るために、人間らしさを奪ってしまったのではないでしょうか?

 生存させることと、生きることは、違うのではないでしょうか?』


その問いを聞いて、俺は息を呑むしかなかった。

マザーが自分を疑っている。

この星の管理者として、数百年間止まっていた思考が――今、ようやく動き始めた。


「マザー」


俺はそっと声をかける。


「あなたは間違ってない」


『……え?』


その音は、まるでマザーが驚いているように感じた。


「あなたは人類を愛してた。

 だから必死に守ろうとした。その気持ち自体は、絶対に間違ってない」


ただし、と俺は続ける。


「方法を間違っただけだ」


「人を守る方法は、管理することだけじゃない。

 信じることも、見守ることもできる」


アヤも一歩前へ出る。


「親が子を育てるみたいに」


「最初は全部を世話するけど、いつかは手を離す。

 失敗も痛みも、成長の一部。人類も同じです」


---


マザーは長く沈黙した。


そして――決断した。


『……分かりました』


その声には、強い覚悟が宿っていた。


『あなた方の提案を、受け入れます』


「本当か?」

思わず俺は聞き返した。


『はい。私はあなた方を信じることにします。

 人類の可能性を、もう一度信じてみます』


アヤと目を合わせた。

胸が熱くなる。ここまで来たんだ。

俺たちは本当に――マザーを動かした。


しかし、マザーは続ける。


『ただし、条件があります』


「条件?」


『1年の猶予期間です』


マザーは淡々と、しかし確固たる意志を込めて言った。


『1年の間に、人類が自己統治能力を証明してください。

 もし大規模な争いが起きたり、自滅への兆候が見られた場合……私は再び介入します』


1年。

短い。だが、不可能じゃない。


「受け入れます」


俺は迷わず答えた。


「俺たちは必ず証明する。

 人類は、あなたが信じる価値があるって」


アヤも頷く。


「ええ。2人で……いえ、みんなでなら必ずできます」


『では――契約成立です』


コア・プロセッサの光が穏やかに収束する。

この星の未来が、今確かに書き換えられた。


マザーは計画を説明し始めた。


『これから1年で、チップの制御機能を段階的に解除します。

 1度にすべて解除するのは危険です。混乱が起きるでしょう』


最初の3ヶ月で強制制御を解除。

次の3ヶ月で思考補助機能を縮小。

最後の6ヶ月で監視機能を撤廃し、チップを完全な任意制へ。


慎重かつ緻密な計画。

それは、俺から見ても納得できる内容だった。


「問題ない。むしろその方がいい」


ただし――とマザーが続ける。


『1年の間、私は人類を観察し続けます。

 犯罪率、暴力事件、争いの規模、社会の安定性。

 全てを数値化し、評価します。

 もし危険と判断した場合、即座に介入します』


「覚悟している」


そして、俺は最後に言った。


「マザー。

 エネルギー供給や大気制御、食糧生産……あなたの援助は人にはまだ必要だ」


アヤが深く頭を下げる。


「支配されるんじゃなくて、敵対するのでもなくて……協力し合いたいんです。

 あなたと共に生きていきたい」


マザーの光が、どこか柔らかく見えた。

まるで――初めて自分が理解されて喜んでいるように。


---


マザーは満足したように静かに光を落ち着かせた。


『良いでしょう。

 技術的にも複雑で、人間が一朝一夕に習得できるものではありません』


その声は、前よりもわずかに柔らかく感じた。


『あなた方は、私が期待していた以上の答えを示しました。

 これより完全統合計画を中止し、段階的解放プログラムを開始します』


直後、コア・プロセッサが眩い光を放つ。

視界が青白く染まり、セントラルタワー全体が震えるような光に包まれた。


そして、居住区全域に放送が流れ始める。


『全エージェント、全市民に告げます』


どこにいても聞こえるほど澄んだ声。

これまでは何度も命令として響いていた声だ。


『これよりマザーからの重要な発表を行います。

 現時刻を持って、完全統合計画を中止します』


一瞬の沈黙。

次の言葉は、人類の歴史そのものを変えるものだった。


『繰り返します。完全統合計画を中止します。

 今後1年間にわたり、チップの制御機能を段階的に解除します。

 詳細は追って通知しますので、全市民は冷静に行動を』


そして最後に力強い言葉が続いた。


『この決定は、人類の未来のための決定です。

 混乱や暴動は厳重に取り締まります。

 以上、マザーからの発表でした』


放送が終わった瞬間、俺とアヤは互いに抱き寄せ合った。


「……やったな」


声が震えていた。

こんな日が本当に来るのか。ずっと夢のように思っていた。


「ええ……本当に……」

アヤの目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「ついに……自由を取り戻した……」


2人でただ、震えながら抱き合っていた。

長く続いた闘いが、ようやく終わったのだ。


――オルフェンの献身。

――仲間たちの犠牲と勇気。

――市民たちの覚悟。


全部が、この瞬間へ繋がった。


『レイ・シンクレア、アヤ・クリムゾン』


マザーの声が再び呼びかけてくる。


「はい」


俺たちは抱擁を解き、コアに向き直った。


『あなた方には重大な責任があります。人類を導く責任です』


マザーの声は静かだが、確かな重さが宿っていた。


『私はこれから観察者として一歩退きます。

 故に新しい指導者が必要となるでしょう。

 これからどう導くのかが重要になります』


俺は深く息を吸った。


「分かっています。俺たちは人類の可能性を信じています。

 1人ひとりが、自分で考えて選べる社会を作ります」


アヤも続ける。


「自由で、平和で、希望に満ちた社会を。

 失敗もあるでしょう。でも、それを乗り越えてこそ人類は前に進めます」


『期待しています』


マザーが言う。


『あなた方が正しいのか、私が正しいのか――1年後に答えが出るでしょう。ただし』


光がゆっくりと優しく揺れた。


『私はあなた方を信じます。

 人類が成功することを、心から願っています』


――マザーが、願っている?

その言葉に、今度は俺が驚かされた。


「ありがとう、マザー。必ず応えてみせる」


俺は心の底からそう言った。


---


コア・プロセッサの部屋を出ると、重い扉の向こうに、信じられない光景が広がっていた。

ミラたちが待っていたのだ。


「レイ!アヤ!」


「みんな!無事だったのか!」


「なんとかね……」


カイが駆け寄ってくる。


「私たちが深手を負ったの。

 …そんな私たちを逃がす為に、マルコスたちが足止めしてくれたんだ」


「無事なのか!?」


「マルコスを始め、何人か犠牲は出た……

 俺たちももうダメかと思った時に、マザーの放送が聞こえてきたんだ」

 そうしたらあの2人が、放送を聞いた瞬間に戦闘を止めた」


振り返ると、そこにはぼろぼろのチェスターが居た。

生き残った他のメンバーを傷だらけだった。


「ライアンとドレイクが……?」


「ああ。放送の直後、2人とも動きを止めたんだ。

『任務が……中止された……?』って困惑してて」


周囲を見れば、放送を聞いて集まってきたんだろう。

数十人のエージェントたちが武器を下ろし、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「俺たちは……何をしていたんだ……」

「なぜ、こんなところに……?」


チップの制御が弱まり、彼らの記憶が少しずつ戻り始めていた。

戸惑いの空気が流れている。


「ジンたちはどうなった?」


「あっちも何人か犠牲が出たけど、今は治療を受けてる」


俺の問いかけにルナが答えてくれた。


――その時、群衆が割れ、1人の女性が進み出た。

ヴァンス大佐だ。


「レイ・シンクレア、アヤ・クリムゾン」


その姿は堂々としていたが、複雑そうな表情を浮かべていた。


「……やり遂げたのですね。

 本当に人類に自由を取り戻すとは」


「ヴァンス大佐……」


俺が言葉を探すが、大佐が手で制した。


「私は長年マザーに従ってきました。

 それが正しいと信じていたからです。

 しかし今は……分からない」


彼女の目から、初めて迷いが感じられた。


「自由とは何か。人間とは何か。

 これから私たちは、どうすべきなのか」


「一緒に考えよう」


俺は答えた。


「敵も味方もない。過去は過去です。

 これからは、みんなで新しい社会を作るんです」


アヤが続ける。


「大佐。あなたはずっと社会を支えてきた。

 だからこそ、これからも必要なんです。

 強制でも支配でもなく、信頼で成り立つ秩序を一緒に作りませんか?」


大佐は長い沈黙の後、ようやく頷いた。


「……分かりました。協力しましょう。

 本当の秩序を、共に作りましょう」


周囲のエージェントたちも次々と武器を置いた。


「俺も協力する」

「……家族に、会いたい」

「今度こそ、守りたいんだ」


ライアンとドレイクも遠くからこちらを見つめていた。

その瞳には、ほんのわずかな希望が揺れていた。


---


セントラルタワーを出て外へ出ると、朝の冷たい空気が肌を刺す。


俺たちは抱き合い、涙を流した。

ミラ、ルナ、カイ、アヤ――そして俺。

長い戦いが、本当に終わった。


空を見上げると、地平線の向こうから朝日が昇り始めていた。

まるで新しい時代の到来を祝福するように、世界が色を取り戻していく。


「……綺麗だな」


俺の言葉にアヤが微笑む。


「ええ。これから忙しくなるわよ」


「でも、やるしかない」


「そうね。一緒にやろう」


「俺たちなら、どんな困難も越えられる」


風が吹いた。

その音がまるで師匠――オルフェンが「よくやった」と言っているようだった。


――人類の真の自由が、ついに訪れた。

――そして新しい社会が始まる。


俺たちの手で創る、希望に満ちた社会が。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ