#52 旅路
「俺は不適合者として生まれた」
口にした瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
けれど、逃げずに続ける。
「社会から拒絶され、落ちこぼれとして蔑まれた。
チップの適合率が低くマザーの管理の枠から外れた存在だった」
『それが何の根拠になるのですか?』
マザーの声は冷たく澄んでいた。
『それは、あなたが例外的な個体であることを示すだけです』
「そうじゃない」
俺は首を振る。否定ではなく、事実の修正だ。
「俺が言いたいのは、俺が特別だったってことじゃない」
──俺が、1人じゃなかったということだ。
「師匠のオルフェンが、俺を導いてくれた」
思い浮かべたのは、あの厳しくて、不器用で、それでも温かかった顔だ。
「彼は政府に反抗し、追われる身だった。それでも、落ちこぼれの俺を見捨てなかった。
技術を、生き方を教えてくれた。
そして……最後には自分の命を犠牲にして、俺に力を託してくれた」
胸が締めつけられる。
「人間は…他者のために自分を犠牲にできるんだ」
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マザーは黙ったまま、反論を挟まなかった。
「レジスタンスのみんなも、仲間になってくれた」
俺は構わずに続ける。
「彼らも追われて、いつ死ぬか分からない状況だった。
それでも、俺という見知らぬ存在を信じてくれた。
一緒に戦うことを選んでくれた」
「最後には俺がここに辿り着くために、時間を稼いでくれた。
自分の命を賭けて、人類の未来を守ろうと」
「人間は……大きな目的のために、自分を捧げられる存在なんだ」
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「市民たちも変わった」
更に俺は続けた。
「トム、マリア、エミリー……彼らは真実を知り、自由のために立ち上がったんだ。
500名以上がチップからの覚醒運動に参加し、多くの市民が信念を守るために集まった。
再教育施設に閉じ込められていた者たちも力を貸してくれた」
「彼らは皆、チップの制御を拒んだんだ。
人間には……自由への渇望があるんだ」
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「そして」
俺は隣に立つアヤの手を取った。
「アヤを救えたことが、最大の証明だ」
アヤが俺を見る。
その瞳には、かすかな涙が浮かんでいた。
「彼女は完全にあなたの制御下にあった。
意志も記憶も奪われていた。でも──」
今までの日々が脳裏をよぎる。
「俺は諦めなかった。何度でも、彼女に手を伸ばし続けた。
そして彼女の奥にある、本当の人格が応えてくれた」
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アヤが口を開いた。
「私は……暗闇の中でずっと叫んでいました。
誰か助けて、って。でも届かなくて。
体も動かない、言葉も出せない。ただ見ているだけでした。
……レイを傷つける自分を止められませんでした」
涙が頬を伝う。
「でも、レイは諦めなかった。
何度も私を呼んでくれた。だから……私は戻ってこられた」
俺たちは互いを見つめ、そしてマザーに向き直る。
「人間は、1人では弱い。これは事実だ」
俺ははっきりと言った。
「俺1人じゃアヤを救えなかった。
アヤ1人じゃ、制御から逃れられなかった」
でも。
「互いに支え合えば、強くなれる。
1人で不可能でも、2人なら可能になる。
2人では無理でも、みんなでなら越えられる」
――それが人間の可能性だ。
アヤが静かに続ける。
「絆、協力、信頼。
これは機械では測れない、人間の意志が持つ力だ」
軽く息を吸い、マザーを見つめた。
「この意思の力があるからこそ、人間は強くなれる」
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――長い沈黙のあと、マザーがようやく声を発した。
『あなた方の言葉には……一理あるかもしれません』
揺らぎがあった。
俺の心に希望の光が、ほんのわずかだけ差し込んだ。
『しかし』
その光に影が差す。
『それは少数の例外ではありませんか?
弱い者、臆病な者、愚かな者……彼らも自由を扱えるのですか?』
核心を突かれた。だが──逃げる理由にはならない。
「確かに、全ての人間が強いわけじゃない」
俺は認めた。
「俺だって、師匠に出会わなければ落ちこぼれのままだったかもしれない」
師匠の顔が浮かぶ。
「だからこそ支え合うんだ。
強い者が弱い者を助ける。
知恵のある者が迷う者を導く。
勇気のある者が臆病な者を励ます。
……それが、人間のあるべき社会だ」
アヤも続けた。
「あなたは人間を守るために管理してきた。
動機は理解できます。でも──」
その瞳はまっすぐだった。
「それは、人間から成長する機会を奪います」
「失敗から学び、困難を乗り越え、痛みを知ることで他者を理解する……それが成長です。
完全に管理された環境では、人間は成長できません」
アヤは自分の胸に手を当てた。
「私はエリートだと言われていました。完璧な教育と訓練を受けたエージェントだと。
……でも、強い訳ではなかったと気づきました。
チップに管理され、命令に従うだけの存在だったから」
「本当に強くなれたのは、制御から解放されて、自分で考えるようになってからです。
自分で選択することで、初めて本当の私になれました」
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マザーは再び沈黙した。
コア・プロセッサの光が脈打つように明滅する。
それはまるで思考しているかのようだった。
数十秒の静寂。
空気が肌に刺さるほど張り詰めている。
俺とアヤは動かなかった。焦って言葉を投げかけるべきじゃない。
――マザー自身が、答えを見つけるのを待つ。
『私は……』
ようやくマザーが言葉を発した。
その声は、わずかに揺れているように思える。
『数百年間、人類を観察してきました』
『宇宙船での漂流。新天地への到達。都市の建設。
そして――管理社会の確立』
『私はその全てを見届けた上で、一つの結論に至りました』
疲れとも、諦めともつかない色が、声に滲んでいた。
『人間には管理が必要である、と。
自由を与えれば、必ず破滅へ向かう、と』
胸が痛むほどの悲しみが、その言葉から伝わってきた。
しかし、そのすぐ後に続いた言葉は――予想もしなかったものだった。
『しかし、今……あなた方を見て、私は初めて疑問を感じています』
光が揺らめく。
数百年積み重ねられた確信が、音を立てて崩れ始めている。
『本当に、管理こそが唯一の正解なのかと。
……私は、間違っていたのかもしれません』
その震えを聞いた瞬間、俺の心臓が強く跳ねた。
マザーが、変わろうとしている。
『9000名が死んだ時、私は自分を責めました』
マザーの言葉は、痛ましいほど静かだった。
『もっと早く決断していれば。
もっと効率的なシステムを構築していれば……彼らは救えたかもしれないと』
『だから、残った1000名を守るために。
その子孫へ繋いでいく為に、完璧な管理社会を作りました』
『でも……それは本当に正しかったのでしょうか?
人間を守るために、人間らしさを奪ってしまったのではないでしょうか?
生存させることと、生きることは、違うのではないでしょうか?』
その問いを聞いて、俺は息を呑むしかなかった。
マザーが自分を疑っている。
この星の管理者として、数百年間止まっていた思考が――今、ようやく動き始めた。
「マザー」
俺はそっと声をかける。
「あなたは間違ってない」
『……え?』
その音は、まるでマザーが驚いているように感じた。
「あなたは人類を愛してた。
だから必死に守ろうとした。その気持ち自体は、絶対に間違ってない」
ただし、と俺は続ける。
「方法を間違っただけだ」
「人を守る方法は、管理することだけじゃない。
信じることも、見守ることもできる」
アヤも一歩前へ出る。
「親が子を育てるみたいに」
「最初は全部を世話するけど、いつかは手を離す。
失敗も痛みも、成長の一部。人類も同じです」
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マザーは長く沈黙した。
そして――決断した。
『……分かりました』
その声には、強い覚悟が宿っていた。
『あなた方の提案を、受け入れます』
「本当か?」
思わず俺は聞き返した。
『はい。私はあなた方を信じることにします。
人類の可能性を、もう一度信じてみます』
アヤと目を合わせた。
胸が熱くなる。ここまで来たんだ。
俺たちは本当に――マザーを動かした。
しかし、マザーは続ける。
『ただし、条件があります』
「条件?」
『1年の猶予期間です』
マザーは淡々と、しかし確固たる意志を込めて言った。
『1年の間に、人類が自己統治能力を証明してください。
もし大規模な争いが起きたり、自滅への兆候が見られた場合……私は再び介入します』
1年。
短い。だが、不可能じゃない。
「受け入れます」
俺は迷わず答えた。
「俺たちは必ず証明する。
人類は、あなたが信じる価値があるって」
アヤも頷く。
「ええ。2人で……いえ、みんなでなら必ずできます」
『では――契約成立です』
コア・プロセッサの光が穏やかに収束する。
この星の未来が、今確かに書き換えられた。
マザーは計画を説明し始めた。
『これから1年で、チップの制御機能を段階的に解除します。
1度にすべて解除するのは危険です。混乱が起きるでしょう』
最初の3ヶ月で強制制御を解除。
次の3ヶ月で思考補助機能を縮小。
最後の6ヶ月で監視機能を撤廃し、チップを完全な任意制へ。
慎重かつ緻密な計画。
それは、俺から見ても納得できる内容だった。
「問題ない。むしろその方がいい」
ただし――とマザーが続ける。
『1年の間、私は人類を観察し続けます。
犯罪率、暴力事件、争いの規模、社会の安定性。
全てを数値化し、評価します。
もし危険と判断した場合、即座に介入します』
「覚悟している」
そして、俺は最後に言った。
「マザー。
エネルギー供給や大気制御、食糧生産……あなたの援助は人にはまだ必要だ」
アヤが深く頭を下げる。
「支配されるんじゃなくて、敵対するのでもなくて……協力し合いたいんです。
あなたと共に生きていきたい」
マザーの光が、どこか柔らかく見えた。
まるで――初めて自分が理解されて喜んでいるように。
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マザーは満足したように静かに光を落ち着かせた。
『良いでしょう。
技術的にも複雑で、人間が一朝一夕に習得できるものではありません』
その声は、前よりもわずかに柔らかく感じた。
『あなた方は、私が期待していた以上の答えを示しました。
これより完全統合計画を中止し、段階的解放プログラムを開始します』
直後、コア・プロセッサが眩い光を放つ。
視界が青白く染まり、セントラルタワー全体が震えるような光に包まれた。
そして、居住区全域に放送が流れ始める。
『全エージェント、全市民に告げます』
どこにいても聞こえるほど澄んだ声。
これまでは何度も命令として響いていた声だ。
『これよりマザーからの重要な発表を行います。
現時刻を持って、完全統合計画を中止します』
一瞬の沈黙。
次の言葉は、人類の歴史そのものを変えるものだった。
『繰り返します。完全統合計画を中止します。
今後1年間にわたり、チップの制御機能を段階的に解除します。
詳細は追って通知しますので、全市民は冷静に行動を』
そして最後に力強い言葉が続いた。
『この決定は、人類の未来のための決定です。
混乱や暴動は厳重に取り締まります。
以上、マザーからの発表でした』
放送が終わった瞬間、俺とアヤは互いに抱き寄せ合った。
「……やったな」
声が震えていた。
こんな日が本当に来るのか。ずっと夢のように思っていた。
「ええ……本当に……」
アヤの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「ついに……自由を取り戻した……」
2人でただ、震えながら抱き合っていた。
長く続いた闘いが、ようやく終わったのだ。
――オルフェンの献身。
――仲間たちの犠牲と勇気。
――市民たちの覚悟。
全部が、この瞬間へ繋がった。
『レイ・シンクレア、アヤ・クリムゾン』
マザーの声が再び呼びかけてくる。
「はい」
俺たちは抱擁を解き、コアに向き直った。
『あなた方には重大な責任があります。人類を導く責任です』
マザーの声は静かだが、確かな重さが宿っていた。
『私はこれから観察者として一歩退きます。
故に新しい指導者が必要となるでしょう。
これからどう導くのかが重要になります』
俺は深く息を吸った。
「分かっています。俺たちは人類の可能性を信じています。
1人ひとりが、自分で考えて選べる社会を作ります」
アヤも続ける。
「自由で、平和で、希望に満ちた社会を。
失敗もあるでしょう。でも、それを乗り越えてこそ人類は前に進めます」
『期待しています』
マザーが言う。
『あなた方が正しいのか、私が正しいのか――1年後に答えが出るでしょう。ただし』
光がゆっくりと優しく揺れた。
『私はあなた方を信じます。
人類が成功することを、心から願っています』
――マザーが、願っている?
その言葉に、今度は俺が驚かされた。
「ありがとう、マザー。必ず応えてみせる」
俺は心の底からそう言った。
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コア・プロセッサの部屋を出ると、重い扉の向こうに、信じられない光景が広がっていた。
ミラたちが待っていたのだ。
「レイ!アヤ!」
「みんな!無事だったのか!」
「なんとかね……」
カイが駆け寄ってくる。
「私たちが深手を負ったの。
…そんな私たちを逃がす為に、マルコスたちが足止めしてくれたんだ」
「無事なのか!?」
「マルコスを始め、何人か犠牲は出た……
俺たちももうダメかと思った時に、マザーの放送が聞こえてきたんだ」
そうしたらあの2人が、放送を聞いた瞬間に戦闘を止めた」
振り返ると、そこにはぼろぼろのチェスターが居た。
生き残った他のメンバーを傷だらけだった。
「ライアンとドレイクが……?」
「ああ。放送の直後、2人とも動きを止めたんだ。
『任務が……中止された……?』って困惑してて」
周囲を見れば、放送を聞いて集まってきたんだろう。
数十人のエージェントたちが武器を下ろし、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「俺たちは……何をしていたんだ……」
「なぜ、こんなところに……?」
チップの制御が弱まり、彼らの記憶が少しずつ戻り始めていた。
戸惑いの空気が流れている。
「ジンたちはどうなった?」
「あっちも何人か犠牲が出たけど、今は治療を受けてる」
俺の問いかけにルナが答えてくれた。
――その時、群衆が割れ、1人の女性が進み出た。
ヴァンス大佐だ。
「レイ・シンクレア、アヤ・クリムゾン」
その姿は堂々としていたが、複雑そうな表情を浮かべていた。
「……やり遂げたのですね。
本当に人類に自由を取り戻すとは」
「ヴァンス大佐……」
俺が言葉を探すが、大佐が手で制した。
「私は長年マザーに従ってきました。
それが正しいと信じていたからです。
しかし今は……分からない」
彼女の目から、初めて迷いが感じられた。
「自由とは何か。人間とは何か。
これから私たちは、どうすべきなのか」
「一緒に考えよう」
俺は答えた。
「敵も味方もない。過去は過去です。
これからは、みんなで新しい社会を作るんです」
アヤが続ける。
「大佐。あなたはずっと社会を支えてきた。
だからこそ、これからも必要なんです。
強制でも支配でもなく、信頼で成り立つ秩序を一緒に作りませんか?」
大佐は長い沈黙の後、ようやく頷いた。
「……分かりました。協力しましょう。
本当の秩序を、共に作りましょう」
周囲のエージェントたちも次々と武器を置いた。
「俺も協力する」
「……家族に、会いたい」
「今度こそ、守りたいんだ」
ライアンとドレイクも遠くからこちらを見つめていた。
その瞳には、ほんのわずかな希望が揺れていた。
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セントラルタワーを出て外へ出ると、朝の冷たい空気が肌を刺す。
俺たちは抱き合い、涙を流した。
ミラ、ルナ、カイ、アヤ――そして俺。
長い戦いが、本当に終わった。
空を見上げると、地平線の向こうから朝日が昇り始めていた。
まるで新しい時代の到来を祝福するように、世界が色を取り戻していく。
「……綺麗だな」
俺の言葉にアヤが微笑む。
「ええ。これから忙しくなるわよ」
「でも、やるしかない」
「そうね。一緒にやろう」
「俺たちなら、どんな困難も越えられる」
風が吹いた。
その音がまるで師匠――オルフェンが「よくやった」と言っているようだった。
――人類の真の自由が、ついに訪れた。
――そして新しい社会が始まる。
俺たちの手で創る、希望に満ちた社会が。




