#05 選択の時
――オルフェンとの出会いから3日が経った。
その3日間、俺は表面上は普段通りに過ごしていた。朝の訓練、講習、任務のシミュレーション……全てをこなしながら、内心はずっと上の空だった。
どれほど汗を流しても、どれほど走っても、頭の中にはあの日見せられた光景がこびりついて離れない。
プラナ・アーツ。
あの眩い光が体を駆け抜ける映像は、夢にも現れるほどだった。
そして、耳に残り続ける声。
「お前のような不適合者だけが使える、真の戦技だ」
「君は『管理』から逃れた存在なのだ」
その言葉は甘い毒のように心に滲み込み、俺を日常から引き離していった。
だが同時に、恐怖と疑念も膨らむ。――なぜ俺なのか?なぜオルフェンは俺に接触したのか?
本当に信用できる相手なのか、それとも俺を破滅へ導こうとしているのか。
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「シンクレア、集中しろ!」
教官の鋭い声で我に返った。
気づけば基礎理論講習の最中、周りはすでに数式を書き込んでいる。慌てて視線を教材に落としたが、記号がただの落書きにしか見えなかった。
「エネルギー変換効率の計算式は?」
指名され、頭が真っ白になる。唇が震えるが、言葉は出ない。
「クリムゾン、君が答えろ」
「はい。プラナ係数×ディスク共鳴値×チップ適合率÷武器抵抗値、です」
アヤの答えは迷いがなく、すらすらと流れ出る。教官は満足げに頷き、講義を続けた。
机に視線を落としたまま、俺は拳を握った。
――こんな簡単なことも答えられないのか。
誰かの揶揄う声が聞こえた気がした…
講習が終わるとすぐ、アヤが俺に歩み寄ってきた。
「ねえ、最近のあなた……やっぱりおかしいわ」
彼女の声には心配と苛立ちが入り混じっていた。
「……別に。何もない」
「嘘」即答だった。アヤはじっと俺の目を見据え、逃げ場を与えてくれない。
「その顔はね、何かを隠してる人の顔よ。重要な決断に追い詰められてる人の」
胸が跳ねる。俺は答えに窮し、唇を噛んだ。
「もしかして、あの単独任務で何かあった?」
「……」
沈黙するしかなかった。
だがそれは時に言葉以上に雄弁になる。
「……やっぱり」アヤは小さく吐息をもらした。
「レイ、あなたが何を考えているかわからないけれど、軽率な行動は取らないで」
「軽率って...」
「不適合者であるあなたは、常に監視されている」アヤの声が小さくなった。
「政府にとって、あなたは『予測不可能な要素』なの」
監視されている。その言葉に、俺の血が凍りつくように感じた。
「どういう意味だ?」言葉と共に血の気が引くのがわかる。
「文字通りの意味よ。あなたの行動は、他の候補生より詳細に記録されている。
もし政府にとって『危険』と判断されれば――」
言葉が途切れる。だが十分だった。喉が渇き、声を絞り出す。
「判断されれば?」
「……『事故』に見せかけて処理されるかもしれない」
鼓動が耳を打つ。処理――つまり、消される。
「なぜ、そんなことを……」
「私の父が政府高官だから」
初めて聞く事実。アヤは苦々しげに視線を逸らした。
「望まなくても、情報は入ってくるの。……だからお願い。
自分の立場を捨てるような危険な真似はしないで」
その目には強い光が宿っていた。
ただの心配ではなく、何か確信しているような彼女の初めてな必死な願いに、俺は言葉を失った。
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その日の夕方、俺は居住区の展望台にいた。
ここからはフィールドを広く見渡すことができ、目の前では夕日が赤い大地を更に深い紅色に染めていた。遠くに見える山々のシルエットは、居住区とはまるで違う世界の風景で、思わず心を奪われた。
それはまさに俺の置かれた状況のようだった。
――どうすればいい?
オルフェンの提案は魅力的だ。だがアヤの言葉は現実味を帯びすぎて無視はできない。
「悩んでるな」
背後から声をかけられ、俺は振り返った。
そこにいたのはジンだった。彼は俺の隣に立ち、同じように夕暮れのフィールドを眺めた。
「最近のお前、明らかに変だ」
「ジン、お前もか」
俺が溜息をつくと、ジンが続けた。
「フィールドでの単独任務で、何かあったんだろう?」
図星を突かれ、戸惑う。
俺は話すべきか迷った。
「何かを見つけたか、それとも誰かと出会ったか。
……まあ、お前の性格から言って、後者の可能性が高いな」
「なぜそう思う?」
「お前は根っからの善人だからな。例え正体不明の人物でも、まずは信じてしまうタイプだ」
ジンの分析は的確だった。
「忠告するが」その声色のトーンが落ちる。
「政府に逆らうような真似はするなよ。特に、お前のような不適合者は」
「お前も知ってるのか?」
「当然だ。上位のエージェント候補生の間では常識だ」ジンが振り返った。
「不適合者は常に監視されている。そして、問題を起こせば容赦なく排除される」
またしても同じ警告だった。
「でも、お前が真面目にやってる限り、問題はない。実際、最近の任務で評価が上がってるからな」
「評価が上がってる?」
「ああ。戦闘はできないが、分析能力と判断力は優秀だってな。
後方支援に特化させる案も出てきてるらしい。……だから、変な道に逸れるなよ」
ジンは俺の肩を叩く。
意外にも評価されているという事実に、ほんの少しの安堵した自分がいた。
それでも心の迷いは消えなかった。
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その夜、俺は一人で深く考えていた。
オルフェンが見せてくれたプラナ・アーツの力は、確かに魅力的だ。
ディスク・アーツが使えない俺にとって、それは希望の光のように見える。
だが、アヤに加えジンにまで言われた以上、警告を軽視はできない。
政府に監視されている俺が、反体制的な行動を取れば確実に消されるのだろう。
それでも俺は...
育ての親の写真を見つめて、彼の遺言を思い出す。
「お前にしかできないことが必ずある」
もしかすると、俺の使命はエージェントになることではないのかもしれない。
本当にやるべきことが、別にあるのだとしたら――
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翌朝、俺の決断は固まっていた。
訓練開始前に、俺はアヤに声をかけた。
「昨日の話、参考になった。」
「どういたしまして。でも、まだ何か考えてるでしょう?」
アヤの洞察力は相変わらず鋭かった。
「ああ。でも、もう決めた」
「どんな決断?」
俺は少し間を置いてから答えた。
「俺は、自分の可能性を信じることにした」
「レイ..…それは」アヤの表情が曇った。
「心配しないでくれ。無茶はしないさ」
俺は嘘をついていた。
これから俺がしようとしていることは、十分に無茶な行動だった。
「……もし何かあったら、必ず相談して」
「わかった」
これも嘘だった。俺はもう、誰にも相談するつもりはなかった。
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その日の午後、俺は再び南西部への単独任務を申請した。
「また観測所の点検か?」
教官が疑問に思ったのも当然だった。
「はい。前回の修理が不完全だったようで、再度障害が発生しています」
俺は事前に準備した報告書を提出した。実際には、俺が意図的に一部の修理を不完全にしておいたのだが。
「わかった。ただし、今回は通信を1時間ごとに入れろ」
「承知しました」
俺は装備を受け取り、フィールドへ向かう。胸は高鳴り、緊張で汗が滲んだ。
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南西部の観測所に到着すると、俺はすぐに周囲を探した。
…オルフェンはいない。
俺は観測所で待つことにした。彼は「覚悟が決まったら、ここに来い」と言っていた。
だからきっと現れるはずだ。
アリバイ工作の為に作業をして過ごしていると1時間経っていた。
定刻通りに通信を基地へと入れる。
……チップによる監視が出来ない以上、何とでも誤魔化しは効く。
「観測所到着。機器点検を開始します」
「了解。次回は2時間後だ」
通信を切ると、俺は再び周囲を見回した。
まだオルフェンの姿は見えない。
さらに作業をしながら彼を待ち続け――1時間が経過した時、ついに人影が現れた。
「来たか」
オルフェンが崖の上から現れた。まるで最初からそこにいたかのように自然な動きだった。
「はい。あなたの提案を...受け入れたいと思います」
オルフェンの表情が僅かに和らぐ。
「そうか。だが、一つ確認させてくれ」
「何でしょう?」
「君は本当に覚悟ができているのか?
プラナ・アーツを学ぶということは、今までの生活を完全に捨てることを意味する」
俺は頷いた。
「それでも、今のままでは何も出来ない。……俺は本当の強さを手に入れたい」
「本当の強さか...」オルフェンが呟いた。
「いいだろう。では、さっそく試してるか。
…まずは基礎からだ」
オルフェンが俺に近づき、右手を差し出した。
「俺の手を握れ」
俺が彼の手を握った瞬間、体内に電撃のような衝撃が走った。
「うわあっ!」
「動くな。これがプラナ・アーツへの第一歩だ」
オルフェンの手から、温かいエネルギーが俺の体に流れ込んできた。
それは今まで感じたことのない感覚だった。まるで全身の血管に光が流れているような...
「これが...プラナ?」
「そうだ。生命力そのもの。お前の体内に流れる根源的な力だ」
エネルギーの流れが止まると、俺の体は不思議な軽やかさに満たされていた。
「今のは俺のプラナを少し分けて活性化させただけだ。
本来なら、お前自身でプラナを覚醒させなければならない」
「どうやって?」
「瞑想と鍛錬だ。そして何より大切なのが『自由な意志』を保つことだ」
オルフェンの言葉に、俺は首をかしげた。
「自由な意志?」
「お前は気づいていないかもしれないが、マイクロチップを埋め込まれた人間は、完全には自由な意思がが持てない」
「それは...まさか」
「そのまさかだ。マイクロチップには様々な機能がある。
住民の管理や監視機能、戦技の発動補佐など多岐に渡るが、同時に思考制御装置でもある。
マザーは住民の思考を微細にコントロールし、反抗心や疑問を抑制している」
衝撃の事実に、俺の血が凍りついた。
「つまり、俺以外のみんなは...」
「洗脳されているも同然だ。ただし、本人たちはそれを自覚していない。
マザーは巧妙に、彼らが『自分の意志で選択している』と思わせている」
俺は戦慄した。
――アヤも、ジンも、みんな操られているのか?
「……なぜ俺だけ平気なんだ?」
「それはお前のマイクロチップが機能していないからだ。正確には、お前の体がチップを拒絶している。
生まれもったプラナが大きい者をチップは制御出来ない…それが『不適合者』の真実だ」
「じゃあ、不適合者とは...」
「この世界で数少ない、真に自由な意志を持つ存在だ。
だからこそ、プラナ・アーツを習得できる可能性がある」
オルフェンは俺の肩に手を置いた。
「だが、忘れるな。お前が自由を選ぶ限り、マザーはいつかお前を脅威と認識するだろう。
いずれは政府からの本格的な追及が始まる」
「追及...」
俺は思わず身震いした。
「そうだ。だからこそ、急いでプラナ・アーツを身につけなければならない。
お前の命を守る為にも、……何より、この世界の真実を知る者として抗う力を得る必要がある」
オルフェンの言葉に、俺は大きな責任の重さを感じた。
――重さに押し潰されそうになりながらも、口は自然に動いていた。
「……お願いします」
「よし。今日から、お前の修行を始める」
夕暮れの光の中、俺の運命は確かに動き始めていた。