#37 潜入と実証
夜の帳が、ゆっくりと居住区を覆っていった。
街灯の明かりがひとつ、またひとつと沈み、辺りは仮の静寂に包まれていく。
俺は黒い外套のフードを深く被り、居住区東部にある研究施設周辺を偵察していた。
遠目から施設の警備状況を確認し、建物の影へと身を滑り込ませる。
腕にはプラナ増幅装置を装着し、腰にはプラナ・ブレード。
――だが今夜の目的は戦闘ではない。
「……情報収集と、技術実証」
オルフェンの低い声が脳裏で響く。
月光の乏しい夜。視界の端で、白い研究棟の輪郭が浮かび上がる。
3階建て、外壁は補修跡だらけだが、塀の上に設置された監視カメラ群は最新式だろう。
正門では2人のエージェントが警備に立っていた。
その姿を見た瞬間、俺は息を飲んだ。
「……あれは、EE計画対象者だな」
――もう見慣れたものだ。
彼らの動きは操られているように一定で、歩行パターンも一分の狂いもない。
マザーの”人形”にされた彼らはただ無表情に、与えられた任務をこなしている。
俺は影に紛れて建物の裏手へと回り込んだ。そこにも警備が1人。
金髪の女性エージェント。だが――アヤではない。
それでも、なぜか胸の奥がざわついた。
瞳の色、姿勢、歩き方。
――ほんの一瞬、彼女に似ている気がしたからだ。
俺はその動きを観察し、侵入のチャンスを探った。
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1時間後。
巡回ルートのパターンは完全に掴めた。
15分間隔で建物の外周を一周。
そのうち裏口が無人になる時間――わずか2分。
そこが唯一の突破口だ。
均一的な動きだからこその盲点。
俺は深呼吸し、タイミングを計った。
――今だ。
裏口の電子ロックに手をかざす。
「パルス」でプラナを微細に流し込み、回路を上書きする。
「システム干渉開始……よし」
軽い電子音が鳴り、ロックが外れた。
中に足を踏み入れた瞬間、空気の温度が変わる。
ひんやりとした湿気。わずかに漂う薬品の匂い。
壁一面に並んだ蛍光灯の半分は点灯しておらず、廊下は青白い光と闇の縞模様に染まっていた。
ドアのプレートが目に入る。
「生体強化研究室」「神経制御実験室」「記憶改変技術開発室」――。
「……やっぱり、ここで間違いないな」
EE計画の中核施設。
俺は最も重要そうな部屋――「統合制御システム」と書かれた扉の前で足を止めた。
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部屋に入った瞬間、機械の低い駆動音が響いた。
中央には大型のメインコンピューター。壁際には古びたファイルラック。
俺は慎重に書類を手に取った。
『EE計画進行状況報告書』――その文字を見た瞬間、胸の奥がざらつく。
ページをめくるたびに、喉の奥が冷えていった。
対象者12名。うち10名がすでに“強化処置完了”。
残り2名も今週中に処置予定。
処置内容――
チップ改良による戦闘能力向上。プラナ・アーツの人工移植。感情制御システムの導入。
副作用――
人格崩壊。記憶の部分消失。感情の削除。
「……感情を、削除……?」
文字を追う指先が震えた。
そして、最後の項目を見た瞬間、息が止まった。
『完全統合計画連携事項』
EE計画技術を全住民チップに適用予定。実施まで5週間。
「……つまり……これは……」
EE計画は、“完全統合計画”のための実験だった。
人間の心を削ぎ、支配し、従わせるための――。
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その時、静寂を破る足音がした。
「……ッ!」
予定より早い。巡回が戻ってきた。
俺は資料を急いで戻し、部屋を出ようとした。
だが――遅かった。
廊下に出た瞬間、視界の先に金髪のエージェントが立っていた。
無表情。冷たい眼差し。
「侵入者、確認」
金属のように固い無機質な声。
「排除する、ブラスト」
次の瞬間、光が走った。
「くっ!」
俺は「シールド」を即座に防御障壁を展開。
青白い光の壁が俺の前に広がる。
直後、エージェントから放たれたブラストの光弾が障壁に激突。火花が散った。
「ディスク・アーツ《サンダーボルト》」
今度は雷撃。廊下が一瞬、昼間のように明るくなる。
俺は転がるように横へ跳び、ブレードを構えた。
雷光が壁を抉り、焦げた臭いが漂う。
「……やはりプラナ・アーツを使えるのか」
その動きは正確無比。今までとは比べ物にならない反応速度。
ならば――こちらも試すしかない。
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「ウェイクアップ!」
俺は意識を限界まで集中させる。
プラナ増幅装置が光を放ち、その脈動とともに力が体内を巡る。
「コネクト」
意識が世界の境界を越え、エージェントの精神領域へ突き刺さる。
瞬間――強烈な抵抗。
耳の奥でノイズが爆ぜた。
『ノイズを検知。修正を開始します』
チップが反応した。
アヤの時よりも遥かに堅牢な防御システム。
だが、出力をさらに上げる。
「――突破する!」
光が閃き、世界が裏返る。
断片的な記憶が、俺の中へ流れ込んだ。
――白い病室。
――笑っている女性。
――名札には“アリサ・マーティン”の文字。
『私は……看護師……でも……なぜ、私は……』
混乱と、恐怖と、痛み。
そして――誰かを守ろうとする微かな願い。
「君の名前は……アリサ、か」
俺は精神の奥で呟いた。
『……助けて……私は……何者なの……?』
その声はかすかに震えていた。
完全に消えてはいない。まだ、人としての意志が残っている。
だが――
『緊急修正。記憶領域を初期化します』
電子音が鳴り響いた瞬間、アリサの意識が崩壊していく。
俺は必死に手を伸ばした。
「待て! まだ――!」
このままでは、お互いに危険だ。
一瞬、判断を迷う。
その時、俺の意識に、激しい衝撃が走った。
まるで脳の奥を焼かれるような痛み。
アリサのチップが、彼女自身の記憶を完全に消去しようとしている。
「やめろ……!」
俺は必死に抗った。
精神の奥で、プラナの光をさらに強く放つ。
だが、強化された防御機構は想像以上に強固で、アリサの人格をひとつ残らず消し去ろうとしていた。
現実世界のアリサが、痙攣するように体を震わせている。
「システム……エラー……わ、たしは……」
その声はかすれ、途切れ途切れだった。
だが、ほんの一瞬――彼女の表情に“感情”が戻った。
困惑。不安。恐怖。そして、わずかな希望。
その一瞬に、彼女の“人間らしさ”が確かに宿っていた。
「アリサ……!」
俺は手を伸ばした。
だが次の瞬間、チップの修正信号が彼女を再び飲み込む。
「記憶領域、初期化開始」
機械音声が冷たく響いた。
リサの瞳から光が消えていく。
「ダメだ……」
歯を食いしばる。
オルフェンの言葉が頭に浮かんだ――「無謀は命取りだ」。
今は退くしかない。技術検証は、すでに十分すぎるほど達成された。
俺はコネクトを解除し、精神を現実に戻した。
頭の奥が焼けるように痛む。血の味が口に広がる。
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「……ミスト」
俺はプラナ・アーツを発動させた。
白い霧が瞬く間に広がり、視界を覆い尽くす。
「バインド」――そのままプラナの鎖を生み出して、アリサの動きを一時的に封じ込めた。
「すまない、アリサ……」
呟きながら、俺はその場を離れた。
足音を殺し、影のように廊下を駆け抜ける。
出口の扉を飛び出した瞬間、冷たい夜風が顔を打った。
胸の奥で、鼓動がまだ荒ぶっている。
心臓が、自分の意志とは無関係に跳ねている。
「はぁ……っ……」
俺は建物を離れ、暗闇の中を走り続けた。
予定の合流地点。
廃ビル跡地にたどり着いたとき、通信機からカイの声が飛び込んできた。
「レイ!大丈夫?」
「……何とか」
息を整えながら答えた。
霧の中から、カイとルナが駆け寄ってくる。
ルナの表情が険しい。カイは俺の腕の傷に気づいて眉をひそめた。
「どうだった?」
ルナの声には、焦りと恐れが混じっていた。
「重要な情報を手に入れた。
だが……想像以上に、酷い」
俺が短く答えると、2人は黙ってしまう。
夜の空気が、重く沈んだ。
「帰りましょう。
急いで報告を。オルフェンも心配してる」
カイの言葉に俺は頷き、再び夜の闇へと足を踏み出した。
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基地に戻ると、会議室の明かりがまだ灯っていた。
オルフェンが机の上のホログラム地図を見つめている。
「戻ったか」
低い声。いつも通り落ち着いているが、その目は俺の顔色を見て全てを察していた。
俺は深呼吸し、報告を始めた。
「EE計画の対象者12名のうち、10名がすでに強化済み。残り2名も今週中に処置予定」
「完全統合計画の実行は5週間後です」
「チップ防御システムは従来より格段に強化されていました。
ただし、コネクトは一定の効果あり。本来の人格は完全には消されていません」
沈黙が落ちた。
オルフェンは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。
「……つまり、救出は理論上可能だが、今の技術では突破しきれない」
「はい。より強力なプラナの増幅が必要です」
そこで、ドクター・ヴァインが椅子から立ち上がった。
「それなら方法がある。
研究棟にあった大型のプラナ増幅装置を改良できれば、出力を最大10倍まで引き上げられる」
「可能か?」
オルフェンが問う。
「理論上は、な。ただ問題は材料の確保と時間……」
「どのくらいだ?」
「おおよそ2週間。主要部品さえ揃えば」
俺は拳を握った。
5週間後に完全統合計画――2週間で装置完成なら、間に合う。ギリギリだが。
ヴァインがさらに言葉を続けた。
「それが完成すれば、以前から研究を進めていたプラナによるマイクロチップ干渉技術。
――仮に“プラナ・ウェーブ”としておくが、その発生機器の開発も現実的になるはずだ」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
希望の灯が、暗闇の中に差し込むように。
「それが成功すれば、チップを“無効化”できる……」
リーナの呟きを聞いたオルフェンが頷く。
「ならば、全力で進めよう。資材調達は私が手配する」
俺は、もう一つ報告を付け加えた。
「――あと。強化対象者の1人、アリサという女性がいました。
もとは看護師だった。普通の市民です」
その言葉に、室内の空気が一瞬止まる。
「市民……だと?」
オルフェンの声が低く響く。
「恐らく、完全統合計画の予備実験。
EE計画は、最初から市民支配を想定していた」
オルフェンが拳を握った。
「……あの政府は、そこまで堕ちていたか」
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その夜。
俺は1人、基地の屋上にいた。
夜風が頬を撫で、遠くの灯りがちらちらと瞬いている。
アリサの顔が、何度も脳裏に浮かんだ。
「助けて……私は、何者なの……?」
あの震える声が、今も耳から離れない。
「……アヤも、あんなふうに苦しんでいた」
以前、コネクトを試した際、同じように苦しむアヤがいた。
それでも、絶望だけでは終わらせない。
確かに見た。彼女の中に、確かに“心”が残っていた。
完全に消されてはいなかった。
――なら、救える。必ず。
「間に合わせる。絶対に」
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翌朝、司令室が慌ただしく動き出した。
通信機が一斉に点灯する。各地のレジスタンスからの連絡だった。
「大型装置建造の資材を提供します」
それは東部地区代表のサラの声から始まった。
「技術者を派遣するぜ」
北部のマルコス。
「我々も協力を惜しみません」
南部のエリナからの連絡。
次々と画面が切り替わり、各地の拠点が連帯を宣言していく。
オルフェンは深く頷き、笑みを見せた。
「……これでようやく、“人類解放戦線”が名実ともにひとつになった」
その言葉に、基地全体が静かに沸き立った。
希望。覚悟。決意。
誰もが、それを胸に抱いている。
俺は拳を握り、皆に向かって言った。
「必ず成功させます。
アヤも、アリサも、そしてすべての人々を――」
声が自然と強くなった。
仲間たちの目が、確かな光を帯びている。
大型プラナ増幅装置の建造が始まる。
チップ無効化技術の完成が近づいている。
この勢いはもう誰にも、止めさせない。




